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9 『夜』の戦い

  9






 ――さあ、お節介の時間だぜ?



 ● ● ●



「………………」


 戒は身体に衣の如き闇を纏い、手には闇を固めた剣を握り、視線の先にいる斉藤悠(傍迷惑な馬鹿)を見る。


 空気は既に張り詰めている。


 互いの内側にある常識外の『力』がわずかに外側へと放散され、狭い範囲ではあるが世界を軋ませている。


 この肌を刺す圧迫感は、かつての『遊戯(ゲーム)』ではなかったものだ。


 頭の螺子(ネジ)が外れた狂人(ザコ)ならば幾らでもいたが、戒の有する『能力』はそれらを寄せ付けはしなかった。


 むしろ、容赦をする理由も無かったので、理不尽なまでに一方的だっただろう。


 それがこんな殺気も無ければ、怒気さえも無いただ軽薄な笑みを浮かべて、この戦闘を普通に楽しんでいるようにしか見えない馬鹿が、初めての『敵』と認識するようになるとは思わなかった。


 ――いや、『敵』という意味でなら、もう一人いたか。



 この『遊戯(ゲーム)』で最初に遭遇し、そのまま殺し合った(・・・・・)能力者――『静謐なる刃(サイレント・エツジ)』。



 わずかに生じた苛立ちに眉根が寄る。


 きっかけというならば、その些細な表情の変化だろう。


 あるいはそこから漏れた感情の余波ともいうべきものが、きっかけを求めて静止していた状況を動かしていた。


「いくぜ、先輩?」


 ヘラヘラした笑みで糸のように細められて隠されていた瞳に、好戦的な色が加わる。


 放散されたのは威圧を伴った気配であり、それが瞬時に爆発的に拡がる。今の今まで抑えられていた『力』が解放されたのだ。


 そこから先は流れるような動作で、右手に持った自動拳銃らしき物の銃口を戒の心臓へと照準していた。


「――――っ!?」


 断言して、気を緩めていたわけではないが、戒は虚を突かれたようにわずかに硬直した。


 呼吸の合間。あるいは認識の隙間。


 ほんのわずかな隙を巧みに射抜いた悠が、まるで気負いの無い動作で引き金を引く


 その結果、生じたのは弾丸の発砲音ではなく、銃口の先に淡い燐光が収束し、野球ボール程度の大きさを形成するという不可思議な現象だった。


「バン!」


 おそらく、わざとらしく発した声に意味はなかったのだろうが、それと同時に光弾が発射される。


「――くっ!」


 銃弾よりも速く、瞬時に視界を埋め尽くした魔弾を、戒は紙一重で横飛びに回避する。


 彼の纏う『闇の衣』の特性であれば、わざわざ回避する必要はないはずなのだが、アレは危険だという本能の警鐘によるものだ。


 確かな理屈として理解しているわけではないが、『闇の衣』と悠の魔弾は鬩ぎ合いの成立するものであり、無条件で消せる(・・・・・・・)ようなものではない(・・・・・・・・・)


 無理矢理に植え付けられた(・・・・・・・)この『闇の衣(ちから)』。


 この世界の法則から外れている超常的な力を宿す『闇の衣』の詳細をほとんど理解していない戒だが、それがある意味では世羅が扱う『魔術』と呼ばれるものに近い性質なのだと直感的に悟っている。


 ならば、それはそれである種の法則で成り立っていると考えるのが自然だろう。


 決して無敵などではないし、悠は対抗する手段を持っているのだと確信していた。


「………………」


 わずかな熱量を擦過させた魔弾は、射線の先にある朽ちて傾いた一軒家に直撃した瞬間―― 光が膨れ上がり、腹に響く音とともに一軒家もろとも爆砕した。


 その一部始終を、戒は横目で確認した。


 射手(ガンナー)を相手にした上での振る舞いとしては完全な下策であり、追撃をされていれば回避は難しく、直撃を受ける可能性は少なくはなかっただろう。


 下手を打てばダメージを受けると認識しておきながら、それでもその愚行に踏み切ったのは相手の攻撃力を知っておく必要があったためだ。


 悠の戦力を正確に把握しておかなければ、戦術が成り立たない。


 先程までの茶番じみた小競り合いで些かの緩みが生じていた意識を、排除を前提とした戦闘用に立て直した戒は彼我の戦力差を計算する。


 生半可な手段では行動不能どころか、大したダメージさえ与えられないのは確かなので、最悪の場合は『消す』ことすら視野に入れた。


「今の俺だと、魔弾の威力もこのぐらいか」


 確かめるように呟いた悠が、ふわりと後方へと跳躍した。


 数メートル単位の距離を一回で稼ぎ、それを繰り返すことで距離を開いていく。


 悠が追撃をしなかったのは、言葉通りの意味で魔弾の威力の確認が目的であり、そんな見え見えの隙を突いても面白くないとでも思ったのだろう。


 ――奴はこの戦いを楽しんでいる。まるで遊びであるかのように。


 この現状をそのように受け止められる神経が戒には理解できないし、あまり愉快な気分にもならない。


「でも、まあ、今の先輩相手なら十分だな。

 あの学園にいる俺と同じだと思っているなら、その緩みを締め直した方がいいぜ? 簡単に終わったら詰まらないからな」


「………………抜かせっ」


 ぎりっと奥歯を噛み、剣の形に固めた闇を握る手に力を入れる。


 悠から受ける挑発への耐性の低さを自覚した。


 既に視線の先の悠の姿は遠い。


 このまま見失ってしまうと厄介なことになる。


 中・遠距離攻撃手段を持つ者が、近距離にいる理由などありはしない。


 距離を取って、一方的に射撃し続けるだけで戒はジリ貧になる。


 弾切れなどという至極全うな弱点があるかどうかも怪しい上に、そんな不手際を悠が晒すはずもない。


 あの学園では馬鹿な言動と行動がやたらと目に付くが、この『遊戯』の舞台に立った悠は水を得た魚のようだ。


 まるで、こちら側でこそ自らの性能を本領発揮できるといわんばかりに。


 事実として、何気ない素振りであっさりと戦闘の主導権を奪われている。


 中・遠距離攻撃手段を投擲ぐらいしか持たない戒にとって、勝機は近接戦闘にしかない。


 それを理解しておきながら、あっさりと距離を取られたのは不手際だが――


 最初からこちらに都合のいい展開になるとは微塵も思っていなかった。


 だからこそ、相手がどのように攻めてくるか、その手並みを拝見した。


 それは余裕ではなく――見て、判断して、理解した上で、格上相手への対抗策を練るためのものだ。


 幸い、戒の能力は防御に優れている。


 あの程度の(・・・・・)攻撃力ならば(・・・・・・)どうということもない(・・・・・・・・・・)


 時間にして約二秒を費やした思考を終え、戒は爆発的な瞬発力で地を蹴る。


「そぉら、どんどんいくぜぇっ!」


 虚空に舞い上がった悠が、無造作に向ける銃口に光が灯る。


「――――っ!」


 遅滞無く放たれる数多の魔弾を戒は最小動作で回避し、あるいは剣で斬り裂き、あるいは蹴り飛ばした瓦礫で相殺し、その狭間にある距離を埋めていく。


 放たれる魔弾を回避しながら、一歩が数メートルにも及ぶ移動を繰り返し、ジリジリと当初の目的地でもあった廃墟マンション郡へと近づきつつあったが――不意に視界が開けた。


