11
ゴタさんに案内されて海底の街を巡るなかで、運悪く堕獣に遭遇した。前日あんな言い方をしていたのに、カランバノは結局剣だけで堕獣を倒してしまった。
私動かなくなった堕獣たちに祈りを捧げた。胸が痛む。この激しく鋭い感情をなんと呼ぶのだろう。
「……ごめんね」
渇いた喉から零れた掠れた言葉には一体どんな意味が在るのだろう。
襲いかかってきたからといって命を奪ってしまったことに対する謝罪なのか、それともあまりにも哀れな存在に対する同情心から来るものなのか。
「……大丈夫か」
「私はまだ大丈夫だよ」
「お前の言葉は当てにならん」
そして足が地面を離れた。とび跳ねたわけでも倒れたわけでもない。カランバノが私の背中と太ももの裏辺りに手を回してひょいっと本当に軽々しく持ちあげた。
「ちょっ」
抱きかかえられている。しかも言うなればこれはお姫様だっこってやつだ。
「歩けるってば!」
抗議をしようと思って私を抱えるカランバノの顔を見上げた。そして至近距離で目に入る端正な顔。細くすらっとした顎のライン。長い睫毛。
ほんとに綺麗な顔をしてるんだよなあ。
「なんだ」
その整った顔の切れ長の瞳が私を捕らえた。抱えられた状態じゃ、その距離が近すぎる。そのせいだ。きっと。なんだか恥ずかしい。照れる。
「べ、べつにっ!」
思わず顔を反らした。カランバノは溜息をついただけで何も言わず、私を抱えたままイルカに跨った。波の影響を受けて大きく揺れるような場所では、私が落ちないように落とさないようにカランバノが私を抱える腕に力を込めた。
「うおっ……」
我ながら可愛げのない声が思わず漏れる。不意に結果的に――抱き寄せられる形になって思い切り頬をカランバノの締まった胸板に押し当てることになった。
離れようともがく私を、何を思ったのかカランバノはより強い力で抑え込んだ。
わざわざ自分から落ちようとするわけないでしょ!
この距離が辛いんだってば!
抵抗すればするほど自分の置かれる状況が悪くなることを学んだ私は、胸の内で反抗し、大人しく抱かれていることにした。
「着いたぞ」
結果、カランバノの腕の中で爆睡していた。
さっきまで恥ずかしいだの照れるだのと思っていたくせに、自分の神経の図太さにほとほと呆れる。
「ありがと」
一応お礼を言って降ろしてもらう。移動中に眠っていたからか、力の使いすぎによる眩暈は少し落ち着いていた。
「部屋まで送る」
「いいよ、そこまでしてくれなくても」
「一応これが仕事だからな」
「そ。じゃあお願い」
「ゆっくり休んでくださいね」
「ゴタさんありがとう。また明日」
私とカランバノが二人で歩くときは、基本的にお互いに無言だ。カランバノは必要最低限のことしか話さないしそんな沈黙に耐えきれなくなった私が喋り出して、彼がそれに二言三言答えて終わる。そんな感じ。
正直きまずいっていうか、やりづらいんだけどなー。
ゴタさんプリマヴェラさんと別れ、広い廊下を歩き、辿り着いたのは充てられている部屋ではなかった。城の外を臨める、広いテラスだった。そこでカランバノがやっと口を開いた。
「お前は」
「なにー?」
「ここで何をするつもりなんだ」
「私がしてあげられそうなことがあったらしてあげたいなーぐらいには思ってるけど」
それを聞いたカランバノの眉間に皺が寄せられた。
「それでは解決にならない」
「解決?」
「お前をこの旅に連れ出した意味が無くなる」
「どういうこと?」
カランバノが眉間に皺を寄せたまま、視線をそらした。苛立っていて舌うちでもしたそうな様子だ。
「お前を連れ出したのは……、そういうことをさせないためだ」
「そういうことってなに? 傷付いたひとたちを癒してあげること?」
「……まあ、そうだ」
私の怒りの導火線に火を付けないように、言葉を選んでくれている節は充分に感じ取れた。それでも私の沸点は急激に下がったのか、一瞬にして心を荒々しいなにかが覆っていった。
「なんでそんなこと言うの? 癒してあげちゃいけないんだったら私は何をすればいいの?」
「そういう意味で言ってるんじゃない……」
溜息を吐かれる。感情を噛み殺したような声音だ。前にもこんなことがあったような気がする。そんな気がするのに。
「じゃあどういう意味なの……? 何も知らない突然やってきた世界で、ただ城で暮らしてただ旅をすればいいっていうの? だったらなんで私はここに連れて来られたの? 意味もなく連れて来られたって? そう言いたいわけ? そんなんだったら……!」
――帰りたいよ。帰らせてよ。
すんでのところで口から飛び出しかけた言葉を飲み込んだ。動悸がして呼吸が荒くなる。胸が詰まるように苦しくなって、左手でワンピースの胸元をぎゅっと掴んだ。
自分でも気づいていなかった。
気づかないふりをしていた。
私、帰りたいんだ。
帰りたいけれど帰れないから、どうしても帰れない理由をずっと探している。
「もう、やだ……」
今度は涙が溢れる。なんだこの情緒不安定さ。叫んだり突然泣き出したり、危ない子みたいだ。がくっと膝から力が抜けて、座り込みそうになった。
その瞬間に、腕を引かれて。
よろめいた私は、カランバノの腕の中に収まった。
「……っ、なに……」
突然のことで驚いた。ここは揺れるイルカの上じゃないし、さっき力を使いすぎたとはいえ、私は自分の足で立てるくらいには回復している。カランバノに抱きとめられる理由がない。ふらついた私を支えようとしてくれただけなら、今すぐに離してほしい。
