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流れ星の願いを  作者: 青井在子
4th 母と子
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見慣れた襖の前にこれもまたいい加減顔なじみになった少年が居て、襖を開けるとどこかへ消えてしまった。グラシアさんは金の屏風の前に行き、肘かけに肘を置き、凭れかかるように座った。そして入口で棒立ちの私に、腰かけるように勧めた。


私もグラシアさんも何も切りださず、重たい沈黙だけが流れた。そう言えばこうやって話している最中に私は泣きだして部屋を飛び出したんだった。そのことを思い出すと一気に気まずさが増した。

どう理由を付けてこの場から逃れようか思案していると、グラシアさんが静かに口火を切った。


「……お主には本当に感謝している。それに申し訳が立たぬとも思っている」


深い溜息が吐き出されて、そして空気に染み込んでいった。


「お主が妾を癒してくれたおかげでこうして精霊としての姿を取り戻し、執務も行えるようになった。其れに暫くぶりに実の息子の顔を見ることもできたしな……」


だが、と言葉は続いた。


「妾はお主から力を奪い、そして此の世から癒しを奪ってしまった」


その表情は苦悩に歪んでいる。どうして。そんな顔をしてほしくて病気を治したんじゃないのに。病魔に身体を蝕まれる苦しみや死への恐怖から救いたくてやったことなのに。


「あの時お主らの申し出を最後まで断っていれば……こんなことにはならなかった。最後の最後でまだ生きたいという欲に負けてしまったのだ」


そんなことを言ってほしかったわけじゃない。何もかも諦めて死ぬために生きるのではなく、ただ生きてほしかったのに。違う。そんな顔が見たいんじゃない。もっと嬉しそうな顔をしてほしい。


「お主の涙を見るのは辛い……。妾のせいで辛い思いをさせているのだと思うとな……」

「違う……違うんです」


病気が癒えたのにどうしてこんなに哀しげな顔をするんだろう。それは私のせいだ。力を失ったことを酷く嘆いていたから、そのきっかけとなったグラシアさんに罪悪感を持たせてしまった。確かに力を失って、どうしようもなくやるせない気持ちではある。だけど私が望んでしたことなのに、それでグラシアさんを苦しませるのは間違っている気がする。


「そんな苦しんでほしかったわけじゃなくて……、ただグラシアさんを助けたかっただけなんです。自分の限界を知らずに限界を超えるような力の使い方をしちゃった。そして私は流星の力を失った。だけど私が悲しいと思うのは、失くしたからじゃないんです。……ただこの世界で、どう生きていけばいいのかわからないんです」


もはやグラシアさんに言っているのか、自分に向けて言っているのかわからない。声に出すことによって、胸の内で形にならない思いが少しずつ認識できるよう形を成していく。


「精霊の世界なのに私は精霊の力を全然持ってなくて、部屋の電気も点けれなくて、なにもかも誰かが助けてくれないと暮らせなくて、だからいっぱい助けてもらうぶん流星の力を使って恩返しをしていこうって思ってたのに……、もうそれもできなくて。そもそも力を失ったら私は…………、ただの人間になっちゃうんです」


感情が言葉に成る前に涙となって睫毛を濡らす。ずっと動物になりたいと思っていた。人間以外の何かになりたいと思っていた。自分たちの都合で動物や自然を殺していく残酷な人間の一員でいるのが嫌だった。今思えばこの世界に来た瞬間から私は人間じゃなくて流星だった。流星が何をか理解しないままだったけど、それでも人間以外の特別な存在になったんだと知らないうちに思いあがっていた。けれど力を失った今は、どこにでもいるありふれた人間の一人だ。


「だからこの世界のひとには良くしてもらう理由が無いんです。だってみんなに酷いことをしてきた人間なんですよ。カランバノなんてさ……、初めて会ったときに、人間は嫌いだって、私を殺すって言ったんですよ。流星じゃなかったらたぶん私とっくに殺されてました。私は」


ああ、これが言いたかったことなんだ。ずっと胸の奥でもやもやと渦巻いていた思いだった。


「私は……この世界のひとに嫌われる存在になっちゃったんです」


私はこの世界のことが好きなのに。


「嫌われながら生きていくのは、つらいんです……」


彼らに頼らなければ暮らしていくことすらできないのに。


「……お主によって救われた者たちは、力を失ったからと言ってお主のことを恨んだりするまい。少なくとも妾は違う。確かに人間どもは嫌いだ。だが命に等しい力を擲ってでも妾を助けてくれたお主を感謝こそすれど恨むわけがなかろう。如何してそんなことができようか。此処へお出で」


白い手が伸ばされる。おいで。この世界のひとはみんな一様にどこか現実離れした美しい容姿をしている。だから似ているはずなんてないのに。その姿がお母さんにそっくりで、私はグラシアさんの腕の中におさまっていた。太陽の温かいにおいがする。子どもをあやすように髪をそっと撫でられる。あのつっけんどんな私の騎士も、幼いころはこんなふうにしてもらっていたのかな。三角の耳を生やした少年が、母親に頭を撫でられている姿を想像すると、なんだか笑えた。子どもの頃はもっと素直だったのかな。いつからあんなに仏頂面をするようになったんだろう。


「よし、よし」


とんとんと一定のリズムで背を優しく叩かれる。心の中で蟠っていた冷たい不安が、ほんの少し溶けるような気がした。


「失礼致します」


だから襖の向こうから突然そんな声がして、開けられたときは少し驚いた。入ってきたのはあの案内係の少年だ。ぼんに湯気の上がる湯飲みを二つ乗せてやってきた。そして抱きしめられている私とそんな私をあやすグラシアさんを見て、逡巡していた。


