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2 『遊戯』

  2






 世界は一枚のコインに等しい。


 表が繁栄し光で輝いているのなら、裏では荒唐無稽な悪意の混沌が渦巻いている。


 同じ人間の底知れぬ悪意を、彼女は目の当たりにする。



 ● ● ●



「………………っ」


 世羅の乱入は戦いの場に停滞をもたらしてはいた。


 行き詰る緊張感の中、些細な物音すら耳が拾いそうな沈黙に包まれている。

自分の唾を飲む音にすら、わずかに身体が震えてしまう。


 一触即発の殺意に緩みはなく、些細なきっかけ一つで戦いは再開されるだろう。それに世羅が巻き込まれないなどという楽観的な予測をするほど目出度くはないし、下手をすれば二人同時に矛先を向けられる可能性すら絶無ではない。


 世羅はまだ、何一つとして自分の置かれた状況を把握していないのだ。


 そういう意味では、続く言葉を考えるよりも先に乱入したのは先走りだった。


 滅多にない不覚ではあるのだが、あのタイミングを外せば、どちらかが死んでいた可能性もあるので、やはり選択の余地はなかったとするべきだ。


(……ここから先はアドリブになるわね)


 内心で自分の行動にため息を吐きながら、世羅は状況の主導権を握るべく思考を巡らせる。


 猶予は少ない。


 考えろ。考えろ。考えろ。


 極限まで思考を加速して、最善手を掴み取れ!


 彼らが動くよりも先に、何か行動を――


「お前は――」


 しかし、あるいは意外と言うべきか。


 誰よりも速くに口を開いたのは、輪郭のあやふやな黒衣(マント)を纏った彼だった。表情そのものは動かさずに眼差しだけをちらりと動かす。


 一抹の驚きが声の響きに宿っていた。


「………ぁ――――」


 その意味を問いかけて会話の足がかりとするべく、世羅も口を開こうとしたが、それよりも先に状況は悪い方向へと転がり出す。


「なんだってんだよ! 次から次へと鬱陶しい―――――っ!!」


 子供のような無防備さも一瞬、その顔に再び荒んだ色を浮かべた少年が、舌打ちしながら後ろに跳躍して虚空に舞い上がる。


 その手に『力』を束ね、見えない『刃』を成して――解き放つ。


 ほんの一瞬で、その数は十数にも及んだ。


 今さら驚くような数ではなかったが、その『刃』の数本の矛先は世羅だった。


「あ。」


 わかっていながらもわかっていなかった事態に、意識と身体が同時に凍りつく。攻撃と殺意の対象にされた経験がなかったからこそ、致命的な隙を晒して行動の機会を棒に振る。


 数秒後のバラバラになった自分の『死』を、ひどく冷静に幻視した。


「――――ちっ!」


 聞こえたのは、苛立ちが入り混じった舌打ち。


 目を閉じることすら出来ない視界を闇が覆う。物理的に存在するその『闇』は、彼が纏っているもの。


 背中に世羅を庇った彼は手にした剣を一閃させて、迫る不可視の『刃』を斬り砕く。


 ガラスが割れるのにも似た音が幾重にも重なって響く。


 さらに追加で寸前まで彼がいた場所を、標的を見失った『刃』が粉砕して、大量の粉塵を巻き上げる。


「……あ、あり――わきゃぅっ!?」


 思考は空転を続けている。


 それでも口から零れ出ようとしたのは感謝の言葉だったのだが、その途中で――乱暴に肩に担がれた。


 悲鳴を出す暇もなく、またその理由が直後に飛来する。


 縦横無尽に放たれる見えない『刃』の群れ。世羅を担いだ彼はそれを見えているかのように剣で迎撃し砕き散らし、または身のこなしで回避していく。


 何かをしている風でもないのに、不可視の『刃』をだ。


 彼が身に纏う『闇』は――魔術(こちら)側の代物のようだが、それだけでは説明がつかない明白な異常であり、極限の非常識だった。


 端的に、それはありえない(・・・・・・・・)


 理屈や勘さえも超越したそれは、敢えて言葉にするならば〝神の寵愛〟だ。


「わ、わわ、うわっぷ………ぷぺ、らっぱ………」


 その恩寵をついでに受けて、八つ裂きを免れている世羅の現状は散々なものだったが。


 安全バーなしのジェットコースターのような加速とランダムな挙動。目が回るどころの騒ぎではない。三半規管が麻痺して、視界が歪み、胃の中の内容物が込み上げてくる。前後左右がわからなくなり、それでも脳の攪拌は止まらないどころか加速していく。