 朽ち果てた集合住宅地に、不意の空白が生じた。


 そこは一面が瓦礫の山。


 爆撃された戦場を思わせる破壊の痕跡は、街の中にクレーターを生んでいた。跡形も無く粉砕された全てが、瓦礫として積み上げられている。


 何が起こったのかはわからない。


 だが、ここで多くの人間がその生命を散らしたのを疑う余地は無い。


 爆心地とでも評すべきこの場所は、死を祀る墓標だった。


 その静寂なる鎮魂を冒涜するように、雨のように降り注ぐ数多の魔弾が新たな破壊の嵐を巻き起こす。


 弾ける爆音。


 黒煙と得体の知れぬ火柱が噴き上がり、飛散する土砂と瓦礫は戒の移動を阻害する。


 最高速度に達すれば、一気に間合いを詰められる程度の距離しか開いていないにも拘らず、一向に距離が詰められないのは戒の思惑が見事に外されているからに他ならない。


「ぐっ!」


 見上げた上空――遥かな高みから銃口を向ける悠。


 引き金の引かれる音。


 新たに虚空に装填された魔弾は五発。


 微妙な時間差を置いての精密射撃として放たれる。


 踏み込んだ戒はバク転の要領で、足元の土砂と瓦礫を蹴り上げる。全身の力を使ったその蹴り上げは身体強化の効果と足先に闇を拡げておいたことで、ある種の波頭のように一帯を掬い上げていた。


 土砂と瓦礫は防壁となり、魔弾を受け止める。あの攻撃力からするに容易に突破される程度の防壁に過ぎないが、あの魔弾は何かに接触した瞬間に破裂するタイプのようなので、こうした迎撃が効果を発揮する。


 鈍い爆発音とともに、放たれた魔弾が破裂する。


 それは瓦礫と土砂を吹き散らし、即座に視界をクリアにした。


「上手いね」


 褒め言葉を口にしながら、悠は連射を続ける。


 迎撃と回避に時間を取られている間に、悠は軽々と曲芸のような跳躍を繰り返して距離を開いていく。


「いい加減に見慣れてきたぞ」


 追いかけながらの呟きに――


「まだ百秒も経ってないんだけどねぇ……」


 奇跡的に形を留めている家屋の屋根に立った悠が笑う。


「だったら、少し趣向を変えようか」


 遠目にも悠が銃口をこちらに向けたのがわかった。


 引き金が引かれ、銃口の先端に再び淡い燐光が収束し、魔弾が装填される。


 今度はこれまでよりも大きく、バスケットボールぐらいのサイズがあった。それは即座に放たれたが、いきなり四つに分割した。


 サイズは四等分されたが、それぞれが弧を描きながら四方向から迫ってくる。それぞれの着弾のタイミングがズラされているのが地味に嫌らしい。


 地に足が着いた瞬間に、即座に真横に飛ぶ。


 一発目が直前まで戒のいた空間を抜けていき、瓦礫の山に直撃する。先程と比べても遜色ない爆発が生じ、爆風で舞い上がった粉塵が薄い膜となり視界を遮る。


 その粉塵を抜けて、右手側から一発。少しタイミングを外して左手側からもう一発。それも上下から光弾が迫る。ある程度の追尾性がある――というよりも、射手の意思で誘導が出来ると思わせる軌道を描いていた。


「――ふっ!」


 剣を振るい、まずは右手側から迫った一発を迎撃する。


 切り下ろしの一閃は光弾を両断する――あるいはその瞬間に爆発する可能性もあったが、二つに分かたれた魔弾は左右へと散り、地面に着弾すると至極些細な音とともに消失した。


 どうやら、形が崩れると当初の攻撃力は維持が出来ないようだ。


 そのまま続いて、剣を振った動作をそのままに体を捻りながら、左の下側から迫る魔弾の軌跡に剣先を割り込ませる。


 些か無理のある挙動だったが、それでも魔弾の割断も成功した。


 だが、体勢の崩れたその瞬間を狙って、最後の魔弾が真正面から迫る。


 肉体による反応では間に合わないタイミングだったが、それならばそれ以外のものを使えばいいだけの話だ。


 今の今までは回避に念頭を置いてきたが、不規則に蠢く『闇の衣』に空間を侵食させるように膨張させながら前面へと展開する。


 暗い――昏い闇に触れた魔弾は、飲み込まれるように闇に喰われていく。

確かに存在していた何らかの『力』が、闇に飲まれると無へと還元されていく。


「へぇ……」


「…………。」


 体勢を整えながら、左手を振る。


 眼前に膨張していた闇が、衣の一部へと戻る。


 この膨張や伸縮は最大で半径二メートルまで可能であるし、闇の濃度を集中させることで消失速度も向上させられる。


 それでも魔弾を消失させるのに二秒を要している。


 普通に纏っているだけでもただの銃弾を一瞬で消失させられることを鑑みれば、やはり生半可ではない。


「やっぱり、それは『闇の衣』なんだな」


 途中で折れ曲がった信号の上に立つ悠が言ってくる。


「術者を中心とした全方位自動防御機構を備えた闇属性の高位魔宝具。何百年も前に行方不明になった曰く満載の代物を、こんなところで目の当たりにするとはね。先輩がどの程度の術者なのかはさておき、ちょっとばかし今の俺には相性が悪い物だなぁ……。さて、どうしたものかね?」


 限りなく本物に近い偽物(フエイク)の拳銃で側頭部をコツコツと叩いている。


 お喋りに付き合うつもりのない戒は、距離を詰めるべく即座に疾走を開始。


「やっぱり、素直に物理攻撃に徹するべきかな」


 最低でも中距離を維持しようとしている様子の悠だが、さりとてそれに拘泥しているわけでもなく。


 迫る戒をギリギリまで引きつけ、わずかな挙動で退くと見せかけていた悠もまた踏み込んでいた。


 速度はそれほどではないが、ゆらりと幻惑するように左右に身体を振ってからの踏み込みは、まさに虚を突く修正不可能なタイミング。


 攻撃のタイミングをわずかにズラされた戒は、剣を振り上げかけた中途半端な状態で、鳩尾に爪先を捻じ込まれた。


 一点集中の一撃はなまじ常人離れした速度域に突入しているために、衝突の威力さえも倍化させる。


 勢いをそのまま跳ね返される形で弾き飛ばされた戒は、進路上に存在した電柱を砕いて、民家の壁をも粉砕して、家屋の中へと飛び込んでようやく運動エネルギーを消費しつくした。


「実力の拮抗した相手との戦いには慣れていないのかな?」


 暗闇に隠された粉塵立ち込める民家に向かって、悠は銃の引き金を引く。


 虚空に装填された数多の魔弾を次から次へと絶え間なく放つ。


 連続して弾ける爆音。


 十、二十、三十と続いてまだ終わらない。


 殺すつもりがあるのかないのか不明なままではあるが、明らかな過剰攻撃を加えていく。


 しかし、その鋭さを隠した視線は前を見ておらずに、横を見ていた。


 生じた爆煙を突き破って、その視線の先から戒が現れる。


 あれだけの一撃を受けておきながら一瞬の停滞もなく、即座に障害物を切り払って迂回をしていたのだ。


 気配でそれを察知していた悠は口元を緩め、虚空に装填したままだった数発の魔弾を即座に撃ち――


 戒は剣でそれらを迎撃する。


 爆光を背に負いながら、剣の間合いへと踏み込んでいく。


「――はっ!」


 肉薄した戒が袈裟斬りに振り下ろした剣の一閃を、悠は身体を真横にズラして回避する。


「この距離はちょっと面白くないな」


 そのまま背中を見せるように身体を捻りながら銃口を向けてきたので、無手を固めた拳で銃身を殴り飛ばそうとするが、悠は拳の軌道から拳銃を無理に外すとそのまま引き金を引いた。


 即座に形成された魔弾が、足元に撃ち出される。


 諸共に巻き込む自爆に近い形で放たれた魔弾だが、身体強化をしている戒ならば、爆発に至るまでの一瞬で効果圏外まで逃げるのは容易だ。そもそもただの爆発であるならば、『闇の衣』を突破することは出来ない。


