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流れ星の願いを  作者: 青井在子
3rd 愛と喪失と
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ペルラさんに依ると、ゴタさんはずっと自室に引きこもりっぱなしで、食事もまともに摂っていないらしい。よし。と配膳係を買って出た。そんなことをさせるわけにはいかないと眉根を下げるペルラさんを言いくるめ、調理室で食事を作ってもらい、トレーに載せてゴタさんがいるという部屋に向かった。ペルラさんの執務室や私たちが寝泊まりする客間、食堂があるのが城の本塔で、ゴタさんたち使用人さんたちの部屋があるのは本塔を囲む四つの塔の内の南塔だ。長い階段を上る。毎回階段を通る時に思うけど、誰かこの世界にもエレベーターかせめてエスカレーターを発明してよ。息を切らしながら五階に辿り着く。廊下に並ぶドアの、一番奥から三番目をノックした。


「ゴタさーん、おはようございます」


返事が無い。


「ゴタさん、食事を持ってきました。ちょっと開けてもらえませんかー」


まだ返事が無い。


「ゴタさん、おはようございます。流星ですよー」


それでも返事が無い。うう、少し挫けそうだ。もう一度呼びかけようと息を吸い込んだ時、ふっとその考えは過った。


その絶望があまりにも大きかったら。

最愛のひとを失った哀しみが、彼女を殺してしまうかもしれない、と。

身体の芯が冷たくなって、冷や汗が一筋こめかみを伝って落ちた。


「ゴタさん! お願いします! いるんでしょ! ここ開けて! っていうかせめて返事だけでもして! ゴタさん! お願い……!」


ドアノブを回す。がちゃがちゃと音を立てて、数センチ動くだけで回り切らない。鍵が掛かっているようだ。


「ゴタさんってば、ねえ! なんとか言ってよ!」


どうしよう。私は強硬手段でこのドアを破壊できる魔法さえ持っていない。流星の力で……、どうする? 活かす方法も思いつかない。トレーを床に置いて右手でドアを叩いた。


「ゴタさん! ねえっ……お、うわっ」


もう一度ドアを叩こうと大きく腕を振りかぶった瞬間、ドアが開いた。その手の勢いを止められず、だけど叩くべきドアはもう届かないところに行き、――私は素っ転んだ。


「……りゅうせいさま」


小麦色の肌を持ちながら、それでも青白いと感じてしまうほど顔色が悪い。目の下にはくっきりと黒い隈があるし、唇の色も紫っぽく見える。青い髪は乱れ、胸元にはうっすらあばら骨が浮いている。最後に見た彼女と余りにも印象が違いすぎて、思わず言葉を失った。私を呼ぶ声の弱弱しさがまた胸を締め付ける。

頬を両手でぱしんと叩いて自分を奮い立たせた。ここでめげてどうする。あんな悲劇に見舞われたんだから落ち込んで当然でしょ。悲しいのはゴタさんなのに、私が凹んでどうするんだ。


「……ててっ、転んじゃいました」


あははと笑いかけてみてもゴタさんはその虚ろな表情を変えようとしない。


「どうしてここへいらしたのですか……」

「ご飯を持ってきたんです! ゴタさんに食べてほしくて!」


トレーを持ちあげて差し出すと、彼女はそれに一瞥をくれてそれから静かに首を横に振った。


「……ごめんなさい、食べる気分じゃないんです。せっかく持ってきていただいたのに……ごめんなさい」

「食欲無いのもわかりますけど、でもずっと食べてないって聞きましたよ。ちょっとぐらい食べないと……」

「いらないものはいりません。……ごめんなさい、それでは」


とそれだけ言って閉められるドアに咄嗟に左足を挟んだ。鈍い音がしてじんじんと痛みが走る。「うっ」低い呻き声が漏れた。


「……ごめんなさい、ごめんなさいっ……」

「いいってば……って、ちょっと!」


小さな声で謝罪の言葉を繰り返しながら、何も写さない瞳から涙が流れた。そしてそのまま力を失ったかのように、その場に蹲ってしまった。


「ゴタさん!? 大丈夫ですか? とりあえず座りましょ……!」


トレーを置いて、ゴタさんの腕の下に自分の腕を滑り込ませる。恐らく地上だったらこんなことはできないけれど、ここは水中だし彼女は脚ではなく尾びれを持っている。なんとか彼女を支えながらベッドまで運ぶことができた。そこに腰掛けさせ、私は食事と飲み物が載ったトレーを回収してきた。


