8 斉藤悠
8
――傍迷惑な馬鹿に遭遇した。
● ● ●
積極的ではないにしても、戒と世羅が行動を開始してから数時間が過ぎた。
時間は既に『夜』の刻限。
天の蓋から降り注ぐ光は、血を連想させる緋色。
道路のど真ん中を歩く二人の靴音が、静寂に包まれた周辺に響く。
特に目的は定まっていないが、戒(と世羅)は隣の区画へと移動している。
この区画はかつて行われたであろう『遊戯』の面影を色濃く残しており、被害の規模がこれまでよりも並外れている。
崩れ去った日常を連想させるかのように寂れ、荒廃している。
――此処は、もう終わっている。
かつての『死』の臭いが澱んでいる。
耳を澄ませば、死者の怨嗟が聞こえてきそうだ。
戒はそんな区画の緩やかな坂の上に林立する廃墟マンションを、とりあえずの目的地としていた。
そんな場所を目指す理由としては、単純に目に付いた以上のものはない。
廃墟マンション郡は、この区画内においては最も目立つ建造物だが、だからといって参加者が目的地として定めるかどうかは微妙なラインだろう。
仮にいたとしても、『遊戯』に対しては消極的なタイプとなるはずだ。
………まあ、頭の螺子が外れた『狩人』が現れる可能性もあるにはあるが。
ともあれ、あまり他の参加者と接触したくないが故の選択である。
単純に面倒だから。
「………………」
ちらりと一歩後ろを歩いている世羅を見やる。
面倒事を回避しようとしている戒とは逆に、世羅は遭遇を望んでいるような節があるように思える。
好奇心旺盛な物好きだと思うが、同時に平和裏にすまない可能性も考慮しているはずなので、この場合は食えない奴と評するべきか。
自らを『魔術師』と呼称した世羅は、その深度までは定かではないが世界の『裏側』に何らかの形で関わっているようだ。
だからなのだろう。
他の一般人よりもこの異常な状況に対する適応能力が高めに設定されている。
それ故に、柊雪菜の安否という最大の懸念の晴れた今、彼女の行動理由の大部分を占めているのであろう好奇心で、さらなる闇に踏み込もうとしている。
自身の生命が懸かっているとはいえども、その傍目には軽々しく見える行動は、危ういものを孕んでいる。
戒の今の気分を端的に表現すると、何となく目が離せないというものだろうか。
火気厳禁の場所で火遊びしている子供を見かけたというのが、例えとしては最適だ。
「――あぁ、そうか」
声にならない無音に近い呟きが、吐息とともに吐き出される。
雇い主から見た自分は、こんな風なのかもしれない。
そんな取り止めの無い無駄な思考を、周辺警戒の片隅でしていると、
「さて、雑談を始めるわよ」
大人しかった世羅が不意に口を開き、戒の横に並んだ。
警戒に支障が生じない程度に何かを考えている風だったので、しばらくは静かに過ごせた穏やかな時間だったのだが、それもどうやら儚く終わりを告げたらしかった。
それを些か以上に不満に感じて、やや億劫そうな口調で応じた。
「わざわざ宣言するような内容か?」
「それは遠回しな了承と解釈するわね」
「…………いや、待て」
ハメられた、と思った。
思わず半目になりながら睨むと、にっこりと細められた眼差しに迎撃される。
「なぁに?」
可愛らしい笑顔というには、口元の歪みが微妙にいやらしい。
その時点で諦観が暗雲として胸中を漂った。
反抗しても無駄に違いないし、そうして生じる会話も雑談にカテゴリーされてしまう。結論として、勝手に喋らせておくのがもっとも被害の少ない選択になる。
そこまで計算された上で誘導されたフシがあり、どうにもこうした方面で手玉に転がせるぐらいには性格を把握されたようだった。
地味に不愉快ではあった。
「この『遊戯』のルールって、意外と『穴』がありそうな感じよね」
見透かしたように笑みを深めながら、後ろ手を組んだ世羅が前に出て向き直る。
「その『穴』の内容にもよるだろうがな」
過去の『遊戯』において――今回とは異なるタイプだが――提示されたルールの裏をかいた者もいれば、提示されたルールに裏をかかれて破滅した者もいる。
参加者の解釈を意図的に誘導するルール。
ある種の詐欺じみた誤認や錯誤を生じさせる仕掛けが仕込まれているのも、『遊戯』の醍醐味の一つといえるだろう。
参加者としては嬉しくもないのだが。
そして、運営側でさえも思いも寄らなかった閃きで地獄を切り抜ける英雄が誕生すれば、それはそれで面白くも貴重な存在であり、とても『遊戯』が盛り上がる。
「まず大前提として、この『遊戯』は参加している全員が生存することが可能である。少なくても、参加者がそう思えるものでなければならない」
器用に後ろ歩きをしながら、表情に貼り付いた笑みの種類を変える世羅。
「――クリアの出来ないゲームをする者はいないものね。
そういう意味では、今回の『遊戯』は内容が単純であるからこそ、参加者の解釈に誤認が生じる余地はあんまりないわね」
「そうだな」
「それで、ちょっと考えたのよね。
基本的なルールが『七十二時間の生存』である以上、仮に『狩人』がいたとしても、約二百人全員を狩り尽くすには三日間は微妙な制限よね」
「お前は『敵』を過小評価しているな」
連中が配置した『狩人』が、たかだか二百人程度を狩り尽くすのに三日も費やすとは到底思えない。
遊びを含めたとしてもだ。
「常識的に考えてるだけなんだけど、まあ、人外魔境がどんだけ混ざってるのかはさておき、とりあえずの仮定の話よ。話の腰を折らずに聞いてちょうだいな」
「…………ああ。」
「仮に全員――でなくても、過半数といえるだけの数が引き篭もりを決めて、『遊戯』そのものを拒否したとしたら、運営側としては面白くない結果が待つわよね」
「動きが少なすぎて、見ている側が詰まらない」
「そうね。それに時間切れで五十人ぐらいが生き延びたら、それはそれで結構な損失を生むはずよ? 利益という意味でも、秘されるべき情報という意味でも」
「そうだな」
もっとも連中からしてみれば金銭的な意味での損失など、爪の垢にも劣るだろう。
この場合、問題となりうるのは後者となる。
連中の視点からしてみれば、二百人近い『獲物』で生き残ってもいいと思うのは片手の指の数程度であり、本音としてはそれでも多いぐらいだろう。
「だったら、そうならないための仕掛けがなされているはずよね。それもどちらかというと『参加者』側にね」
わずかに歩調を緩めた戒は、無言で続きを促す。
世羅の始まると長い語りには正直うんざりしている部分もあるが、こちら側では気にも止めないような事例を、さらに深く穿つことで意外な意見を掘り出してくるのは、これまでの会話で証明されている。
単純に戒の考察が浅いだけという側面もあるのだろうが、その内容を右から左に聞き流すというのも勿体無いと思うところがないでもない。
ふと疑問を抱いたのだが、これは毒されているのだろうか?
