5 とある少女の場合
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例えば、こんな終わりもあった。
舞台から去りゆく者に、ただ単純に運が悪かったのだと――彼は言った。
● ● ●
「――どうして?」
彼女の頭の中には数多の疑問があった。
どうして、こんなことになったのだろう?
彼女――山上唯は路上を這っていた。下腹部には穴が空き、そこから流れる血液が彼女の這い進んできた道筋にこびり付いている。
昨日は何の変哲もない一日だったはずだ。
いつものように起きて、いつものように学校に行って、いつものように友達と放課後を過ごして、適度な頃合に帰路に着いた。
そこまでは『いつものように』微々たる変化しかない日常だった。
けれど、眠った覚えもないのに、目を覚ませば――日常は一変していた。
深夜。見知らぬ部屋。見知らぬ家で目を覚まし、傍らには『PDA』があり、首輪が嵌められていた。理解不能な状況に戸惑いながら、かなり遅ればせながらに思い出した『PDA』から得た情報は、半信半疑どころか十全にその内容を信じられないものだった。
これは『遊戯』であり、彼女は参加者である、と。
これより七十二時間を生き残れ、と『PDA』の液晶画面が告げていた。
首輪はルールを遵守させるためのものであり、特定のルール違反を犯せば爆破するとの注記もあった。
そんな馬鹿げた内容が、冗談でなければなんだというのか?
素直に信じる方がおかしい。
それでも不気味に赤黒い夜に、外に出る勇気は得られず、生活臭皆無の無味乾燥な家で一夜を過ごした。
朝と呼べる時間帯になると外は明るくなった。
だからこそ、気づいたのだが――この場所が何か巨大な建造物の内側、あるいは地下なのではないかという証明。頭上にあるのは空ではなく、天井とでも評するべき『蓋』だった。
信じ込もうとした現実が揺らぎ、背筋が凍りついたかのように寒くなった。
もしかしたら、これは冗談ではないのかもしれない。
そんな不安が胸中に生まれた。
その不安を払拭するため、その不安を否定してくれる誰かに逢うため、そのために唯は外に出た。
震える手で『PDA』を操作しながら、ふらふらと街中を歩いた。
やがて、近くに同じ参加者がいるという情報を『PDA』が伝えてきたので、その『誰か』の元へと向かった。警戒はしていたのだと思うけれど、それよりも『誰か』に会えるのを喜ぶ気持ちの方が強かったのだと思う。
――その気持ちこそが落とし穴に他ならなかったのだろう。
その男は三十代中盤くらいだった。ややくたびれたスーツを着ており、無精ひげを生やしていた。
特徴という特徴はなく、強いて言うなら彼女と同じ首輪をしていた。
何かを両手で握り締め、前傾姿勢で落ち着きなく周囲を見回しているそんな男性の姿を見て、おっかなびっくりとはいえ声をかけたりするなど――真実、この『遊戯』の本質を理解していたならば、ありえない選択だったはずなのだ。
読み飛ばしていたわけでもない。理解を拒絶していたわけでもない。
唯は『PDA』から得られる情報で、この『遊戯』が自分を生き残らせるために他者を害する行為を推奨しているゲームなのだと、ちゃんと理解していた。
そのために必要な『武器』もちゃんと用意されており、探すのも難しくはないのだとも。
ただ、純粋にそれを信じたくなかっただけで。
そうした唯の甘さ――現実逃避に報いたのは、男の奇声じみた叫びと一発の銃声と下腹部を貫く衝撃だった。
よろめきながら見た男は、血走った目を大きく見開いていた。
――信じられない、とその表情が物語っていた。
自分の行動も、その結果として彼女を害したのも、大量の出血も、倒れる彼女の存在も、硝煙が立ち昇る拳銃も。
それまでの彼に何があったのかは知る由もないが、他人の存在に衝動的に引き金を引くほど怯えていたのだから、尋常な経験ではなかったはずだ。
彼にとって、手に持った『拳銃』の引き金を引くことは越えてはならない最後の一線だったのだろう。
他人を殺した――その認識は狂ったような嗤いとなって男の喉から迸り、涙を零しながら何処へともなく駆け去っていった。
後に残されたのは、致命傷を負って路上に倒れた唯だけ。