 ダメージを受けないという意味では悠も同じだろう。


 そうでなければ、こんな真似はしない。


 これは仕切り直しのための一手に他ならず、だからこそ、このまま相手の意図に乗るつもりは戒になかった。


 そもそも仕切り直す必要が、悠にあるとも思えない。


 先程の殴り合いで近接戦闘能力もバカにできないのを証明しているだけでなく、技術面においては明らかに戒よりも上だった。膂力は戒が上だが、当たらない馬鹿力など無意味でしかないのであれば、悠が取りうる選択肢の幅は戒の比ではない。


 嵐の中で舞う木の葉を追いかける滑稽ささながらに、悠の挙動に翻弄されてしまっているのを戒は自覚していた。


 ならば、何故――などという疑問に意味はないだろう。


 いや、悠との邂逅から今に至るまでの流れを振り返れば、導き出される不愉快な解答が一つあるにはあるが、それを追求する意味こそない。


 そもそも馬鹿の思惑など知ったことではないのだが、その馬鹿に梃子摺っているのが現状だ。


 悠は馬鹿に違いないのだろうが、こと戦闘思考に於ける瞬発力はズバ抜けている。


 圧倒的に経験値に開きがある。


 だからこそ、正攻法ではない妙手で悠の計算を少しでも狂わせなければ、遠からず追い詰められるのは火を見るよりも明らかだった。


 故に――

 明らかに選択する余地のない愚行にこそ、戒は己が身を委ねた。


「おぉ――っ!」


 身体の向きを変えずに後方へと跳躍していた悠を追うように前へ飛び、その胸倉を掴み上げてから腕力任せに身体の位置を入れ替え、即席の盾としつつ押し出す。


「おぉいっ! マジかよ!?」


 コンマの差で魔弾が地面に着弾し、即座に起こった――想定よりも遥かに大きく膨れ上がった爆発に覆い被せるように悠を突き飛ばす。


「うおおっ! 熱っ!」


 爆発と生じた熱量は悠を盾としたことで受ける被害は最小限となり、『闇の衣』の効果圏を突破することはなかったが、衝撃まではどうにもならず諸共に吹き飛ばされた。


 着地が無様になったために、態勢を整える必要があったので追撃は断念せざるを得なかった。


「なかなか乱暴な先輩だな。ちょっと驚いた」


 あちこちが焦げている悠だが、火傷などの傷が生じたであろう箇所から蒸気のようなものを発している。相当の威力を無防備に受けたはずなのに、やはり受けた被害は大したものではなかった。


先輩(・・)じゃないと何度言わせる」


「言うほど反論したこともないじゃないか」


 パンパンと服に付いた汚れを軽く払ってから、悠は人差し指を立てる。


「ところで本格的に戦い始めて凡そ五分が過ぎたわけだけど………」


「…………。」


 無駄なお喋りを無視して、じりっと摺り足で前に出る戒。


「二百三十六………この数字が何を意味するかわかるかな?」


 さらに踏み込んでいくよりも先に、悠が大きく後ろに跳躍する。


 三階建ての一軒家の屋根の上に降り立った悠は、無造作に下げた右手に握る拳銃の引き金を引いた。


 戒を狙ってさえもいないのだが、魔弾を生成するのに必要な手順は、実質的にそれだけなのだろう。


 あるいは、それさえもデモンストレーションなのかも知れないが。


「――っ!」


 一瞬、夜が昼に変じたのかと思う現象が生まれていた。


 戒は想定を上回る光景に反射的に足を止めてしまい、目を見開いていた。


 淡い燐光を放つ魔弾――それが悠の周囲、背後の空間を埋め尽くしていた。後光が差すかのように生まれ出でた光は、一帯の空間をその色で染め上げていた。


 十や二十ではない。軽く百を超える数だ。


「最初の一発を撃ってから、今に至るまでに撃った魔弾の数だよ。いくつかは先輩に迎撃されたりしたわけだけど、ただ単純に避けられた魔弾がどうなったのかは考えたりはしなかったのかい?」


「まさか……っ」


「何かに当たるまで放置するのは勿体ないし、無駄な被害が生じる。一定時間が経過すると自然消滅するように出来ないわけでもないが、それも魔力消費が増えるだけだから勿体ない。今の世の中はエコで再利用が尊ばれているわけだから、俺も最近の流行に肖ってみたのさ。つ・ま・り、先輩には見えないように迷彩を施して、上空に待機させていたんだよ。こっそりと追加しながらね」


 しかも、それに留まらない。


 時間の経過とともに魔弾は続々と数を増し、いまや頭上を覆わんばかりだ。


「単純ではあるけれど、『闇の衣』の攻略法の一つとしては有効なんだよね。大抵の場合において通じる真理だが、数は力だ」


「……ちっ」


 これでは動くに動けない。


 空から降り注ぐ豪雨を一滴も浴びずに避けられる者がいないように、完全に逃げ場を潰されている。


「俺の魔弾が簡単に消せないのはもうわかってるんだろ? 逃げ損ねたら処理落ちして蜂の巣だぜ、せ・ん・ぱ・い♪」


 悠の高みからの宣言に、この戦いが始まる前から胸中の何処かで燻っていた苛立ちが刺激されるのを自覚する。


 しかし、戒はその苛立ちを吐息とともに吐き出し、肩の力を抜いた。


 いっそ無防備とさえ言えるほどに。


「まさか、それほどの〝牙〟を隠し持っていたとはな」


「おや? 降参かい?」


「いいや、少し興が乗った……とでも言っておくか。お前のその軽薄な笑みを消してやりたくなった」


「それはそれは」


 余裕に満ちた笑みで見下ろす悠を、戒は鋭い眼差しで見上げる。


 油断や慢心ではないが、斉藤悠という男を侮っていたという事実を認める。


 その上で打倒するために頭を回転させていた。


 既に窮地だからこそ、ほぼ開き直りも同然に。


 敵の攻撃をいくらか無効化できる『闇の衣(チカラ)』があったところであの数を受けきれないのは自明であり、こちらが攻撃を当てられない限り、最終的には追い詰められる。


 要するに、甚だ分の悪い真っ向勝負に身を投じるのが、唯一にして最善だった。


 ため息を吐きたくなる――というか、無意識に漏らしながらも、あるいは最善な降参という選択肢は選ばない。


 珍しく好戦的な気分に心を委ねながら、戒は背を向けて歩き出す。


「おいおい、なにやってんだよ、先輩? 自分からそんなに距離を開いていいのかよ」


「お前が気にすることではないだろう」


「そりゃそうだけど……」


 どうしたものかと戸惑いを表に出しながら頭をポリポリ掻く悠の呟きを無視して、戒はそのまま彼我の距離に二百メートルほどの間を置いた。


 路上に放置された普通車の前に立った戒は、そのフロント部分を拳で軽く叩く。


「頃合か」


「よくわからんが、始めていいのかね?」


「律義に待ってもらう必要はなかったがな」


「先輩が奇行に走れば、興味が沸くのも仕方がないでしょーよ」


「奇行とは心外だな」


「――ともあれ、それじゃあ始めようか。それなりに期待してもいいのかね」


 銃を持った右手を軽く掲げる悠。


 虚空を埋め尽くす数百に及ぶ魔弾が、威嚇するかのように輝きを増していく。


「さぁな」


 普通車を正面に、戒は右足を軽く後ろに引いた。


「恥ずかしながら〝流星雨(シユーテイングスター)〟なんて、技名まで付けてたりするんだぜ」


「本当に恥ずかしい奴だな」


「うっは、傷つくなぁ……」


 どちらかというならば、うれしげに呟いた悠がこちらに銃口を向ける。


 夥しい数の魔弾が動き出す。


 数多の星が降るように。


 動き出すまでのコンマ以下の刹那、輝きが視界を埋め尽くすその光景を――――戒は綺麗だと思いながら見つめた。


 それはあるいは自らを滅ぼす光の輝きであり、そう思えてしまったからこそ尚更に。


「………………。」


 ある衝動が胸中に湧き、それを失笑とともに振り払った。


 手加減はなく、この瞬間に全力を出す。


 振り上げた右足を躊躇なく、自動車に叩き込む。


 一蹴による轟音が炸裂し、サッカーボールも同然に蹴り飛ばされた自動車が途轍もない勢いで撃ち出される。


 傍からは冗談じみた光景であったのかもしれないが、それは戒にとっては当然の結果であり、悠もまたその程度で驚きを露わにしたりはしない。


 自動車は迫る魔弾と正面から衝突し、盾にもならずに砕かれていく。


 しかし、二日目になると同時に安全装置の解除された『(トラツプ)』が仕込まれていたのだろう。ガソリンに引火しただけというには、明らかに規模が異なる大爆発が生じていた。