――などと自問している戒だが、世羅に応じる形で話し出すと意外に語りが長いという事実に、当の本人は気づいていない。
「そうね。これはあたしの考えだけど、意図的に参加者の意思を誘導する『扇動者』が紛れ込んでいるんじゃないかしら。参加者をある程度の人数を集めた上で、状況の確認をさせた上で方向性を決定させて、その上で泥沼の修羅場へと放り込んだり、人間関係を掻き回したり、罠のある場所へと背中を押したり、さも親身な態度で味方顔をしておきながらも腹の底ではお腹を抱えて大爆笑をしているような性格極悪な奴がね」
「――いるだろうな」
ほんの数瞬の思考を経て、戒は結論した。
過去に目の当たりにした事例を鑑みれば、思い当たるフシはある。
上手い具合にまとまっていた集団が些細なきっかけで崩壊していく様に、作為的なものを感じた覚えが少なからずある。
ただ、戒の場合に限ればだが、鬼畜同士のバトルロワイアル形式の『遊戯』を主としてきたために、そうした輩が紛れ込む必要性は無かったはずだ。
だから、接点は無かった――と思われる。
仮にあったとしても始末しているのは間違いない。
例外があるとするならば、『遊戯』に参加して間もない頃だが………今さら考えても詮無きことだ。
「出来れば、そいつらを潰して被害を軽減したくはあるのよね~」
「見分けはつくのか」
「目を見たらわかると思うわよ。腐臭を撒き散らしてそうだから『臭い』とかでもね」
「………………」
世羅なら本気で看破しそうだと思ってしまった。
根拠の乏しい勘であっても、ほぼ確実な精度で。
「馬鹿な発言はさておき、本気で言っているのか?」
暗にそんな面倒には付き合わないという意図を含めて、戒は言う。
「機会があれば、ぐらいの考えだけどね」
それを正しく理解している世羅は、軽く肩をすくめるに留めた。
「実際の問題としては、既に動いている『遊戯』の中で、あたしの発言を真面目に受け止めてくれる人はそんなに多くないと思うのよ。そういう人間心理に巧みに入り込めるように偽装の上手くなってる『扇動者』を炙り出した上で、さらに参加者に信じさせるのは至難の業よね。せめて、もう少し規模が小さければ、そんなに多くの『扇動者』が紛れ込んだりはしないだろうから手があるんだけどねぇ……」
「見分けがつくのなら、問答無用で殺ればいいだろう」
「あんた、あたしをなんだと思ってるのよ」
「それぐらいは平気でするだろう?」
「………………いや、さすがに殺さないわよ。そんな連中の血で汚れちゃうの嫌だし……」
世羅は呆れたような顔で、手をパタパタと左右に振りながら――
「まあ、吹っ飛ばすぐらいはするから完全に否定はしないけどねでもさもうちょっとこう言い方ってものがあると思うのよ仮にも女の子なんだから『殺る』ってのは直接的過ぎるってゆーかあたしのキャラには合ってないのよね穏便ながらも気高く咲く花のような素敵表現を用いた『ヤる』って感じにしたいんだけどどっちにしろ過程と結果がほとんど同じならまあいっか別に社会の役に立たないばかりか他人に悪質極まりない迷惑をかける存在不適合者はあたしの魔術の実験台にでもするのが相応ってものよねリサイクルリサイクル最期ぐらいは役に立たせてあげるのが慈悲よあたしって実はかなり優しいんじゃないかしら」
次第に俯きながら聞き取れないぐらいの声量で、何やらブツブツ呟き始める。
不思議と、思想が危険な方向に転んでいるような気がした。
「………都合よく、近寄ってきてくれないかしらね」
最後のそれは独り言のような調子での呟きだったが、そこに込められているであろう意思の重量と口の端を吊り上げた笑みは、一歩分の距離を離す程度の圧力を秘めていた。
率直に認めよう。怖い。
なんでこいつは怖いのバリエーションが無駄に多いのかと、戦慄にも近いものが胸中に生まれるのを戒は自覚する。
「そんな瑣末はどうでもいい。現状においては意味のない考察だ」
あまり思考に没頭させると余計な被害を被りそうな不穏な空気を漂わせ始めていたので、戒はやや強引に会話を切り上げにかかる。
「だから、最初に雑談って言ったでしょ?」
「なら、俺からもお前に一つ聞きたいことがある」
自分から提供する話題に大した持ち合わせなどないのだが――そもそも雑談する気もほとんどないわけだが――そういえばと思い出すネタがあった。
「あらあら、まあまあ。篠宮君が、桜堂先生に質問があるの?」
口元に手を添えて、わざとらしく驚きを表現する世羅。
地味にイラついたが無視を選択。
「お前は『リヒトハイツェン』という言葉の意味がわかるか?」
「………『深き森』………?」
その反応は、意外な言葉を聞いたという風だった。
容易には知りえない情報を、それに触れているはずがない人物から聞いたような、そんな驚きを多分に含んだ反応。
「知っているんだな」
「………え、ええ」
返事までに少し間があったのは、驚きから立ち直るのに要した時間だろう。
「あたしたち魔術師が自身の内側から生成する魔力とは異なる、この大気を漂っている微量にして確かなる魔力。俗に『マナ』と呼ばれるものの根源と伝えられている世界樹が存在する底深き迷いの森を指して、『深き森』と呼んでいるのよ」
問いかけるような眼差しを向けながらも、律義に戒の質問に対する解答を口にする。
「さっぱりわからん」
「そうでしょーよ。ある種の専門知識だもの。
逆に、あなたがどういう伝手で聞いたのかを知りたいわね」
「ラスク・フォン・ルーテシアと名乗った見た目は子供な女が、件の森の住人だと言っていた。長々と解説するにはお前が同伴している必要があるので、この場での饒舌な説明は遠慮するともな」
ふ~ん、と世羅は考えるような間を挟んでから、率直な意見を口にする。
「あんたに言っても理解不能だろうし、聞く価値を見出すとも思えないわね」
「ああ」
よくわかっている――というよりも、こちらの思考パターンが単純なのだと自認する。
問いかけにしても答えを知りたいのではなく、世羅が本当に知っているのかどうかを確認したかっただけに過ぎない。
要するに、ラスクの発言の真偽を確認しただけだった。
そして、それが正しかった以上、世羅と行動を共にしていれば、あの見た目幼女との再遭遇の確率は飛躍的に上昇するだろうと判断せざるを得ない。
ラスクは『闇の衣』を目的としていたようではあるが、同時に世羅に対しても興味を抱いていなければ、わざわざ話題に上げたりはしないはずなのだから。
やはり面倒事の種だな――などと当人が聞けば憤慨しそうなことを考えていると、世羅が人差し指を立てながら口を開いた。
「興味があるのなら、あたしが語るわよ」
「皆無」
「なんか斬新なニュアンスで断言されたよーな気がするわ」
世羅はがっかりと言わんばかりに肩を落として、ため息を吐いた。
「………はぁ。ちょっと気分転換をします」
意味のなさそうな動作で、世羅が右手を挙げる。
「好きにしろ」
「では、素直にお言葉に甘えて。一番――桜堂世羅、歌います」
「なに?」
唐突な宣言に、壊れたのかと雄弁に問いかける眼差しを向ければ、ギロリと睨まれた。
「いいから黙って聞きましょーね」
「……ああ」
そのまま世羅は歌を口ずさみ始めた。
大きな声ではない。
だが、照れや遠慮のない自然な歌声で、不思議と耳によく通る。
ところどころが不自然に砕けたアスファルトを叩く靴音が響いているだけだった夜の世界に、華やかな彩を添えた。
仮初であっても、それを心地よく思う自分がいて、ふと小さな疑問を抱いた。
――まともな人間ならば、こんな場面で微笑なり苦笑なりを浮かべるのだろうか?