 真面目な話、それだけでもう死にそうな気分だった。


 助けられたはずなのになんで――なんて、間の抜けた考えもすぐに拡散していく。


「鬱陶しい奴だな! 何で僕の『刃』が見えるみたいに反応したり、砕いたり出来るんだよ。そんな奴は今まで一人だっていなかったぞっ!」


 何処かから聞こえてくる少年の声でさえも、脳の中で歪んでいる。


「ほう。弱い者イジメが趣味か。程度が知れるな」


 静かに呟かれた挑発――当の本人は率直な感想を述べただけかも知れない――とともに、ズザザザザ……と靴底を地面で削りながら、ようやく彼が止まってくれた。


 それは攻撃が止んだことを意味している。


「――ぐっ」


 少年は口の端を歪めていたが、攻撃的な行動は自制していた。


 最初からそうして欲しかったと思うのは、世羅の我がままではないはずだ。


 ほんの一分にも満たないであろう時間で、さらなる破壊の爪痕が刻まれた場には、大量の土煙と舞い上げられた石つぶての落下する音。


「どうした? もう来ないのか?」


 どうでもよさそうに言いながら、彼は世羅を手放す。


 無造作に放り出された世羅は立っていられずに、手と膝を地面について四つん這いになる。嫌な汗が全身に浮いていて、頬を伝ってポタポタと地面に落ちる。


 息は荒い。何もしていないのに、身体が消耗しきっていた。


「………はぁ、はぁ……はぁぁ………う、くぅっ………」


 世羅など眼中にないというような態度でいながら、黒衣の彼は世羅を庇うような立ち位置を維持している。


 彼の視線の先にいる少年は、眉間に皺を寄せて厳しい敵意を露わにしていた。


「あぁ、あぁ、あぁ………」


 うんざりしたように頭を左右に振りながら、少年は無造作に両手を広げる。

 そこに攻撃的な意思はなく、白けたとでも言いたげな態度だった。


「もうどぉぉぉでもいい。面倒くさい。鬱陶しい。疲れた。眠い。」


 忌々しそうに吐き捨てながら少年は、ふわりと浮き上がるとともに後方へと距離を開いていく。


「や~めた」


 この場から離れようとしている――と察した瞬間には、世羅は声を張り上げていた。


「ま、待ちなさい!」


 張り上げたつもりでも、実際に出た声は弱々しいものだったが。


 そんな世羅に顔も向けずに


「嫌だね。どうせ、お前も(・・・)狩人(・・)なんだろ(・・・・)

 その面倒なのはくれてやるから、あとは勝手に殺し合いでもなんでもしろよ」


(………『狩人(ハンター)』?)


 耳が気になる単語をピックアップする。現時点では意味不明だが、その単語から感じたのはどこかゲーム的な(・・・・・)イメージだった。


 実はそれは的外れではなく、見事に正鵠を射抜いているのだが、今の時点で世羅にそれを知る術はない。


 なので、目先の問題に集中せざるを得ない。


 身体の平衡感覚は未だにグラグラしている――かなり吐きそうだが渾身の自制で耐えている――が、頭の回転速度はなんとか平常運転。


 一秒未満で現状把握をするためにトップギアに入れる。


(……………さて――)


 少年は明らかに、世羅も『敵』と見ている。


 その発言内容にもいろいろと聞きたいことはあるが、この状況でそうした話し合いに持ち込むのは不可能だ。現状ではその後の布石を一つ投じるぐらいが限界だと判断する。


 必要なのは相手の気を引く一言。それでこの場に留められれば最上だが――バトルが再開されるのは願い下げなのは言うまでもない――最低でも印象付けられるものでなくてはならない。


 では、その一言にはなにが相応しい?


 正直に打ち明けるとまったく思い浮かばない。


 皆無から有益を捻り出すには圧倒的に時間が足りないし、相手もそんな駆け引きが得意そうには見えない。


 端的に、単純(シンプル)でアホっぽい。


 小突いてしまえば、それだけで泣き出しそうな悪ガキのようにも見える。


「~~~~~~~~~~あぁ、もう………………」


 奥歯を噛み締める世羅だが、この場合は焦りも悪い方へと作用する。


 なので、この場はもう思考放棄(リセツト)


 世羅は何も考えずに、胸中にある衝動だけで口を動かした。


「桜堂世羅!」


 口から出たのは自分の名前。


 よりにもよって自己紹介か――と己が無意識の短絡さに失望しつつも、やり直しが出来るわけでもないので無心で突っ走る。


 恥じらうのは後でいい。


「はぁ?」


 呆気に取られた声を出す少年。


「あたしの名前よ。次に逢うまで覚えていなさい」


「…………はぁ? え? 何言ってんの、お前?」


 毒気を抜かれたような表情で瞬きを繰り返す少年。


 しかし、その視線は微妙にズレている。まるで見えていないというわけではなさそうだが、視覚情報に重点を置いていないような不自然さがあった。


「それで、あんたの名前は? 最低限の礼儀として教えなさいよ」


 相手の反応から察するによっぽど的外れな真似を仕出かしたのだろうと後悔の上乗せをしたが、毒を喰らわば皿までの精神で言葉を続ける。


「バカか、お前は? なんでお前なんかに教えなきゃいけないんだよ!」


「―――――へぇ……」


 未だかつて、そのような罵倒を受けた経験がなかったのでカチンときた。


 また逢った時は絶対に泣かしてやると心の中で決めつつも、思わずといった感じで短気な手がポケットの晶石に伸びそうになる。


「名乗らなかったら、燃やすわよ」


 実際の行動は自制できたが、世羅の口はそのまま動いていた。


「燃やすって……おいおい。物騒な奴だな」


 その言葉に含まれた感情に何を感じたのか、少年は視線を逸らす。


「………あんたに言われたかないわよ」


 小声でボソリと呟く。


 学校一つをほとんど崩壊状態にまでしたのは、目の前の少年の『力』だ。それに比べれば、世羅の攻撃力など本心から大したものではないと断言できる。


 実際には攻撃力の多寡が勝敗を決めるわけではないのが戦闘(たたかい)というものだが、この少年はその前提条件を用意に覆す『能力(チカラ)』を有している。その気になれば指先一つも動かさずに敵対者を蹂躙できそうな彼の前では、対等という言葉の意味が無価値になっている。


