15 君の孤独を――
15
名前を呼んで。
――名前で呼んで。
● ● ●
………………。
雑音。雑音雑音。雑音雑音雑音。雑音雑音雑音雑音。
花びらが舞う桜並木。
緩やかな坂道を歩いている二人。
「あなたが好きです」
軽い足取りで先を進んでいたあたしとあまり年の変わらない印象の『不思議と見覚えのある』少女が、振り返り様にそう言った。
「…………」
少女の唇が紡いだ言葉を聞いた『不思議と見覚えのある』彼は、困惑の表情を浮かべる。
それまでに交わしていた会話の続きというには、あまりにも脈絡がなかったから。
なによりも、彼は自分が他人に好かれてもいい人間ではないのだと自覚していたから。
彼女の言葉が理解できなくて困惑していた。
返す言葉が浮かばない彼は沈黙し、それを見る少女は笑顔になる。
「変な顔になってるよ?」
「自覚はしているさ」
青年というべき風貌の彼は、微苦笑を浮かべる。
天涯孤独であった彼の人生において、傍らに誰かが居てくれた時間が極端に少なかったからなのだろう。あまり内心を表に出さない――つまりは感情を表情に反映させないタチなのだが、それ相応の時間を経過してくると、それでもある程度は彼の内心が読み取れるようになる。
そうであるが故に、傍らにある時間の最長記録を更新し続ける少女は、かなり正確に現状の彼の内心を理解していた。
つまり――
「本っっっっ気で理解されてないわね、これは」
見る者にその苦労を偲ばせる年季の入ったため息を一つ。
最初は偶然。その次も偶然。その次の次は、少女が望んだ必然。
本来ならば、その少女の人生において彼の存在は『異端』に他ならず、その道が交わったとしてもほんの一瞬のすれ違いで終わるはずだった。
その程度に過ぎなかったか細い縁が未だ切れずに繋がっているのは――
それを少女が望んだから。強く。とても強く。
抱いた想いを大切にしていたから。とても。とても強く。
「何を項垂れている?」
「まあ、ちょっとね」
がっくりと肩を下ろしてはいても、「坂道を登り切るにはまだまだかかりそうね」と楽しそうに呟いていたりする少女。
「?」
「鈍ちん」
「何か言ったか?」
「なんでもありませ~ん」
「そうか」
そんな会話を交わしながら、桜並木を二人は歩いていく。
………あぁ、それがとても微笑ましくて、あたしは幸せな気持ちになる。
この二人には幸せになって欲しいと本心から思った。
雑音雑音雑音雑音。雑音雑音雑音。雑音雑音。雑音。
………………。
● ● ●
五月四日。
午前五時二十三分。
また。
夢を、視た。
そんな自覚とともに、ゆっくりと目を開く。
目覚めは極めて自然で、眠気の全く残らないものだった。
「………ふぅ………」と、吐息を漏らす。
それは『過去』であり、同時に『未来』でもあるかも知れない光景。
意味がなく、意味があり、意味を与えられるかもしれない、そんな扱いを持て余す情報であり、程なく記憶にも残らずに残滓として漂うだけのもの。
それを『今』はまだ覚えている。
夢のような夢だからこそ、愛する人たちの幸福を泣きそうなぐらい嬉しく思いながら、その頬に一筋の涙を伝わせる。
ゆっくりと上半身を起こす。
今回は睡眠時間が短かったせいか、半裸にはなっていなかったが、ラスクのプロデュースしたちょっとエロい感じの寝間着に乱れが生じているのは自覚の薄かった(せめてもの抵抗)悪癖が発露されかけていたせいなのだろう。
「………………」
そこは廃墟マンションの一室――その寝室である。傷みの少ない部屋を選び、それをラスクが簡単に掃除して――人差し指を軽く左右に振っただけで冗談のように埃の類が綺麗に消え失せた――要塞級の結界を張り巡らせてくれている。
故に、わずか数時間ぐらいだが、快適な睡眠を送れた。
それはすぐ隣で穏やかな寝息をたてている壱世も同様だろう。
クスリと微笑みながら手を伸ばして、軽く壱世の頭を撫でる。
子供のようにふにゃりと笑む壱世が可愛くて、世羅も思わず微笑む。
夢見がよかったのも、ある種の悪意が高密度で渦巻く遊戯場において、この部屋が浄化されていたからなのだと自然に思えた。
そういう意味では、ラスクに感謝するべきなのだろう。
