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流れ星の願いを  作者: 青井在子
4th 母と子
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22


朝早くに目が覚めた。不眠の瞼に、輝く朝日が突き刺さる。食事を摂る気にもなれなくて、冷たい水で顔を洗い、服を着替えた。ブーツを履いて宿を出る。


「……早いな」


カランバノが立っていた。


「おはよう」

「朝は食べなくていいのか」

「いいよ。後で食べる」

「そうか」

「ほんとはね、私、グラシアさんのところには一人で行こうと思ってた」


私一人だけだったら、何を言われてもどういう反応をされても傷は大きくないと思ったから。


「いや、俺も行こう」

「そっか。……じゃあ一緒に行こう」

「ああ」


今日はやけに朝日が眩しい。昨夜の宴とは打って代わり、まだ静かな通りを私たちは終始無言のまま歩いた。グラシアさんがいる屋敷の前に着いた頃にやっと、プリマヴェラさんに何も言わずに宿を出てしまったことに気がついた。きっと心配させてしまうんだろうなあ。


 屋敷を尋ねると、早朝にも関わらず昨日私たちを案内してくれた少年が快く出迎えてくれた。グラシアさんに会いたいということを伝えると、彼はすぐに手筈を整えてくれた。そしてグラシアさんの準備が整うまで、待たせてもらえることになった。


私がすっかりくつろいでいる頃、グラシアさんの用意が整ったと、少年が呼びに来てくれた。思わずカランバノの横顔を見上げる。その目は真っ直ぐ前を睨むかのように見つめていた。


「カランバノ……」

「ああ」


手を握りたい。あなたはそこにいるんだと感じたい。私はここにいるんだと伝えたい。


「失礼します」


カランバノがゆっくりと襖を開ける。閉ざされているはずの部屋から風が零れ、髪を揺らした。


「早朝よりの来訪、ご無礼をどうかお許しください」


そう言って頭を下げる息子に、白い狼は大きな目を細めた。青い瞳に、心なしか寂しさが見て取れるような気がした。


「……そう畏まることはない。何時でも気軽に尋ねて来ればよい」

「ありがとうございます」

「其れで、如何した。態々此の時間から来るということは、何か重大な用事でも在るのだろう」

「はい……」


カランバノの身体に力が入るのが、横に立っていてもわかる。一度息を短く吐いて、意を決したように口を開いた。


「長を救う方法があるかもしれません」


グラシアが大きな耳をぴくりと揺らした。


「妾を救う方法だと……? 此の病からか?」

「ええ。そうです」

「カランバノ、お前にも言ってあるはずだ。妾の病は不治だと。妾自身、もうそう長くはないことぐらいわかっておる」

「それでも長の病を癒す方法があるかもしれないのです」

「……かもしれない、だと。随分煮え切らない言い回しだな」

「それは……」


カランバノが口ごもる。グラシアさんもカランバノも長い間諦めていたのだ。そんなふたりの前に、死を覚悟したグラシアさん本人の前に淡く脆い希望をちらつかせても良いのだろうか。昨晩布団の中で何度も考えていた。だけど。それでも。


「それはやってみないとわからないからです」


自分の中の迷いを断ち切るように、真っ直ぐ鋭いグラシアさんの目を見て言った。グラシアさんは何も言わずに、私の言葉の続きを待ってくれた。


「上手く説明できないんですけど、私には不思議な力があります。皆が言うには、私以外には使えない力で、えっと、……傷や病気を治したり、堕獣を光に還すことができるんです」

「そんなことが本当に出来るのか」

「はい。少なくとも今まではできてきました」


グラシアさんが思案顔になる。今までたくさんのひとを癒してきたけれど、だからと言って今回も上手くいくとは限らない。この力と出会ってまだ日が浅いし、限界もいまいちわからない。そしてその先にあるもののことも。


「理解しえない能力を使ってきたと言うのか。確かに薬師意外にひとを治療できる者の話は聞いた試しが無い。何も知らずに唯一の力を使うことに、恐れは無いのか」

「それは……」

「其の力の代償が無いと、如何して云い切れる?」


それまでグラシアさんのほうを向いていたカランバノが目を見開き、私を凝視した。


「お前、まさか……」

「わかりません。もしかしたらグラシアさんの言うとおり、力の代償があるかもしれません。だけど私には他には何も無いから……。ただ立ち止まっているより、私は私にできることをしていたいんです。代償は支払わなければならなくなったときに、また考えます」

「……其れが手遅れだったら如何するのだ」


手遅れ。それは力の代償を、私の命で支払わなければならなくなったとき、かな。ずっと死を見つめてきたグラシアさんだからこそ頭を過る仮定なのかもしれない。もし本当にそうなったら私はどうするんだろう。一切の救いは無く、死ぬしかなくなったら。