 だからこそ、対等に渡り合えていた黒衣の彼の異質さも際立っているが。


「……ちっ」


 面倒くさそうな舌打ち。


 しかし、見上げる世羅の視線にそれなりの圧力は感じたのか、次第にその姿が薄らいでいく中で、少年の口から紡がれた音が空気を震わせる。


岸本(きしもと)爽馬(そうま)だ。

 覚えても意味ないと思うぜ。どうせもう会わねーだろうしな。――あばよ」


「覚えとくわ」と言い終るよりも先に、睥睨するような一瞥を残した少年――爽馬の姿は完全に消失した。


 再び現れるでもなく、確かにこの場から離れたようだった。


 それを証明するように、死角なく完全な包囲をされていたような重量さえ感じるような圧迫感も消えている。


「………はふぇ………」


 気の抜けた吐息を漏らしながら、肩を落とす。


 疲れた。疲れた。大変に疲れた。もうしんどい。叶うならば、今すぐにシャワーを浴びて、ベッドに潜り込んでしまいたい。そして、目が覚めたら、出来の悪い三流映画を観たような気分で、自分の部屋の天井を見つめたい。


 そんな現実逃避で心を慰撫していると、


「やれやれだ」


 爽馬との会話を試みている間、ずっと傍観していた黒衣の彼が口を開いた。


 背中に当たったその声は平坦なもので感情が読みづらいが、今すぐに険悪な空気になる風でもない。その手に握られていた漆黒の長剣は夜気に溶けるように輪郭を崩していき、やがてその痕跡も残さずに消えてしまう。


「お前が何をしたかったのかよくわからんな」


「………どぉも」


 深呼吸を一つ入れてから、黒衣の彼に向き直る。


 改めて面と向かうと、やはりどこかで見た覚えのある顔だった。思い出せないが。


 彼にその気があれば死んでいるというぐらい無防備な背中を見せていたことを思えば、今更ながらに自分の行動に背筋が寒くなる。ここまで考えのない衝動任せの行動をしたのは何時以来だろう。直ぐには思い出せないぐらいだった。


 もっとも、少し考えれば、あの『刃』の乱舞の中でお荷物以上の存在ではない世羅をわざわざ助けてくれたのだから、そんな気などなかっただろうとも察せられるが。


 ………………どうにもこうにも、思考の空回りはまだ続いているようだった。


 当面の危機的状況は過ぎ去ったので、そろそろ落ち着きを取り戻さないといけない。


「………あ、の――」


「俺も名乗っておくべきか?」


 世羅が口を開いたタイミングに、彼の言葉が重なった。

 ちょっと間の抜けた微妙な空気が漂い、数秒間の沈黙が生じる。


「そうね。話をしてくれる気があるのなら、あなたの名前がわからないと不便だものね」


 歩み寄ってくれた彼の好意――なのかもしれないが、別の何かかもしれないもの――に、世羅は素直に甘えてうなずいた。


篠宮(しのみや)(かい)だ」


 それが本名であるという保証は一切ないが、それでも彼が嘘を口にしているとは思わなかった。


 なぜなら、彼には世羅を騙す理由がない。


 彼――戒は必要と不要の線引きがはっきりしており、不要なものに対してはかなり無頓着なのだろうと思わせる空気を纏っている。


 彼は世羅を警戒の対象とは思っていない――警戒する必要(・・・・・・)がある脅威(・・・・・)と思っていない(・・・・・・・)


「ありがとう。あたしは、桜堂世羅よ」


「……そうか。面白い見世物だった」


 ちっともそう思っていなさそうな無表情で見下ろされる。


 頭一つ分くらいの身長差があるので、見上げているとなぜか叱られているような気分になった。


「そう思ったのなら、少しは笑顔になったらどう? そんな無表情で言われても馬鹿にされてるとしか思えないわよ」


 でも、それが功を奏したのだろうか。


 捻くれ者特有の反骨心を刺激された結果、口のすべりは滑らかになった。


「皮肉も混ざってはいるが率直な感想だ。お前は何を考えている? この『遊戯(ゲーム)』で遭遇した奴に自己紹介をする必要があるとでも思っているのか?」


 自分も名乗っておきながらする発言ではないが、今の状況がある種のイレギュラーなのは戒も理解しているのだろう。


そんなの知らないわよ(・・・・・・・・・・)


 それでも即座に返ってきた世羅の言葉は、思慮の外だったのだろう。


「な、に?」


 虚を突かれた様に言葉を詰まらせる。それでも表情に動きがないのは、むしろ固定された表情がデフォルトになってしまっているからなのだと思われる。


「そんなの知らないって言ったのよ。

 あたし、なにか変なことを言ってるのかしら?」


 世羅が続けた言葉に、戒の無表情が初めて崩れた。


 その苦虫を大量に噛み潰したような顔は、世羅が文字通りの意味で『お荷物』だと判明したのに対するもののように思えた。


「………ああ。おかしな発言だ。この『遊戯(ゲーム)』の参加者(プレイヤー)とは思えんし、参加させられた者(・・・・・・・・)にしては不自然なまでに落ち着き過ぎている。服のボタンを掛け違えているような違和感だけがある。どういうことだ?」