自分が幸せなのは勿論嬉しいことだけど、他の誰かが幸せそうに笑っているのを見るのも実は大好物なのである。
「――目が覚めたかね? それなりに気を遣ったつもりだが眠りは快適だったかな?」
二つ並んだベッドの片方に無造作に腰かけて、それなりに面白い映画を鑑賞するかのような眼差しで外を視ていたラスクが、肩越しに振り返っていた。
床に届かない足をブラブラと揺らしている姿は年相応なのだが、その眼差しに宿る積み重ねてきた時の流れはこの地で出逢った誰よりも、きっと永い。
「おかげさまでね。夢見がよかったのも含めて感謝するわ。――ありがとう」
「それは重畳。」
意味ありげに口元をほころばせるのは、ある種の確信犯的な意図を含んでのものだろう。
どうにも自分は目を付けられやすい性質を有しているようで、斉藤悠やラスクには何らかの期待をされているような節がある。
それは父親が絡んでいるのが最初の一点であり、その後に桜堂世羅という個人を判断した上でのもう一点がある。段階を踏むような形ではあるが、彼らのような人種に期待をされているというのは、その内容がどうであれ、あまり気持ちのいいものではなかったりする。
まず、まともなレベルではないというのは絶対なのだから。
ある種の非日常を望んでいないわけではないのだが――既にこれまでの人生が片足突っ込んでいるのも含めて――手に負えないレベルであっては困るのだ。
「それで、件の『刃』に逢いに行くのかね?」
「まぁね。それがなにか?」
「ふむ。正確には、期待の類だがね」
ラスクが体ごと向き直り、世羅と目線を合わせる。
今回は嫌な感じがしなかったので、世羅も目線を逸らさない。
「あまり言の葉にして紡ぐのはよくないのだがね」
ラスクはそんな前置きを口にしてから、
「君は本来の脚本にも、今の歪んだ脚本にも、そもそも存在していない者だ。そんな人物が存在しているだけでなく、何らかの行動をすれば、それだけで脚本はさらに歪みを帯びる。良くも悪くも、君の行動は様々な形で予期せぬ事態を招く要因になるのだよ。
例えるならば、凪いだ水面に波紋を広げる小石のようなものだ」
相も変わらずの内容としては理解できても、意味としては理解できないことを語る。
「それなら、身動きしない方が無難なのかしらね」
「それだと面白くないだろう? 本筋の外側であったとしても、その先に繋がる物語に影響を残してくれるのなら、我々としても願ったり叶ったりだ。どんどん思い通りに行動をしてくれたまえ。そもそも君はロクに信用も出来ない他人の言動で、自己の行動を抑制するようなタイプではなかろう?」
「そうね。その程度の不確定要素で足を止めるほど、あたしは素直じゃないわ」
にやりと笑うラスクに、同種の笑みを返す。
「――確か、『静謐なる刃』と呼ばれているのだったかな? 君が逢いに行くと言っていた能力者は?」
「岸本爽馬、よ」
こちらの訂正に、ラスクはにこりと微笑する。
「アレはかなり厄介な類だよ。好奇心を絡めた面白半分で首を突っ込むのはお勧め出来ないぐらいにはね。既に篠宮戒と邂逅しているのなら尚更だ。火種を持ったまま油に手を突っ込むようなものだと忠告させてもらおう」
炎上が確実な例えだった。
「理解はしているつもりよ」
「その認識はまだ甘いと言わせて貰おう。彼らを縛る呪いは強固というよりも、極端にタチの悪い部類のものだ。ここが『アレ』と化しているのを踏まえ、『例外』の存在を考慮に入れた上で、君という不確定要素を絡めたとしても、精々が数多ある楔を一つ外せるかどうかというぐらいだろう」
「………………」
ラスクの語る諸々の情報は、とても大事なことなのだろう。
ただそれを世羅が理解できないだけで。
「それを成したところで、その先に続くのはあまりにも険しい道だ。
そんな遥かに遠い理想郷を目指すような道を、君は如何なる理由で歩むというのか――それを私に教えてはくれないか?」
その問いに返せる明確な答えを、世羅はまだ持っていない。
篠宮戒と岸本爽馬。
あの二人が殺し合うのは間違っている――それは初見の段階から覆らない確信。
理由はわからない。そう思う理由も。あの二人が殺し合う理由も。