世羅と共に在ることで、普段の己が揺らいでいる。
それを自覚していながらも、それを不快に感じないのは世羅の人徳だろう。
するりと他者の懐に入り込み、受け入れさせる――それはきっと戒には持ち得ない類の、ある種の才能といっていいはずのものだ。
「その歌は………?」
もう一点。
その歌には聞き覚えがあるような気がした。
故に、問いかける。
この感覚を放置してはいけない、そんな気がしたからだ。
軽やかなステップで前に出た世羅が、こちらに向き直る。
「あたしの友達がたまに口ずさむ歌。名前は知らないし、耳で覚えただけだから、はっきりしない部分はあたしなりのアレンジをしてるのよ。
歌詞は明るそうな感じなのに、あの娘は切なそうに歌うのよね」
「………あぁ、そうか」
ふと脳裏に浮かんだのは、夕暮れの教室。
放課後の誰もいない教室で、真白色の髪の少女が口ずさんでいるのを見かけた。
下界の景観を背にして。
切なげに伏せた瞳で。
此処ではない何時かの何処かを追憶するようにしながら。
過去に失われた何かを悼み、胸に残った暖かさを感じるように。
彼女は歌っていた。
そして――
戒が視ているのに気づくと、儚げに微笑みながら一筋の涙を頬に伝わせた。
そんな些細な記憶を思い出していた。
「んぅ?」
漏れた呟きに世羅が反応を示すが、なんでもないと首を横に振った。
世羅はわずかに首を傾げたが、追求することなく歌を再開する。
戒は決して不快ではない優しい歌声が紡ぐ旋律に耳を傾けて――
そうした場違いな穏やかさが、『PDA』から発せられた耳障りな音に引き裂かれた。
半径ニ百メートル以内に、他の参加者が侵入したことを知らせる警報。
その原因となる相手は探すまでもなくこちらに姿を晒していた。
「いい歌だねぇ~。絶え間ない阿鼻叫喚で汚された耳が優しく癒されるよ」
どこか軽い――軽薄な印象を抱かせる声と共に、遠目にはまだシルエットにしか見えない何者かが現れていた。
パチパチパチと一定のリズムで拍手をしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
天井から降り注ぐ紅い光に照らされ、シルエットの詳細が明らかになっていく。
ニヤニヤと声と同じく軽薄そうな笑みを浮かべている、迷彩柄のバンダナを巻いた少年。
平均的な中肉中背の体格を、黒を主色とした軍服らしきもので覆った同年代の少年は、戒には見覚えのある人物だった。
こんなところで会うとは、思ってもいなかったが。
「あるぇ? 先輩に、桜堂世羅嬢じゃん? ハッ、こりゃどういう組み合わせだよ。結構、面白い感じに捩れなきゃこんな風にはならないよねぇ~?」
最後の一言は、こちらではない別の誰かに向けた意図が感じられた。
「斉藤悠」
記憶を検索するまでもなく、遺憾な理由で覚えた名前を口にする。
「あぁ~、あの」
隣で世羅がポンと手を打つ。
少なくても名前に聞き覚えはあるようだ。
本人の言によれば、隣のクラスらしいのでそれも自明というべきか。その名を耳にする機会は、それこそいくらでもあったはずだ。
「友達?」
「違う。あの学園のクラスメート……いや、ただの馬鹿だ」
「ただの、ねぇ……?」
視線を前に固定したまま、世羅に応じる。
緊張感がまるでないやり取りだが、実際は臨戦態勢に移行するための時間稼ぎに近い。
ここはありふれた学生の日常を象徴する学園ではなく、生命の奪い合いが前提となった戦場に他ならない。
笑顔で現れた顔見知りが攻撃を仕掛けてこない保証はどこにもない。
「おやおや。名前覚えてくれてたんだ。うれしいねぇ。仏頂面で窓の外ばっか見てるから認識されてないんじゃないかなって不安に思ってたんだけどさ?」
大仰に両手を広げながら、悠はヘラヘラした笑みを深くする。
「………っ」
真意の掴めない無駄口に、苛立ちを搔き立てられ舌打ちをする。
「お前の個性は、あのクラスの中でも上位だからな。嫌だが覚えさせられる」
たかが一日の間に、その名前を悪い意味で何人が叫んでいると思っているのか。
要するに、傍迷惑で馬鹿な男だ。
だからこそ、この場に現れても然程の違和感がない。
「あっそ。てか、ヤな覚えられ方だな、それ」
まぁいーか、と手を振りながら悠は何気なく続けた。
「それでさ。お二人さんはどっち側?」
互いの関係を確信へと至らせる問いかけを。
「…………」
「どっちってどういう意味?」
警戒から黙り込んだ戒とは裏腹に、『仮面』じみた笑顔をにこやかに浮かべた世羅はあっさりと応じている。
何も考えていないというよりも、単に思考速度が速いだけなのだろう。
なにはともあれ、話したいと思わない鬱陶しい相手との交渉役を自発的に買って出てくれたのは、戒としてもありがたい。
「そりゃあ、勿論、敵かそうじゃないかの二択しかないっしょ。この先に向かう目的がこっちの『護衛対象』を害するものであるかどうかの確認だよ?」
ニヤニヤと細められた眼差しが、戒と世羅の間を往復する。
まるで品定めをするように、双眸に宿る怜悧な光を垣間見せながら。
「少なくても、あんたと敵対する理由は無いわね。
当たり前の話だけど、あんたが手を出してこない限りは、だけどね」
世羅が横目でこちらを伺うように見てきたので、小さな首肯を返す。
「隣の『先輩』さんも同意見だそうよ」
不本意なクラス内での呼称に、少し眉が動いた。
外見的に留年した先輩に見えるというのが理由で、きっぱりとそのままだ。
誰が言い出したのかは知らないが、蹴り飛ばしてやりたいという衝動がなくもない。
しかも、戒自身がその誤解を解く努力をしていないので、まだほとんどのクラスメートの共通認識のはずだ。
「……ふぅん」
「ちなみに、その先に行こうとしてるのも適当な理由よ」
「そいつはよかった」
どこか白々しい含みを混ぜながら、悠が肩を上下させる。
それで終わりとは思えない態度だったし、こちらとしても終わるとは思っていない。
「しかし、それはそれでちょっと困ったなぁ……」
わざとらしいほどに落ち着きなく、戒たちの間を往復していた悠の視線が、世羅の元で固定される。
悠も話し相手を、世羅と定めたようだ。
いっその事、後はこの二人に任せてこの場を立ち去りたいぐらいなのだが、さすがにそれを見逃してくれるとは思えない。
特に世羅が。
「なんかブツブツ言って考え込んでるトコ悪いんだけど、あたしもちょっと聞かせてもらっていい?」
「どーぞぉ……」
懐から懐中時計らしきものを取り出し、蓋を開きながら応じる悠。
そんなおざなりな態度に、世羅がピキッと気分を害したのを感じた。
「………そのコスプレはなんなの? 恥ずかしくないの? いや、状況的にそんなに違和感はないんだけど、それでもやっぱりちょっと痛々しく見えるわよ」