 最後の疑問は独り言のような調子だった。


 そのまま放っておくと面倒はごめんだとばかりに立ち去られそうな気配が戒から地味に漂い始めていたので、逃がさないように会話を続行する。


それ(・・)が知りたいのよね。教えてくれる? あたしが何に巻き込まれているのかを」

「………………。」


 わずかな沈黙を戒は挟む。


 それはこちらの言葉を疑うというよりも、時間を費やして説明するのが面倒だと考えているような沈黙だった。


説明役(そーゆーの)は俺の役目ではないのだが」


 ――雇い主(クライアント)がこの場にいれば押しつけるが、などと呟きながら彼は口を開いた。


「まあ、いい。俺もお前の事情には少し興味がある。

 ……何故、あの(・・)『桜堂世羅』がこんな『裏』の世界に巻き込まれているのか」


「あら、あたしを知ってるの?」


 聞いたら、戒は少し呆れたようにため息を吐いた。


「一応は同じ学園に通っている身だが。そこそこ知れた人間の名前ぐらいは耳に入るし、クラスも隣なのだから顔を見る機会もある。お前はよくウチのクラスに来るだろう。柊のお嬢様に会いにな」


「………………え? 隣のクラス?」


 予想の斜め上を行く発言に、思わず無防備な素の声が出た。


 後半の言葉で少なくても騙りでないのは証明されたが、それよりも注目すべき点が前半に集中している。


「その意外そうな顔はなんだ?」


 問いかけながらも、世羅のお驚きの理由を薄々でも察している様子だった。


 なので、遠慮なくズバズバと切り込んだ。


「まさか、同い年なの? その顔で? その風格で? 嘘でしょ? 無駄に数年留年した先輩って言われた方がまだ説得力があるわよ。いや、ホントに。てか、もしやそーなの? そんな噂は聞いてないけれど、そーとしか思えないからそーなのよね!」


「………………………………………はぁ………」


 戒はとてもとても重たいため息を吐いた。まるで人生に疲れた中年(失礼)のようだが、どこか芝居じみても見える。


 最近になって機会が増えたよくする仕種みたいな感じだ。


「面と向かってそこまではっきり言われたのは初めてだ。あいつらや雇い主(クライアント)でさえ、もう少し言葉をオブラートに包んではいてくれたのだがな」


「あ、ごめん。でも、その外見であたしと同い年と言われても、ちょっとねぇ……」


 世羅は不自然に唇の端が吊りあがるのを自覚する。


「あんたもあんたで、そこらのガキとは一線を引いたところにいる感じだがな」


 顔を片手で覆いながらのその発言が、老けて見えるという意味ではないのだと思いたい世羅だった。


「………雇い主(クライアント)の意向で学生の真似事を強制されてるわけだが、薄々思っていた通りに浮いているらしいな、俺は」


「そりゃ浮くでしょうよ。あなたが制服着て、授業を受けている姿は違和感が半端ないわね。さっきも言ったけど、新入生に混ざってる何回か留年した先輩みたいだもん」


「もういい。その話は終わりにしろ」


 うるさそうに手を振られてしまった。


「ごめんなさい」


 素直かつ丁寧に頭を下げる世羅。


「謝るな。余計に不快な気分になる。

 ………それで、お前の事情は? 簡単でいい。言ってみろ」


「目が覚めたら路上に転がされていて、状況の把握に努めようとしていたら、自然災害みたく街を破壊するあなたたちが通り過ぎたから、追いかけて声をかけたって感じ」


「……大した度胸だな、おい」


「えへへ♪」


 そのまま近づくなよ、と言いたげな様子だった。


 褒めてははいないのだろうけれど、ここは愛想笑いをしておく。


「運営の不手際にしても雑に過ぎるな」


 腕を組んでいた戒が、ズボンのポケットから小型の携帯情報端末――『PDA』を取り出す。何処にでもありそうな代物だが、この場で取り出す以上は何らかの関連があるのだろう。その中に収められているであろう『情報』に。


「コレが持たされてはいなかったか? 『遊戯(ゲーム)』の参加者(プレイヤー)には必ず配布される代物で、基本的な情報が得られるようになっている」


「知らないわね」


「その鞄の中を調べろ」


 言われたとおりにするが、そんな代物は何処からも現れなかった。雪菜の鞄を調べても同様だった。


 首を左右に振ると、戒はますます難しげな顔になる。


「いよいよ正体不明だな。『PDA』を持たされていない上に、『首輪』も付けられていない。場違いな迷子のようだ」


 何回かポンポンと手の上で弄んでから、戒は『PDA』をポケットに戻す。


「まさにそんな気分よ。だから、教えて欲しいんじゃない。あたしが何に巻き込まれているのかをね」


 ロクなもんじゃないのは確定的だが、それがどれほどのものなのかをきちんと把握しておかないと足元を掬われかねない。失敗の代償が生命であったとしても、なんらおかしくない悪質な雰囲気を嫌ってくらい感じているのだ。