「お茶を用意致しましたが、出なおしたほうが宜しいでしょうか」

「構わぬ。置いておいてくれ」

「はい。それではこのまま……」


少年は私たちの前にぼんごと置き、そそくさと部屋から出て行った。


「さあ飲め。温かいものを摂れば少しは気分が落ち着くだろう」

「はい」


私はグラシアさんから身体を離し、両手を添えてお茶を飲んだ。猫舌の私には熱すぎたそれは、身体の中心に残っていた冷えを内側から取り除いていってくれた。手や足のつま先までじんわり暖まるのがわかる。グラシアさんも横でほっと息を吐いた。


「……もしもアルス殿がお主を邪険に扱うようなことがあれば、其れでなくとも城で暮らすことに息苦しさを覚えたら何時でも此の里に来ればいい。こう見えても長にはやるべき仕事がたんと有る。お主が望むなら喜んで分けてやるぞ」

「ふふっ……」


冗談混じりのその言葉が、何よりも嬉しい。何があってもここには私の居場所がある。そう言ってくれているようで安心した。どこにも行く宛てがなくなったらここにこればいい。受け入れてくれるひとがいる。嬉しくて、ぽろりと涙が落ちた。


「まったく……また泣くのか」

「う、嬉しくて……ですよ」


並んでいたグラシアさんが手を伸ばして私の頭をそっと抱き、私は彼女の肩に頭を預けた。


「まるで子どものようだ。娘がもう一人増えたような心地がする」


そして急に声色を変えて、そうかと言った。


「娘になっても良いのだぞ。……義理の、な」


ぶっと汚い音がした。私の口からだ。思わず口に含んでいたお茶を噴き出してしまった。その上気管支にも入っていったようで、噎せて堰きこんで暫く口がきけない。


「……何を動揺しておる。我ながらなかなか良い案であると思うが。お主がカランバノと結婚し、将来一族の長となる彼奴を支えてやってくれれば良いと思うのだがの」

「いやいやいや待ってくださいよ……、そもそも種族の関係とかそういうのはいいんですかっていうか……! カランバノだってすきなひとのひとりやふたりいるかもしれないし! そういう話は勝手にするべきじゃないような……」

「彼奴の気持ちなら問題では無い。お主のことを少なからず想っているようだしな」

「はっ……」


続く言葉が見当たらない。今、この人なんて言った? 少なからず想っている? 誰が? 誰のことを?


「なんだ、気がついておらぬのか。我が息子もさながら、お主もなかなか鈍い奴だのう」

「いや……」


ありえないでしょうと突っ込もうとした瞬間、再び襖が開けられた。


「失礼致します」


飛び込んできたのはまさに今私たちの話題の中心にいた人物そのひとだ。彼は私を見て、驚いたように目を見張った。


「もう起きて大丈夫なのか」

「う、うううううん。だ、大丈夫かな……うん」


しどろもどろな答えにカランバノは訝しんだ顔をした。


「……なにかあったのか」

「いいいいいいや? なにもないけど?」

「ふっ」


横でグラシアさんが着物の袖で口元を隠しながら小さく笑う。ってこうなったのはあなたのせいなんですからね。


「微笑ましいと言うか、初々しいと言うか……」

「も、もうグラシアさん!」

「ああ、悪い悪い」

「……一体何の話をしていたのですか」

「知りたいか?」

「まあ……」

「それはな、流星殿がお前のよ「わーーーーーーっ!」……なんだ」


グラシアさんの言葉を遮るように叫んだ私に、ふたりぶんの視線が注がれる。本来なら一族の長の言葉を遮るなんてしちゃいけないのかもしれないけど、でも今グラシアさんにそれを言わせるわけにはいかない。


「この話は置いておきましょ! また別の日にでも!」

「そうか? 良い機会だと思うがの」


グラシアさんの表情は本当に残念そうにも、してやったりというようにも見えた。それとは逆に彼女の息子は、整った顔をきりっと引き締め直した。


「長にお伝えしたいことがあり、参ったのです」


そう言われた瞬間、嫌な予感しかしなかった。それはグラシアさんも同じだったようで、先ほどの悪戯っぽい表情はどこかへ行ってしまっていた。


「アルス様より伝令が来ました。境界を越えた侵入者が捕らえられ、至急帰還せよとのことです」

「境界を越えただと……?」

「ええ。詳しいことは分かりませんが、境界警備隊が確保し、城へ連れ戻っだそうです」

「そうか……、彼奴等も戻るのか。と言うことは久しぶりに彼奴に会うのではないか?」

「ええ。恐らくは」

「何れにせよ王直轄の騎士であるお前が王の命に背くわけにはゆくまい。急ぎ支度を整えて出立するがいい」

「はっ」

「今回はもう大袈裟な別れの挨拶は必要ないだろう」


また会うことができるとわかっているから。


「……そうでしたね。では。行くぞ」

「う、うん!」

「流星殿」


慌ただしく足早に出て行くカランバノの後ろを着いていくと、温かい声でグラシアさんに呼ばれた。


「はい」

「何時でも帰ってきていいのだぞ。其の事を忘れるでない」


頬が綻ぶのが自分でも分かった。今回はもう隠す必要もない。


「はい!」


長ったらしい別れの言葉は要らない。また会えるから。先を行くカランバノの背を小走りで追いかけた。



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