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流れ星の願いを  作者: 青井在子
6th 幸福になるために
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 やっぱり私はお酒に弱い。それはこの世界に来て流星になっても変わってはいなかった。イセベルに煽られて果実酒を一気飲みした翌朝、ベッドの中で目を開けた瞬間から頭痛がした。カーテンを閉め切り、陽射しを抑えているはずなのに尚眩しく感じ、その眩しさが余計に頭を刺激した。幸い吐き気はなかったが、それでも気持ちが悪い。動くのを諦め、もう一度身体を横たえた。水を飲み、ようやくすっきりしたのは日が暮れる頃だった。外の空気を吸おうと思ったが、今更メイクをする気にもなれない。臙脂色のガウンを羽織り、部屋を出る。薄暗い廊下にひとの気配はない。中庭を見下ろすあの渡り廊下に向かった。


 昨日の賑わいとは打って変わりひとのいない中庭は静まり返っている。一日寝込んだ私が言うのもなんだが、お祭りとかパーティの後の静けさってどうにも寂しい。風が音を立てて吹き抜け、ガウンの襟を掻き抱く。この頃、朝晩はすっかり冷え込むようになった。私が来た頃、ここは春だった。それから夏を越え秋を迎え、もうじき冬がやってくる。時間が流れていくのは本当に速い。来年の今頃は私はなにをしているのだろうか。まだここにいるのだろうか。窓枠に身体を預け、見慣れた二つの月を眺めていた。それはまるで愛し合うプリマヴェラさんとヴェラーノさん夫婦のようだ。幸せそうに微笑み合いながら寄り添っている。


それに比べ、私は。


夜のせいか寒さのせいなのか。身を潜めていた影がずるりと這い出してきた。こんな幸せなときに。嫌だな。ここに来たばかりのころは、この夜の暗さが恐ろしかった。ふと立ち止まってしまえば、背後の闇に飲み込まれてしまいそうで。逃れようと手を伸ばしても声の限り叫んでも、誰も気づいてはくれなさそうで。夜の空気がそのまま闇へと変わり、私はもう逃げられなくなる。その闇の正体を、本当は知っている。何もこの世界に来て初めて出会ったものではない。元の世界にもどこにだって存在している。そして誰のもとにも現れうるのだ。孤独はいつだって傍に居る。絶えず隙を窺っていて、幾を見て侵入してくるのだ。私の中にもそれはいて、内側からずっと喰いつくさんとしている。長い間共に在った気がするのに、未だに受け入れられない。


「カンナ?」


その声は暗闇を撃つ、閃光だ。もがく私の手を掴んでくれる。叫ぶ私の声を聞いてくれる。きっと。


「……カランバノ、おはよ」

「おはようってお前何時だと思って居るんだ」

「ごめん。だって今まで寝てたんだもん」

「まったくお前は……」


いつものように呆れて溜息をついて、そして声のトーンが低くなる。


「大丈夫か」


カランバノの髪は薄氷を思わせる、どこか青みがかった白色だ。その余りの白さのせいか、この暗がりの中でもきらきらと光を放っているようにも見える。廊下の反対側から歩いてきて、立ち止まった。二メートル半。私たちの間には距離がある。


「大丈夫だよ。ちょっと飲みすぎちゃっただけ」

「……そうか」


納得していなかったとしても、何も言わない。いつもと言うわけでもないが、彼の癖の一つであると思う。


「……まあ、昨日のカンナの宣言、良かったんじゃないか」

「本当にそう思ってる?」

「お前たちが抱き合って泣く姿を見て泣きだす客もいた」

「あれは……、ちょっと恥ずかしいな」

「良かったと思うぞ」

「感動した?」

「……少しな」

「え、ほんとに?」

「なんだ」

「半分冗談のつもりだったんだけど」

「お前は……」


聞きなれた溜息を吐く。最初はこの溜息さえも責められているようで辛かった。何故かあの頃はそうとしか思えなかった。それが今ではほんの少し悪戯心さえ芽生えてしまう。


「私一人っ子なんだけどさ」


それから私が話すときは黙って聞いていてくれるのも、カランバノらしいところ。


「プリマヴェラさんのこと、勝手にお姉ちゃんみたいに思ってて。なんかほんとにお姉ちゃんが結婚しちゃうみたいで寂しくなった」

「プリマヴェラはこれからも城で働くだろう」

「わかってるけど、それでもなんだよね。何て言うんだろう。私のお姉ちゃんが他のひとに取られちゃって悔しい、寂しいみたいな……」

「そうか」

「あのときはその寂しさとこれからもずっと幸せでいてほしいって言う願いと」


そう口にしながら気が付いた。あの時涙を堪え切れなかったのは、私が願った幸福の儚さをわかってしまっていたからだ。その静かなる予感は、それでも口にしてしまえば実現しそうで恐ろしい。私は言葉を変えた。


「あのときは寂しさと幸せで胸が詰まって、泣いちゃったの」

「幸せ者だな」

「え?」

「お前もプリマヴェラも」


ふわり舞い落ちる雪のような声に顔を上げると、静かな微笑を湛えた横顔が月明かりに照らされていた。その余りの美しさに、説明のしようが無い荒々しくも穏やかな感情が全身を駆け巡る。その腕に飛び込んでしまいたいような気がする。だけどこのまま静かに見つめていたい気もする。


