44
ここからは中庭に大きなテーブルと色とりどりの食事が運びいれられ、立食形式のカジュアルな宴会が始まる。準備の間に私は転ばないように気を付けながら出来る限りの速さで化粧を治しに戻った。見届け人という大役から解放された私は、コルセットで腹部を締め付けられているにも関わらず、御馳走をたらふく食べたということはここだけの話。
パーティは夜更けまで続く。テーブルは取り払われ、ひとびとは思い思いの場所に腰を降ろし話に花を咲かせている。どこかで誰かが歌い始めるとまた別の誰かがそれに続く。風の音と歌声が背景音楽となって夜に情緒を与えた。
私は璃久の像の台座に背を預けて座っている。新郎新婦がアルスとイエロと楽しそうに何かを話している。お互いに想い合い、そして結ばれる。幼いころはそれが当たり前だと思っていた。けれど高校を卒業したころぐらいからか、いつしかとても難しいことだと気づいていた。そしてこの世界では、尚更。いつどんなことがきっかけで戦いが起こるかわからない。死が思いがけず身近に潜んでいたりするのだ。そんな世界で結ばれたふたりを心から祝福している。これからもずっと幸せであってほしい。今日のふたりは一段と輝いて見える。
「流星」
月明かりに影が落ちる。雪のように白い髪が光を纏って美しい。彼女も今日はいつもと異なった装いをしている。手には果実酒の入ったグラスが二つ。
「イセベル」
「隣座るぞ」
「どうぞどうぞ」
私の隣に腰を下ろしたその顔を覗くと、頬に朱が射している。どうやら今手にしているグラスの他にも、何杯か空けたようだ。
「やる」
「……ありがと」
薄桃色の液体が注がれたグラスを押し付けるかのように手渡される。この可愛らしい色をした果実酒は、見た目に反して結構きついのだ。お酒に詳しくない私にははっきりわからないが、アルコール度数は少なくとも私が普段飲んでいたカクテルなどよりは断然高いし、何より味が赤ワインの渋みをもっと強くしたようなものなのだ。もともとワインなど飲めない私が、この味にハマるわけがない。だがそれはあくまでも私にとってと言う話であって、この世界では多くの人が好んで飲んでいる。さらに子どもたちまで何かで割って飲んでいるのだから驚きだ。
隣でイセベルがグラスに口を付け、傾けた。私は静かなピンク色の水面を黙って見つめる。
「婚姻の儀、良かったな。お前もなかなかいい仕事をしていた」
「それはどうも」
「珍しく感動なんてしちまった」
「良いことじゃん」
「そのはずなんだけどな」
グラスを傾ける。白い喉が上下に動く。憂いを帯びた長い睫毛が、そっと伏せられる。兄と同じく整った造形の彼女は、そんな姿も絵になる。整った薄い唇の片側が釣り上げられる。笑顔じゃない笑いだった。
「まったく嫌になるぜ……」
空いた手で顔を覆う。指の隙間から、唇をぎゅっと引き結ぶのが見えた。それは泣くのを我慢しているようにも見えた。普段の彼女からは想像もできない姿に少なからず驚き、私はありきたりな言葉をかけるしかない。
「ど、どうしたの?」
「まあお前も飲め」
「いや、私はいいってば……」
「あたしだけ酔っ払ってられるか。飲め」
私の手からグラスを引っ手繰って無理やり口元に押し付けられる。ドレスに零されるわけにもいかない。私は覚悟を決めてグラスを奪い返し、息を止めて一気に飲み干した。熱いものが喉を通って胸に広がるのが分かる。下手な酔いかたをしそうな予感がした。
「なかなか良い飲みっぷりだな」
「イセベルが無理やり飲ませようとしたんでしょ」
「たまには良いだろ。お前も酔ってくれたほうが色々話し易いしよ」
「なに? どんな話をしようと思ってるの?」
「んー……」
イセベルと私は決して合っているとは思わない。だけどこの世界での友だちはと聞かれたら、きっと彼女の名前を挙げるような気がする。そして出会ったころと態度が変わったのは、彼女も私に対する認識を改めてくれたからだと勝手に解釈している。
「プリマヴェラ、似合っていたな。あの白いドレス」
「ほんとにねー。綺麗だった」
「ヴェラーノとふたりで幸せそうに笑っていた」
「うん、ほんとに幸せそうだった」
「…………羨ましく思ったんだ。少し」
「え?」
視線はグラスに注がれている。だけどそんなところを見ているわけではない。
