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流れ星の願いを  作者: 青井在子
1st 迷い込んだ世界
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05

 一週間が経った。この世界には時計というものがないが、どうやら時計の役割をする人が世界中にいるらしく、時間を計測して一時間ごとに鐘を鳴らしてくれる。人々はそれを頼りにして生活している。また暦もあるが、時計よりも暦のほうが発達していて、元の世界と同じく一週間は七日だし、一ヶ月は三十日前後だ。まあ植物と動物の世界だから、細かい時間よりも大きなくくりの時間のほうが、重要になるのかもしれない。種子から目が出るのに何日、花が咲き実がなるまでに何日、とかね。そして日本人にはありがたく、四季もあるらしい。ちなみに今は春だ。


 もういくらか慣れた道を通って、カランバノを伴って中庭へ行く。いつも扉を開けるとすでに居るひとびとに星型を切られる。初めのころはいちいち立ち止まってしまっていたが、今はそれにも慣れてきた。いつものように硝子に女性の足元に座ると、すぐにひとびとが集まってくる。彼らの話に私は助言をしてあげられるわけでもない。もともとこの世界の住人ではない私は、彼らよりこの世界の事情に疎いからだ。だからこそ彼らと話していて学ぶことは多い。時計係や暦の話もすべて彼らから聞いたものだ。子供たちと遊び、老人らからは知恵をもらった。話を終えるときには、私にそんな力があればいいのにと願いながら、彼らの幸せを祈る。そんな毎日を送っていたある日のことだった。


「流星様!」


正面の門から一人の女性が血相を変えて飛び込んできた。私に話していた壮年の山羊の男性は話をやめ、そちらを向いた。カランバノが万一に備えて私の前に立った。近づくに連れて女性が何かを抱えていることに気づいた。そして女性に三角の耳と細長い尾があることにも。


「何者だ」


カランバノの後ろから女性の腕の中を覗き込む。縞模様の子猫が体を震わせていた。


「見せて!」


私を庇うように伸ばされていたカランバノの手を押しのけ、女性のもとに駆け寄った。


「ああ、流星様。どうかお助けください。息子が数日前から高熱をだし、魔力はとうに尽き果てました。この子は人型が取れる子ですが、もはやその力も残っていません……。どうかお願いします……っ」


女性改め母親は今にも泣き出さんばかりだ。私もどうにかしてあげたい。そう思うけれど私は異世界から来ただけのただの人間で、必要な力など持っていないのだ。

それでも祈らずにはいられなかった。この腕の中で静かに息を引きとった、あの愛しい黒猫の姿が思い起こされるのだ。母親の腕の中で小さくなる子猫に手を伸ばす。

お願い。お願い。どうか。私の何を奪ってもいいです。だからこの子を死なせないで。お願い。泣き出しそうな思いだった。


 この世界のみんなは私に救いを求めて、私の力を信じてやってくるのに何もできないのは嫌だ。嘘をついているみたい。私を受け入れてくれる人々を裏切りたくない。見ず知らずの世界に何も持たずにやってきてしまったのだから、せめて何か一つぐらいできることがあったっていいじゃない。祈られるべき立場であるはずの私が必死に祈った。私の願いは一体誰が聞いてくれるのだろう。


 そのときだった。突然雑音が聞こえた。真夜中のテレビに映る砂嵐のような音。そして視界が白く霞む。貧血を起こしているような感覚に、恐怖を覚える。ザーというその音は、血が流れ落ちていく音のようにも思えた。そしてまたしても突如として視界が戻る。子猫に向かって延ばされた掌から眩いけれど温かな光が溢れ、子猫を包んだ。


 子猫の母親が驚いた顔をしている。野次馬で集まった人々も同じだ。けれど一番驚いているのは、光を放つ張本人である私自身だと思う。子猫の震えが止まった。やがて三角の耳がぴくぴくと動き、そして顔を上げた。


――あれぇ。


無垢な高い声が呑気に響いた。


「ああ……っ」


母親がついに泣きだした。子猫に頬ずりをする。


――お母さん、やめてよ。濡れちゃうよぉ。僕お水嫌いだもの。

「よかった……、よかった……!」

――お母さん、降ろして。僕も自分で歩きたい!