世羅の知らないところで何らかの因縁が生じているのだとしても、どうしてもあの二人が殺し合いを演じるという構図に、どうしようもなく悪意的に歪められた『脚本』の存在を感じるのだ。
ともすれば、それがラスクの口にした『呪い』なのかも知れないが。
そうした不確かな諸々を差し置いて、世羅が言えるのは何度も繰り返してきたが。
「………あの二人を、あたしは放っておけないのよ。
ただそれだけの、何の根拠も存在しないただの『勘』ね」
つまりはそういうことなのである。
気になるから、手を伸ばすのだ。伸ばした先に何があるのか定かではなくても。
「………………。その程度の理由にもなっていない理由で、あれらに関わるとは豪胆と言わざるを得ないな。だが、そんな馬鹿馬鹿しく感じるほどに真っ直ぐに突き進める者が、あるいは必要なのかも知れないね」
わずかな沈黙は呆れだろうか。あるいは感心だろうか。
判別の難しい曖昧な表情を浮かべたラスクは、口元だけをわずかに緩めている。
「本当に君は、とても面白い逸材だ。
――あの斉藤悠が目を付けるだけのことはある」
苦い何かを飲み込み、その意思を尊重して見送るように、静かに言う。
「前半の評価はともかく、後半はきっぱりと嫌な気分になる言われっぷりね」
素で返す。
彼の本性がある程度見えてきたからこそ、より強くそう思う。
「言動や態度が鬱陶しい人種なのは確かだが、そう嫌ってやらないで欲しいね」
「………努力はするわ」
ラスクの発言もどうかと思うけども。
「もう少しぐらいは情報の提供をしてくれるとうれしいけど?」
「私には視えている以上のものを把握していない。それを言葉にするのは難しい。そして、それ故に不確かな内容を口にすることで先入観を与えるのも好ましくはない。君は君らしく、君の思うままに行動するのが最善だろう」
「もっともらしいことを言いつつ、実際には何の役にも立ってないアドバイスをどうも」
これ以上の長話に意義を感じなくなったので、世羅はゆっくりと床に降り立つ。
体調は万全に近い状態であり、精神面にも問題はない。
参戦の意を表明しておきながら、解説や見学や雑談にばかり時間を費やしてきたが、これより世羅は『遊戯』において、自発的な行動を開始する。
「壱世ちゃんをよろしくお願いするわね」
「最善を尽くそう」
ふにゃふにゃと緩みきった表情の壱世の頭を撫でてから、身支度を整えるべく部屋の隅へと移動する。
「それじゃあ、準備を整えたら、あたしは行くわね」
「ふむ。それでは、この服に着替えてくれたまえ」
「………………」
服というよりも衣装と称した方がよさそうなヒラヒラフリフリのキラキラした代物を、とてもよい笑顔で渡された。
――丁重にお断りしました。
● ● ●
部屋から一歩外に出ると、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
時間的には夜と朝の狭間ともいうべき頃合。
天井より降り注ぐのは、相も変わらずの鮮血じみた赤黒い照明なので、どちらかというとまだ『夜』に分類されているようだ。
「さて、と。」
爽馬に付けた『目印』で大雑把な方角を確認するが、やはり先刻の火柱が伸びた辺りに反応があり、特に移動をした風でもなかった。
「とりあえず、戒は何処かしら?」
呟きながら、『PDA』を取り出して操作をする。
既に遭遇済みの参加者の位置情報は、同エリア上にいるならば『PDA』で得られるので、戒を探すのは簡単だった。
道行きとしては異なるのだが、とりあえず戒には挨拶をしておきたい。
その思いで、そこまで行ったのだが――
そこに今にも崩れ落ちそうな朽ち果てた枯れ木を幻視た。
それはほんの刹那の幻想。
瞬き一つで、現実の光景を見る。
戦火に曝されたかのような廃墟の街の一角。積み上げられた数多の瓦礫の山。その一つの頂に腰を下ろして、戒は虚空を見上げていた。
その姿が何処か儚く見える。
――まるで感情を削ぎ落とすことで、何よりも大事な意志が枯渇してしまった人形。放置される期間が長くなればなるほどに、生きながらに枯れ堕ちて逝くかのようで。
いつの間にか忘れていた初見の印象が蘇る。