 ゴォォと悲鳴じみた凄まじい暴風が、大量の粉塵を巻き上げて視覚化される。


 戒の予想通りに。


 その爆発は数多の魔弾を飲み込み、さらなる誘爆を招き、一帯を染め上げる大輪の花を咲かせた。


「――――――っ!?」


 それは射手(ガンナー)である悠の目でさえも――あるいは、だからこそ――眩ませるに足るだけの莫大なオレンジ色の閃光を生んだ。


「では、行こうか」


 気負いのない呟きとともに、戒は一歩を踏み出し、二歩目を踏み込み、三歩目で弾丸のように自らの身体を最大加速させて射出する。


「――――――オォッ!!」


 必要としたのは助走距離と最高速に達するまでのわずかな時間。

口から吐き出した音さえも置き去りにした加速は、戒を過去最高の速度域へと飛び込ませていた。


「………やっぱり、先輩は前に出てくるんだねぇ……」


 目が眩んだのは一瞬。


 即座に視界をクリアにし、戒を捕捉した悠は苦笑交じりに漏らす。


「確かに一点突破で射手(オレ)を狙うのが正しい選択ではあるんだけど、圧倒的に不利な状況でも迷わずに選べるのは少し危ういなぁ……」


 虚空に装填していた魔弾の半分を一気に削られてしまったが、さして痛手というわけでもない。


 さらなる速度域へと加速する戒は、自らに迫る魔弾を剣で迎撃する。


 悠は軽薄にヘラリと笑い、銃口を向ける。


 交錯する両者の視線。


 絶え間の失せた爆音の嵐が、狂宴の始まりを告げる。



 ● ● ●



 そこから先は、遠目に見ている世羅でさえも呆れるほどの一方的な有様だった。


 消費するよりも速く、虚空に装填されていく魔弾を撃ち続ける悠。


 それを斬り飛ばし、回避し、闇に飲ませながら前進する戒。


 攻撃し続けながら後退する権利を持つ悠。


 敵の攻撃を無効化しながらも、愚直な前進を続けるしか打開策のない戒。


 消耗戦の様相を呈してはいるが、傍目にどちらが有利であるかなどは考えるまでもない。


 ――などと、悠長に考察を述べていられる状況ではなくなっている。


 流れ弾による二次被害の規模が大き過ぎて、ろくに観戦もできやしない。


 絶え間ない爆発は、爆心地のクレーターをさらに拡大しつつあったし、何よりも爆音が耳障りで仕方がない。


 ただの殴り合いでさえ、余波で破壊の嵐が渦巻いたというのに、そこに『魔術』を交えた本格的な戦闘となると被害規模の桁が跳ね上がっている。


 当人たちにその気がなくても近くにいれば、それだけで死神の鎌が掠めていく。


 結果、必要以上に距離を取っての観戦となり、世羅には詳細な情報が見て取れない。


 視力強化を施していても、夥しい粉塵の帳が視界を妨げる。


「……凄まじいわね」


 住宅地の一角にある五階建てのマンションの屋上で、ラスクと肩を並べている世羅は呆れ混じりに呟いた。


 どこの戦場を再現しているのかと誰にともなく問いかけたい気分だ。


「ふむ。大仰な宣言をしておいてなんだが、まだまだ手緩いな。この程度では到底観客を満足させるには足りない」


 完全に観察者の態度でいるラスクは、顎に手を沿えた『考える人』っぽいポーズである。


 何を基準にしているのか知らないが、傍観者(セラ)としては十分以上に派手であり――どちらかというと派手好きの彼女にしては珍しく――もう少し控えめにしろと声を大にしてやりたいぐらいだった。


 しかし、そんな風に思っているのは世羅だけであり、ラスクにとっては物足りない程度であるらしい。


 世の中は広かった。


「当の本人ばかりが楽しく遊んでいるレベルでは、些か困るな」


 ラスクは大して困っている風でもない呟きを漏らしながら、魔弾の迎撃をしながら前進を続ける戒から、常に一定の距離を保つようにしながら魔弾の形成を続けている悠へと視線を移動させる。


 その顔からは軽薄そうな笑みが消え、子供のように無邪気な笑みへと変じている。


 楽しそうに。嬉しそうに。懐かしそうに。感謝するように。


 ――何かを、惜しむように。


「………………」


 爆煙の中に潜っていく悠の複雑に絡んだ感情を内包した笑みを、世羅は不思議に思った。


「斉藤悠」


 良い意味でも悪い意味でも、あの学園において有名なその名を呟く。


 そして、その名前よりも別の二つ名で呼ばれる機会が圧倒的に多い少年。


「ところで、敢えて今さら聞く必要もないような気もするけど、あっちでピョンピョンバッタみたく跳ね回ってる〝お馬鹿(バカ)さん〟とは知り合いなの?」


 曰く――斉藤悠は馬鹿(バカ)である。


 何故か、彼を知る者は口を揃えてそのように評している。


 少なくても、これまでの彼を見た限りでは、そこまで奇抜で突飛な真似はしていない。意思の疎通も可能だったし、言動もマトモな部類ではあった。


 あのクラスに(・・・・・・)おいて(・・・)あの伝説の男を(・・・・・・・)差し置いてまで(・・・・・・・)『馬鹿』と呼ばれる理由が見当たらないのだ。


 遠巻きに些細なトラブルを悪化させているのを目撃したりした。


 噂でいくつもの逸話を耳にしたりもしているが、世羅の主観では(・・・・・・・)知っている噂の内容もそうそう素っ頓狂なものではなかったと記憶している。


 向こうは世羅を認識しているようだったが、直接的な接点は今までなかったので、それぐらいしか彼を知らない。


 今の今まで全く興味がなかったので判断材料が乏しいのだが、それでも悠が『普通ではない』のはわかる。


 この場に居合わせたからこそ理解に至る。


 しれっとした軽薄笑顔で『表』に順応しているようだが、同時に『裏』側に属しているのは間違いない。


 見れば見るほどに、知れば知るほどに、斉藤悠の内包していた異質感が浮き彫りとなっていくのに――矛盾した表現になるが――それでもなお、それまで見えていた『表』の部分が揺らいでいない。