「ゴタさん、ほらせめてお水飲んでください」


私がそう声を掛けても彼女は俯いてただ静かに涙を流すだけだ。嗚咽で身体を揺らすことさえしない。そこにいるのは魂を失くしたただの抜け殻にも思える。


元気出して。大丈夫だよ。……そんなこと言えるわけない。

どうしていいのかわからなくなる。私は今までこんなにも落ち込んだ誰かを励まそうとしたことは無かったかもしれない。


私の周りには深い悲しみに捕われた人はいなかった?

ううん、そうじゃない。たぶん――そこまで深く誰かと関わろうとしてこなかった。哀しんでいるのを見ることが悲しくて、見て見ぬふりをし続けていた。私が悲しみに打ちひしがれていたときも誰にも助けを求めることができなかった。弱っている自分を、見せられなくて。見せてしまったら二度と立ち上がれなくなってしまうぐらい本当に駄目になりそうで。だから誰かに頼ってもらうこともできなかった。弱さをわかってあげることができなかった。


今もどうしていいのかわからない。だけど。だけどこの世界で私が孤独で泣いていたとき、そばにいてくれたひとがいたんだ。あの夜、私を独りにしないでくれたひとがいるんだ。


 だからそっと手を伸ばした。青い髪が流れるその背にそっと触れて、ゆっくりと擦った。なにも言えない。言葉さえあげられない私がゴタさんに与えられるのは、体温だけだ。

ゴタさんは一瞬身を強張らせた。それでも擦る手を止めずにいると、次第にその身体が震えるのがわかった。肩が小刻みに上下する。うっと小さな声が聞こえた。


「うん……」


そうだよね。悲しいんだよね。胸の中で何度も繰り返し呟きながら、背中を優しくとんとんと叩く。小さな嗚咽が響いた。


「うん、うん……」


私にその深すぎる悲しみは理解できないかもしれない。だけど今は理解したいという気持ちがあるから。

私の貧相な身体とは違って健康的で女性らしい美しさを持つ、だけど今は折れそうなぐらいか弱く見えるゴタさんをそっと抱きしめた。私の腕の中で彼女は声を押し殺して泣いている。我慢しなくていいのに。堪える必要なんてないのに。思う存分悲しんでいいんだよ。だってあんな酷いことが起こったんだもん。


「ラグーナは……、堕獣に取り込まれていたあの男のひとは、私の恋人だったんです……」


やがてぽつりとまるで私がいることに気づかず独り言を言うかのように、けれど誰かに話しかけるように彼女は呟いた。彼女の声音はまるで布に落ちる水滴のようだ。弱弱しくて、発した瞬間に吸い込まれて消えてしまう。


「……ラグーナと出会ったのはもうずっと前。私が水生植物の発育の調査に出かけたとき……、そこで働いていた彼と出会いました。彼は優しくて……穏やかで、私はすぐに彼に惹かれて、……想いを告げたのも私からでした。だけど彼は私を…………愛してくれて」


鼻を啜る音がした。声が大きく震える。涙の気配が私の涙腺を刺激して、私まで泣きだしてしまいそうな気分だ。


「…………幸せだったんです」


幸せ。だった。ああ、こんなことを考えるのは不謹慎だと思う。彼女の幸せは過去形だから。彼女はその幸せをすでに失ってしまっているのだから。

だけど人生を振り返って、胸を張ってそう言える瞬間が私にはあるのだろうか。

こんなことを考えるのは不謹慎だ。だけどそう呟く彼女を、羨ましいと思ってしまった。


「……うん」


そんな相槌を打つことしかできなかった。


「彼といると満たされる思いがしました……、私に欠けている何かを彼が持っていて、与えてくれるようなそんな気がしたんです。どんなに辛いことがあっても彼がいたら大丈夫でした……。だから……、だからどうしたらいいのかわからないんです」


