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狼たちに背を預けて眠るのも私は好きだけれど、やはり自分のベッドで眠るというのはまた別だった。いろんな不安や心配事があったはずなのに、私は翌朝まですっかり熟睡してしまった。その上、プリマヴェラさんが起こしに来てくれていなかったらたぶんだらだらといつまででもベッドから出られなかったと思う。
「さあ湯浴みをして、身支度を整えましょう。アルス様がお呼びですからね」
せっせと働いてくれるプリマヴェラさんはすっかり元通りだ。少なくとも前と同じように私と接してくれる。
「アルスが? なんだろう……。なーんか不安だなあ」
「そうですわね。結界が破られるなんてこと、初めてですもの」
「大事にならなければいいけど……」
湯浴みを終え、真新しい水色のワンピースに袖を通す。鏡台の前に腰掛けると嫌でも自分の変化に向き合わなければならなくなった。黒に近いこげ茶色の髪、そして瞳。だけどこうしてしっかりと鏡を見て、気がついたことがあった。右目の色だけ、力があったころのままだ。金色に輝いている。黒い左目と金の右目。ちぐはぐで自分でも気味が悪い。だけどほんの少しでも私が流星だったという証が残ったことは、なんとなく嬉しかった。
「そういえば」
と私の顔に化粧を施しながら、プリマヴェラさんが突然に切りだした。
「わたくし近々正式に結婚しようと思いますの」
「ぅえ!?」
「あっ急に動かないでくださいな! お化粧がしづらいですわ」
「いやいやちょっとびっくりしたんですけど……」
「うふふ。わたくしも今回の旅でいろいろ学びましたのよ。ゴダさんの恋人のことやカランバノ様のお母様のこと……、それに昨日のアルス様たちのお話を聞いてこの先何が起こっても後悔しないように生きていたいと思いましたの」
「そっか……」
この世界での生は、元の世界よりも儚いと思う。いつだって死がすぐそばで私たちのことを見ている。そしてふとした瞬間に目があってしまえば、命は簡単に連れ去られる。結界が完全に壊れて、人間と精霊がお互いの世界を行き来できるようになってしまえば、憎み合っている者同士、また戦いを始めてしまうかもしれない。そうなればより死は私たちにとって身近な存在となるのだ。
「かといってそんなに悲観しているわけではありませんよ。わたくしはこの城で一生流星様のお傍でお世話をさせていただきたいと思っているんですからね。それに貴女にわたくしの夫や……いつかは子どもにも会っていただきたいですわ」
「うん! えへへ……、嬉しいです。私も早くプリマヴェラさんの旦那さんと子どもちゃんに会いたいなー!」
プリマヴェラさんと旦那さん。その腕に抱かれた赤ん坊。私もカランバノもアルスもイエロもみんな笑顔で、赤ちゃんの顔を覗き込んで一挙一動に歓声をあげるの。そんな平穏な未来が、どうしようもなく恋しい。それを実現するために私にできることがあるのなら、なんとしてでもやり遂げよう。
準備を終えアルスの部屋を訪れると、普段よりも人影が多かった。
「ああ、おはよう」
私に気づいたアルスが微笑み、カランバノが振り向いて視線を合わせ頷いた。イエロは小さく会釈をした。その他にあとふたり、見知らぬ人物が立っていた。
三人に合わせて、ふたりもこちらを振り返る。燃えるような赤髪で色黒の大柄な男性と、朝の光を浴びて輝く雪のような白い髪をポニーテールにしている女性。なんとも対称的なふたりだ。さらに良く見ればふたりともアルスやカランバノとは大きく異なった衣装を着ている。皮と金属とでできた鎧だ。映画などでよく貴族の御屋敷に飾れているような全身を覆うものではなく、急所をしっかりと護りかつ動きやすさが考慮されているようだ。とくに女性のほうの鎧は、下半身の部分が丈の短いスカートのようになっていて、靴は膝上まで銀のブーツで覆われている。そのため、いわゆる絶対領域という部分がちらりと見え、なんとも男心を擽りそうだ。女の私でも彼女の美貌も相まって、なかなかクるものがある。
「ん……? 何だこいつは」
一瞬赤毛の大男のほうに言われたのかと思った。それならばその口調にも納得できる。だけど声音が明らかに違う。男のものにしては高すぎる。女の声だ。
「おい、言葉を慎め! 流星様だぞ」
低い声で恫喝したのはカランバノだ。だけど彼女は、雪色の髪を持つ彼女はずかずかと私の元へ近づいてくる。待って。なんかすごく雰囲気悪くない?