 陽だまりの世界に馴染んでいるのだ。看破が出来ないほどに。


 魔術師である世羅よりもよっぽど深く『裏』側に生きていながら、世羅よりも『表』に馴染んでいるというのは、どう考えても異常の部類だろう。


「………………」


 ――自分でも思考の整理できなくなっているのは自覚している。


 だから、結論だけを述べるならば――


 違和感がないのだ。


 表の住人としても。裏の住人だとしても。


 違和感を得られないのだ。


 あぁ、そうなんだと疑問さえ抱かずに簡単に納得してしまう。


 そんなおかしな人物像(キヤラクター)の持ち主だった。


 つまるところ、馬鹿呼ばわりと繋がりにくいのだ。


 ――そんな瞬間の思考を経た世羅は、微かな笑い声を聞いた。


「……ふっ。中々に的を射抜いた表現だ。端的にアレを表している。とてもわかりやすい」


 それはラスクの思わず漏れたという風な失笑だった。


「あぁ、確かに度し難いまでに愚かな男だよ。実に愚かで、疑いようもなくバカで馬鹿な男だ。見たとおりの印象がいつまでも覆らない稀有な事例と言えよう」


 凄い言われ様だった。大事なことなので二回ケナしましたみたいな感じの舌鋒は、今後取り入れたいと思うぐらいの切れ味がある。


 なのに、その内容とは裏腹に、その表情を彩るのは親愛だ。


「馬鹿っぽい見た目ではないと思うわよ? 軽そうではあるけれど」


「いずれわかるさ」


 悪戯っぽい――というか些か意地の悪そうな笑みを浮かべて断言するラスク。

いつか、そう遠くない内に自分の発言を後悔しそうな予感を覚えてしまう世羅だった。


斉藤悠(カレ)は何者なの?」


 気を取り直して、ラスクに問いかける。


「ふむ」


 ラスクは少し考えるような素振りを見せた。


「君の質問に答える前に、いくつか前置きをしておこう」


「前置き?」


「私は本来であれば、この『遊戯(ゲーム)』に関わりのない身でね。あまり干渉するのが好ましくない立場なのだよ。それを踏まえた上で、君に接触しているこの現状もあまりよろしくない。こうして会話をしている時点で、歪み(・・)に更なる影響を与えかねないのだ」


「………………じゃあ、どうしてあたしに接触してきたのよ?」


「単純に好奇心だが」


「ダメじゃん」


 そもそもの大前提を余裕で踏み躙る発言だった。


 ついでに、微妙に共感してしまいそうにもなった。


「差しさわりのない会話をするくらいなら、あまり大勢に影響は無いのだよ。もっとも、私に課せられた制限が重くなってはしまうのだがね」


「なおさらダメじゃん」


「だから、君の質問にもあまり答えられないのだよ。まあ、あの馬鹿者の個人情報程度ならいくらでも流すがね」


「それはいいんだ?」


「あぁ、彼に関してはいいんだ(・・・・・・・・・・)


 ラスクは不思議な音色で、その言葉を紡いだ。


 心の底からどうでもいいようでありながら、本人でさえ気づいていないどこかに気遣うような、悔やむような響きが含まれているような――そんな曖昧な心中を吐露するように。


「どうして?」


「さぁ、何故だと思う?」


「嫌がらせ」


「当たらずとも遠からずといったところだね」


 楽しげにラスクは笑い声を漏らし、


「とにもかくにも、私個人としては彼らの戦いも観戦したいからね。君の質問には片手間ぐらいでしか答えないと思ってくれ。ついでに、質問の数も三つと限定しよう」


「なんか、微妙に試されているような気がするわ」


 今の世羅にはその程度の価値しかなく、何を質問するかで評価を改めると言われているような気分だ。


 ニュアンスとしては、試験に近い。


「そう思うのなら、私を唸らせるような核心を突く問いをしてみるといい」


 にやりと意地の悪そうな感じで、唇の両端を持ち上げられる。


 少しカチンときたので、世羅は素直に挑発に乗ることにした。


「でも、まあ、最初の一つは、あなたが言うところの馬鹿者について聞かせてもらおうかしらね」


「敢えて、それを選んだ理由を聞いてもいいかな」


「わざとあたしたち――もしくは戒に接触して、ケンカを吹っかけてきた意図がわからないけれど、そこにある思惑はあたしたちが知るべきかもって思ったのよ」


「なるほど。前もって言っておくが、あの馬鹿者の思惑なんか知らんよ。後で聞くつもりではあるがね」


「だから、あなたが抱く人物像から性格を読んでみるのよ。そういうのは得意なの」


「人付き合いが得意そうには見えんがねぇ……」


「魔術師って職業柄、一般人に深入りするのはよろしくないでしょ。社交辞令は弁えているし、深入りさせない上っ面の付き合いにはちゃんと馴染んでるわ」


「ふむ。最近の流行で言うところの〝ぼっち〟か」


 妙に心にサクッと刺さる一言だった。


「ぼっち、違う。ちゃんと友だちもいるし」


「何人いるのかな? おねーさんに教えてごらん」


「黙秘権を行使するわ………って、あたしの交友関係なんてどーでもいいのよ。ほら、早く教えてよ」


 横目でちらりと見上げてきたラスクが目を細める。


 観戦の片手間に過ぎなかった雑談への比重が、少し傾きを見せたように。


「一応は人間。今は夜の国の住人。騎士階級。あえて分類するならば、魔術師の端くれでもある――としておくかな。魔術という概念の捉え方にもよるのだが、ある種の固定術式を自身の内側で編み上げる君のようなタイプとは異なるね。彼は単純に己の魔力を、弾丸の形にして放出するしか能がない一芸のみの魔術師だ。君の目線から見れば、三流もいいところだ」


 そう言って、ラスクはふと考えるような間を置いた。


「………ふむ。もう少し正確に言うと、彼は魔術師でもある(・・・・・・・)というのが正解かな」


 数秒程度の思考を経て、世羅にはわからない些細な間違いを訂正する。


「?」


「結論だけを言うと、彼は――『斉藤悠』でしかなくて、それ以外の『肩書き』は、本人にとって余計な添え物に過ぎない。誰でも(ナマエの)なかった少年は、その『宝物(ナマエ)』をお姫様から贈られた時にそう在り続けると決めたから、それ以外の余分な肩書きには大した価値を見出してはいないのさ」


「? ? ?」


 よくわからない言い回しに、頭上に浮かぶ疑問符が増えていく。


「詳しくは当人の口から聞くといい。機嫌がよければ話してくれるだろう。

 さておき、前言したように彼に使える魔術は『魔弾』だけではあるが、彼に流れ込む(・・・・)魔力量が並外れているのに加えて、単純だからこそ汎用性が高い。アレ(・・)はもう『魔法(ジンガイ)』の領域だよ。単純な撃ち合いで対抗できる者は『夜の国』においてもそう多くはいない」


「は?」


 さらりと提示されたその言葉の意味に、思わず息を呑む。


 それはつまり、人智の超越者と対等に渡り合える人間であることを意味する。


 魔法と魔術の違いなど、魔法が劣化すると魔術になる――と端的に一言で述べてしまえる。


 そも魔法を編み出したのは、人間ではない。


 要するに人外の存在が編み出した術なのであって、それを人間でも扱えるように劣化させたものが魔術なのである。


 本質的には同じ性質を持っているのだとしても、人間では魔法には(・・・・・・・・)至らない(・・・・)


 至ってしまった存在は(・・・・・・・・・・)最早人間ではない(・・・・・・・・)


 要するに、悠は魔術師の悲願に至った『超越者(マホウツカイ)』であるらしいのだ。


「なんてゆーか、ありがたみのない話ね」


 視線の先で撃ちまくられている魔弾。


 たかだかその程度の――魔術とさえいうのもおこがましいレベルの稚拙さが、至高に至りし者の『魔法』なのだと説かれても納得いかないのが本音だ。


 質より量の話なのだろうかと勘繰ってしまいそうになる。


「身も蓋もないことをすっぱりと言うお嬢さんだ」


 楽しそうに肩を揺らすラスク。


「聞いといてなんだけど、そんなにペラペラ喋っていいの? ある意味個人情報をばら撒くよりもタチの悪い情報漏洩じゃないの?」


「タネが割れても意味がない類のモノだからね。当の本人も聞かれたなら簡単に口にするだろうさ」


 知られても意味がない。確かにそうだろう。


 単純であるが故に穴がない――アレはそういう類のものだ。


「率直に言わせてもらうと、反則みたいな話ね」


「反則そのものと言ってもいいぐらいだよ。望んでそうなったわけでもないし、強いて言うならば当人の意思を完全に無視した『事故』のようなものでもあったわけだが…………おっと。この部分は聞かなかったことにして欲しい」


