情報源 その二
振り下ろした短剣はブスリと布団に吸い込まれた。
紅い鮮血が布団の表に華を咲かせる―かと思われた。
「?」
予想していた結果が得られず、疑問に思った影はバッと布団を捲り上げ、その中身を確認する。
排除対象だと思っていた膨らみは確かにその形容をしていた。
しかし、それは揺らめきと共に消失し、現れたのは単なる皮袋に砂を詰め込んだ偽物だった。
「こんな夜更けに非常識だな?」
「―!?」
ようやく影は嵌められた事に気が付く。
声の主は壁にもたれ掛かり、非難の言葉を口にする。
月光が徐々に顔へと差し掛かり、その人相が浮かび上がった。
雫が煌くような銀色の髪をし、紫水晶のように美しく輝く瞳の成人男性。
すれ違う女性が皆、振り返るような美貌の持ち主。
いつかの冒険者―マオである。
「ふむ、そろそろ良いか」
パチリと指を鳴らし、魔法を解除する。
すると周囲の風景は様変わりした。
そこはもう寮ではなく、学園から程近い南四番通り、別名学園通りである。
「―転移魔法!?」
初めて声を出し、驚きを顕わにする。
その声はまさしく女性でマオが聞いたこともある声であった。
「そんな訳がないだろう?」
マオはやれやれと首を振る。
「単に魔法でこの建物の幻影を作っただけだ。それだけだとすぐにばれるだろうと思って誘引の魔法も併用したがな。勿論転移魔法でも良かったのだがまだ製作段階なのだ」
「そんなまさか・・・」
幻影だとするならば今までいた場所は巨大で精巧すぎる。
触れれる幻影など彼女の知識には存在しなかった・
更にいえば、誘引の魔法は自分より格上のものには効かない。
いつ掛けられたかも、掛けられていた事さえ認識できなかった。
それはつまり目の前の男には敵わないことを雄弁に示していた。
「さて、なぜ布団に短剣を突き刺したのだろうか?」
マオの雰囲気がガラリと変わった。
周囲の空気が肌を刺激するようにピリピリとしている。
「答えろ」
「・・・」
詰問するマオの声は厳しい。
当然だろう、マオが気が付かなければユアンの身に危険が迫っていたのだ。
気が付かないはずはないのだが、可能性が少しでもあると見逃す場合を考えてしまうのは人の性であろう。
そういう部分ではマオもまた人の子なのである。
例え、怒りで漏れ出た魔力が目の前の女性を怯えさせるほどの濃密さを誇っていたとしても。
「なぁ、教師ビュール?」
ガチガチと歯を鳴らしながら怯えの表情を隠そうともしない女性の正体はユアンが懐き始めていたビュールであった。
「―確か、魔王直轄諜報工作部隊第八次席ユール・フルールと言った方が良かったか?私は記憶力が良いほうなのだ。同郷の者の名前は昔に全て覚えたのだよ。しかし、歳のせいか思い出すのに時間が掛かってしまっていかんな」
本来の名を呼んだ瞬間、ビュール―ユールの肩が震える。
そんな様子にマオは内心呆れの感情を抱く。
(諜報工作部隊がそんな反応をしてはいけないだろう・・・。俺が魔王だった頃より錬度が落ちたか?)
魔王直轄諜報工作部隊。
それは魔王が直接命令を下し、それを忠実に確実に成功させる部隊、いや成功させねばならない部隊だ。
その任務は幅広く、諜報から暗殺、煽動なども行う。
正体を明かす事は家族にも不可能で、失敗や正体がばれた場合、対象の排除、不可能であれば自害をしなければならない。
故に今の場合、相手の力量が自分より上だと分かっているはずなので知らぬ存ぜぬを通すのが吉だったはずだ。
今の反応ではそうですと答えているようなものなのだ。
マオは今度、魔人族の国に行った時、それとなく当代の魔王に助言をしようと決める。
元魔王としての経験が役に立つだろうから。
そんなことを考えていると、威圧が小さくなったのだろう。
彼女は平人の国だというのに人目も憚らず、内魔法を使い、空へと飛んで逃げる。
マオはため息を吐きながら、せっかくの情報源を逃がすまいと、展開していた魔法陣を発動させるのであった。
◇
必死に空を飛ぶユールは命令のことなど頭から抜け落ち、あの場から立ち去ることを最優先していた。
(いや・・・いや・・・死にたくない!!)
恐怖が背中を押し、更に早く早くと限界を超え魔法を行使する。
内魔力を限界以上に使うのは悪手である。
幾ら回復できるとはいえ、限界を超えると疲労感、倦怠感を覚え、最終的には死に至る。
しかし、今の彼女には内魔力を使い切るよりも恐ろしいものから逃げ出すので精一杯なのだ。
街の壁を越え、街道を飛び去り、体が重く感じ始め、ユールはようやく自分の体を気にし始める。
さすがにまずいと思ったユールは地に降り立ち、魔力の温存を図る。
遠くに逃げることをやめたわけではなく、歩きで更に街から遠くへと進む。
(こ、ここまで来れば・・・)
彼女が腰を下ろしたのは奇しくもマオが初めに金策をしたジギンの森であった。
木にもたれ掛かり、魔力の回復に専念する。
彼女がここを選んだ理由は単に障害物が多く、隠れる場所が無数にあるからだ。
更にいえば、魔力を消耗した状態でも難なく屠れる魔物しかいないことも選んだ理由になる。
(すぐに他の学園に入っている彼らに連絡を取らないと・・・)
平人に化け物が現れたと。
しかし、すぐに疑問が浮かび上がる。
(平人にあんな化け物が現れるのだろうか?平人にしては異常なほどの内魔力・・・。勇者と考えてもおかしい。しかし、魔人に特有の紅い瞳がない・・・。ひょっとして人類全種族の危機なのでは・・・?)
正常な思考が出来ず、頭を振り今は生き延びることだけを考える。
(少し休もう・・・)
寝れば少しは回復するだろうと考え、目を閉じたその瞬間。
突風が吹き荒れ、ユールの周囲の葉を巻き上げる。
突風によって視界が閉ざされ何事かと思い、目を開けるとそこにはあの化け物が不適に笑い、魔法で生み出したであろう椅子に腰掛け、机に肘を立ていた。
「・・・え?」
追いつけるはずがないとは思っていなかった。
唯、時間を稼げれば何とかなると甘く、浅はかな考えがこの結果を生んだのだろうか。
そこは先ほどと変わらない、学園通り―その場所であった。
ニワメ~