場を和ませるような意図ではなく、純粋な疑問として問いかけている風な世羅に、悠はいかにも不本意だといった風に肩を落としてみせた。
「一応はお仕事だから、正装で来ただけだってーの」
「仕事の正装?」
何かが引っかかったように世羅が片眉を上げたが、それには気づかなかったように悠が話題を変える。
「つーか、桜堂世羅嬢こそ、こんなトコでなにやってんのさ? 魔術師が関わるような行事じゃないっしょ? それとも『招待客』枠とか? なんか『連中』の癇に障る真似でもしちゃったの?」
「あたしが魔術師だってのは、今のところは一人にしか口外した記憶はないんだけど、どうしてあなたがそれを知ってるのかなぁ?」
表情を偽りのにこやかさで固定したまま、わずかに目を細くする世羅。
明らかに警戒レベルを向上させている。
問いかけの内容自体は、外側の観戦組が聞いているだろうというツッコミどころがあるものの、それが『中』に情報として伝わる可能性は低い。そもそもその意味を理解できた者もかなり限られるはずだ。
なによりも、悠の口ぶりは明らかに『知っている側』だと戒も判断した。
「君の父親には世話になってるからね」
「――――っ!?」
ぴくっと目に見えて、世羅の肩が動いた。
「あぁ、念のために言っとくけれど、敵対関係ってわけじゃないよ。お互い様的な意味でかなり世話になってる。それなり以上に長い付き合いだよ」
「………………?」
悠の言葉の中に含まれた小さな違和感に、戒はわずかに眉を動かす。
互いの時間の感覚にさしたる隔たりがあるとは思えないので、〝それなり以上〟となれば少なく見積もっても数年ぐらいにはなるだろう。
どのような形で世話になっていたのかはわからないが、こいつはそんな時分から今のような立ち位置にいたのだとすれば、相手に対する認識と警戒を改める必要がある。
そんな風に思う戒の傍らで、わずかな動揺を表に出した世羅が口を開く。
「……その、詳細を教えてくれるかしら」
世羅の口調は変わっていなかったが、どこか声に縋るような響きが微量ながら混ざっているような気がした。
一歩踏み出したのも、恐らくは無意識なのだろう。
「悪いけれど、詳細となると長くなるからまたの機会にしてくれ」
「ケチ。」
非難するように唇を尖らせる世羅。
「嫌がってるわけじゃないよ。だけど、こんなところでする話じゃないだろ。それに敵の多い人だから、盗み聞きされてるのが前提の状況で話すのもなんだろ?」
「それも……そうね」
世羅が苦笑を浮かべる。
戒には理由がさっぱりわからないが、困ったようでありながらも、どことなく嬉しそうにも見えた。
「それじゃあ、もう一つ聞くけど『招待客』ってなに?」
「言葉通りの意味だよ。この『遊戯』に招待されたのかって意味さ。普通の『獲物』とは別の形でさ」
「………………まあ、ある意味ではそうなるのかしらね。運営側でさえも招待主を把握してない風だったみたいだけど」
「おやまあ、誰なんだろうね?」
「なんか白々しいわね」
「良くも悪くも、心当たりならそれなりにあるからねぇ……」
「個人的にお礼参りしたいから、詳細を教えてもらえるかしら?」
「あくまでも心当たりに過ぎないし、こちらとしても事の詳細は調べたいからね。確定情報を得てからなら教えるのも吝かじゃないけど、今はまだ『もしかしたら』レベルだから、迂闊に教えるわけにはいかないな」
「ケチ!」
「あっはっはっはっはっ」
悠はわざとらしい大笑いをしてから、
「それでさ。もう一回聞くけど、お二人さんはどっち側?」
繰り返しとなる問いを発した。
口調は相も変わらない軽さながらも、聞く側に緊張感を抱かせる含みを孕ませて。
雑談は終わりと告げるように。
「本当にただの通りすがりよ。あんたは当然として、あんたの言うところの『護衛対象』とやらにも用はないわ。事情を把握していない今の時点ではね。
だから、あたしからも質問したいのだけど。あなたはどちら側なのかしら?」
世羅もその表情を改め、遊びの気配を消す。
互いの間にある空気から弛緩が消えるのを、戒はどこか他人事のように見ていた。
「さぁてねぇ。そっちの事情にも興味はあるけれど、今は手を出すほどではないというところかな。こっちも忙しい身の上なんで、面倒事に首を突っ込んでる余裕はあんまりないんだ。この手の判断は、個人的には珍しいんだけどねぇ……」
「つまり?」
促す世羅に、悠はうなずく。
「あぁ、要するに優先順位の問題だよ。だから、お互いに無駄を省くためにも、ここから先に行こうとしないでくれると嬉しいなぁ。引き返して別の場所を目指してくれないか?」
「………………………」
悠の提案は互いの利害が一致するものだといえる。
基本的に無駄を嫌う性分なのだから、ここは素直に応じて引き返すべきなのだと戒の冷静な部分が判断する。
悠が何をしているのかは気にかかるが、こいつからは嗅ぎ慣れた血の臭いがしない。
それを敵側ではないとする根拠には弱いが、少なくても悪辣な行いに手を染めるような塵屑ではないとは思えた。
だが、不自然に塗れてはいるのだが、またしても不可思議な感覚が過ぎ去った。
――斉藤悠の守護する者に逢え、それが『鍵』の一つだ――
そんな囁きを発する己の声が聞こえたような気がする。
不鮮明で確証の乏しい曖昧な根拠に過ぎないが――
「邪魔だ。どけ。斉藤悠」
足を一歩分、前へと進ませるだけの確信はあった。
それはこの場において、明確なる宣戦布告となる行為。
「は? え? ちょっ――戒?」
顎に指を添えて思案していた世羅が、戒の唐突な行動にきょとんと目を見開く。
「先輩が最初に動くとは意外だね。人物像が崩壊してるぜ?」
それは悠も同様だった。
「あぁ、自分でも不可解だが、その先に進ませてもらう」
「個人的には尊重してやりたい珍しい積極性なんだけどね。立ち位置のはっきりしてない奴をこの先に進められないし、俺の『護衛対象』と逢わせるわけにもいかない」
ヘラヘラした軽薄な笑みを浮かべる顔に表面上の変化はないが、決定的な意味で何かが変質していく。
あの学園の、あの教室では露わにされていない『斉藤悠』の貌が表出していく。
空気が、互いの狭間で軋んでいく。
「先輩ならわかるだろ? 危険は『可能性』がある時点で排除しておくべきものだ。跡形もなく、完膚なきまでにね」
「そうだな。お前は邪魔だ」
肩に下げていた荷物を世羅に投げ渡し、戒はさらにもう一歩前に出る。
「そこはせめて危険って言ってくれないかな?」
言葉を返す必要はもう無い。
互いの立ち位置は判然としないが、互いを障害だと判断したのは確定事項。
ならば、戒の中で行うべき行動は一つに絞られる。
こちらの意識が戦闘に固定されたのを察したのか、悠は緩くため息を吐いた。
「付き合いが悪いな~。トークが立たないとモテないよ?