「もっともだ。だが、事細かな説明は得意分野じゃない。かなり雑な内容になるぞ」


「構わないわよ。必要最低限の情報が得られたら、自分で改めて組み立てるから」


「わかった。ただし、同じ場所にあまり長い時間留まり続けるのは、この『遊戯(ゲーム)』の性質上好ましくはない。移動しながらにさせてもらうぞ」


 くるっと背中を向けて戒が歩き出したので、世羅は追いかける。


「そうね。そういえば、ケガの手当もしとか……あっ……痛っ……なきゃ、だし。それで、よろしく………」


 すっかり忘れていた脇腹の痛みが、思い出したことでぶり返してきた。


 表情を取り繕えないぐらいの激痛に呻いてしまったのは、うっかり触ってしまったからだ。


「………大丈夫なのか?」


 振り向きまではしなかったが足を止めた戒の問いに、世羅は「大丈夫よ」と返す。痩せ我慢が少しばかり含まれてはいたが、今の状況で足手まといと判断されそうな要因を悟られたくはなかった。わりと手遅れだけど、そこは見栄ということで一つ。


 あっさりと見捨てそうな印象はないけれど、ならばこそ対等に近い関係でありたい。


 守られるだけの女の子なんて立場は真っ平ごめんだ。


「ところで」


「なんだ?」


 歩くペースが見てわかるレベルで落ちたのは、世羅を気遣ってくれているのだろう。端的な喋り方や無表情から素っ気ないタイプかと思っていたのだけど、根っこはいい人なのかもしれないと好感度が増した。


 ―――――好感度?


 はて?


 自分の内心に違和感を抱く。


 なんで、まだ遭遇して大した時間も立っていないのに、既にそんなものがあるのだろうと首を傾げてしまう。都合上、他人に深入りしないようにしているため、上っ面を取り繕うのが得意になってしまった。だから、本心から好感度が高いと断言できる友人の数なんて、絶対的に数が少ない。具体的には二人だ。


 その二人は別格としても、その他の意識的に切り離している有象無象――我ながらどうかと思う表現ではあるが――よりも、戒は高いランクで受け入れている。


 それが少なからず不思議だった。


「……どうした?」


「あ……え?」


 気づけば、自己分析に数秒を費やしてしまっていた。


 話しかけておきながら言葉を続けなかった世羅に不審を感じたのだろう。戒が歩みは緩めないながらも肩越しに振り返っていた。


「あ、ううん。ごめん。

 最初にあたしの口から質問させて欲しいの。いい?」


 特に意味はない。

 世羅が聞いて、戒が話してくれる。その流れを望んだだけだ。


 もう一度。特に意味はない。


「ああ」


 ほんの少し双眸に怪訝な色を浮かべながらも、特に断る理由もなかったからだろう。彼はあっさりとうなずいた。


「あたしが巻き込まれているっぽい『遊戯(ゲーム)』ってなんなの?」


 世羅が口にした根本的な疑問。


「性根の捻れた権力者や金持ちの悪趣味な道楽だ」


 彼の返答はこの上もなく端的にまとめられていた。


 世羅は内心で「うへぇ……」と呟き、心構えをした。



 ● ● ●



 ――『遊戯(ゲーム)』。


 コレはそう呼ばれている文字通りの意味でのゲーム(・・・)である。


 人生の栄華を極めた『表裏の権力者』が行き着いた、人間の生命を用いた殺人遊戯。


 普通の世界に生きる無関係な人間を運営側が無作為に選別し、誘拐――というか拉致した上で強制的に『遊戯(ゲーム)』に参加させる。


 哀れな参加者(プレイヤー)を過酷なルールで縛り、その尊厳を貶め、他者を殺めさせ、または自らの生命を絶たせ、その結果を観覧や賭け事として愉しみ尽くす。


 醜悪を極めたそのゲームは、いくつかのバリエーションが存在する。


 より正確に言うならば、幾度も繰り返してきた結果、より愉しめるように改悪がなされてきた――というべきか。


 基本ルールとしては、ゲームには制限時間がある。行動範囲が限られており、それは『PDA』の地図情報で確認が可能。各自固有のクリア条件が存在し、クリア条件を満たせなかった者はゲームオーバーとなる。ゲームオーバーとなった者には『死』あるのみ。提示されたルールを違反しない限りは、あらゆる行動の束縛をしない。見事にゲームクリアをした者には、相応の報酬が与えられる。


 付け加えて。


 今回の『遊戯(ゲーム)』には、何も知らずに巻き込まれただけの一般人――『獲物(プレイヤー)』だけでなく、その『獲物(プレイヤー)』を狩るのを主目的とした『狩人(ハンター)』が配置されている。


 その『狩人(ハンター)』は裏社会の住人を主として構成されているので、その手の荒事慣れをしているために殺人に対する忌避は存在しない。むしろ、一般的な視点からすると莫大な報酬を約束されているために嬉々として『獲物(プレイヤー)』を狩りにくる。