「………あぁ………」
理由のわからないため息が零れ落ちる。
ただ、思う。
彼を――戒を孤独にしてはいけない。
それはあまりよくない選択であり、彼の物語は孤独であればあるほどに悪い方向へと転がってしまう。
だから、誰かがその傍に寄り添っていなければならない。
そうすれば、彼は『人間』でいられる。在り続けられる。
「………………」
躊躇はほんの一瞬。迷いを抱いた。
このまま一時的とはいえども、戒の傍を離れてしまってもいいのか――と。
そんなこちらの揺らぎを感じたのか、戒の視線がスライドする。
「桜堂世羅」
「フルネームで呼ぶな」
恒例のやり取りは、文字通りの意味で挨拶みたいなもの。
「……厄介な獣が徘徊している。あまり迂闊にウロつくなと言っておく」
「あんたが取り逃すほどの相手なの」
「あまり買い被るな。俺はそんなに強くはない」
「そんなのは知ってるわよ。でも、雑魚ってわけでもないでしょう?」
「………。」
「ところで、あんた、怪我してるでしょ?」
「鼻が利く奴だ」
「診せなさい。ここまで血の匂いがしてるわよ」
「随分と血を流したのは事実だな」
あまり協力的でない戒を簡単に診た限りでは、あっちこっちに打撲と裂傷があり、特に重傷なのは脇腹に負ったまるで獣に引っかかれたような傷だった。三本の裂傷の内の一本が深く、これまでに彼は相当量の出血をしていた。痛覚がないとかいうオチでもない限りは、相当の深手といえた。
それを自制心だけで無いかのように見せようとしていたのは驚嘆に値するが、その痩せ我慢はそう遠くない死を招いていたかも知れない。
多分、妙に気にかけている『新婚バカップル』に知られたくなかったのだろうが、それにしても無謀な選択と言わざるを得ないだろう。
せめて、応急処置の一つもしていればよかろうに、傷口に手を当てているだけというお粗末さは、彼がこれまでに深刻な負傷を負わなかったことを示唆しているように思えた。
「………………」
――いや、と自分の思考を訂正する。
裏側の世界に身を置いている戒が、生き延びるために必要な技能を身につけていないはずがない。最低限の医療知識――少なくても応急処置の知識ぐらいは身につけているはずだ。
つまり、応急処置をするだけの余力がないほどに、戒は消耗しているのではないかと思い至った。ただでさえ、直前に斉藤悠と派手な戦闘を行っているのだ。その獣との戦闘においては本来の実力の四割ぐらいしか発揮できなかったのではないだろうか。
深手を負いながら取り逃したという状況は、ギリギリで相打ちに持ち込むのが精一杯だったのだと判断するべきか。
じぃっと戒を見つめる。
根拠はないが、後半の方が戒っぽいと思った。
「………まったく、あんたってやつは………」
痩せ我慢もこの域にまで至れば、感心してしまう。
「少しは素直に頼るって選択を選んだらどーなの?」
「………頼む」
鼻を鳴らしながら、そっぽを向いて戒が言った。
「………………あ。うん」
本当に素直に頼られたので、反応が遅れてしまった。
「とりあえず、応急処置的に止血しておくわね」
「ああ」
元来、治癒的な魔術は存在しないのだが――少なくても世羅の知る限りではあるが――それに近い効果を擬似的に行うことは可能なのである。単純に傷口を塞ぐ――端的に表現すると見えない糸で縫い合わせたようなものだ。
戒の傷は深かったが、内臓にまでは達していなかったのが幸いである。当然ながら後日、正式な治療を受ける必要はある。
「塞がったように見えるだけで傷がなくなったわけじゃないし、下手な動きをしたら即座に傷口が開くから気をつけてよね」
「ああ」
「あと、あたしよりも器用そうなラスクに改めて診てもらうのをお勧めしておくわ」
確認はしていないが、ラスクは『魔法使い』か、あるいはそれに近い領域に立っているはずだ。少なくとも夜の国の住人であるのだから、『こちら側』よりも知識が深く、技量も半端ではあるまい。
あるいは治癒という系統も確立させているかも知れない。
そうでなかったとしても、戒を回復させるぐらいならばお手の物だろう。
「……ああ」
「ホントにわかってるの?」
