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流れ星の願いを  作者: 青井在子
4th 母と子
18/64

18


「……お前をぜひ連れて行きたい場所がある」


ペルラさんやゴダさんの海を離れて三日が経った。野営のための焚き火を囲みながら、夕食を終えたころ、カランバノが唐突に口を開いた。


 あの海だってカランバノが私を連れて行きたいと思ったから連れて行ってくれたんじゃないのか。真意を探り兼ねて、端正な顔を見つめた。


「うん?」

「俺の、故郷なんだ」


カランバノは私の顔を見ずに、呟くようにそう言った。

故郷。カランバノの故郷。この無口で口下手で無愛想で不器用で、だけど私を突き離したりしないこのひとの生まれた場所。興味が無いわけがない。


「行ってみたいな。カランバノの故郷」

「そ、そうか」


カランバノはぎょっと目を見開いて、さも意外だという表情をした。


「なんでそんなに驚くの?」

「いや、な……」


何かを考えるように黙り込んだ。通り抜ける風に私の髪が揺れて、星の粉が舞った。


「……やはり止そう」

「え。なんで? 私もう行く気になってるのに」

「やめたほうがいい。お前のためにならない」

「なんでそう思うの? カランバノの故郷行ってみたいよ?」


再び沈黙が流れる。ぱちぱちと火の粉が弾ける焚き火の向こうで、プリマヴェラさんがせっせと夕食の片づけと、毛布の支度をしている。今日こそは手伝おうと思ってたのに。


「ねえ、カランバノ。理由ぐらい言ってよ」

「……俺のために、お前を連れて行きたいと思ったからだ」

「え?」

「お前のためじゃなく、俺のために……俺の身勝手な理由でお前を連れて行きたいからだ」


透き通るような薄青色の瞳に映る私は、口を半開きにして、瞬きも忘れて彼の顔を覗きこんでいる。頬を僅かに染めて。ってなんで赤くなってるんだ。でも身勝手な理由で、故郷に、ご両親が居る場所に連れて行きたいって、なんか変なことを想像しちゃう。いや、そんなことはないとしても、でも照れる……。ふっと脳裏を、海での出来事が過る。力を使いすぎた私を抱えてイルカに乗ったこと。抱きしめられたときの、感覚。一瞬で顔が火照るのがわかった。恥ずかしさが込みあげてすぐに顔を反らす。


「べべべべべべつに……っ私はそれでもいいけど! 他に行きたいところも思いつかないし! もともと連れてってくれる場所に付いてくつもりだったし……!」

「そうか……」


カランバノは、半ば強情な私を説得するのを諦めたかのように、溜息を吐いた。


「その前にカンナ、お前に話しておかなくてはならないことがある」

「う、うん?」


最近どうやらカランバノに真っ直ぐに見つめられることが苦手になった。気恥かしいようなむず痒いような思いがして、すぐに視線を反らしたくなるのだ。本当に整った顔立ちだ。元の世界だったら、俳優とか……そうでなくても雑誌のモデルぐらいにはなれそうだ。私はずっとそんな男性とは縁が無かったから、うん、だからだよ。耐性がないだけ。だからこんなに心臓がうるさいんだよね……?


「カンナ」

「は、はいっ?」


顔がぐっと近づく。目を閉じてしまいたくなる距離だ。そしてその目が切なげに伏せられる。長い睫毛は髪と同じ、薄氷の色だ。この感じはいよいよなのか。心臓がはち切れそうだ。


「……俺の母親を救ってほしい」

「うん! ……って、え?」


そもそも私は何のための返事を用意していたのだろうか。何を言われると思っていたのだろうか。自分の浅はかでバカげた能天気な想像と、カランバノの発する色んな感情を押し殺したような声音との温度差に呆れかえり、自分を殴りつけたい衝動に駆られた。


「お母さんを……?」

「ああ」

「お母さん、どこか悪いの?」

「ああ、まあな。俺がまだ幼いころに病に倒れ、もう治らないと言われた。それから病は進行し、俺が里を出る頃には寝床から出られないようになっていた」


二度目の溜息は先ほどのものよりも長く、重たかった。


「このまま病魔に蝕まれて死ぬんだと思っていた。それが天の決めた母の運命なら、従うほかあるまいと思っていた。しかし……」

「私と出会っちゃったんだね……」


自分の母親が助かる術は無いと、諦めていた。諦めは一種の救いを齎す。哀しみに立ち向かうことをやめた心は、仮初めであっても平穏を取り戻す。だけどそこに唯一の希望の光が差し込んだら。手を伸ばしてみたくもなるだろう。それが本当に希望かどうかわからなくても。もう一度哀しみを味わうだけだとしても。


