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流れ星の願いを  作者: 青井在子
5th 背中を押す想い
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 ジョシュアを帰すか帰さまいかを決定するのには一通りのごたごたがあったが、一度決定してしまえば事は驚くほど迅速に進んでいった。決定が下されてから一週間後にはもう彼を連れて境界へ向かうこととなっていた。


 その間せっかく少しだけ縮まったような気がしていたイセベルとの距離は元に戻ってしまい、また彼女が隊長補佐として忙しく動き回っていたため、ほとんど口は利けなかった。それぞれが成すべきことをしている間、私はとくにやることがなかった。ジョシュアに決定を伝えた後は、ときどき彼の部屋を訪れて言葉を交わしていた。帰れることが信じられないようで、もう一度娘に会えると嬉しそうな顔をしていた。


私は私でそんな彼のここへ来た本来の目的を果たしたくて、娘さんの病を治せるという花を探していた。しかしアルスに聞いても木々や花たちに聞いても、精霊と力を持たない草花とを見分けるのは至難の業だったが、有力な情報が得られるどころか、そんなものは存在しないとぴしゃりと言われてしまった。


そして結局何もしてあげられないまま、出発の日を迎えた。ジョシュアは両手を縄できつく縛られ、ジャーマさんに支えられながら馬に跨った。この行軍にはイセベルはもちろん、カランバノ、プリマヴェラさんや私、イエロやなんとアルスまで同行することになっていた。私とカランバノは共に旅した狼たちに跨り、最後尾に付いた。


境界への旅路はおよそ二週間を要した。その間私はプリマヴェラさんにお世話をされながらも、主にジョシュアと精霊たちとの通訳をしていた。それは元の世で一切語学が駄目だった私にとってはとても不思議な感覚だった。

森を抜けたところで先頭を行くジャーマさんが馬を止める。そこは一直線を引いたかのような草はらだった。背の低い青い草が太陽の光を浴びて楽しげに揺れている。そんな開けた場所にたった一本だけ樹が立っていた。土の上に露呈している根も空に向かって伸ばされた枝もしなやかで、どこまでも広がっているようだ。そんな大樹がひとりぼっちで立っている。その向こうは、色が違う。踏みしめた大地はまだ続いているのに、大樹の向こう側は何かが違う。形容のしがたい何かが決定的に異なっている。


すぐに気が付いた。ここがこちらとあちらとの境界なのだと。


 ジャーマさんとイセベルが馬から降り、私たちもそれに続いた。


「さあ」


アルスが馬から降ろされるジョシュアを横目で見ながら言った。


「お別れをしておいで」

「……うん」


どうにか口を割らせようと四苦八苦した城での日々。私の不安を拭い去ってくれた言動。娘を思う父としての気持ち。なによりこの世界で初めて出会った、同じ人間。


「すっかり世話になっちまったな」


ジョシュアが両手を拘束されたまま笑う。笑い返すのに苦労するのは、なんだかんだで別れるのが寂しいからだ。


「お前さんのおかげで無事帰れるってわけだ。ありがとな」


繋がれた両手で私の頭をくしゃくしゃと撫でる。やめてよ、と払いのけると、目尻に皺を寄せて笑うその顔がお父さんと重なって見えた。


「……外してあげるよ、それ」

「おう」


差し出された両手首にきつく結びつけられた縄を、ナイフをイセベルに借りて断ち切る。もう彼は自由だ。此れ以上こちらの世界に留まる必要は無くなった。擦れて赤くなった縄の後を撫でる姿に、胸が熱くなる。彼を助けられてよかった。


「娘さんによろしくね」

「ああ。娘にもその赤ん坊にもお前さんの話を聞かせてやるよ」

「え?」

「最後まで諦めねぇことにした。娘が死んじまう最期の瞬間まで、せめて俺だけでも奇跡を信じていようと思ったんだ。なんてったって魔界に入ったのに生きて帰れる強運の持ち主なんだからな!」

「もう……」


ガッツポーズなんてしてみせる姿を見ると、力を失ってしまったことを心から惜しく思った。私がまだ流星だったなら。流星の力を持っていたなら。もしかしたらジョシュアの娘さんたちを救えたかもしれないのに。そんな意味の無い仮定が、この旅路の間中ずっと頭にこびりついて剥がれないのだ。


「魔界じゃないよ。みんなは精霊だし」

「そうだったな。すまんすまん。……じゃあそろそろ行くとするか」

「うん」

「確かこっちだったよなー」


亀裂があった場所を思い返しながら歩いていく。それは大樹のすぐ足もとにあった。そこだけ覗く景色が違っていた。草原など無く、乾いた砂地が広がっている。風に舞い上がった粉塵がこちらまで飛ばされてきそうだ。ジョシュアの瞳をまじまじと見る。だってどう見たって精霊たちの世界のほうが居心地がよさそうだ。そんな場所に本当に帰っていくと言うのか。


「……お前さんはいいのか」


だからそう問われるのは予想外だった。


「え?」

「お前さんはこの世界に残るのか? 今だったら俺が人間界に連れて行ってやれるんだぞ」


人間が住む世界。私がいた場所とは違っていたとしても、同じ人々が住む世界。もしかしたらそこにはもっと、力を失った私でも生きていきやすい環境があるのかもしれない。けれど。


振り返る。みんながじっとこちらを見ている。私は。彼らのもとに帰らなくちゃ。美しい彼らを見ていると小さくて醜い自分自身の生き方が本当に嫌になるときだってあるけれど、それでもここで彼らと生きて行く。私を受け入れてくれた世界で。


私の言わんとすることを察したのか、元から期待をしていなかったのか、ジョシュアはそうかとだけ呟いた。


「じゃあな。元気でやれよ」

「うん、ジョシュアもね」


最後にぎゅっと抱きしめあって、ジョシュアは一度こちらに背を向けると振り返ることもなく結界の中へと消えて行った。


「ばいばい」


娘の為に命を賭けて別世界までやってきた男の後ろ姿は、毎日スーツにネクタイを締めて仕事に出てかけていく父の姿と重なった。その影にそっと手を振る。もう会えないとしても。元気でね。ばいばい。ばいばい、お父さん。


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