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流れ星の願いを  作者: 青井在子
5th 背中を押す想い
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「お願い」

「おう、なんだ?」

「私、やっぱりあなたを助けたい。だから私の質問に答えて」


男性はそれまで浮かべていた笑みを消し、押し黙ってしまった。


「あなたの名前はなに? どうやってこの世界に来たの? どうして来れたの? 教えてほしい。それさえ聞ければ、私はあなたをあなたの世界に帰せるのに!」

「……悪いな。お前さんのことは、まあ、信じていなくもないが俺にはどうしても魔界や魔族ってのは信用ならねぇんだ。俺が話しちまうことによって残してきたやつらに迷惑になるようなことがあったらと思うとな……」

「そんなことはさせないから……!」

「たとえ」


悲しい声だ。だけど悲しいけれど芯がある。見えない誰かを想うようなそんな声音だった。


「たとえな、俺が無事にあっちへ帰れたとしても、それがきっかけで人間界が魔族に侵されるなんてことがあっちゃ、意味がねぇんだ」


自分が犠牲になったとしても、もう会えないとしても護りたい者がいる。ここに捕らえられてから碌に着替えも湯浴みもしていない男性は、服も彼自身も草臥れている。だけどそう言った彼の表情は、まるで精霊たちのように気高く美しかった。


ほら、同じだよ。やっぱり。人間も精霊も同じなんだ。


「そんなことは絶対に起こらない。私が止めてみせる。だから協力して。人間も精霊もお互いのことを誤解してるだけなんだよ。過去に起こった戦争でお互いに傷付いた事実は消えないけど、今もある間違った認識だけは今からでも消せるよ! だからお願い。協力してほしい……っ、お願いします!」


何故だか込みあげてきた涙を隠すように、私は勢いよく頭を下げた。おい、とかちょっととか困惑した声が聞こえてくる。それでも話す、と言われるまで顔を上げるつもりは無かった。


しばらくの沈黙があって、頭に血が上りかけたころ。


「……わかったよ」


溜息と小さな声が聞こえた。急に視界が晴れるような感じがして勢いよく顔を上げると、ほんの少しくらっと来た。


「ありがとう!」

「ったく、お前さんは強情って言うか諦めが悪いって言うか……。最初に首絞めたときにい諦めてくれりゃ良かったんだ」

「へへ。あのときは死ぬかと思ったけど!」

「……それは、まあ、謝るけどよ」


あのときは本当にもう駄目かと思ったけれど、今の彼は違う。私にあんなことはもうしないと思った。前もそんな根拠のない自信に基づいて行動して、あの結果になったのだけれど。


私は男性の後ろ側へと回り、両手首と椅子の背もたれとを繋いでいる縄をほどき、それから足首も同じようにした。


「お、おい、いいのかよ……」


うろたえる声がした。男性の両手足首には縄に擦れた赤い痕がくっきりと残っている。その生々しい傷が、なんとも物悲しい気持ちにさせる。人間と精霊との間にある壁。誤解。余りにも平然と深く両者の心の根付くそれは、果たして本当に私にどうにかできる問題なのだろうか。


「改めて聞きます。あなたの名前は?」


男性はごくりと喉を鳴らし、意を決したように私を真っ直ぐ見据えた。


「ジョシュアだ」


やっと聞くことができた。これがこの世界で初めて出会った人間の名前だ。


「ジョシュア、あなたはどうやってここに来たの? 人間と精霊の世界の間には見えないけれど結界が張ってあったはず。どうやってそれに亀裂を入れたの?」


ジョシュアは一瞬の言葉を探すような沈黙のあと、口を開く。


「……結界があったことは知ってる。まさか俺も通れるだなんて思ってなかったがな。だけどどうしてもこっちに来たくて境界線に沿ってずっと歩いてたんだ。そしたらあのでっけぇ樹の足もとだな、あそこだけ景色っていうか、色合い? とにかくなんか違って見えてよ。そこに向かって歩いてったら通れちまったわけだ。ま、そのお蔭でお前さんたちに捕まったんだがよ」