「………どうして………?」
身を削られるような激痛の中、唯の胸中にあるのは現状に対する疑問と死にたくないという渇望だけだった。
両手を使って、這いずるように前へ進む。
それを何度繰り返しただろう。
死にたくない――その気持ちを糧にした生き汚さに呆れてしまいそうになるが、遠からず限界が訪れるのは明白だった。
時間の感覚はとうに失せている。
視界は明滅していて、暗くなる時間が長くなってきた。
自分が今どうなっているのか、今でも這い進んでいるのかすらわからない。
眠りに落ちるように意識が薄らいでいく。
それは安らぎにも似た『死』への誘い。
「………………」
諦めにも似た気持ちで、小さく息を吐いたような気がする。
「………だれ?」
ふと、見られているような気がして顔を上げた……ように思う。
輪郭がぼやけて判然としないが、誰かが確かにいた。
膝を着いているのだろう。意外に近くに感じる誰かは、ボロボロの衣を纏っていて、その黒さから死神のようにも見えた。
――けれど、見下ろす眼差しは冷たい輝きを宿しながらも、同時に唯を憐れんでいるようにも感じた。
ほんの少しだけど、優しい瞳をしているとさえ思った。
「お迎えが………来たの?」
弱々しい呟きが口から漏れた。
「………あたしは……まだ死にたく………ない。………死にたくなんか………ないのに、どうして………?」
滲んだ視界は涙のせい。
苦しくて、悔しくて、到底納得できない理不尽が許せなくて………それでも覆らない現実が悲しくて。
「………あたしが………悪いの? ………こんな目に遭わなくちゃ………いけないのは………あたしのせい………なの………?」
「お前は何も悪くない」
感情の揺れ幅の感じられない冷徹な声が、はっきりと否定を告げる。
「なら、どうして………?」
「お前は運が悪かった。ただそれだけの話だ」
問いかけに対する解答は、あんまりと言えばあんまりなものだった。
「なによ、それ。………ひどくない?」
あんまりにもひどいので、思わず笑ってしまった。
痛みも苦しみも悔しさも絶望も………その時は何もかもを忘れて、まるで陽だまりの世界にいた頃のように笑った。
「確かに酷い話だが、この程度の不幸は何処にでも転がっている。その不幸の対象にお前が選ばれたのは、やはり運が悪かったからだ」
下らないゲームに勝手に参加させられ、理不尽に生命を奪われ、残り少ないわずかな時間を苦しみに費やしている。
たまたま居合わせた誰かが看取ってくれるのは、ほんのわずかな救いなのだろうけれど、それだって何の慰めにもならない。
なにより、その誰かの言葉は何処までも容赦がなく――死からは絶対に逃げられないのだと思い知らされた。
運が悪かったから、もうすぐ死ぬ。
こんな何処とも知れぬ場所で、自分を知る人のいない場所で。
なんて理不尽なんだろう。
なんて意味がないのだろう。
悲しい。それがとても悲しい。
――ああ、それでも………きっとこの誰かは、あたしを覚えていてくれる。
不思議とそんな確信があった。
救いではないけれど、安らげる程度には嬉しかった。
零れ落ちる涙の理由は変わっていた。
「………不幸………かぁ………………」
この人を見たいと強く望んで、半ばまで閉ざされていた瞳を強く開いた。
ほんの一瞬だけ鮮明になった視界に映ったのは――無表情にこちらを見下ろす、唯の好みにあったカッコイイ男の顔だった。
平時なら見惚れていただろう。
だが、生死の狭間を彷徨う唯は、その無表情の中に、自分の置かれた現状とは背中合わせのようにベクトルは異なっているけれど、根底に似通った何かが根付いているのを感じた。
例えば――
死にたくないのに、誰かに殺される。それは当たり前のような不幸だ。
だけど――
もう死にたいのに、誰にも殺してもらえない。それもきっと不幸だ。
「――あぁ………」
この誰かは、自分を羨んでいる。
その理由は彼女には理解できないものだろうけれど。
この人は、きっと………。
「………あなたも不幸なのね」
それが理解ったから、あはっ――と笑いながら唯は告げていた。
「お前ほどじゃない」
それが自分の聞く最後になるであろう言葉。
唯は痛みも苦しみも忘れた穏やかな気持ちで、その瞳を閉じた。