母親が何度も頷いて子猫を降ろすと、子猫は一瞬にして三角の耳を生やした少年へと変貌を遂げた。そうしてやっと実感した。あの弱っていた子猫が、人型をとれるまでに回復したのだと。どうしてだろう。さっきの光の仕業なのだろうか。


「本当に、本当にありがとうございます! 流星様、あなたのおかげで息子は助かりました!」


信じられない。そんなことが本当に? 私がやったの?


「ありがとうございます! ほんとうに……っありがとうございます!」


母親が私の両手を掴み跪いて何度も頭を下げる。私は呆気にとられたままで、彼女を立たすことさえできないままただ突っ立っていた。野次馬たちからも歓声が上がっている。それなのに中心にいる私だけが、何も理解できないままだった。混乱した頭で辺りを見回すと、城の塔からこちらを見ている者がいた。長い黒髪が風に揺れている。アルスだ。


 誰か助けて。すべてがよくわからない。私はひとり胸の高鳴りと絶望を感じていた。私は私を失ったような、そんな気がしていた。


「流星様」


ざわめきの中で、落ち着きのある低い声が響いた。耳に馴染むカランバノの声だ。


「大丈夫ですか」


彼は二人で話すときは棘が在りながらも砕けた口調で話すのに、人々の前では流星である私の体裁を気にして敬語になるのだ。

まだぼんやりしたまま、カランバノを見上げる。氷雪のような薄い青の瞳が、珍しく気遣わしげに細められている。こんなときでさえ眉間には皺が寄るんだね。猫の少年が助かったって言うのに。


「よかっ……」


よかった。たったそれだけを言いたかっただけなのに。微笑むことさえできなかった。砂嵐の音がして視界が白み、吐き気がした。脚から力が抜ける。


「――流星!」


ふらついた私を、抱きとめてくれた。ああまた後でなんか言われそうだな。だけど今は何も聞こえない。吹き荒れる砂の音がうるさい。現実が遠のいていく。あ。いいにおいがする。どこからかお日様のにおいがした。


 すまない。と誰かが謝る声がした。どうして謝るの。いつかお前はあたしを恨む日が来る。あなたを? 誰かも知らないのに? それでも来るんだ。……変なの。だから先に言っておく。すまない。そんなこと言われてもなんて答えればいいのかわかんないよ。


 いつかのことはわかんないけど、今はまだ恨んでないよ。だから謝らないで。

たぶんそう言いたかったんだと思う。顔の見えない誰かがあまりにも悲痛な声で謝るものだから。だけど声が出なかった。口が動かない。そこでやっと違和感に気が付いた。身体が重たい。ここはどこだろう。目を開けたいのに開かない。なに、これ。


「流星様……?」


優しい声、プリマヴェラさんだ。私を呼ぶ声に応えたいのに。せめて指だけでも動かそうと力を込める。少しずつだけど持ちあがった。それを合図にするかのように、身体のコントロール権が私の元に返ってきた。一気に目を開けると、驚いた顔のプリマヴェラさんと目があった。


「……おはようございます」


とりあえず挨拶をしてみると、プリマヴェラさんが眉根を下げた。どうやらここは私の部屋らしい。


「お身体はいかがですか?」

「大丈夫そう……ですけど?」

「流星様、何が起こったかわかっていらっしゃいますか?」

「へ?」


ぽかんとする私にプリマヴェラさんが溜息を吐いた。困ったようなその表情さえも可憐である。


「猫の少年を救ったのだとお聞きしましたわ」

「ああ、そうでした……」

「でもあなた様は少年を救ったのと同時に、お倒れになったのですよ」

「そういえば……貧血っぽくなったんですよね」

「貧血……? それはよくわかりませんが、とにかくあなた様が目を覚まされたら呼ぶようにとアルス様に言いつけられておりますのでお呼びしますね」

「アルスに?」


ただの貧血なのに、わざわざ王様自ら見舞いに来てくれると言うのだろうか。まあアルスは私がイメージする他の王様と違ってとっても親しみのある王だけれど。部屋を出ていくプリマヴェラさんの背を見送って、手櫛で簡単に髪を整えた。まだ身体に気だるさが残っていて、ベッドを出て化粧をしたり髪を結ったりする元気は無かった。