偶然他とは異なる場所を見つけて、そこに向かって行ったら結界を通り抜けてこちら側に来ることができた。ということは。


「結界に亀裂を入れたのはジョシュアじゃないの?」


ジョシュアは眉根を下げ、思い切り呆れた顔をした。


「ばっかやろう、この俺にそんなことができるかよ」

「もともと開いてた亀裂を偶然見つけて、そこを通ってここに来たってことだよね?」

「ああ、そうだ」


結界に亀裂を入れたのがジョシュアでないとするなら、誰か他に真犯人がいるのだろうか。それでも少なくともこれで彼自身が精霊たちにとって脅威となる存在ではないということがわかり、ほっと胸をなでおろした。この情に厚そうな中年男を恨むなんて、したくはない。


「そもそもどうしてこっち側に来たいと思ったの? 話を聞いた限りだと、めちゃくちゃ精霊たちのこと嫌ってたみたいだけど」

「それは……、話すと長くなる」

「いいよ。時間はいっぱいあるから」


ジョシュアは重たい溜息をつき、小さな声でやれやれと言った。


「カンナ、……だったか。お前さん、いくつだ?」

「ハタチだけど……?」

「そうか。ハタチか」


目を細める。ほら、またあの表情だ。目の前にいない誰かを想う瞳。


「俺には一人娘が居てなあ。お前さんより一つ下だ。死んじまったかみさんの忘れ形見でなあ。俺に似て器量良しなんだよ」


冗談に突っ込むべきか一瞬考え、話の腰を折るわけにもいかず黙って言葉の続きを待つ。


「去年結婚して、もう腹ん中に赤ん坊がいる。半年だとよ」

「ジョシュア、おじいちゃんになるんだね」


娘さんにしてもジョシュアにしても随分若くして母や祖父になるのだと思ったけれど、この世界ではそういうものなのかもしれない。と言うことは二十歳にして独身の私は、行き遅れ組に分類されてしまうのだろうか。……それはまた別の機会に考えよう。


「おじいちゃん……な。なれたらどれだけいいことか」


日焼けした指で無精ひげを触る。もう一度溜息が聞こえた。


「お前さんは人の世のことを何も知らねぇんだな」

「うん、まあ……」


また溜息だ。そんなに溜息ばかり付いていると幸せが逃げてしまいますよ。いつか小学校の先生がそんなことを言っていたような気がする。


「人の世はな、もうすぐ死ぬんだ」

「え……」


言葉の意味を理解できず、その顔をまじまじと見つめた。膝の上で手を組んで、視線は、足の先を見ている。


「人類は滅びる。そう遠くない未来にな」


なにを言っているんだろう。まるで外国の映画のセリフのように大袈裟で作り物めいたその言葉は、だけど嫌に現実味がある。


「地震、干ばつ、豪雨、疫病……とにかく天災が立て続いたんだ。そのせいで採れる食糧の量は減っちまった。都会の金持ちたちはそうでもねぇだろうが、俺らみたいな田舎もんにまでなかなか充分な飯は回ってこねぇ。酷い飢饉で大勢が死んだ。人間は知らねぇうちに神さまの怒りを買っちまったのかもしれぇな。一番ひでぇことは……」


そこでジョシュアは一瞬の間をおいた。怒っているような哀しんでいるような絶望しているような表情をする。


「子どもが生まれてこねぇんだ」

「……どういうこと? だって娘さんには赤ちゃんが」

「男女がいて……まあそういうことをすれば女は子どもを授かることができる。そこまではいいんだ。だがやがて子どもが腹ん中で成長し、いつ世に出てきてもいいような時期になると突然母子ともに死ぬ。そんな病が流行ってんだ。おかげでここ数年、一人も赤ん坊は生まれてねぇらしい」