「言い方が悪いのはわかってるが、普段は羊族の奴らなんて羨ましいと思うことはねぇんだ。むしろあんな弱ぇ種族に生まれなくて良かったって思うぐらいにな。でも今日はプリマヴェラを羨ましいと思っちまった。同じ里の出の男をすきになって、見事結ばれたんだからな」
イセベルのグラスのピンク色の水面に、うっすらと月が映りこんでいる。それがイセベルの些細な動きによって起きる波に消されてはまた現れる。
「お前もいつか結婚するんだろ」
「え、私? どうなんだろ……」
元の世界にいたころは、なんだかんだでいつかは結婚するのだろうと漠然と想像していたけれど、この世界ではその夢は更に遠のいてしまった気がする。
「できるのかな……」
「アルス様の祖母上様が流星だったんだから、お前にもできなくはねぇってことだろ」
「理論上はそうだけど、その……」
相手がいるのか、とか。突然脳裏を過った薄い青色の瞳を、慌てて消し去っていると隣で溜息が聞こえた。
「ねえ、ほんとにどうしたの?」
「いや……」
「話しちゃいたいことがあるんじゃないの?」
「そうなんだけどな……」
また溜息を吐く。その切なげな表情と今までの会話を受けて、なんとなくひらめいた。
「もしかしてすきなひとがいるの? ……わあ、ごめん」
肩を小さく揺らしたかと思うと、ちょうど口に含んでいたグラスの中身を慌てて飲み込んだらしく激しくせき込んだ。げほげほ言いながら噎せるその背中を擦る。なんてわかりやすい反応なんだと口にすることは止めた。やがて落ち着くと、彼女は小さく頷いた。
「そうなんだ」
また黙り込む。これは私が尋ねない限り話してはくれなさそうだ。彼女も吐きだしてしまいたいように見えるし、なにより恋バナが嫌いな女子は少ない。
「どんなひとなの?」
「……頭が良くて強いひとだ。いつも部下のことを想ってくれている」
「……部下の?」
部下を想う。彼女の口から出たそのフレーズを聞いて思い当たるひとがいた。
「ねえ、それってもしかして」
ふと顔を上げると視線の先で、アルスと談笑しているそのひとがいる。燃え盛る炎のように赤と橙が交じった髪。筋肉が盛り上がる逞しい大柄の身体。しかしその表情は穏やかでひとを包み込むような懐の深さを窺うことが出来る。
「……ジャーマさん?」
イセベルは再び肩を揺らした。そして私の視線から逃れるように俯き、頷いた。宵闇の中でもともと赤かった頬がさらに赤みを増した。
「そっかあ……」
無事に彼女の思い人を当てられたが、よくよく考えれば私はジャーマさんのことを良く知らない。共に行動することもあったが、一緒に過ごし会話を持つ機会は他のひとに比べて少なかった。ただ一度、私に辛辣な言葉を投げるイセベルの言動を本人に代わって謝ってくれたことがあった。部下思い。確かにその通りかもしれない。もしくは部下を家族のように思って居るのかもしれない。
いつになく乙女の表情を覗かせるイセベルを、ふたつの月と星たちが照らす。この世界にも恋はある。世界の安全を護るために戦う戦士にだって恋をする。境界警備隊として活躍する彼女を、より身近に感じた。
「隊長と出会ったのはまだ城へ来たばかりのときだ。あたしはもともと兄様と同じで国王騎士として訓練してたんだ。だけど隊長に会って、その、なんというか……なあ」
「すきになって?」
「お前はよくそんなことをさらっと言えるなあ」
「ひとの話はね」
冗談交じりにそう言うと、やっとイセベルがほんの少し笑ってくれた。
「兄様が優秀だったおかげで妹のあたしのことも隊長は知っていてくれた。城へ帰還するたびに会いにきてくれて、警備隊としての仕事の話をしてくれたり実際に訓練を付けてくれたりしたこともあった。母上様が病に伏し、そんな母上様とあたしを置いて出て行った兄様にも……あのころは失望しててさ。凹んでたっていうかちょっと弱ってて、なんていうかもっと突っ張ってたんだよ」
「え、今より?」
「うるせぇな。隊長はあたしの強がりとか反抗心とかを見抜いて理解してくれたんだ。あの頃は兄様もあたしと変わらないような状態で、お互いにお互いを突き放しあってるみたいな感じでさ。隊長はあたしの唯一の心の拠り所だった」
不治の病を患ったグラシアさんと向き合うことができず逃げたと、カランバノ本人も言っていた。母を失う恐怖のなかにたったひとりで残されたまだ幼かった妹が、寂しくないはずがない。やがて兄を追うように城へ来て兄妹は再会しても、寂しさと悲しさに潰されないように強がることで精いっぱいだったふたりに、お互いの弱さに触れる勇気はなかった。