どうでもよさそうな惰性的な返事にムカッときたので、ややキツめの口調で問いかけた。
それに対する戒の反応は意外なものだった。
自嘲するように口の端を歪めて、
「――俺は、そう簡単に死んだりはしないようになっている」
それがまるで不本意で、不愉快なことであるかのように呟いていた。
「どういう意味よ?」
それが他人事のようにも聞こえて、世羅は首を傾げる。
それはまるで、自己の意思を完全に無視された上で何者かに玩弄されているかのような口振りではないか。
「言葉通りの意味だ。気にするな」
「………………」
自分にもその気があるのは自覚しているが、どうにも思わせ振りな言動をする人間が増えているなと思う。だからだろうか。あの裏表を感じさせない『新婚バカップル』になんか癒し的なものを感じるのは。
さっきもシャワーを浴びながら、壱世ちゃんを散々弄んで友好を深めたし。
本人の意見はさておくけども。
………ふむ。
どうも、こちらが関与していない部分で、少しばかりご機嫌斜めになっているようだ。
それに気づいた以上は、放置しておくのも少しばかり気が咎める。
どうしたものかと考える間に、あたしは行動を決定する。
「まあ、なにはともあれ、よ」
こちらの意図を気取られないように、慎重に戒の正面に立つ。
「――なんだ?」
出逢った当初からそうではあったのだが、この至近距離にあってもなお、戒はまるでこちらを警戒している風ではなかった。
今はその余力も無かっただけなのかもしれないけども。
故に、事を成すのはあまりにも容易だった。拍子抜けするほどに。
………まあ、つまり、要するに、あたしは正面から戒に抱きついたのだよ。ええ。はい。
背中に手を回し、頬と頬を触れ合わせながらの密着状態。
傍から見ると、誤解の余地百%のすごい有様だと思います。
恥ずかしがる余裕なんか微塵もないけどね!
互いが触れ合う直前に感じた殺気は、背筋を氷結させるには十分だった。
刹那で握られた拳は、間違いなく世羅の体を撃ち抜こうとする動きを見せていた。
なのに、それは成されなかった。
何故か?
無意識レベルに最適化された反射による迎撃動作を、戒は意識的に停止させたからだ。
反射的な動作を意識的に無理矢理止めようとした結果、その体は硬直し、世羅の行動を止められなかった。
そういう形である。
自覚の有無はさておき、戒が『殺したくはない』ぐらいには思っていなかったら、どうなっていたかは考えるまでもない。最低でも血反吐は吐いていただろう。
相変わらずの綱渡りに、本気の苦笑を浮かべる。
「なんのつもりだ?」
欠片ほどの動揺もしていない冷静そのものの声。
「あんたは誰かの温もりをたまには思い出さないといけないような気がしたのよ。他意はないから、変な気は起こさないでよね」
「……当たり前だ」
打てば響くような即答――ではなく、少しの間があった。
きっと呆れていたのだろう。
「それにしばらく留守にするから、その間のあたし成分の補充って感じ?」
「――そうか。二度手間は好きではないが、敢えて言おう。精々気をつけるんだな」
「わかってる」
すりすり。ごろにゃ~ん。
「いい加減に離れろ。血で服が汚れるぞ」
「別にちょっとぐらいいいわよ。ここじゃ不自然でもなんでもないでしょ」
「それを自然と思わない連中に遭遇した際に、どんな言い訳をするつもりだ」
「………その可能性もあったわね」
つくづく面倒な状況で行われている『遊戯』である。
辺な寄り道をする羽目にならなければいいんだけど。
「よし」
自分に気合を入れて、戒から離れる。
頬に軽くキスするぐらいのサービスをした方がいいかとも思ったけれど、それはいくらなんでも黒歴史になってしまいそうだ。
それに、誰かに軽く恨まれるかも知れない。可愛い嫉妬に頬を膨らませて。
なんとなく、そんな予感がしたので、やっぱり止めておく。
「それじゃあ、行ってくるわね」
くるんと意味もなくその場で一回転しながら言う。
「………ああ。行ってこい」
戒はその場を動かない。
ただ見送るように視線を、こちらへと向けている。
それがある種の進歩のように思えて、世羅は口元を軽く緩める。
戒に背中を向けて、ゆっくりと歩き出す。