「そんな……」


新しい命が生まれなくとも今ある命はやがて尽きる。ということはだ。何をしなくとも人の数は減っていく。人が減れば社会は機能しなくなり、文明は静かに衰退していく。そして最後の一人が命尽きれば。人間は、人の世は滅ぶ。


「……そういうことだ。そもそも俺がこっち側に来たのは、その病に効くとかいう花があるって噂を聞いたからだ。だからなんとか結界をすり抜けれねぇものかと思ったら……まさかな」

「そういうこと……」


ジョシュアはそもそも純粋に娘さんとその子どもを救いたい一心で、こちら側を目指していた。そして偶然結界に亀裂を見つけたのだ。恨み憎しみ恐れていた世界にも足を踏み入れた。彼の背を押したのは紛れもない、親子の愛情だ。


「結局花は見つからなかった。すぐにお前さんたちに捕まっちまったからな。それこそあのときはもう死んだと思ったぜ」

「その花は本当にあるの?」

「わからねぇ。……でもそんなの存在しねぇのかもな。絶望から目を反らしたいばっかりの人間が、未知の世界に救いを求めた……幻想なのかもしれねぇな」


病を治す花。生憎私には経験がないけれど、この世界では草木や花までも意志を持ち言葉を交わすことができる。彼らに尋ねたらひょっとして何か知っているかもしれない。


「その花のこと、調べてみるよ」

「……いいんだ」


そよ風に攫われて消えてしまいそうなかすれた声だった。


「え?」

「わかってたんだよ。そんなものはねぇって。ただ俺も……縋りたかっただけだ」


そんなことはないと慰めるのも無責任に思えて、私は口ごもってしまった。どうして人の世はそうまで呪われてしまったのだろうか。


そこまで考えて、ふと元の世界で見ていたニュースを思い出した。

ある日突然アフリカのとある国で致死率の高い病が発生し、あっという間に大陸全土に広がった。そしてボランティア活動していた医師や現地を訪れていた一般人を経由して世界全体に散らばった。有効なワクチンはなかなか見つからず、そうしている間にたくさんの人が命を落としていった。やがて日本でもその病に倒れる人が現れた。


母がぽつりと呟いた。

人類滅亡の可能性もあるんだって。どうしてこんなことになっちゃったんだろうね。


私はそれに対してこう返したんだった。

今まで人間の身勝手な理由で殺された動物たちの、呪いかもね。


それは適当なその場の思い付きだった。だけどこの世界の精霊たちは身に覚えのない理由から人間の恨みを買い、戦が生まれて多くの犠牲が出た。それは紛れもない事実だ。そのせいで精霊たちも人を憎んでいる。だけど、だからと言って人の世を呪うことができるのだろうか。これから生まれてくる子どもたちを殺めることができるのだろうか。少なくとも今までの彼らの様子を見る限り、直接手を下すならともかく、そんなことができるとは思えない。現にアルスは身に覚えのない恨み、と明言したのだ。


「だけどねジョシュア、……信じてほしいの」

「なんだ」

「精霊たちのせいじゃないんだよ。人の世界に悪いことが起きるのは。他の全ての人間たちが精霊たちを……、この世界を誤解してるとしてもジョシュアだけには知っててほしい。この世界に来れた唯一の人間だから」

「……そんなことか」


そう呟いてジョシュアは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「そんなことぁ、もうずっとわかってた。わかってたんだがよ……、何かを恨みでもしねぇとやりきれねぇんだ。……悪かったな」


そう言ったきり、手で顔を覆ってしまった。どんな表情をしているのか、もう見ることは叶わない。誰かのせいにして恨まないとやっていけない。恨みですら人を動かす原動力となるからだ。私はその肩をそっと叩いて、イセベルに目配せをした。彼女は小さくうなずくとドアを開けた。私は一度だけジョシュアを振り向き、そしてアルスの元を尋ねた。



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