「最初は憧れだったんだ。ずっと。あたしにもあたし以外の下っ端騎士とかにもとにかく優しくて面倒見がよくて、誰にでも慕われてた。あたしはずっと隊長みたいになりたかった。隊長の優しさは強さから来てるものだって、わかってたから。だけど……」
「気がついたらすきになってた」
「まあ、な……。自分の感情に気が付いたとき、あたしは絶望したよ」
「絶望? どうして?」
確かジャーマさんは未婚だったはず。
「どうしてって少し考えればわかるだろ。お前は相変わらずだな」
「ごめんって。イセベルの口の悪さも相変わらずだけど」
茶化すと舌打ちをされた。そしてしかつめらしい表情になる。
「あたしは狼だろ。隊長は獅子だ」
「うん?」
「ちっ。まだわかんねぇのかよ」
「ごめん」
「この世界の結婚の本来の目的は、子を遺し血を繋ぐことだ。今でこそプリマヴェラたちみたいに恋愛結婚をする奴も増えたが、少し前までは親が決めた相手と結婚するっていうのがまあ普通だったぐらいだしな。つまり、さ」
イセベルは自分の気持ちを静めるかのように大きく息を吸って吐いた。
「あたしはどう頑張ったって隊長を結ばれない。種族が違えば、子は生まれないからな……」
「そんな、じゃあ璃久とオルヒダはどうなるの? ふたりは結婚して無事エウリオだって生まれたじゃん」
「それは流星に許された特権なんじゃねぇのか」
「特権……?」
「異世界から来たお前らはこの世界の規則に縛られ切らねぇんじゃねぇか。あたしだってオルヒダの祖母上が流星だって聞いたときは驚いたが、そう考えたら納得できた」
「そういうこと……」
「流星じゃないあたしは隊長と結ばれることはできない。いつかは隊長は妻を娶るし、あたしだって誰かと結婚しなくちゃならなくなる。だからせめて一生を共にすることはできなくても、一番近くで隊長の手伝いをしたいと思ってるんだ」
「だから国王騎士団から境界警備隊に異動したんだ?」
「そうだ」
それが唯一、彼女が思い人とともにいられる方法だったからだ。生涯の伴侶になることができないのならば、隊長補佐として彼を手助けする道を選ぶ。
「せめて仕事ではあたしを一番に頼ってほしい。あたしを救ってくれたぶん、隊長に何か返したいんだ……」
「イセベル……」
「それでいいとずっと思ってきたのに。それしかないとわかってんのにな。今日のふたりを見てたら急に……」
声を詰まらした彼女の顔を覗き込むと、目が涙で光っている。かけるべき言葉が見つからない。どんなに思っても叶うことのない思い。イセベルのせいでもなければジャーマさんに問題があるわけでもない。ただ生まれおちた種族が違うだけ。それだけが全てなのだ。もし流星にだけ与えられた特権が本当に存在して、流星がどんな種族とでも子を成せるのだとしたら、それは私には味わうことの無い絶望だ。
「別にどうにかしたいわけじゃない。どうにもならねぇしな。ただちょっと自分ひとりで抱えるのに疲れちまったんだ。だからお前に聞いてもらいたくなっただけだよ」
「うん……」
「酔っ払って寝ちまえば明日には忘れてるかもしれねぇし。お前も忘れてくれていいよ」
「忘れないよ。私は」
元の世界で友だちが失恋したとき、私は一体何と言って励ましていたのだろう。相談や話を聞く機会はあったはずなのに、全く思い出せない。次があるよ、とか良い人と出会えるよ、とかこの経験がいつか自分のためになる、とかそんな言葉をかける気にもなれない。携帯世代と呼ばれた私たちがしてきた恋愛とは重さが異なるような気がした。この世界のひとは命や人生を賭けて、一世一代の恋をしているような気がする。
すっかり黙り込んでしまったイセベルに寄りかかる。じんわりと温かさが伝わってくる。同じように私の体温もイセベルに染み込んでいってくれればいい。
ひとの少なくなった中庭で私たちはそうやって長い間寄り添いあっていた。結局イセベルは目にいっぱい貯めた涙を、一粒たりとも零すことは無かった。口が悪くつっけんどんで荒っぽくてしなやかなイセベルが大好きだ。これからも友だちとして、私にできることはなんだってしてあげよう。そう静かに心に誓った。