ぐっと腕に力を入れて、鍛えられた胸板を押し返そうとした。
私の背に回された両腕に力が込められて、私は拘束から逃れることはできなかった。
「……なんで」
わけがわからない。けれど、あったかい。
涙が出る。はらはらと止め処なく流れて落ちる。カランバノの白い服に、染みを作ってしまう。
「なんと言えばお前はわかるんだ……」
悔しそうな声が、余計に涙腺を刺激する。
「……無理を、するな。他のやつらよりも自分を大切にしろ。お前は……、いつも他人のことばかり考えて自分を省みていない」
少しずつゆっくりと、一言一言絞り出すかのように紡がれていく言葉。
「他者を癒すことや堕獣を光に還すことは、確かにお前にしかできないことだ。それは理解しているつもりだ。……だが、自分を責任に括りつけすぎるな。すべてのひとを救おうだなんてそんな大それたことは思わなくたっていいんだ」
すべてのひとを救おうと思わなくたっていい。その言葉が、響く。胸の中で木霊する。私しか持たない力を持って私は異世界からたった一人でやってきた。帰りたくても帰れない世界から。
ああ、そうだね。
いつの間にか私は帰れない理由として、流星の力を当てはめていた。私だけの特別な力で、この世界のひとたちを救う。私にしか出来ない使命を与えられ、それを果たすためにここにいるのだと。
だから力を使わなければ、私はここにいる意味も、元の世界に帰れない理由も無いのだといつのまにか自分自身で思い込んでいた。
「志は必要だ。目指す場所が高ければ高いほど、自分も成長できるからな。だけど無理をする必要はない。俺たち騎士だって全ての任務を完遂できるわけじゃない。堕獣から護れなかったやつもいる。……ましてやお前はなんの訓練も受けていない、しかもつい最近までこの世界とは無縁だった、ただの少女だ」
「ただの……」
ただの少女。特別な力を持ちひとびとに崇め讃えられる流星じゃない。
ただのどこにでもいるありきたりな少女。
私は確かに、それでしかないのだ。
すとんと胸に痞えていたものが、あるべき場所に落ち着いた気がした。私はただの女子大生。それでいいのかもしれない。
カランバノの腕の力が緩んだ。両肩を掴まれ、瞳を覗きこまれる。
嫌だな、泣き顔を見られるのは。
「こんな細い肩に世界のすべてを背負おうなんて、思わなくていい」
冷たいはずの薄青色の瞳が、いつになく優しい。
いつもあんなに口数が少ないくせに、今日は一体どうしたの。どうしてこんなに私の心を軽くすることばっか、言ってくれるの。……なんか、変だよ。
そう思ったら笑えた。
「……ふふっ」
すると優しい薄青に、今度は困惑とほんの少しの照れが滲んだ。
「……なんだ」
「なーんか、意外だなーと思って!」
「なにがだ」
「最初に会ったころはさ、変なことしたら私のこと殺すとか言ってたくせにさ」
「……悪かったな」
「私もすっごい感じ悪いやつだなって思ってたよ。私の騎士になるってなったときも正直勘弁してよって感じだったし」
カランバノが無言で視線を反らす。さすがに言いすぎた、かな。
「だからさ、こんなこと言ってくれるなんてちょっと意外だなって」
一番嫌ってたはずのひとが、一番心地の良い言葉をくれるなんて。
それも一回だけじゃない。あの中庭で泣き叫んだ夜も。あのときは言えなかったけれど、今なら言える気がする。ていうか言わなくちゃいけない。
すっと軽く息を吸った。そして吐き出すのと同時に口を開いた。
「……………………ありがとね」
目が見開かれた。口も若干開き気味だ。今までに見たことのないぐらいの、驚愕の表情だ。
なんかそこまで驚かれるとこっちとしてもびっくりなんだけどな。私がありがとうって言うのって、そんなに驚かれるべきことなの? ていうか普段はそんなに言ってなかったっけ?
「……気にするな」
それだけ言って、肩に置かれていた手が離れていった。今まで感じていた温もりが消えて、快適なはずの海の温度が、下がったように思えた。
「……お前の、本当の名前を教えてほしい」
反らされた顔。その表情も口元も見ることは叶わない。けれど小さな声で、そうはっきりと聞こえた。
「流星としてではなく、ただのお前として、本当の名前でお前を呼びたい」
「本当の名前……」
私の、本当の名前。
変な感じだ。忘れていたわけじゃない。ちゃんと覚えている。だけど私は私に名前があることを忘れていた――そんな気がする。そこにちゃんと存在しているのに、その存在に気がついていなかった。
もうずっと一緒にいるのに、カランバノにさえ私は本当の名前を、流星以外の名を教えていなかった。
流星じゃない私の、名前は。
「環奈」
そうだ。私の本当の名前は。
「環奈。私の名前は――環奈だよ」
「……そうか。カンナというのか」
「うん、改めてよろしくね。カランバノ」
「ああ」
嬉しくなってまた笑みが零れた。私は環奈。ただの少女。それでいいんだ。
気が抜けると、溜まっていた疲労に気がついた。そういえば部屋に戻るつもりでここに寄り道して、ずいぶん長く話していたような気がする。そろそろ部屋で眠ろうかな。
「そろそろ行くよ。じゃあ、おやすみ!」
「……ああ」
カランバノとすれ違い、テラスから廊下へ戻ると扉に手を掛けた。
「………………、おやすみ、カンナ」
優しい小さな声が、確かに聞こえたんだ。