誰かこのひとを止めてよ。怖いんですけど……。
「ふぅーん」
ついに彼女は私の前に立ちはだかり、上から下まで見定めるように視線を巡らせた。
「あんたがあの伝説の流星って悪い冗談?」
両手を上げため息交じりにそう言われた。かちんと来るとかムカッとするとかそんなのよりも、ただ呆気に取られた。本人を目の前にして直接こんなにはっきりした物言いをできるなんて、ちょっと羨ましくさえある。
「イセベル! ふざけるのも大概にしろ!」
「だってさー、伝説の流星が城にいるっていうから楽しみに帰ってきたのに、まさかこんなちんちくりんだったとはな! がっかりする」
「ちん……っ?」
もしかしてもしかしなくても私は今すごい勢いで喧嘩を売られているのだろうか。こんな真っ直ぐに突っかかられることは初めてで、どういう反応をしていいのかわからない。
「こんな子のお守りなんて大変だな! 兄さまも。同情してあげる」
「にい……さま……?」
兄さま。目の前で嫌味を並べるこの女性の兄が、私のお守り。プリマヴェラさんは女性だし。ってことはあれ、私の警護をしてくれてるのってあとひとりしかいない。
「に、ににににににににににいさま!?」
「なんだよ。うるさいな」
「てっ、てことは、あなたはカランバノの妹さんってこと?」
「そうだけど。ってか知らなかったのかよ」
「ししししし知らないよ! カランバノ! 妹がいるなんて一言も……っ」
だけどそういえば、狼の里を出る直前、グラシアさんがこんなことを言っていた。娘がもう一人できたような心地がする。と。私は勝手にカランバノという息子に加えて、という意味だと解釈していたが、こういうことだったのか。グラシアさんにはもともと娘がいたということだ。
そう言われてみれば確かに似ている。グラシアさんにより似ているのはカランバノだが、きりっとした目元なんか兄妹そっくりだ。
助けを求めて視線を巡らせると静かに微笑むアルスと、ムッとした表情のプリマヴェラさん、それに額に手を当て疲れた表情を見せる大男の姿が目に入った。
「イセベル、せめて挨拶ぐらいはしろ」
「ちっ、めんどくせぇなあ。あたしはイセベル。カランバノ兄様の妹で境界警備隊の隊長補佐をやってる」
「は、はあ……」
「おまえの紹介は聞くまでもねぇ。流星だろ。はいはい。そういうことにしておいてやるよ」
「よろしく……?」
一応握手を求めて手を差し出したのだが、腕組みをしてふんっと顔を背けられてしまった。なんというかカランバノも初対面のときは衝撃だったけど、それを上回る。態度があからさますぎていっそ清々しいぐらいだけど。
笑うしかなくてははっと笑っていると、今度は大男が近づいてきた。もうどんなキャラだろうが退く気がしないよ……。
「俺は境界警備隊隊長のジャーマだ。先ほどは部下が失礼した。許してくれ」
「や、平気です。……たぶん」
「すまんな。改めてイセベルともども宜しく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします」
部下のインパクトが強すぎて、正直ジャーマのまともさには拍子抜けしてしまった。
「彼らは本当に優秀でね。普段は境界に異変が無いか調査したり、堕獣の討伐に当たってくれたりしている。今回も彼らのお蔭で侵入者を捕らえることができたのだよ」
「へぇー」
「そこで早速きみにお願いがあるんだ」
「え? 私に?」
「ああ。きみには是非侵入者に会ってほしい」
「はい?」
境界の結界を越えてきたとか言う侵入者に、ただの人間の私が会う? 会ってどうなるというのだろう。そんな私の思考を呼んだかのようにアルスはにっこりと笑い、まあまあと言った。
「侵入者はあちらの世界から来た人間だ。私たちには人間の言葉を理解することができない。そこで、だよ。流星。人間のきみなら彼の言葉を理解できるのではないかと思ってね」
なるほど。そう来たか。力どうこうじゃなくて、私の本来の立場を利用してってことか。確かに初めてここに来たときにアルスに人間と精霊は言葉が通じないのだと言われた。じゃあ私はどうしてアルスたちと普通に話せるのって話だけど、それはまあ、わからないし置いとくとして。でも元の世界で習ったことの無いフランス語が理解できないように、馴染みの無いこの世界の人間の言葉を聞いたところで何もわからないんじゃないだろうか。
「どうなるかわからないが、少なくとも私たちよりは可能性があるだろう。それにものは試しだと言うしね」
「……わかった。やるだけやってみればいいんだよね?」
と言うより他に無い。
「そう。お願いするよ。そういうわけでイセベル。流星を侵入者の元まで案内してやってくれ」
「はあ? あたしが? 嫌だよ。めんどくさい」
ある意味この子は勇者だと思う。だって相手はアルスだ。この世界の王だ。そんなひとを相手によくそんな口の利き方ができるなあ。母がグラシアさんで兄がカランバノで、どうしてこんな子になるんだろう。
「イセベル。いい加減にしろ」
カランバノの声にもますますドスが効いてきた。イセベルは兄と目を合わせることもなくはあと溜息をついた。
「はいはい。連れてけばいいんだろ。連れてけば」
そう言って頭の後ろに腕を組んでさっさと歩いていってしまう。着いていくべきか否か悩んでいると怒号が飛んできた。
「おい、早くしろよ。置いてくぞ!」
「あっ、うん……!」
お願いだから誰か着いてきてよ。そう思って振り向いたけれどそれぞれ三者三様の表情をしながら、誰も動く気配はなかった。うわあ、気まずい……。