「やっぱり行きたいよ、カランバノの故郷。私にできるかどうかわかんないけど、でも試してみたい」

「……ああ、すまない」


そう言って目を背けるカランバノは、いつもよりも小さく見えた。例えて言うならいつもは誇り高く勇敢な狼。だけど今はまるで子犬のようだ。不謹慎かもしれないけれど、――可愛く見えて。子犬を愛でる気持ち。ただそれだけで、私は彼の頭に手を伸ばしていた。


ぽんぽん。さすさす。


宵闇に映える薄氷色の髪をそっと撫でた。……撫でた?


 はっとする。目の前に居るのは不安に耳を倒した子犬なんかじゃない。狼だけど、ひとの姿をした、たぶん年上の男性だ。しかも平均よりもクールで無愛想で冗談も通じない系だ。恐る恐る手を放し、後ずさる。カランバノはぴくりとも動かない。


「あのー……、ごめんね?」


動かない。反らされた視線もそのままで。まるで銅像のように動かない。


「もしもーし……、カランバノ?」


まだ動かない。


「ねえってば!」


肩を揺すろうと手を触れた瞬間、飛び上がった。私じゃない。カランバノが、だ。


「うわ! いきなり動かないでよ! びっくりするじゃん!」


顔を見上げるその瞬間だった。視界の端にとっても魅力的なものを捕らえた。薄い銀色の毛がぽっさぽさのさわり心地がよさそうな、尻尾。しかしそれの持ち主は同行してくれている五頭の狼たちのものではない。その方向に鼻づらを向けて、二頭が眠っているからだ。油の切れたブリキのおもちゃのようなぎこちない動作で、視線を更に上げる。


 月の光を浴びて銀色に光る髪を持った、クール系無口イケメンの頭に、三角の耳が二つ、生えていた。その表情は焚き火の灯りのせいか、真っ赤だ。


 瞬きを繰り返す。それでも耳も尻尾も消えない。目の前の人物は飛び上がったっきり、また動きを止めている。先に平静を取り戻したのは私のほうだった。


 その尻尾と耳の持ち主はもちろん、一人しかいない。カランバノだ。人型のままのカランバノに、狼の耳と尻尾が生えている。こんな姿は初めて見た。前に見せてほしいと頼んだときは、ばっさりと断られた。


「けっケモミミ……!」


 頭がやっと事態を理解する。理由はわからないけれど、とにかくカランバノが一度も解いたことのなかった完全な人への変身が少しだけ解けたのだ。ふわっふわの尻尾は、今は逆立っている。ああ、もふもふしたい。


「ってゆーか! 写メ! 写メりたい! こんな貴重なシーン! 二度とない! イケメンケモミミ男子を生で見れる日が来るなんて……! あーもう! どうしてこの世界には携帯もカメラも無いんだよ!」


私が一人で騒いでいると、異変に気が付いたプリマヴェラさんがやってきた。


「流星様、いかがされたのですか? ……まあ」


そして口元に手を当て、固まっているカランバノを凝視した。


「珍しいですわね、カランバノ様がこの姿になられるなんて……」

「やっぱりレアなんですね、これ。ああ目に焼き付けるだけなんて惜しいよ……カメラー……」


 よくわからない感情がぐるぐると胸の内を駆け巡る。胸がきゅっとするような、むかつくような、叫び出したいような、地面を殴りつけたいような、転げ回りたいような……。ああ、そうか。これが萌えってやつか……。


 初めて身を持って萌えを体験した私は、写真に残せないぶん、しっかり目に焼き付けておくことにした。そして数分後動きだしたケモミミ男子に、毛布を投げつけられ、それを剥がすころには、麗しのケモミミは消えていた。


「えーもったいないー。そのままでいればいいのに……」

「うるさい。黙れ。早く寝ろ」

「またすぐに見せてくれる?」

「うるさい。黙れ。さっさと寝ろ」


しぶしぶ毛布に包まって、狼に背を預けて目を瞑る。どうか夢にケモミミバージョンのカランバノが出てきますように。そう祈って。



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