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ひたり。額に載せられた何かは冷たく、火照った身体には心地よい。
なんか懐かしいな。扁桃腺が弱くて、よく高熱を出していた私にお母さんがタオルを冷やして、用意してくれていたっけ。今思えばあんなに忙しいお母さんが、わざわざ仕事を休んでくれたんだよね。あの頃は仕事を休むことの大変さも知らなかったから何も思わなかったけど、大学生になって就職活動が迫って来てやっと理解できたような気がする。
今度の母の日にはケーキを作ってカーネーションも用意して、ちゃんとありがとうって伝えよう。そう考えて切なくなるのは、ここがお母さんがいる世界とは違うと気づいているから。
目覚めたときの感覚は、前回よりも格段に良くなっていた。頭もすっきりしているし身体の気だるさもほぼ無い。身体を起こしてみようかという気にさえなった。
「……よっと」
ベッドに手を付いて慎重に身体を起こす。背中の痛みは感じなかった。恐る恐る着せられていたワンピースを捲り、怪我の部分に触れると包帯のような布が巻いてあった。気を失っている間に誰かが治療をしてくれたのだろう。身に纏っているワンピースも、あのとき着ていたものとは異なっている。
「ていうかお腹空いた……」
ぐうと腹の虫が鳴く。部屋にはカランバノもプリマヴェラさんもいない。来てくれるまで待てないぐらいにお腹が減った。適当にそのへん歩いたら誰か知ってるひとに会わないかな。ベッドを降りる。簡単に手櫛で髪を梳いて、部屋の戸を開けようとした。ら、ノブを握る前にそれが回った。
「わっ! まっ」
待って。と言い切る前にドアが開けられ、ゴッと鈍い音がして額に衝撃が走った。病み上がりの超絶空腹状態の私に、その衝撃は些か強すぎたらしくへなへなとその場に座り込んだ。
「……大丈夫か」
なんかさあ。今まで気を失ってた重傷者が目を覚ました揚句自分がドアをぶつけたせいで座り込んでるっていう状況を見て、開口一番がそれなの、って感じ。私の朦朧とした記憶が正しければ、私が眠る前結構シリアスな感じで謝ってたよね、あなた。
ってことで入ってきたのはカランバノだった。
「せめて開ける前にノックぐらいしてよ……。女子の部屋だしね、一応。着替えてたりとかしたらどうするつもりだったんだよ……」
「……すまない。立てるか」
差し出された手を握って立ちあがると、くらっと来た。頭を強く打ったせいか空腹のせいなのかはわからない。
「たたっ……、ていうかね、お腹空いた」
「そうか。すぐに用意させよう。待ってろ」
カランバノはそのまま部屋を出て、誰かに食事の用意を言いつけたのか、すぐに戻ってきた。一応病み上がりの私を気遣って、ベッドに座るように勧めてくれ、そして口を開いた。
「身体はどうなんだ」
「んー。前に目が覚めたときよりはマシかな。傷もそんなに痛くないし、ダルさもあんまり無いし」
「そうか。それなら良い」
「ねえ、私どのくらい眠ってたの?」
「一回目に目覚めるまで二日。その後今日まで三日。合計五日だ」
「結構寝てたんだね……。でも結構おっきい怪我をしたつもりだったけど、案外早く治るもんなんだね」
やられた感覚としては、結構深めにざくっといっていた気がする。元の世界風に言うのなら全治数カ月の大けがとか、そんな感じだったのではないだろうか。それが五日で痛みをほとんど感じない程度にまで回復するなんて驚きだ。
「それには俺も驚いたが、……恐らくお前だからこんなに早く回復したのだろうな」
「どういうこと?」
「眠っている間、お前は……光っていた」
「は?」
眠っている間、光っていた? なにそれ。ていうかちょっとその光景、笑えませんか。
「俺にもよく分からないが、お前は眠っている間中ずっと光を放っていた。推測に過ぎないが、お前がひとを治すときに使う光が、お前の身体に作用したんじゃないのか。他者の傷を癒すのを手助けするように自分の回復力を上げたんじゃないのか」
「なるほど……」
わかるようなわからないような気がする。流星の力は、他人にしか効き目が無いと思っていた。けれど流星の力以外に私自身もこの世界に来てこの世界仕様に、少なからず変わっているということなのだろうか。
「それでも心配した。俺が付いていながらお前にあんな大怪我を負わせるなんてな」
「それ、禁止」
「なんだ」
「別にカランバノのせいじゃないから。私が怪我したの。私が無茶だってわかりながらそれでもやったことだから。誰かのせいとかじゃない」
「……すまない」
「だからそれが禁止だって言ってるの」
「すま、……ああ」