――ところで、桜堂世羅嬢はどうすんの? 別に二対一でも文句は言わねーぜ」
「見学させてもらうわ。好きにしなさいよ。
戒がわざわざ無駄手間を選んだんだから、その意味を見届けさせてもらうわ」
「あっそ。……まあ、とりあえずは、こんなところか」
視線を下げて懐中時計らしきものの盤面を見た悠が、何かを確認するようにうなずいてから、パチンと音を立てて蓋を閉じる。
「――なら、来いよ、先輩」
懐中時計を懐にしまった悠が手招きしながら、決定的な一言を口にする。
「そっちがその気なら、こっちも力尽くでお引取り願うとするさ」
「わかった」
開戦の引き金に、戒は初手から遊びを排除して踏み込んだ。
闇を纏わずとも、身体強化は任意で行える。最大限まで強化を引き上げた踏み込みはアスファルトを放射状に罅割れさせ、わずかに陥没させた。
姿勢は前に傾け――自分の頭の位置が悠の腹よりも低くなった刹那に地面を蹴り飛ばすように、前へ跳躍んだ。
一瞬で狭間にある距離を踏破し、悠の懐へと飛び込む。
「あれ? 速――」
意表を突かれたように笑みを引き攣らせる悠を見たが、まさか本当に来るとは思っていなかったなどというお粗末な話ではないはずだ。
悠が頭の中で計算していた警戒基準を上回る速度に反応が遅れたのだろう。
無様というしかない間抜け面を晒した悠に、戒は一切の躊躇なく突き上げるようなボディーブローを叩き込んだ。
「――――――っ!?」
音にならない声を出し、悠は全身を使って『く』の字になる。
十分過ぎるほどの手応えはあったが、それで終わらせるつもりは微塵も無い。
即座に一歩分の距離をバックステップして、空いた隙間に足を割り込ませる。ほぼ真上に跳ね上げた爪先で悠の顎先を蹴り飛ばす。
逆えびに反り返って虚空に打ち上げられた悠は、まるで糸の切れた人形のようにおよそ数メートル上空を力無く滞空している。
跳躍してからの追撃は、真下に叩き落す拳の一撃。
問答無用の勢いで、悠の身体は地面に激突し、そのままアスファルトを砕いて埋まり込む。砕けた欠片がパラパラと周囲に落ち、わずかに舞った粉塵がその姿を覆い隠す。
「………………」
一拍遅れて着地する。
これで終われば楽な話なのだが、と心底から思う。
「いやはや、容赦無しだねぇ」
楽しそうな呟きが、粉塵の帳の奥から届く。
「敵……いや、この場合は『排除の対象』と言うべきかな? ともあれ、そうと見なせば遠慮は無用か。わかりやすい反面、遊びがないよねぇ。曲がりなりにも『ゲーム』と冠してる場での戦闘なんだから、少しは楽しむ余地もあるべきじゃね?」
何事もなかったかのように起き上がる影。
「………なんつっても、先輩には言うだけ無駄だよね。良くも悪くも真面目だからさ」
「知ったことではない」
やはり簡単に終わる奴ではない、と胸中で苦々しく思う。
あの学園のあのクラスに集められた連中のおよそ半分は、マトモじゃないのがわかっていたが、やはりこの男も『こちら側』の住人だったようだ。
初見の段階から抱いていた疑念が、この瞬間に確信へと変わる。
「やれやれ卸したての一張羅なのに、もうあちこちがボロボロだ」
漂う粉塵を腕の一振りで払いながら、あっさりと五体満足な有り様で軽薄な笑みを小揺るぎもさせずに現れる悠。
服以外にダメージを受けた様子が、まるで無い。
「でも、まあ、いいか。どうせ放っとけば直る特殊仕様だし、こんな戦いをするのも久しぶりで少しばかり気分もいいからさ」
「………………。」
「さぁて、続けようか?」
手を合わせて骨を鳴らしながら、まるでこれから始まるのがお気楽なスポーツであるかのように気負いのない風情で歩み寄ってくる悠。
「すぐに終わらせてやる」
わずかな苛立ちを覚え、戒も前に出る。
互いの歩みが距離を詰め、その言葉の終わりと同時に繰り出した双方の拳が、互いの顔を狙って放たれた。
● ● ●
「あらあら、まあまあ」
目の前で展開される光景に、世羅はやや呆れの混じった声を上げた。
「男の子ねぇ」
始まったのは、シンプル極まりない殴り合い。
左右の拳を繰り出しあう原始的で野蛮で単純でわかり易い――平たく言ってしまうと、ただのケンカのような様相だった。
悠はどうだか知らないが、戒の性格からしてこのような形での戦いになるのは、世羅の想像力では及ばない範囲だった。
それが自然な形なのか、ある種の誘いがあったのか、それとも自然に口から漏れた『男の子』なのかは理解できない点だが、観戦する価値のある対戦であるのは疑う余地がない。
彼らは同じ側の世界に生きている。
世羅の生きる道に近く、それよりも血と暴力と死が色濃く存在する。
だからこそ、最適で最短のコミュニケーションが、戦いになるのは必然なのだろうか。
「ふむん」
既に五十を超える打撃を交わしていながら、現状での直撃打はまだ無い。互いに互いの攻撃を回避し、防御しつつ隙を探っている段階なのだと思われる。
見たところ、腕力という点では戒が一歩勝っているようだった。
基本的には回避をしている悠が、それが出来ない時に手を使って防御をする際に、顔を歪めている。
わざとらしさはそこになく、実際に軋む音が聞こえてきそうですらあった。
普通車を容易に蹴り飛ばせるような身体強化の施された拳の一撃は、常人相手ならば容易くマッチ棒のように骨を折るだろう。