 うっかり口を滑らせたという風にラスクは口を噤み、やがてそんな頼みを口にした。


「――了解」


 聞かせるのが目的という裏読みがないでもなかったが――どう解釈しても深読みのしようがなかったので――さっきの失言は本気のうっかりなのだろうと判断して、世羅はうなずく。


「痛み入る。

 さて、結論を述べさせてもらうならば、彼――『斉藤悠』は見たままの男だよ。愚か過ぎるほどに愚かな選択を迷わずに選んでしまえるような………ただの人間だよ(・・・・・・・)


「ただの……人間ねぇ」


 ラスクのどこか畏れを含んだ呟きを、世羅もまた口の中で繰り返す。


「だが、そんな人間(おとこ)だからこそ、今の歪んだ世界を変える資格を得られるのだよ。

 ――アレはアレで、アレ(・・)とは異なる変革を促す者だ」


「いや、あれあれ言われてもわかんないんだけど………実は適当に思わせぶりなこと言いたいだけじゃないでしょーね?」


 質問の意図を微妙にすりかえられたような気がして、話題の軌道修正をしようとする世羅だが、それよりも先にラスクは続けた。


 それ以上を自分から語るつもりはないというように。


「好きに解釈すればいいさ。最初の段階では掴み難いが、そのうち君にも見えてくる。その時を楽しみにしておくといいだろう」


「はぐらかされたような気もするけれど、少しは気にかけてみるわ」


 悠に多少の興味は得た。


 学園でのヒマ潰しに少し観察するのもいいかも知れないと思う程度には。


「深入りはお勧めしないと忠告をしておくがね」


「わかってるわよ」


 今の時点では、そこまでするつもりは世羅にもない。


 しばし沈黙が場を満たし、勢いを増す爆音だけが通り過ぎていく。


 一つ目の質問に対する答えの時間は終了したようなので、世羅は二つ目の質問を口にした。


「これは些細な疑問なんだけど、『大気魔力(マナ)』が濃くなってない?」


 世羅は軽く腕を一振りする。


 その軌跡に寄り添うように桜色の燐光が灯る。


 周囲に漂う大気魔力に『色』をつけたのだが、そうしようとする意思のみでそれが叶う。


 戒には問うても意味のない疑問。


 これは魔術師や、何らかの形で『魔力』を扱う者にしかわからない感覚。


 戒が気づいているのかどうかはわからないが、大気を漂う微量な魔力が――普段ならば気にも止まらない程度の微々たる魔力が――時間の経過とともにその密度を増しているのだ。


 意識して『大気魔力(マナ)』を吸い(とり)込めば、自分の『魔力』を使わなくても、簡単な『魔術』行使が可能なレベルにまで現時点で達している。


 それは己の中で生成しなければいけない『世界を歪める力(マリヨク)』を、世界から無利子で借りられるという意味でもある。


 表現的にはやや矛盾をしているけど。


 常ならば微々たるもの。在っても無きの如し。


 しかし、今は意識せずとも感じられる。


 その差は歴然であり、それがどれだけの異常であるかは考えるまでもない。


「ああ。なっているね」


 ラスクの返答はあっさりとしたものだった。


「なぜ?」


「――さあ。理由は私にもわからないが、これは副産物(・・・)のようなものだよ。それ自体には何の意味もない。深く考える必要もない。そのまま受け入れ活用すればいい」


「副産物って、それは何の?」


「ふむ」


 間を挟むような呟きを口にして、ラスクは懐中時計もどきの盤面に視線を落とし、わずかに目を細めた。


「さてね。それは私が告げるべきではないし、君もある程度のヒントは得ているはずだよ。自分で答えを見出すか、正しい人物から聞くかしたまえ」


「…………。」


 よくわからないことを言われて、世羅は首を傾げたが、ラスクはその問いに関してはそれ以上何も言うつもりがないらしく、それっきり口を閉ざした。


 あまり好ましく思われるような質問ではなかったようだ。


「それじゃあ、最後の質問だけど……」


 小さく息を吸い、ゆっくりと言葉を続ける。


「この『遊戯(ゲーム)』は、あなたたちにとって(・・・・・・・・・)なんなの(・・・・)?」


「ふむ。」


 呟きを漏らすまでの間は短く、ラスクは腕を組んでから、世羅へと向き直った。


 質問に対する答えは、観戦の片手間でするようなものではないと態度で示すように。


「及第点はもらえたのかしら?」


「お望みとあらば、花丸も付けようか? この『遊戯(ゲーム)』そのものではなく、我々の視点でどのように捉えているかを聞いてくるとは思っていなかった。なかなかに面白い着眼点と言うべきか。捻くれているねと言うべきか。少しばかり困るところだよ」


「同じようなものだと思うけど……」


 苦笑しながら、世羅は視線を上向ける。


 空を覆う鉄の蓋。


 今や世界の中心と言っても過言ではない央都の底深き地下都市に膨大な無駄手間で整えられた舞台で繰り広げられる殺人推奨の悪趣味な『遊戯(ゲーム)』。


 表沙汰になれば、世界が狂騒しそうな大事件になるだろうが、それはあくまでも『表』の話。


 世界の『裏』であり、『闇』からしてみれば、こんなものは遊び(・・)に過ぎないのだろう。


 未だに表沙汰になっていない事実がそれを証明している。


 だからこそ――


 些事と捨て置かれるのが自然な下種な催しに、『夜の国』の関係者が首を突っ込んでくるのに違和感を覚える。


 悪趣味な連中の仕組んだ『遊戯(ゲーム)』に、悠やラスクはどのような思惑で関わってきているのかは追求しても損はないと世羅は判断した。


 それは世羅ではどうやっても辿り着けない深層に繋がる情報だ。


茶番だよ(・・・・)


 ラスクはたった一言を、事も無げに呟いた。


「は?」


「実に詰まらない。実に下らない。実に面白くない。実に意味がない。巻き込まれた者たちを哀れに思うほどに、下種が糞尿のような思惑を垂れ流しにしたまま数日放置された便所のように悪臭の漂う茶番に過ぎない」


「………………………。」


「総ての『起点』となる出来事はまた別の話になるが、ここからが今後の世界を左右していく物語の『始点』となる。だからこそ、我々は今後の展開を予測するために、動き出す物語を見届けるのだよ。……まあ、もっとも、私までが『遊戯(ゲーム)』そのものに参加する羽目になるとは思っていなかったがね」


「観察者気取りってわけ?」


「そこまで傲慢ではないが、人間の愚行で受ける悪影響を甘受するほど、我々はお人好しでもない。故に、我々はいつもこの(・・・・・・・・)世界を見ている(・・・・・・・)。今にも滅びそうなほどに、脆く儚い奇跡のようなこの世界を……」


「意味がわからないんだけど……」


「私が口にしているのは単純な事実だよ。これは知人の持論なのだが、〝世界というものは案外と安値で展示されている〟ものなのだよ。世界を揺るがす危機はその辺にゴロゴロしており、それらをおっかなびっくり処理しているからこそ、それなりの平穏が維持されている。ほんの些細なきっかけ一つで総てがご破算になる薄氷の上に成り立っているのが、世界の均衡というものだ。この『始点』となる『遊戯(ゲーム)』でさえも、そんな危機を幾つも孕んでいる。つまるところ、この程度の破滅の引き金はさながらバーゲンセールに過ぎない」


「それはちょっと極端じゃない……?」


「たかがボタン一つで滅びるほどになってしまった人間の世界だ。さして極端とは思えないがねぇ……」


 人類は自らを焼き尽くせるほどの核の炎を手に入れている。


 確かにそれは、愚者の意志が引き金となる破滅の一つの形だ。


「………………。」


 反論の言葉を失い、世羅は沈黙する。


「少し横道に逸れてしまったが、私は君の質問に答えているだけだよ。それを君が理解できるかどうかは別問題だし、まだ舞台に立ってすらいない者には、どちらであったとしても大きな意味は無い」