「お互いを泣くほど大切に想い合えるのは、幸福なことだ」


微笑しているにも関わらず何故か、泣いているように見えた。そうだ。今やっと気が付いた。このひとの微笑みが悲しく見えるのは、そのなかに寂しさが含まれているからだ。どうしていつもそんなに悲しげに笑うの? 穏やかな表情をすればするほど寂しそうに見えるのはどうして? 聞きたいのに聞けない。触れたいのに触れられない。カランバノの弱さに向き合いたいのに、できない。私もかつてのカランバノと同じだ。哀しみや孤独から逃げてばかりいる。


「カンナ?」


名前を呼ばれて我に帰ると、薄青色の瞳に真っ直ぐ見つめられていた。何か言おうと口を開いても、相応しい言葉が出て来ない。どうしていつも私はこうなのだろう。いつだって気が付いているのに知らないふりをしている。


「……そうだね。幸せ者だね」


私にとってのプリマヴェラさんのような相手が、カランバノにはいないのだろうか。病床の母とたったひとりの妹を残して里を出てから今に至るまでに、このひとは一体何を捨てて生きてきたのだろう。


「カランバノは幸せ?」

「なんだ、急に……」


口ごもる。私に当てられていた視線が反らされる。目は口ほどにものを言うらしいから。口では隠せることも目には現れてしまう。それをまだ隠すかのように。どうして。プライドのせいなの? それともまだ受け入れられない何かがあるの? 


どうしてそれを私だけに見せようとしてくれないの。


他人のことを言えた義理じゃないのに、そう思った。頼られないことに対する悲しみと怒りに似た感情が渦巻く。私の中は真っ黒で真っ赤だ。ぐちゃぐちゃだ。私だってひとに話せないことがあるのにそれを棚に上げてすべて知りたいと思ってる。エゴだってわかっているのに。


「プリマヴェラさん、ドレス似合ってたなあ……」


色んな思いが混ざり合って絡まり合って、結局関係の無いことを口にしていた。


「そうだな」

「いいなー。羨ましい」

「お前もそのうち着るだろう」

「え?」

「お前が……、結婚するときに」

「私が?」

「ああ」

「できるのかな」

「できるだろう」

「できないような気がするんだけど……。それにカランバノも結婚するんでしょ?」

「……なんの話だ」


ヴェラーノさんが着ていたような真っ白な衣装を着ているカランバノを想像する。寂しさを含まない彼なりの笑顔を浮かべ、笑いかける先に純白のドレスを着た誰か。私は参列者としてひとりぼっちでそれを見るんだ。そう思ったら、なんだか少しだけ怒れてきた。


「次期族長だし? まあイケメンだし? 騎士だし? そりゃあモテるでしょうよ。いいね、相手に困らなさそうで」

「待て。一体何の話をしているんだ」

「どうせ選びたい放題なんでしょ。カランバノなんて……さっさと美人で優しいひとと結婚しちゃえ! もう!」


そう吐き捨ててぷいと顔を背けると、何故だか視界が歪む。いつもの溜息が聞こえた。


「お前こそ……、その気になれば寄ってくる男もいるだろうさ」


その言葉を聞いた瞬間、頭の中で線が切れる音がはっきりと聞こえた。その線が何のためのものだったのかは知らない。けれど私の中で渦を巻いていた真っ黒な感情が激しい濁流となって喉元へせり上がってきた。


「なんでそんなこと言うの!?」


感情に任せた声が裏返る。私の反応が予想外だったせいか、カランバノは呆然としている。


その表情もイラつく。いつもそう。私がこうやって荒れて怒ったり泣いたりしてもカランバノは冷静で落ち着いている。そのたびにいかに自分が幼稚か思い知らされるし、越えられない壁のようなものを感じる。どうしてなんだろう。どうして、どうしてか聞けないのだろう。


「なんでって……」

「私が言いたいのはそういうことじゃない!」

「じゃあ何が言いたいんだ?」


自分の鼻息が荒くなっているのがわかる。みっともない。何が言いたいのか。だって違うのだ。誰でもいいから結婚したいからってこんなこと言ってるわけじゃない。違うんだ。そういう意味じゃない。


「もういい……っ」


踵を返して走りだす。歩きまわる様のヒールの無いパンプスがぱかぱかと足から浮く。そんなことも構わず走り続け、部屋の戸を閉めた瞬間糸が切れたかのように涙が出た。


どうしてわかってくれないんだろう。どうして私はカランバノといるとこんなに不安定になるんだろう。どうして彼は私にこんな激情を抱かせるのだろう。どうして私を滅茶苦茶にかき乱すのだろう。疑問だらけだ。答えが見つからない。


走ったせいなのか、胸が痛い。心臓じゃないどこかが、とてつもなく痛かった。


部屋へ戻る頃には辺りは完全な暗闇に飲まれ、廊下を松明の灯りが照らしていた。濃紺に複数の月と星が輝く空は壮大で美しくて、切ない。太陽とともに今日という一日が去ってしまう。もう二度と戻らない。


私は幸せ者なのかもしれない。イセベルのように種族の違いに妨げられることもない。私は私が望んだひとと恋愛をし、結婚できるのかもしれない。決して彼らを貶めるわけではないが、そう言う意味では幸せなのかもしれない。けれど私は幸せなんだと断言できないのは何故だろう。いつも何かが引っかかっている。いつも何かが私が幸福になるのを妨げている。


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