 並の一般人には抗う術はほとんどないが、それが皆無というわけでもない。


 他者を信用しづらい状況。嬉々と迫る悪意を警戒しなくてはならない極限状態。


 精神を壊していく『獲物(プレイヤー)』たちが繰り広げる地獄絵図は、観覧者を愉しませる最高の娯楽の一つとして人気を博している。


 それが『遊戯(ゲーム)』と呼ばれるイベントだった。


 ――やや言葉が悪くなるが、反吐が出るというのが世羅の感想だった。



 ● ● ●



「………………………むぅ。」


 特に痛みの強い脇腹の患部に晶石を当てて、その内側に蓄えた魔力を放出する。


 都合よく怪我を癒すような魔術(マネ)は世羅には出来ないので、感覚を遮断――というよりも痛覚を鈍感にする。応急処置のようなものに過ぎないし、根本的に肉体がダメージを受けているのは変わらないが、痛みを一時的に消しておく。


 とっさの行動が必要になった時に、その動きを鈍らせる要因があるのはよろしくない。


「……ふぅ。」


 蓄積していた魔力を使い切った晶石を、上に投げて落ちてきたのを受け止めるという意味のない手慰みを何回かしてから、使用済み用のポケットへと戻す。


「俄かに信じ難い話ね。天城財閥のお膝元である『央都』でそんなことが行われているなんてね」


 央都。


 一世紀ぐらい前になる『静かなる革命』を経て、現在に至るまでに表裏を問わずに世界の三分の二を牛耳った超巨大財閥『天城』が、その本拠地とするべく総力を結集して開発計画を進めた超巨大都市。


 現在となっては世界の中枢であり、中心といっても過言ではない。


 都市部にある『天城』の総本山である巨大ビルとそれを囲む『十二企業』のビルは、その外観から一般的に『城』と呼ばれるような威容で並び立っており、なかなか壮観である。


 世羅が――いや、この場合は世羅たちというべきだろうか――暮らしている街も、央都の中心からは外れた区画ではあるものの、その発展の恩恵を十分に受けている。


 そんな大都市の裏側でこんな悪趣味な『遊戯(ゲーム)』が行われていると言われても、常識的に信じられるものではなかった。


「信じる信じないは好きにすればいい。どのみち直ぐに『現実』を目の当たりにする」


 戒の口調はかなりどうでもよさそうな感じだった。


「………雇い主(クライアント)に言わせれば、世界は『一枚のコイン』のようなものらしい。表の顔があれば、裏の顔もある。表が繁栄すればするほどに、裏には淀みが溜まる。たとえ、世界の三分の二を牛耳る『力』があろうとも――いや、その『力』があるからこそ、その内側は個人では見通せないほどに混沌としているものだ。逆に言えば、世界の中枢である『央都』だからこそ、その内側に孕まれている『闇』は濃くも深いと言える」


「央都であるが故の『闇』ね」


 正直な話、こうして話を聞いても現状に対する実感を得難いと思ってしまう。


 自分の中にあった世界観が目まぐるしく変貌しているのは確かだが、その『設定』がどこか創作の物語じみているせいもある。


 自分が巻き込まれていること。


 戒と爽馬の戦闘を目の当たりにしたこと。


 その二点がなければ、一笑に付して終わらせているところだ。


 ――強いて付け加えるなら、自分のやや特殊な『もう一つの顔』も含まれるが、それをわざわざ現状に含めるのは違うような気がする。


「今回の『遊戯(ゲーム)』の形式としては『鬼ごっこ』とでも言っておくか。皮肉混じりだが的確に当て嵌まる。まだロクに状況を飲み込めていない『獲物(プレイヤー)』を狙って、『狩人(ハンター)』が嬉々として狩りを行う。『獲物(プレイヤー)』への強制的な状況認識と足の軽い『狩人(ハンター)』への初期ボーナス的な側面のある第一ステージが今の段階だ。『獲物(プレイヤー)』が状況を受け入れて、何らかの行動を始めてからが本番――つまりは第二ステージの始まりとなる」


「正にゲームじみた設定ね」


「文字通りの意味での、人間の生命を使った『遊戯(ゲーム)』だからな」


 ふんっと鼻を鳴らして、ほんのわずかに唇の端を吊り上げる戒。

 その陰惨な笑みに、世羅の背筋が冷たくなる。


「………ちなみに、あなたはどっちなの?」


「俺は『狩人(ハンター)』だ」


 想像通りの返答だった。


 戒が『獲物(プレイヤー)』であったとしても、『狩人(ハンター)』を返り討ちにしている絵面しか浮かばない。


「今回の『遊戯(ゲーム)』は、常よりも規模が大きくなっているからか内容自体は単純だ。それゆえに全体的な参加者(プレイヤー)に対するルールの難易度は低めに設定されている――はずだ。俺のクリア条件は『七十二時間の生存』……『遊戯(ゲーム)』終了まで生きていればいいだけで、それ以外には特に強制されるルールはない。他の『狩人(ハンター)』も同様だと考えるのが妥当だろう」


「………緩いわね」


 もうちょっと過酷な内容を想像していただけに肩透かし感が半端ない――とでも言いそうになるが、それはあくまでも『狩人(ハンター)』側の視点だろう。


「さっきも言ったが、『狩人(ハンター)』側からしてみればボーナスゲームのようなものだからな。逆に無作為に選別された『獲物(プレイヤー)』となる一般人たちにとっては生き残るだけでも過酷な条件だ。文字通りの意味で獲物(・・)としての役割を与えられている」


