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カランバノの故郷、狼が暮らす里に辿り着くまでには岩肌が目立つ険しい山を越えなければならなかった。けれど五頭の狼たちは、それぞれ私たちや荷物を背負って身重なはずなのに、登れば登るほどどこか軽い足取りになっていった。
「なんかみんな嬉しそうだね」
私を乗せてくれている若い雄の狼の首筋を撫でた。
「こいつらも皆、里の生まれだからな。久しぶりの里帰りを喜んでいるんだろう」
同じ里で生まれた同じ狼。ただ精霊の力を持ったか持たないかで、その後の生き方が大きく変わっていく。なかには同じ親から生まれ血を分けた兄弟であっても、精霊となる者となれない者がでるらしい。それを彼らは一体どんな思いで受け止めるのだろうか。
ときどき短い休憩を挟みながら、できるだけ急いで山を越えた。野宿をするのには適さない場所ばかりらしい。山を降りると、そこは打って変わって緑が広がる平原だった。小さな鳥が飛んでいる。足もとに咲く花か草の、小さな話声が聞こえた。山を通る間、狼から振り落とされないようにと強張らせていた身体から力を抜き、大きく伸びをした。
「ここまで来ればあと少しだ」
「うん!」
本当にその言葉どおりだった。平原を三十分ほど走ると、集落の姿が見えてきた。近づいてみると、それは石造りの堅牢な壁に囲まれた立派な里だった。狼の背から降り、徒歩で開かれた門を潜ると、そこは予想外の世界だった。
狼の里は意外にも、アジアンテイストだ。朱と白が印象的な建物は、修学旅行で訪れた元の世界の神社を思い起こさせる。屋根からは同じく朱色の提灯が提げられて、柔らかみのある光が辺りを照らしていた。街を行き交う人々は、完全な人型の人もいれば、いつかのカランバノのように耳と尻尾を残した姿の人もいる。狼の姿で歩くひともいる。
そして不意のその内のひとりが、私たちに目を留めた。目を大きく見開き、口をぱくぱくさせて、それから叫んだ。
「カランバノ様!」
耳と尻尾を残した青年が大股でずかずかとこっちに歩いてくる。嬉しいのか、大きな尻尾が左右に揺れている。って犬じゃないからそういうものじゃないのかもしれないけど。
「カランバノ様、帰っていらっしゃるなら一言連絡してくださればいいものを! そうしたらもっと盛大にお出迎えしたのによう……」
「その盛大な出迎えが嫌だったんだ。数日滞在するつもりだから、その間こいつらを預かっておいてくれないか」
「へえ、へえ。お任せください」
「俺は客人を連れて、母上に会いに行く」
「それは良い! きっと長も喜びますぜ!」
そこで初めて彼はカランバノの後ろに控える私を見た。視線が上から下へと動き、そしてまた下から上へと戻っていった。
「ま、まさか……このお方は……」
狼の青年が一歩後ずさる。見てはいけないものを見てしまったかのような顔をしている。待って。私ユウレイの類じゃないんですけど。
「……流星様だ」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
突然の咆哮に、今度は私のほうが後ずさることになった。私の更に後ろにいるプリマヴェラさんがびくっと肩を震わせた。そうだよね。大丈夫かな、プリマヴェラさん。この里に滞在して。
「まままままさか流星様にお目にかかれる日がくるなんて夢にも思わなかったぜ……! ありがてえ。ありがてえ!」
青年は片膝を地面に着き、胸の前で五芒星の印を結んだ。
「流星様、歓迎致します。滞在中何かあれば、どうか俺にお申し付けを……!」
「あ、ありがとう……。助かります」
彼の余りの迫力に私は苦笑いを浮かべながら、流星の祈りを返すことしかできなかった。
「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 本物の流星の祈りだ! 始めて見たぜ!」
本当に空気が震えるのが分かるぐらいの大音声なものだから、ほらね。私たちがいる通りを覗こうと、あちらからもこちらからも顔がひょこひょこと飛び出してくる。何十もの瞳にしげしげと見つめられるとこちらとしてもだんだんと居心地が悪くなってくるもので。なんとなくこういうのを避けたかったんじゃないかと、カランバノの思惑を察した。
「なにごとだ……ってカランバノ様じゃないですか!」
遂に覗くだけに留まれなかった一人の青年が、カランバノに気が付いた。彼の声に誘われるように辺りから一斉に、カランバノの名を口々に囁く声が聞こえた。
そして長い溜息が、前方にある背中から聞こえた。……ドンマイ。