ぎゅっと腕を掴まれて、どきりと心臓がとび跳ねた。


「だってこんなに辛いのに……、ラグーナがいないんです。彼に話したいのに、顔を見たいのに、抱きしめてほしいのにラグーナがいないんです。今までで一番辛いのに……っ、今までで一番彼が必要なのに……っ!」


腕の中からくぐもった慟哭が聞こえる。掛けるべき言葉が何も見つからない。呆れるぐらい頭が回らないのだ。


「どうやって生きていけばいいんですか……。これから彼がいない世界を、どうやって生きていけっていうんですか……。もう、いや。いやです……っラグーナに会いたい……」


じゃあ死にたいって言うの? と口から出かけた言葉を飲み込んだ。心配してくれるひとたちを遺して。慕ってくれるひとたちを遺して。遺されたひとの気持ちなら、あなたが一番わかっているはずでしょう。


「……そんなこと言わせるために、あのとき庇ったんじゃない」


気が付いたらそう呟いていた。言うべきじゃないこととわかっていたのに。案の定彼女は、私の言葉に食ってかかってきた。


「だったらあのまま放っておいてほしかった! 堕獣に食われて死ねばよかった……!」


そうかもしれない。あの堕獣に食われていれば、少なくとも堕獣としての命が尽きるまで彼女は彼女の最愛のひととひとつになれたのだから。あれは完全に私のエゴだ。自己満足でやったことだ。


「だけど目の前で誰かが死ぬとこなんて、こっちだってもう見たくないんだよ……!」


腕の中で、最後に今までに聞いたことのないような声で鳴いて動かなくなった美しい黒猫。


「ゴタさんだったら遺されたひとの気持ちわかるでしょ! 死ぬってことはさあ、今自分を大切に想ってくれてる人とか心配してくれてる人とか愛してくれてる人とか……そう言う人たち皆を裏切るってことなんだよ……、傷つけるってことなんだよ……。死んだ人は死んで終わりかもしれない。だけど遺された人はずっと、生きていかなきゃいけない間中ずっと、誰かを失った喪失感を抱えてなきゃいけないんだよ。……そうだよ、確かにさ、あのときゴタさんを見捨ててればよかったかもね。そしたらゴタさんはラグーナさんを失った哀しみと向き合わなくてもよかったかもしれない。だけど私はさ……もう嫌だったんだよ。ゴタさんを失って……、何かもっとできたかもしれないのにって思いながらこの先生きてくのはさ……、嫌だった。私が、私のためを思ってやったことだよ……」


そうなの。本当はただそれだけの理由なの。もうあんな思いをしたくない。私は悲しみ疲れたの。だからあなたに悲しみと向き合わせるような真似をした。それだけなんだよ。


「恨んでくれていいよ。私のこと。死ぬまでずーっと恨んでくれたっていい。だけどね、最愛のひとを失ったからって、ゴタさんを想ってくれる全てのひとを失くしたわけじゃないんだよ。たったひとりのために生きるのはいいけど、たったひとりのために死のうとしないで。ゴタさんを想ってくれてる、今生きてるひとたちのためにも生きてよ。ゴタさんに生きてほしいって思ってる私のために生きてよ……」


気づいたときには涙も鼻水も垂れ流し状態だった。でもそんなことはどうでもいい。知ったことか。私は少しムカついてるんだ。悲しみに打ちひしがれて、死に魅せられる彼女に対して。


「流星様……っ」


ああ、と今までで一番大きな声がした。ゴタさんが私の腕の中で俯く顔を上げて、真っ直ぐに私の目を見た。彼女の顔も涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、たぶん私たちは同じような有様だった。

わんわん声を上げて鳴く彼女を、子どもをあやすように抱いて背を叩いていた。そんなことをしながら私も泣いていた。私が泣く理由は見つからなかったけれど。




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