「あぁ、まぁね」


 戒や爽馬のような非常識な『狩人(ハンター)』が何人もいるとは思わないが、根本的な部分で心構えに違いがあるのだから、それは明白な『差』だ。躊躇無く殺せる者と状況を把握していない一般人では、仮に先手を逃れえたとしても反撃できはすまい。


 獲物。獲物。獲物。


 襲ってくださいと無防備に誘っている獲物。


 悪辣な仕組みと言わざるをえないし、嬉々として主催しているのであろう連中には人の生命をなんだと思っているのかと心を取り替える(・・・・・)までボコボコに説教してやりたい。無論、痛みを知るためにも物理的な折檻込みで。


「今回の『遊戯(ゲーム)』の本題は、『狩人(ハンター)』に狩られる『獲物(プレイヤー)』を面白おかしく観覧し、ついでに疑心暗鬼に捕らわれた『獲物(プレイヤー)』同士が食い潰し合う姿を酒の肴とすることだ。大抵の奴は今のお前のように実感を持てないだろうが、実際に『狩人(ハンター)』に襲われれば、状況が冗談ではないというのは嫌でも理解に至る。そこから先は奴ら好みの(・・・・・)わかりやすい地獄絵図だ」


「…………笑えない冗談ね」


 久しぶりに、昏い怒りが込み上げてくるのを自覚した。

 握り締めた拳。爪が肌に食い込む。


「これも雇い主(クライアント)の言葉だが、そのちっぽけな器が満足する程度に人生の栄華を極めた権力者がその次に求めるものは、他人の不幸(・・・・・)だそうだ。つまり、連中(・・)は本気だ。それを一番の娯楽と考えているのだから、この上もなく最低なレベルでな」


「………………なんてゆーか、そいつらには死んでくれないかしらとしか言えないわね」


 他人の本気にこれほどの嫌悪感を抱いたのは初めての経験だった。


 素晴らしいとさえ思う。いっそ芸術の域にも届く下劣畜生な精神性は、矯正不可能ならば埋葬してしまえばいいとさえ思えてきた。


「………俺のプレイヤーナンバーは『24』だ。少なくてもそれぐらいの人数はいるだろうし、今回のフィールドの広さを考えるとそれ以上いてもおかしくはない」


「あたしの考えでは、最低でも百人規模で組まれてるわよ、この『遊戯(ゲーム)』は。

 ………え~と、あとは範囲。どれぐらいの広さが舞台に含まれてるの?」


「おおよそ十キロ四方の正方形だな。虚構(ジオラマ)の街の一部を二十四の区画(エリア)に分けている」


「そりゃまた広い、わ………ね………………はぁ?」


 するりと耳に入ってきたその言葉に納得とともにうなずきかけて、その直前に思わず間の抜けた声が漏れる。


 戒と爽馬に遭遇する直前のとは異なる得体の知れない冷気に背中を撫でられた。


「待って、待って、ちょっと待って」


 精神的な意味での不快感が際限なく高まっているのに、それをさらに悪い方向へと後押しするような吐き気が込み上げてくる。深く考えるとそれだけで堕ちていき、それなのに知ることを止められない。


 世羅の想像よりも、さらにおぞましい階層に連中の精神は在るのだと、それを事実として突きつけられるのが怖かった。


「………そもそも、ここは何処なのよ?」


 今さらながらの疑問だった。

 ある意味においては、最初にしていてもおかしくない質問だ。


 それを今の今まで無意識にでも避けていたのは、そこにこそ連中の狂気があるとどこかで察していたからではないのだろうか?


 嫌な悪寒を全身で感じながら、世羅は問いかけていた。


「正確な場所は、俺のような参加者(プレイヤー)にも知らされない仕組みだ。だが、基本的には央都の地下都市だと聞いている」


 視線を上に向けながら戒が言う。


地下(・・)……都市?」


 追うように世羅も視線を上げた。


「――――――っ!?」


 どうして、今の今まで気づかなかったのかと思う明白な異常が、空を覆い尽くしていた。


「な、な………」


 仰ぎ見た空には、大小二つの月や瞬く星などは一切存在せず、鉄骨で組み上げられた不細工な蓋で塞がれている。降り注ぐ赤黒い光は照明。天井(・・)までの距離は、二百……いや、三百メートルぐらいか。


 それが視界の果てまで延々と続いている。


「正確には開発計画が進められておきながら途中で頓挫し、そのまま廃棄された地下区画というべきだろうな。一部は再利用が進められ地下街となったが、そのまま放置されていた区画は裏側の住人の手で拡大され、増殖し、さらなる地の底へと沈んでいった。今となってはその規模を把握する者がいるかも怪しい日々増殖し続ける地下迷宮の出来上がりだ」


 唖然として、呆然として、自失までしている世羅を置き去りに、戒は訥々と『裏』の薀蓄(うんちく)を語っている。


「ここはその一部。街の模造品(レプリカ)であり、その閉鎖性に目を付けた権力者どもが創造した遊戯盤(あそびば)だ。今まで何度となく繰り返されてきた『遊戯(ゲーム)』のためのな。この区画(エリア)は俺とあいつが派手に暴れたから見つけるのは難しいだろうが、別の区画(エリア)では周辺を注意して観察してみるといい。過去の痕跡がそこかしこにこびり付いているし、俺の知る限りでは似たような場所は他にもいくつか用意されている」