これだけ言ってもまだカランバノは悲しげな表情を消さない。前に目が覚めたときと同じ顔をしている。やっぱり私が完全に回復して、本当に平気だってことを証明するまで駄目かな。責任感が強いっていいことだけど、ここまで自分を責められると私まで苦しいっていうか。
沈黙が横たわりかけた部屋に、タイミング良くノックの音が響いた。
「流星様、食事をご用意致しました」
食事を運んできてくれたのはプリマヴェラさんだった。慣れた顔触れのほうが良いと魚族側の使用人たちが気を使ってくれたらしい。
「お身体はもう大丈夫なのですか?」
「はい、もうだいぶ。心配かけちゃいましたね」
「いえ……、はい。心配致しましたわ」
「えへへ、ごめんなさい」
「どうかもうあんなご無理はなさらないでくださいませ。わたくしの寿命が持ちませんわ」
「はあい」
プリマヴェラさんが両腕を組んで口を尖らせる。冗談めかして叱ってくれることが、居心地が良かった。お姉ちゃんみたいだなあ。
「さあ、お腹が空いたのでしょう。早くお召し上がりくださいな」
「わーい」
用意された食事は、粥を始めとした元の世界でも身体が弱ったときに出されるような、優しいメニューだった。それをゆっくり時間を掛けて食べる。五日ぶりの食事は身体の隅々まで染みわたっていく。
ぺろりと平らげた私は、気になっていたことを二人に尋ねた。
「……他のひとはみんな、元気?」
プリマヴェラさんは表情を曇らせ、カランバノは静かに頷いた。
「ああ、大体はな」
「……ゴタさんは?」
「ゴタは……」
「ゴタさんは塞ぎこんでいらっしゃいます」
「やっぱり」
「結婚を控えていた恋人をあんな形で亡くしてしまったのだから、当然と言えば当然ですわね。一度だけカランバノ様の元へ謝罪をしにいらしてからほぼ姿を見ないのです。そのときも憔悴しきったお顔をされていたから、心配ではあるのですけれど……」
自分の大切なひとが突然いなくなるなんて。しかもあんなにも惨い形で。絶望するには充分すぎる理由だ。
「どこにいるかわからないんですか?」
「ペルラ様が心配して休職させたが城の外には出してないそうだ。目の届かない所へ、今の状態でやることができないからだと」
「……そうだね。じゃあペルラさんに聞いたらゴタさんの居場所、わかるかな」
「恐らくな」
怖いけれど、会いに行ってみよう。私にできることがあるとは思えないけれど、どうしてもあの恋人の名を呼びながら泣く彼女の姿が忘れられないのだ。
「今日はやめておけ」
「なんで」
「もう一日ぐらいしっかり休め」
「大丈夫だよ」
「お前の大丈夫は、当てにならない」
「……前にもそれ聞いたような気がする」
「だったら学べ」
そう言われてしまったら何も言い返せない。実際に私は大丈夫だと言っておきながら大丈夫じゃなくて結果カランバノに迷惑を掛けたことも多々あるし。身体がまだ休息を必要としているのか、満腹になるとすぐに睡魔がやってきた。言葉に甘えてもう一日眠ろうかな。
だけど引き摺りこまれるような眠りじゃないからこそ、どうしても脳裏を過っていくものがあった。獣と人が混ざり合ったあの姿。人格を失い咆哮する姿が、鮮明に焼き付いてしまっている。
「……でもびっくりしたな。堕獣は人の姿でも取り込むんだね」
「そうみたいだな。俺も初めて見たが……」
その後に続く言葉を飲み込んで、カランバノは腕を組み直した。
「初めてだったの?」
「ああ。俺が今まで対峙した堕獣は、皆獣の姿のままで取りこまれていた。人の姿で取りこまれたという話は聞いたことがない」
「そっか……。じゃああれは滅多に起こらないことなんだよね? もう見る機会が無いぐらい滅多に起こらないことだって、そう思ってもいいよね……?」
身体の芯が凍えているようで手足が震えだしそうだ。それを抑えるかのように、私は拳に力を入れた。
「流星……」
「あれは……ちょっと、なかなか衝撃的だったよ。こう言うのもなんだけどさ、やっぱ獣の姿と人間の姿だと印象が違いすぎるって言うか。私にとってはさ、なんかショックで、びっくりしたっていうかさ……」
「もう二度と無いとは言い切れない。……二度と無いことを祈るほかないな。やっぱりお前はもう休め。眠れるまでプリマヴェラに付いていてもらえ。プリマヴェラ、頼む。こいつが無茶をしないように見張ってくれ」
「かしこまりましたわ」
カランバノはベッドから腰を上げて、テーブルに置かれた空になった食器の乗ったトレーを持ちあげ、そのまま部屋から出て行こうとする。
「カランバノ」
「なんだ」
なんだろう。どうして呼んだんだろう。ただ部屋を出ていく前に、私が眠る前に、もう一度ぐらい振り向いてほしいからとか、たぶんそんな理由だった。
「……なんでもないや。ごめん」
「そうか。ゆっくり休め」
「うん」
今度こそカランバノは私に背を向けて、部屋を出て行った。