それを受けながらも、衝撃を巧みに分散させて最大威力を受け流している悠の近接戦闘における格闘技術は、戒よりも一日の長があるようだ。
どこか直線的で力任せの打撃を放っている戒に対し、悠は一連の動作に流麗さがある。
相手の力を上手く受け流しながら、そのままの動きで反撃に転じている。
それは技――技術と評されるべき洗練された動作だ。
最初の段階では並外れた戒の力に対する受け流しの調整を行っていたのか、悠の攻撃の回数が時間の経過毎に増している。
形勢が不利に転がりつつあると驕りなく即断したらしい戒は、あっさりと現状に対するこだわり――そんなものは最初から無かったのかもしれないが――を捨てて、蹴りなども織り交ぜるようになった。
時間の問題ではあったのだろうが、そこからは移動も混ざるようになった。
ヒットアンドアウェイ――というのだろうか。互いに一撃を交えては距離を取り、また一撃を当てにいく。
その繰り返しとなっているのだが、並外れた速度の多角的な移動は世羅の目では追いかけるのがやっとというレベルに達しつつある。
彼らが通り過ぎた後の結果で、何が起こっているのかを察する。
当たらなかった攻撃の余波は周囲に被害を与え始めていた。アスファルトが陥没し、元から曲がっていた街灯がさらに折れ曲がり、枯れた街路樹はへし折れる。路上に放置されていた車の前半分がプレスされたように潰され、細かく砕けた瓦礫や木片が周囲に結構な勢いで飛散し始めている。
被害の規模が人間同士の肉弾戦とは思えなくなってきた。
事ここに至って、直撃打もいくらか生じるようになったようだ。
「――ひゃっ!?」
顔の前で手を振ると、どちらのものとも知れない血飛沫が付着した。
ある程度は気を遣ってはくれているのだろうけれど、そうした『流れ弾』の危険性が増してきているし、そろそろお互いしか見えなくなってきているような熱を感じる。
何者であれ無粋に割り込んだりすれば、即座に迎撃されそうな結界的な空気が出来上がりつつある。
だから、世羅も少し距離を取るようにした。
ついでに、目の前に『盾』を形成して流れ弾による被害を防ぐと同時に、より詳細な観戦を行うために視力強化を施し、その傍らで考察にも意識を割きつつ、『PDA』を片手に周辺警戒も怠らないようにする。
意識を分散させながらも、散漫にさせない――ある種のマルチタスク的な思考運用は、魔術師にとっては必須技能でもある。
得意とまでは言えないけれど、なんとかまだ容量超過はしていない。
「さて……」
あまり意味のない呟きを漏らしながら、世羅は眼前の光景から暫し意識を切り離す。
考えなくてはならない事がある。
そもそも、この戦いそのものに大した意味を世羅は見出していない。
実際に口にしたように『無駄手間』でしかないのだ。話し合いで片付くような問題に、どうして殴り合いをする必要があるのか心底不思議に思う。
決め手になったのは戒の宣戦布告じみた不自然な積極性だが、どうにも全体的に振り返ると悠に誘導されたような印象が強い。
彼が何度か口にしていた『護衛対象』という言葉から、ある程度の事情が汲み取れてしまうというのもおかしい。
根本的に『護衛対象』とやらと接触させるつもりがないのなら、世羅たちの前にわざわざ姿を見せる必要が彼にはないのだ。
仮に『護衛対象』が重傷などで動かせないような状態にあるのだとしても、その『護衛対象』を視界に入らない範囲に避難させた状態でこちらに接触してきたことから考えれば、護衛をしているのが悠一人だけということもないだろう。
この場所に留まらなければならない理由があるとも思えないので、悠の狙いはどう考えても世羅たちと――あるいは戒だけかも知れないが――接触することにあったと考えるのが妥当なのだ。
この『遊戯』で顔を合わせても敵対する意思がない顔見知りがいれば、普通なら協力を要請しそうなものだが、むしろ意図的に敵対を煽るような言動を織り交ぜていた悠の真意がまるで読めない。
懐中時計のような物で『何か』を確認していたような素振りと関係があるのかもしれないが、現状が悠の狙い通りに推移しているような気がしてならないのは、本音ではあんまり愉快ではなかった。
だから――
世羅の視線は自然と悠を追っていた。
「それにしても、何者なんだかねぇ……」
戒と爽馬の戦いを最初に目の当たりにしている分、この戦闘に対する驚きそのものは薄いが――その代わりのように浮き彫りになる異質さが『斉藤悠』にはあった。
戒の性格から考えるに、初手の三連撃全てを身体強化の状態で打ち込んでいるはずだ。
遊びの要素を完全に排除していた攻撃。
それは常人ならば明確な死亡レベルで、そうでないとしても確実なダメージを与えられるはずだ。
「簡単に考えても、あたしが受けたと仮定すれば、最初のボディで内臓破裂。二撃目の蹴り上げで意識喪失から死亡のコンボ。三撃目は明らかな過剰攻撃になるわよね」
世羅の感じた、悠の異質さは――
それらのダメージを間違いなく受けておきながら、わずか数秒も経ずに回復したことだ。
戒は気づいていなかったようだが、明らかに『回復』していた。
何かをした風でもないのにだ。
自然回復というには明らかに常軌を逸している。
仮に彼が高位の能力者であったとしても、あの速度は在り得ないのではないか?
