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里人らにカランバノが持て囃される理由が、ただ単にその美貌と王のもとで働く騎士という称号に由るものではないということを知ったのは、そのすぐ後のことだった。
カランバノのお母さんに会うために連れて行かれた場所は、門から一番離れた里の最奥の大きな屋敷だった。色彩はまったく違うのだが、映画で見た源氏物語で、光源氏が住んでいた宮廷のようだ。縁を朱が囲む、簾のようなものが掛かっていて、中を覗くことができない。敷居をまたぐとき、カランバノの表情には若干の緊張が交じっているようにも見えた。お母さんに会うの、久しぶりなのかな。私にはそんな呑気な考えしかなかった。里の最奥の屋敷の、さらに奥まで案内されると次は力強い松の絵が描かれた襖の前にやってきた。案内係の少年はプリマヴェラさんにここで待つように指示し、そして襖の向こうに声を掛けた。
「グラシア様、カランバノ様がお見えです」
「通せ」
返ってきた声音は、女性にしては低く落ち着いた、自然と耳を傾けさせられてしまうようなものだった。
どうぞ、と少年が襖を手で指し示す。私に背を向けるカランバノの表情はわからなかったが、一瞬の空白のあと、ゆっくりと襖を開けた。
「久しいな。カランバノよ」
カランバノのお母さんは一体どんなひとなのだろうと、ここを訪れることが決まってから何度も考えていた。カランバノがあれだけ整った顔立ちをしているのだから、きっとお母さんも絶世の美女なのだろうと、なんとなく思っていた。
だけど私はあくまでも人型としての姿でしか想像していなかった。
美しい。
会ったらまず挨拶をしようと思っていたことすら、忘れてしまった。襖の外よりもきめ細かな装飾が施され、品の良さと位の高さを感じさせる部屋の奥に横たわっていたのは、混じり気の無い純白の毛を纏った大きな狼だった。旅の間中私たちを乗せてくれている子たちでさえ、元の世界の動物園で見たことがある狼よりは随分と大きいと思っていたが、彼女はそれより大きい。鼻の先から尻尾の先までで、三メートル弱はあるのではないだろうか。切れ長の目は、氷山を思わせる薄い青色。その目に真っ直ぐに見つめられると、心臓を射竦められたかのような心地がする。私という人間を探るかのような視線に縫い付けられ、身体を動かすことができない。まるで神話に登場する獣のようだ。神秘的で、高貴だ。
「久方ぶりです、長」
カランバノが纏う空気がいつになく張り詰めているせいで、私はさらに緊張した。
「それで、そなたは何者じゃ。精霊でも人間でもない異様な匂いがするぞ」
「この方は流星様でございます」
「流星だと。此れがか」
これって。確かにこの世界の住人たちと比べるといろんな意味で劣っていると感じることが多いけど。それはさすがに傷付く。
「長、お言葉が過ぎます……!」
カランバノが私を庇うように前に出た。その肩ごしにグラシアさんが私に冷たい視線を投げかけてくる。私の存在を全否定するかのようだ。身が竦むようなその視線に、どこか覚えがある。
私がこの世界に来たばかりのころ。カランバノが私に投げてよこしていた猜疑の視線だ。こんなところに親子の共通点を見つけてしまうなんて皮肉だ。けれど似ている。
「其れが彼の伝説の流星だという証拠は何処に在る。カランバノ、主は何を以て其れを流星だと認めているのだ」
「それは……アルス様が」
「主はあの若い王の言葉は何もかも鵜呑みにすると云うのか」
カランバノが言葉を失くして押し黙る。親子喧嘩……にしては話題がちょっと大きすぎるような気がするけど、とにかく口論するふたりと空間を共有するというのは、なんとも気まずい。
二人とも口を閉ざしたままだ。あのー、とりあえず私ここを出て行ってもいいですかね? お話が済んだころに呼んでもらえればいいので。そんなことを本気で口にするかしまいか考えあぐねていると、グラシアさんが纏う空気が一瞬にして柔らかくなった。なんというか、呼吸がしやすくなったのだ。
そして噴き出すように笑ったのはグラシアさんのほうだった。
「……少々悪戯が過ぎたようだな。流星殿、妾の礼の欠いた言動をどうか許しておくれ」
「は、はい……あの」
「此れは頭が固すぎるのだ」
そう言ってグラシアさんはカランバノを一瞥し、ため息をついた。
「里を出るより前から言って聞かせていたのだがな。此の型物がアルス殿に迷惑をかけていなければ良いのだが……」
「か、カランバノはちゃんとお仕事してると思います……よ」
「そうか。流星殿がそう言ってくれるのなら、そう思っても良いのかもしれぬな」
そう言ってほほ笑むグラシアさんは、先ほどとはまるで別人だった。穏やかで強くて優しい。
「とは言えカランバノ。主は妾が流星を嗅ぎ分けられないと、本気でそう思ったのか。妾も見くびられたものよのう……」
「いえ、長、それは……」
「確かに伝説の流星であるかどうか、其れは判らぬ。だがお主が此の世に害を成す存在か否かを嗅ぎ分けるぐらいの鼻は失っておらぬ。流星殿、さあもう少し此方へ。其の姿をよく見せておくれ」
グラシアさんに言われるがままに、私はカランバノの背を追いこして純白の狼に近づいた。もう手を伸ばせば彼女の鼻面に触れられそうだ。至近距離で私をまじまじと見つめる薄青色の瞳は、空の青のように様々な青色が混ざっていた。ふんふん、とグラシアさんが鼻を鳴らした。
「流星殿。すまないな。本来ならばお主と同じく人の姿で会いたかったのだが、生憎妾にはもう其の力も残っておらぬのだ」
「それは……」
「流星殿、どうか我がうつけ者の息子とアルス殿を頼む」
それはまるで辞世の言葉にも聞こえた。世を去る自分の代わりに、残される者たちのことを頼む、と。そう言っているようだ。私だったらあなたを治せるかもしれない。たったそれだけのことが、何故か言いだしにくくて言葉を返せなかった。
「何も無い里だが、どうぞゆっくりしていっておくれ」
そう言うとグラシアさんは持ちあげていた頭を、床の上に揃えた自分の前足の上へ降ろした。目を瞑る。鼻息が荒い。
「……行くぞ」
小さな声でカランバノが言った。私は何も言えずに、その背を追う。高潔な母が弱り苦しむ姿は息子としては見るに耐えず、また他人に見られるのにも苦しみが付き纏うのだろう。