 しばらくするとドアが叩かれた。


「はーい」


私の返事を確認して、ドアが開く。現れたのは艶やかな黒髪を持つ、アルスだ。プリマヴェラさんとカランバノはどこだろう。


「やあ、調子はどうだい」


中学校の英語の教科書の日本語訳文に出てきそうな挨拶だ。なんか笑える。


「うん、もう大丈夫そう。たぶんただの貧血だし」

「……貧血?」

「もともと貧血起こしやすかったし、そういう意味ではあんまり驚いてないよ」

「きみは……」


アルスが私のベッドに腰掛けた。そして透明感のある白い手で、私の額に触れた。


「どうして気を失ったのか、わかっていないようだね」

「え?」


アルスの掌は冷たくて、当てられると心地よい。もう片方の手が、私の左手首を握った。


「私たちが魔力と呼ばれる精霊の力を使って生活をしていることは知っているね」

「あ、うん」

「そして魔力が少ない者は人型をとることができないことも」

「うん、カランバノが教えてくれた」

「きみが癒した少年は」


そういえば倒れる直前に、アルスが遠くから私たちを見ているのを見た。


「本来は人型になれるほどの魔力の持ち主だ。それが本来の姿でしかいられなくなるのは、どういうときかわかるかい」


私は素直に首を横に振った。


「彼はなんらかの事情で、身体的にとても弱っていた。生命を脅かすぐらいにね。そうなると本来は生命維持には関係の無い力を、そちらに回さなくてはいけなくなる。魔力を生命を維持するために使うんだ。そのぶん自由に使える魔力は減り、人型を維持できなくなる」

「……なんか難しいんだね」

「簡単に言えば私たちが持つ魔力は、人によって量は違うとはいえ、有限なんだ。使ったぶんを回復するのには時間が掛かる」

「つまり好き放題ばんばん使いまくれるわけじゃないと」

「そうだね。だから彼は本来の姿に戻っていたし、きみが力を使って癒しを与えたことで彼は人型を取れるまでに回復したんだ」

「私の力……?」

「流星の力だろう。私たちは魔力を使うことはできるけれど、自分の魔力を使って他者の魔力を補ったり癒したりはできない」


この世界の人が持たず流星である私だけが持つ力。そんなものが本当にあるのだろうか。なんのためにそんな力を持たされ、私はこの世界にやってきたのだろうか。


「きみは、彼を蝕んでいた身体的な要因を消し去り、そのうえで失われた魔力を補ったんだよ」


そう言われてもいまいちピンと来ない。私は苦しそうに小さく丸まっていた子猫を助けてやりたいと、祈っただけだ。


「どちらも私たちができないことなんだよ。だけどきみは倒れた」


額に当てられていた手が頬を伝って、顎へと行きつく。顎を軽く持たれて、深緑の瞳が私の目を覗きこんでくる。まるでその奥を見ているかのようだった。


「きみが持つ力は私たちの魔力に成りうる。だけどそれは私たちと同じ魔力ではない。きみの、流星だけが持つ特別な力なのだろうね。それでもやはり限度があるみたいだ」

「限度……?」

「そう。きみは少年を助けるために力を使いすぎて倒れたんだ」


私はこの世界のひとびとを癒す力を手に入れた。だけど使いすぎれば自分に悪影響が出る。


「……使いすぎない程度にがんばればいいってことか」

「流星……」


アルスが顔を顰めた。端正な顔は悲痛に歪められた。

私の力は使いすぎれば気絶する。それだけなのだろうか。それよりもっと力を使ったらどうなるのだろう。わからないことだらけだ。


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