「あれじゃあ、まるで――」
「あの馬鹿者は、また厄介な面倒を背負い込んだようだ」
頭に浮かんだ『仮定』を言葉の枠に嵌めようとしたそのタイミングで、幼くも大人びた口調の声が耳に届いた。
「…………っ」
唐突に横に立った――いや、より正確には、いきなり真横に現れた幼女の存在に度肝を抜かれなかったといえば嘘になる。
思考にある程度の意識を割いていたとはいえども、状況に応じた警戒をものの見事にすり抜けられた――というか、警戒していたとしてもこの出現方法では察知は困難だろう。
あまりにも役立たずな『PDA』の警告音が、今更ながらに鳴っている。
可能な限り動揺を表に出さないように苦心しながら、声の発生源に横目を向ける。
「やあ、こんばんは。とても虫唾の走る嫌な夜だね」
可愛らしいゴスロリ風の衣装を纏った、小学校の高学年ぐらいの幼女がいた。
白緑色の髪を風に靡かせながら、見た目とは裏腹に落ち着いた微笑を浮かべて、にっこりと世羅を見上げている。
そのあまりの可愛さに抱きしめたくなるのを、世羅はギリギリで自制する。
「そーですね。別の場所ならそうでもないんでしょーが、全くの同感です」
にこやかさの奥に底知れぬ光を宿した双眸を直視するのが、本能が緊急警報を発令するレベルでとてつもなく嫌だったので、すぐに目を逸らす。
「………え~っと、ラスク・フォン・ルーテシア……さん、でいいのかしら?」
その容姿と口調の二つの要素から閃くものがあったので、そのまま問いの形にする。
「おや? 君に名乗った覚えはないのだがね」
「それに答える前に確認を一つ。結構なご年配の方だとお見受けいたしますが、楽な口調でもよろしいでしょうか?」
単純に見た目で判断するのは愚かだろう。
戒に告げたように『向こう側』に属している異界の住人であるのならば、わかり易い常識の範疇で物を考えても仕方がない部分が多々あるのだ。
「好きにしてくれて構わんよ。たかだか口調程度にいちいち目くじらを立てるほど狭量ではないつもりだ」
年季の入った仕種で肩を竦めるその様子からは、大人の余裕が感じられる。
「では――なんとなくイメージでね。戒の話しぶりからの印象に合致してるわ」
「成程。自発的な口数の多いタイプではないと思っていたし、その印象は今もまったく覆らないが………彼は随分と君に心を開いているようだね」
「本当にそうだったら嬉しいわ」
素直にそう思う。
わざわざ自分から友達になりたいと言った相手なのだ。
戒も同じくらいの――せめてそうなってもいいと思ってくれるくらいにこちらを想ってくれているのなら、それなり以上に喜ばしい。
ちなみに。
現在の戒は、ちょうど悠の横腹に蹴りを叩き込んだところだった。
「ぐっほ」とか苦鳴を上げた悠を、とんでもない勢いでそのまま蹴り飛ばす。
悠は近くの民家の玄関を粉砕して一時的に消失したが、すぐにわざわざ屋根を突き破って復帰する。
「とぉうっ!!」
まるでスーパーマンの登場シーンみたいだった。
追う形で跳躍した戒が同じ高さに到達し、拳と蹴りの肉体言語の応酬が始まる。
漫画でしか見られないと思っていた空中での格闘戦は見応え抜群だったが、やはりと言うべきかあまりに冗談じみているために変な笑いがこみ上げてきそうにもなる。
「あ。ちなみに、あたしの名前は桜堂世羅よ」
ひくっと口の端を歪めながら、ラスクに名乗る。
「では、改めて名乗ろう。ラスク・フォン・ルーテシアだ。よろしく」
傍から見る分には友好的に見える表情で、お互いに自己紹介をした。
「それであたしに何か用? それともアレの観戦?」
こっちの様子など完全に『アウトオブ眼中』になった感じで、ボコボコ殴り合っている二人を指差す。
「強いて言うならば後者だったのだが、君にも興味はあるね」
内心で、うへぁ……と呟いてしまう世羅だった。
面倒そうなタイプに目を付けられたと困惑交じりに辟易したのだが、戒がその内心を何らかの形で知ったならば、自分を棚上げするなと小声で呟いた……かもしれない。
「それはどういう意味ででしょうか?」
「なぁに、荒事を含んだ用件ではないので、そう警戒しなくていい。強いて言うならば、ただの好奇心だからね」
「好奇心?」
「ああ。君は何故に『篠宮戒』と関わったのかな? もう君もそれなりの精度で知っているとは思うが、こうした場において安易に近寄るには相当な危険人物だったはずだよ。外見も態度も装備も全てにおいて抜かりなくね」
散々な言われ様の戒だが、否定する要素もあんまりないのが悩ましい。
ただ世羅としては、そうした点を抜きにして、半ば衝動的に踏み込んでいたというのが実情である。選択の余地はあったのだろうが、そこをすり抜けて行動してしまったのだから仕方がない。
「はぁ、強いて言うなら、ほとんど行き当たりばったりなんだけど……」
極論になるが、ラスクの問いに返せる返答は――
「最初に遭遇したのが、戒だったからというだけの話よ」
――ということになる。
正確には『あの二人』と言うべきだが、そこは割愛しておく。
「良くも悪くも、そういう星の巡りだったんでしょ?」
星の巡りというのは言葉の綾だが、互いの意思の外側にある『何か』が、あの邂逅を演出したのではないかとは思っている。
ここに至るまでの展開が世羅にとって都合がよすぎるからこそ、それを偶然という言葉では片付けられない。今の立ち位置は、何者かの思惑を孕んだある種の異常事態に属するものであるはずなのだ。
少なくても、この『遊戯』に意図して世羅を放り込んだ何者かが存在するのは、疑いようのない確定事項なのだから。
その思考を裏付けるように、ラスクが独り言のような呟きを発する。
「そんな風に巡るはずはないのだがねぇ……」
「意味深な呟きね」
似たようなニュアンスの発言を、直前にも悠がしていたのを思い出す。
言葉通りに受け取るべきなのか。裏読みが必要なのか。
そのどちらであったとしても、明らかに『桜堂世羅』を異物と見なしている。
例えるならば、脚本の誤植。
この物語には、世羅の出番はないのだと言われているかのようだ。
それは世羅の抱いている『違和感』と合致している。
「でも、結果としてそうなったんだから、そうなるのが必然だったとも言えるんじゃない?」
「本来ならば、自分が辿るはずのない道だったとしても?」
「本来ならばってなに?」
思わずといった風に失笑しながら、世羅は皮肉っぽく聞き返す。
世羅は運命なんてものは信じていないし、誰かの思惑通りに動かされるのは虫唾が走るほどに大嫌いだ。
提示された選択肢を選ぶのは自分で、その選択の結果は自分だけのものだと思っている。
誰かの思惑が絡んでいて思い通りに誘導されたのだとしても、誰にも相手してもらえない孤独寂しんぼの黒幕気取りがどっかその辺で『計画通り』とかドヤ顔の独り言を呟いていたとしても知ったことではない。
選択の結果を紡いで、より良き明日を目指して歩んでいくのは、他の誰でもない世羅自身に他ならないのだから。
「そもそも、あたしが素直に誰かの思い通りになるような女に見える?」
「………………ほぉ」
ほんのわずかに目を丸くしたラスクの顔は見た目に相応なもので、世羅にとって当たり前でしかない言葉に驚いているようだった。
