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流れ星の願いを  作者: 青井在子
5th 背中を押す想い
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「そうだ。璃久」

「なんだ」


ずっと一人で世界のことを考え続けていた彼女に、自らの幸福と引き換えにしてでもこの世界に与えたかった未来に今なら会わせてあげることができる。


「こっち」


彼女の細い手首を掴んで、大樹に背を向けてずんずんと歩いていく。森の出口のあたりにいる皆が怪訝そうな顔をしてこちらを見ている。


「まさか、環奈」


後ろで戸惑う声がしたが、無視した。


目をパチクリさせている竜の王の前までずかずかと歩いて行った。


「私、アルスに言っておきたいことがあるんだよね」

「なんだい」


左の掌からそこにあるはずのない温もりを確かに感じる。


「アルスのお祖母ちゃんは、流星だったの。璃久っていう名前で、今も生きてるの。身体は滅んでるけど、璃久の想いや心はまだ生きてるの」

「どういうことだい」

「アルスのお祖母ちゃんは、璃久は自分が持っていた何もかもを手放したの。夫や息子と暮らす幸せも、自分の身体でさえも……。そして璃久は人と精霊の世の境になる結界を張って、それを見守るために大樹へと姿を変えた。あの樹のことだよ」


――懐かしいな。


そう言ったのは私に手首を掴まれたままの、璃久本人だ。身体を失った彼女は、私以外には見えないらしい。


――オルヒダの面影がある。


「確かに。似てるよね」

「誰と話しているんだい?」


璃久の腕が強張るのがわかった。彼女には最早実体などないはずなのにそれでもそう感じたのだ。私はそんな彼女を励ますように腕を握り直し、にっこり笑った。会わせてあげるよ。


「璃久だよ。アルスのお祖母ちゃん。今、ここにいるの」

「なんだって」


今日は珍しい日だ。いつも穏やかな笑みを浮かべているだけのアルスの驚いた表情を何度も見られるなんて、もしかしたら今日が最初で最後かもしれない。


「璃久は光になって、今ここにいるの。ほら」


促すように腕を引くとさきほどまでの強気な姿と裏腹に、怯えるようにそろりと前に出てきた。彼女の手首を離し、掌と掌で握りあう。私と璃久が結んだ手が彼女の光を纏って輝いた。


アルスはこれでもかと言うほど目を見開き、そしてさらに珍しいことにその目を潤ませた。


「……此処に居るのだね」

「うん」


見えていないはずだけれど、それでもアルスは光る私の手の先、璃久を見ている。そして璃久も穏やかな微笑を湛えた表情でアルスを見つめていた。ああ、その笑いかたなんてそっくりだ。見た目だけで言えばアルスは璃久よりも年上に見える。だから璃久がお祖母さんで、アルスがその孫だなんて変に聞こえるけれど、こうしてふたりの姿を見ると何故か納得してしまう。


――立派になった。


璃久がその手を伸ばして、アルスの頬に触れた。その慈しみに満ちた顔を見て、私は涙がこみ上げてくるのを感じ、慌てて顔を反らした。


――あたしは何もしてやれなかったけれど、エウリオは立派に子育てができたんだな。


悲しみなのか切なさなのかよくわからない感情が胸を突いて、こくこくと首を縦に振ることでしか答えられない。


――愛しい子。あたしがこの先もずっと護ってやれたなら……。


自分を犠牲にし、お腹を痛めて産んだ子にもその子どもにも触れることも叶わず、たったひとりで世界を護ってきた。どんな思いだったのだろう。きっと孤独だったであろう彼女にこれからの絶望まで背負わせたくない一心で、私は口を開きかけた。が、声を発することはなかった。


「璃久様。流星様。……貴女を何と御呼びしていいものか分かりませんが、こう呼ばせてください。御祖母様、と」


愛おしそうに細められた璃久の瞳から輝く涙が一粒零れ落ちた。


「ずっと貴女に会いたいと思っておりました。何故祖父は私に貴女の話をしてくれなかったのだろうかと思っておりました。しかし貴女は長い間此処に居て、私たちを護ってくださっていたのですね。貴女が護ってくれた世界を、此れからは私が護ります。だから、どうか……」


このひとの声が歪むのを、私は初めて聞いたかもしれない。作り物めいた美しい顔はいつも飄々としてどこか捕らえどころがない。その姿はまるで全知全能の神のようでもあると思っていた。だけどそんな精霊の世の王も、誰かの孫であり子であるのだ。自分の祖母が身体を失ってもなおたったひとりでこの世に留まっていたことに、見えることができた喜びとともにどこか切なさも覚えたのだろう。だがしかしそれでも王は頬を濡らすことはなかった。


「……どうか安らかな休息を、祖父と共に」


璃久は涙に濡れた目を閉じ、再びゆっくりと開けた。


――そうだな。


璃久はそう言うと自分より三十センチほども背の高い孫の首に両腕を回し、しっかりとその身体を抱きしめた。アルスの緑がかった黒髪が風に揺れ、璃久の星色の髪が光を散らした。何かを感じたのか、アルスは虚空に手を伸ばしかけて止め、静かに目を閉じた。


ふたりはしばらくそうしていた。風は璃久を労うかのように優しい。


やがて璃久は手を離し、一度鼻を啜ってから私の方を向いた。


――環奈。あたしは自分の力が尽きるまでもう少しだけ、此処で世界を見守る。……その後のことは、頼む。


「うん、任せて」


――……感謝するよ。


「え?」


――アルスに会わせてくれて、ありがとう。


「……うん」


――そろそろ戻る。


「わかった」


――じゃあな。


「璃久!」


未練を一切感じさせずこちらに向け、歩いていく背を呼びとめた。彼女はその足を止めた。


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