「わかりません」


 胸が苦しい。明日死ぬとしたら私はどうするんだろう。自分の最期だなんて今までちゃんと考えたことが無かった。目の奥が熱くなって、視界が歪んだ。私、泣くんだ。泣くってことはやっぱり死にたくないのかな。


「わかりません……。自分の余命を知ったら絶望するのかもしれないし。ヤケクソになるかもしれないし泣いてばっかりになるのかもしれないし。だけど今はいつか来る恐怖に負けたくないんです。いつか死ぬってことはわかってます。だけどそれは今この瞬間じゃない。もしかしたら一時間後に急死するかもしれない。だったら尚更今やれることをこの瞬間にしたいんです」


元の世界にいたころはこんなこと思いもしなかった。明日死ぬかのように生きろって言葉をいろんなところでよく耳にしていたけれど、そうだよねって思いながら実際そんなふうに生きてなかった。明日は来る。来週も来る。来月も来年も十年後もきっと、私にはある。だけどこの世界に来て、生はそれほど強固なものじゃないんだと知った。堕獣。それから堕獣に取り込まれた青年とその恋人。彼らの存在は、私にそれを教えてくれた。


 下を向いて涙を拭い、そしてもう一度グラシアさんの青い瞳を見据えた。


「だからお願いです。私の力を試させてください。私にグラシアさんを救えるか、試させてください……!」


勢いよく頭を下げた。いろんな感情がごちゃ混ぜになって心を乱す。涙が再び込みあげてくるのをぐっと堪えて、ワンピースの裾を握った。


「長、俺からもお願いします。どうか流星の祈りを受けてください」

「妾が病に侵されたのは、天に定められた運命だ。天がそう決めたのならば我らは其れに従うほか在るまい。運命は変えられぬ。我ら狼族がそう生きてきたのは、お前もよく知っているだろう」


カランバノも以前そう言っていた。ひとの運命とは、それほどまでに大切なものなのだろうか。それに抗おうとしてはいけないのだろうか。運命が死ねと言ったら、死ぬしかないのだろうか。


「確かにそうかもしれない。長が不治の病を患ったのは天が定めた崇高なる運命なのかもしれない。だけど全てが運命なのだとしたら、俺が流星に出会ったのも運命だ」


はっとした。もし全てが偶然ではなく決められていたことなのなら。


「俺が流星に出会い、流星と旅をすることになり、この里に戻ってきたことも運命かもしれない。そして癒しの力を持った流星が長に出会ったことも……! だからっ……」


 カランバノの声が裏返った。珍しい。こんな声音は今までに一度だって聞いたことがない。


「だからお願いだ! 流星の力を試させてくれ、母上……!」


グラシアさんの目の色が変わった。母上。そうだ。グラシアさんは一族の長である前にカランバノの実の母親なのだ。だからこそカランバノはグラシアさんを救いたいと思い、私をここまで連れてきたのだ。


「……何だか懐かしいのう。お前に母と呼ばれるのは。果たして何時以来だろうか」

「俺はずっと逃げていた。母上が病で苦しむ姿を見ていられなくて、弱っていく姿を見たくなくて、何もできない自分が憎らしくて、里を出た。全てから目を反らして今まで逃げていた。それは、もうやめよう。目の前にある可能性に賭けてかけてみたくなった。やっと母上と向き合う覚悟ができたんだ……。だから、どうか……」


それでも泣かないのは男の意地なのかな。


「……死んでほしくないんだ。母上。俺は貴女に生きてほしい」


揺るぎの無い真っ直ぐな目で母を見つめるその姿に、私の涙腺がまた緩む。だけどここで私が泣くわけにはいかない。本当に泣きたい人の前で、代わりに泣いてしまうわけにはいかない。


グラシアさんは静かに微笑んだ。精霊の姿では表情から感情を読み取ることがとても難しいのだが、それでも穏やかな笑みを浮かべていることがわかる。


「お前はそこまで熱い男だったかのう。少し見ぬ内に成長したようだ。……それともお主のおかげかの、流星殿」

「えっ、わ、私……なんですかね」

「カランバノ。お前の気持ちはよく分かった。恐ろしかったのは妾も同じだ。他に如何しようも無いことなのだと自らに言い聞かせ、一切の希望を遮断しておった。期待をして裏切られるくらいなら、始めから絶望の中にいたいと……。お前や里の者らの気持ちを考えることもせず、逃げていたのだ。お前のおかげでやっと向き合うことができる。そうだのう。最後にもう一度悪足掻きするのも一興だ」


 ゆらり、重たそうに白い巨躯が持ちあがる。初めてグラシアさんが立つ姿を目にした。


「流星殿、お主に賭けてみよう。何とぞお願いいたす」


思わずカランバノのほうを見ると、カランバノも私のほうを見ていた。その表情は喜びよりも驚きで満たされていた。そんな呆気にとられた顔が可笑しくて、私は笑った。


「はい!」



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