やがて肩を揺らしながら、ラスクは笑い出す。
実に愉快そうに、くくくと声に出して。
「あぁ、あぁ、なるほど確かに全くその通りだ。
君も――いやいや、君たちもさぞかし耳が痛かろうね。――なあ?」
最後の呟きは、明確にこの場にいない誰かへと向けられていた。
「いやぁ、なかなかに気持ちのいいお嬢さんだ。
さして期待はしていなかったのだが、評価をかなり修正しなくてはいけないね」
「そりゃどーも」
他者の上から目線の評価が、どんな風に修正されたとしても興味がないというのが本音の世羅である。
「あの陰気な魔術師の娘とは思えないね。やはり母親の影響が強いのかな?」
しかし、何気ない風に続けられた言葉は、興味なしと聞き流せないものだった。
「………。さっきも迷彩バンダナに同じ疑問を尋ねたんだけど、あたしのパ……お父さんを知ってるの?」
年に一度、殺風景な内容の手紙を送って来る行方不明の父親。
雲を掴むように手掛かりのない家族を知る者が、こんな『遊戯』の舞台で立て続けに現れるのだから冷静でいられるはずもなかった。
「勿論だ。彼は君が思っているよりも、遥かに有名人だよ。良くも悪くもね」
「………………」
「あぁ、誤解をしないで欲しいのだが、私は彼を親しい友人だと思っているよ。背中合わせに戦った経験もある――というか、彼と絡む時は決まって荒事なのが悩みの種だ。せめて、もう少し静かな環境で語らいなどをしたいのだがね」
「………ご迷惑をおかけしております?」
「それ程ではないさ」
軽く応じる言葉には、気負いというものがない。
ラスクはその言葉通りに、父を友人だと思っており、その関係で生じる諸々の厄介を瑣末だと割り切っている風だ。
楽しんでさえいたのかもしれない――そう思えるぐらいに、その表情は優しい。
「ふぅむ。結局、逢う機会を逃してしまったままなのだが、彼の妻となった女性に俄然、興味が湧いてきてしまったよ。どんな女性だったのか聞いてもいいかな?」
「………あたしはマ……お母さんのことは、あんまり覚えてないの。物心付く前に病気で………だから………」
「すまない。そういえば、そうだったな。
時間の感覚が君たちとズレているせいで、不躾な物言いになってしまったようだ」
「別にいいよ。
ただ、根拠はないんだけど、強烈な個性の持ち主だったんじゃないかと思ってる」
「あの男を結婚させられるくらいの女性だからねぇ」
「あの男『と』結婚『する』くらいだから、じゃないんだ?」
「その程度の個性では、あの男をこの世界に繋ぎ止めることは出来ないよ」
「………………そう、かもね」
普段はあまり意識しないようにしている家族の話になってしまったからなのだろう。
ややしんみりした空気を醸成しながら、そっちの方に意識の比重が傾いていた。
だから。
ドゴォッ――というおよそ殴り合いでは生じそうにない轟音が耳に飛び込んできた時に、世羅は驚きでビクッと肩を震わせていた。
「な、なにっ!」
「おぉ、あれは痛そうだな」
対照的に呑気なラスクの呟きを聞きながら視線を向けると、ちょうど二人の拳が互いの顔を捕らえていた。
比喩ではなく、拳の形に顔が変形しているのではないかと思う。
そのまま二人の動きが止まる。
やがて、ゆっくりと拳を引き、ほぼ同時に数歩分後ろに退く。
「殴られるとやっぱり痛いよなぁ……? 久しぶりにそう思うぜ」
拳を受けた頬に手を当てて、何かを懐かしむように悠が言う。
「殴り甲斐の無い奴だ」
口の端を垂れる血を指先で拭う戒は詰まらなそうだ。
「それはお互い様だっつーの。そっちの強化されてる身体殴れば、逆にこっちの骨から軋んだ音がすんだよ。それに当てても大したダメージなんか無いんだろーがよ?」
プラプラと手首から先を揺らす悠。
「それでも、愉快な気持ちにはならん」
「そりゃそーだ。
さて、そろそろ準備運動は終わりにしようか。程よく体も暖まっただろ?」
悠が何気なく前に伸ばした右手の内に、忽然と拳銃が顕れる。
それはどこかから取り出したというのではなく、己が魔力で創造した『道具』だった。
本物ではないが限りなく本物に近く、本物ではありえない機能を有した偽物でもある。
悠にとって都合のいい『理』を具現するための武器――『魔道具』だ。
「………………」
ため息を吐いた戒が前動作も無く、夜よりもなお昏い『闇』を纏う。
ボロボロになったマントのようにも見える衣にその身体を覆わせて、その右手に同じ闇の長剣を握る。
片や口の端を上げて。
片や無表情のままに。
静かな対峙。
だが、それは直後に起きる嵐の前の静けさに他ならない。
彼らが『武器』を手にした。
たったそれだけで、緊張感が跳ね上がった。
ここまでは――
戒は如何にも不承不承で仕方なくという感じで。
悠はあくまで自然体で、殺気や怒気といった強い感情を露にはしていない。それは殴り合いの最中であっても同じであり――それはそれで問題がありそうな感じだけど――むしろ嬉々としていた。
言ってしまえば、予定調和の組み手のようなものだ。
如何に見た目や周辺被害が派手であっても、根本的にダメージらしいダメージが双方に生じていない。
だからなのだろう。
世羅は緊張感も薄く、テレビを観賞するのに近い気分で二人の戦いを見ていた。
「さて、単純な展開に君も飽きてきていただろう?
どうやら前哨戦は終わりにしてくれるようだよ」
だが。
そんな悠長な雰囲気は今、跡形もなく消し飛んだ。
無意識に唾を飲み込んでしまうほどに、空気が凍りついていく。
「――これから君が目にするのは、我々の棲む『夜』の戦いだ。克目するといい。今後の参考になるだろう」
「今後、ね。あたしはあんまり殺伐とした展開は望んでないんだけど?」
世羅の本心からの呟きに、ラスクが意味深な微笑を浮かべる。
――と、不意に『PDA』がメールの着信を告げた。
『参加者の皆さんに、重要なお知らせです。
お楽しみ頂けているであろう『遊戯』も、只今を持ちまして二日目となります。
それを機に、よりスリリングに『遊戯』を続けてもらえますように、現時刻より各所に設置していた『罠』の安全装置(笑)を解除させて頂きます。
可愛いお茶目な子供の悪戯レベルから、生命の危機に直結する悪質極まりない仕掛け(アトラクシヨン)まで、主々様々多種多様の『罠』の数々は、我々運営が自信を持ってお送りする一品ばかり、さぞ皆様のご期待にお答えできるものと自負しております。
それでは、参加者の皆様は些細な不注意がゲームクリアを阻む緊張感を、たっぷりとお楽しみください』
――こんな内容だった。
「ふざけてるわね」
世羅の感想。
「いや、向こうは大真面目だろう」
それに対するラスクの応答。
「なにはともあれ、ちょうどいい時刻と言うべきかな?
午前零時。あるいは二十四時。一日目の終了。二日目の開始。昨日と今日の狭間。今日と明日の狭間。昨日であり、明日であり、そして、今日でもある時間の境が曖昧になるこの刹那に――さぁ、魔法使いの宴を始めよう」
話の後半から、ようやく戦闘パートに突入です。まだ序盤ですが。
よくよく考えてみれば、1話以来だよね。
自分でもどうかと思います。