 痛烈な一言だった。


 嫌味でもなく、皮肉でもない。


 ただただ単純で純粋で混じり気のない真実として宣告された言葉。


「………へぇ。あたしはこの舞台の脇役ですらないってコトなのね」


「もう少し正確に言うと、私も含めた君たちが(・・・・・・・・・)、だがね」


 自嘲するように、わずかに唇の端を歪めるラスク。


「?」


「今宵の悪鬼の饗宴――たった一匹の『悪魔』を覚醒させるために数多の生贄を釜に焼べる儀式――で紡がれる物語の『主賓』は別にいた。此処でこうしている全ては『脚本(シナリオ)』の行間(おまけ)ですらない本来ならば存在(・・・・・・・)しなかった出来事だ(・・・・・・・・・)


「どういう意味よ?」


「単純な話だよ。この『遊戯(ゲーム)』で連中に都合のいいように描かれていた『脚本(シナリオ)』は原形を留めぬほどに狂っている。様々な要因が複雑に絡まりあっての上だが、私個人の感想を述べるならば人間の善意と悪意の相乗効果と言うべきなのかな。前提条件の一つは既に完全に破棄され、小さな悪意で特級の不確定要素が巻き込まれ、挙げ句の果てには完全に無関係な君までもが放り込まれている。ドロドロに煮詰められた魔女の釜さながらの混沌ぶりだ。さすがの私もここまで捻れると紐解くのも難しい」


「………訳の分からなさがさらに一段高いところに上がったような気がするんだけど、どうして、あんたにそんなことがわかるのよ?」


「私は正規の『脚本(シナリオ)』を〝経験()〟んでいるからね」


「詳細を知りたいような気もするけど……」


「止めておきたまえ。胸糞が悪くなるだけだ」


 目を閉じて、首を左右に振るラスク。


「それならあんまり思わせ振りなことばっかり言わないんでほしいんだけど……」


「すまないね。勝手に口が動いてしまう性分なんだ」


「迷惑な悪癖ね」


「君も似たような印象があるんだがね」


「………………………否定は難しいかも知れないわね」


 指先で頬を撫でながら、思わず視線を逸らしてしまう世羅だった。


「とりあえず、君の質問に対する解答――その結論を口にしよう。

 この『遊戯(ゲーム)』は、我々にとっても……誰にとっても『茶番』に過ぎないが、それを越えた先に辿り着かねば、何も始まらない。何も始められない。故に――ここが転換点(ターニング・ポイント)であり、この夜を越えた先に新たな物語の産声が上がる」


「………………。」


 ラスクの物言いは、この『遊戯(ゲーム)』に巻き込まれて生命を落とす者の死さえも『茶番』と切り捨てているかのようで、それが世羅の心中に穏やかならざる細波(さざなみ)を起こす。


 それでも、それを責めるような言葉にしなかったのは、ラスクの表情に確かな苦悩の色を垣間見てしまったからだ。


 何も感じていないわけではないのだ。


 今の世羅では及びもつかない詳細を知っているからこそ抱く不快感は比ではなく、それでもどうすることも出来ない己を不甲斐なく感じているかのようで。


 そんな風に思ってしまい、世羅は少しだけ胸を締め付けられるような切なさを覚えた。


 余人には知らぬことを知っていること。知り過ぎてしまったこと。


 それは幸福を招くよりも、痛みに繋がることの方が多いと世羅も知っていたから。


「あの『愚者(カミ)』の望んだ願いに繋がる可能性(セカイ)が幕を開ける」


「それがあなたたちのどんな思惑に繋がるの?」


 無意識に手を強く握り締めながら、世羅は知ることを優先する。


「少なくても、この『遊戯(ゲーム)』の裏で暗躍している連中の思惑通りに世界を躍らせるわけにはいかんと思うのには共感してもらいたいがね。悲惨な末路よりも、多くの者が笑っていられる未来を望む方が健全だろう?」


「まあ、そうね。あなたたちの思惑が正しいという保証もないけれど」


「君ならそう言うのだろうね。だから、私もこちら側の思惑を口にはしないし、君に必要以上の情報も提供はしない。君が、正しく君自身の選択を選べるようにね」


「はいはい。それはどぉも……。

 とにかく、思わせぶりな発言はもういいわ。ちょっと頭が痛くなってきた」


 自分で聞いておきながら、していいような態度ではないが、支離滅裂ではないにしても荒唐無稽な与太話を聞かされた身としては、少しばかり雑な態度になってしまうのも仕方がないと思っていただきたい。


 全てが嘘と切って捨てるつもりもないが、今の世羅にはほとんどが理解できないのも事実なのだ。


 自分には役割が用意されていないらしい大舞台(じごくえず)をすっぱりと切り捨て、自分が放り込まれたアドリブオンリーの単館劇場へと意識を切り替えるのが妥当だろう。


「そうだろうね。だが、まあ、君ならいつか〝こちら側〟まで上がってきていそうな気がするよ」


「勿論、そのつもりよ」


 わけもわからないままに巻き込んでおいて、用無しになってしまえばポイ捨て前提のような扱いを素直に享受するつもりなど微塵もない。


 必ず、世羅をこの『遊戯(ゲーム)』に放り込んだ何者かの首根っこを掴んでやると誓っている。


 そんな世羅の内心を見透かしたように、ラスクが唇の端を緩く持ち上げる。


「さて、と。君とはもう少し語りたいところではあるが、どうやら決着が近いようだ。ここから先は見届ける時間だよ」


 ラスクは懐から、悠が持っているのと似た懐中時計を取り出す。


 精緻な装飾の施されたそれの蓋を開き、何かを確認するように盤面に視線を落とす。


「………あれ?」


 横目で覗き見た世羅の口から、小さな疑問の声が漏れる。


 それは時計などではなかった。少なくても世羅の知る時計とは一線を画した構造で、幾多の針が一貫性のない複雑な動きをしていた。


「やれやれ、あの馬鹿者はまた随分な無駄使い(・・・・)をしたものだ」


 盤面から何を読み取ったのか、ラスクは小さく鼻を鳴らしてから視線を粉塵の舞う一角へと向ける。


 いつしか絶え間なかった爆音も途絶えていた。


 濃い土煙で霧でも生じたかのような有り様だったが、世羅は腕の一振りとともに風を生み、薙ぎ払うことで視界を確保した。


 二つの影は変わらぬ様で、再びの対峙をしている。


「………ふぅ………」


 意味のない吐息を一つ。


 ――さて、好奇心主体の情報収集はまずまずの手応え。


 そろそろ関心を知識欲ではなく、眼前の戦闘に戻すべき頃合だろう。


 中盤を超え、戦局は終盤へと至っている。


 いろいろと複雑な内情があるが故に、逆に勝敗が読めなくなっている異質なこの一戦。


 その結末を見届けるために。



 ● ● ●



 不自然な一陣の風が、灰色の粉塵を吹き散らしていくのを戒は感じた。


 豪雨に等しい魔弾の嵐は、既に途切れている。


 長いようで短い記憶にはあまり留まらない時間を経て、戒は――再び、悠と対峙していた。


 およそ百メートルの距離を挟んで、その右手に握る拳銃の銃身で肩を叩きながら、悠は満足(うれし)そうに口の端を上げている。


「………凌ぎ切られたか。流石だね、先輩」


「嬉しくもない褒め言葉だな」


 そんな返答をどのように解釈したのか、悠は軽く肩を竦めて嘆息した。


 懐から懐中時計――らしきもの――を取り出して、何かを確認する。


 わずかに眉を上げた悠の表情に、薄い焦りの色が浮かび――即座に軽薄な笑みが塗り潰す。


「さてと。費やせる時間をだいぶ消耗してしまったから、そろそろ何らかの形で決着をつけるべき場面なワケだが……。折角だから、予定の前倒しを(・・・・・・・)してしまおうかな(・・・・・・・・)


「あ?」


「こっちの事情だよ。気にしないでくれ」


 懐中時計を懐に戻した悠がヒラヒラと手を振るが、その指先には別の物を持っていた。


コレ(・・)を、先輩の生死を計る分水嶺とする」


 懐中時計と入れ代わるように親指と人差し指で挟んだ〝もの〟を見せつけながら悠が告げるのを、戒は内心でうんざりしながら聞いた。


 銃に装填するであろう弾丸。


 わざわざ取り出したそれが、こちらにとってロクな代物でないのは考えるまでもない。


「この『遊戯(ゲーム)』に参戦するにあたって、個人的に用意した切り札は三発の弾丸。既に諸事情で一発は使ったから残りは二発。その内の一発を先輩に使う。これが凌げないようなら、先輩は『此処』で死んだ方がいい。

 ――それだけ、先輩が超えなければならない壁は高く聳えている」


「………………。」


「期待が無為になるぐらいなら、すっぱりと諦められた方がまだ幸せだろ?」


 それは誰に対しての言葉なのだろうか?


 少なくても、戒に向けられたものではなさそうだった。


「勝手な話だ。お前に決められる筋合いはない」


「柄じゃないのは自覚しているが、自分の運命を自分で決められない連中の肩代わりならいくらでもしてきた。先輩はそんな連中と同じ下種さに片足突っ込んでる。そのままが続けば、むしろ周りの連中が不幸になるだけだ」


 ちくり――と、極めて微細な痛みが胸に生じたような気がした。


 悠の言葉の意味を正確に理解したわけではないが、自分でも薄々勘付いている〝何か〟を抉るような一言だった。


「――だから、これはボランティアの類だよ。むしろ感謝してもらいたいぐらいだ」


 感謝しろと口にしておきながら、悠の眼差しに宿っているのはある種の憐憫だ。


 同情のようでもあり、哀れみのようでもあり、そうした諸々を混在させた瞳は、逆にやりたくはないと訴えかけるかのようで。


 悠の心情がますます混沌として、まるで読めなくなってくる。


 こいつは何がしたい? 何を望んでいる? 何のために俺と戦っている?


 まるでわからない。さっぱりと意味不明だ。


 面倒さが極まりつつあるために投げ出したくなるが、今の悠に背中を向けるのは不自然なほどに抵抗がある。


「結果的に何者にもならない奴は、ある意味においては自暴自棄で暴走するバカよりも始末に終えないってのが経験に基づく持論でね」


 あぁ、確かにそうなのかも知れない。


 何者にもなれない。何もしない。


 なのに、分不相応な『力』を持つ輩を放置するほどに世界は優しくはない。


 不確定な可能性を怖れる連中が手を出し、結果として被害が生じるし、そうした厄災が何処まで拡大するかなどは誰にも予測できない。危険は芽の内に詰むのが妥当であり、だからこそ、戒のような者は存在しない方が(・・・・・・・)都合がいい(・・・・・)


「先輩に下らない『運命』に抗う気概があるというのなら、せめてこれぐらいは乗り越えてくれないと困るんだ」


 悠の言を挑発と一蹴するのは容易だろう。


 だが、そんな負の感情の混じる余地のない真摯な響きが、悠の声には宿っていた。


 この程度の窮地は超えろ――それが出来ないならば、せめて楽に眠らせてやる。


 そういうことなのだろう。


 余計なお世話だという認識は変わらないが。


 超えろというのならば、せめて挑むぐらいはしてやらなければならないだろう。


「………………。」


 こんなバカげたお節介を焼いてくるような馬鹿はそうはいないと思うが、どうにも自分の周りには、そういうのが寄ってくる傾向が多いような気がする。


 雨の日に出逢った雇い主(クライアント)


 毎朝わざわざ挨拶をしにくる真白色の髪のクラスメートもそうなら、何かと声をかけてくる初々しい恋人関係にも熟年の老夫婦にも見えるバカップルもそうだ。


 淡い髪の同行者(オウドウセラ)もその類に含まれる。


 勝手に近寄ってくるいくつかの顔が過ぎ去っていく。


 ――自覚はしている。



『生きている。生かされている。だから、生き続けなければならない』



 戒ではない誰か(・・・・・・・)は大切なものを削り落としてまで復讐をしようと決めたはずのに。


 それ故の陥穽に陥った虚ろな生。


 目的ははっきりしているのに、それを行うための動機に意義が見出せない。


 大切なものを捨て去ったがために。


 奪われた怒りが持続できない。


 かつての幸せの意味が解らない。


 研ぎ澄まされた鈍らな(ココロ)は、その矛先さえも見失って――


 ただあるがままに流され、彷徨い、やがては枯れ果てる風見鶏。



『――いつか世界(だれか)に殺されるその日まで』



 削って固めたが故に脆くなった、戒の精神(ココロ)は相当に危なっかしいものなのだろう。


 周囲に何らかの不安を抱かせるほどに。


 手を差し伸べなければ、などと思わせてしまうほどに。


「………………。」


 ふと、思った。


 桜堂世羅ならば、問答無用で怒りそうな考えだと。


 ただ惰性のように生き――

自分を殺してくれるのなら、何時でも殺されていいと言っているも同然なのだから。


 ――いつからだ?


 惑わずに抱いていたはずの想いが、原形を留めぬほどに歪んでしまったのは。


 こんなはずではなかったのに。


 この出口のわからない迷路から抜け出せない。


「………………。」


 (ソラ)を仰ぐ。


 見えるのは不細工な鉄の蓋でしかなかったが。


「…………。受けてやる」


 ゆっくりと視線を下ろし、悠を真っ向から見据える。


 紡いだ一言はただ静かに、揺るがぬ意志を込めて。


「それは重畳。

 それじゃあ、先輩にはもう一つ上の階層(ステージ)を教えておこうか」


 弾丸を装填した悠が、無造作にその銃口を向けてくる。


俺の剣を抜いてやるよ(・・・・・・・・・・)


「剣、だと……?」


 手にした武器は銃でありながら、口にした『剣』とは如何なるものか。


 戒には理解できない暗喩のようでありながら、同時に明白なまでに戦況は変化する。



「 ――我は魔弾の射手なり―― 」



 詠うように紡がれるのは、呪文の如き詠唱。



「 ――狙った獲物を逃すことはなく―― 」



 膨れ上がる。


 膨れ上がる。


 膨れ上がる。


 膨張する大気の圧力が槌の如き烈風となり、戒の全身を叩いていく。



「 ――放たれた弾丸が外れることもない―― 」



 しかし、そんなものは余波に過ぎず、得体の知れぬ何かが膨大な質量を伴って銃口へと収束していく。


 ――これは危険だ。


 本能が警鐘を鳴らすが、戒は一歩を踏み出すことが出来ない。



「 ――我が弾丸は過たず汝を射抜き―― 」



 怖れたわけではない。


 では、何故と問われたとしても、戒には明白な答えを得られなかっただろう。


 単純に見惚れていたという事実を認めるはずもなく、動かなかったのはほんの数秒。



「 ――汝を苦しみの無い楽土へと導くであろう――」



 しかし、それでもう悠の『剣』は鞘走り、抜き放たれていた。


 銃口に収束した光には、途轍もない『力』が凝縮されている。この周囲一帯を更地にしても余りあるほどの膨大な質量が、ただ戒だけに向けられている。


 直撃すれば、肉片の一欠片すら残りはしないだろう。


「行くぜ?」


 悠が笑む。


「来い」


 限界まで闇を固めた剣を構える戒が応じる。



「 ――抜剣―― 」



 そして、その引き金は引かれた。






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