「………………………あぁ、そりゃもう凄いとしか言いようがないわね」


 この馬鹿げた催しを運営している連中の『本気』を感じた。


 手が込んでいるなどという程度の表現では片付けられないぐらいに、下地の規模の次元が違う。違い過ぎている。


 視界で認識し、言葉での説明を受けても、まだ夢と疑う気持ちが消えない。何度も視界に収めておきながら、認識できなかったのもうなずける。常識を侵食した極限の異常は、むしろ認識できなくなるのだと知った。


 その歪んだ欲望を満たすためにこれほどまでに大規模な手間をかけるなど、組織的であることを差し引いても、薄気味悪いを通り越して悪夢も同然だ。


 これは人間の所業とは思えない。


 悪魔の遊戯(あそび)だ。


「………………っ」


 沸き起こる強い苛立ちは、自然と奥歯を強く噛み締めさせた。はしたなくも歯軋りさえしそうになる。そうしたこちらの心象の機微などは露とも感じ取っていない風情で、些かの揺らぎもないままの口調で戒は締めの一言を口にする。


「これで一通りの説明はしたつもりだ。

 質問があれば言え。答えられる内容なら答える」


「今は、ないかな。なんか思いついたら、また質問するわ」


「そうか」


 ふう、と戒が息を吐く。


「それにしても、五年分は喋った気分だ。少し口が疲れた」


 冗談めかした言葉だが、それはそのまま本音だろう。


 これはあくまでも世羅個人の印象に過ぎないが、戒はどう考えても口数が多い類の人種ではなかろうし、当人も言っていたがこうした説明に向いているタイプじゃない。


 かつて自分が聞いた説明を、ほとんどそのまま口にしているようにしか感じ取れなかったのもその一因である。


 要するに、問いかけに惰性で応答しているように感じるのだ。

問いかけに対する回答が己の中にあるから答えている――ただそれだけ。


 こうして曲がりなりにも会話が成立しているのが、稀有な状況のようにさえ思えてくる。たまたま世羅とはなんらかの波長が合いやすかっただけで、これが他の人間だったら、そもそも同じ状況になることすらなかったはずだ。


「…………。」


 彼はまるで、己が意志の枯渇した人形のようだ。

 放置すれば、生きながらにして枯れ果てる。


 そんな風に感じた。


 何故にそう思ったのかは、正直なところ世羅もわかってはいない。この短い時間、横を歩いている戒を見て、聞いて、感じた上での印象であり、同時にそれはただの勘のようなものでしかないのだから、論理的な説明など困難極まりない。


 そう思ったから、きっとそうなのだろう――突き詰めるとそれだけの話でしかなく、現状においては何の意味も持たない。


 故に、世羅が問いかけたのはそうした内心の印象とは切り離した内容だった。


「……ねえ。あなたはどうして、この『遊戯(ゲーム)』に参加してるの?」


「俺の雇い主(クライアント)の意向だ。今の内に潰しておきたい敵側の『駒』が今回の『遊戯(ゲーム)』に参加しているらしい」


 なかなかに物騒な理由だった。


 彼ならば、物理的に潰してしまいかねない。


雇い主(クライアント)、ねぇ」


 会話の端々に何度か出ていた呼称である。


「俺には『目的』がある。求める結果が異なるものの過程を同じくする雇い主(クライアント)がいたとしても不自然ではないだろう。利害が一致しているというわけだ」


 要するに、政治的に根回しをする側と現場で動く側みたいな関係なのだろう。


 話の規模が大き過ぎるのに、そうした世渡りが物凄く下手そうな戒が普通に混ざっている不自然さが気になっていたが、とりあえずの疑問の氷解に繋がる情報だった。


「今回の『遊戯(ゲーム)』に参加しているのはその一環だ。

 ――とはいえ、俺個人としては積極的に動くつもりはない。前言したように今回の戦場は無駄に広い。下手に動き回れば、要らぬ火の粉が降りかかる。それを事ある毎に払うのも面倒だ。遭うか遭わないかは悪運に任せる」


「その割にはいきなり派手に()り合ってたじゃない」


 世羅は苦笑しながら口を挟んでいた。


あいつ(・・・)に関しては、向こうから仕掛けてきただけだ」


 先ほどの印象を覆すぐらいに、些かならぬ感情の込められた吐き捨てるような口調だった。


 少し驚く。


「軽く相手しただけというような口振りとは裏腹に、大通りを粉砕したり、学校の校舎を崩壊させてたよーな気がするけど?」


「下手な対応をすれば、殺られそうな予感がしたので応戦した。事実、奴はかなり厄介な『能力者』だ。………初見だが、噂に聞く『静謐なる刃(サイレント・エツジ)』とか呼ばれている『能力者』だろう」


「さいれんと・えっじ………?」


 見えず、聞こえず、ただ断ち切るための刃。気づいた時には首を絶たれている。


 なるほど。確かに『静謐なる刃(サイレント・エツジ)』とは的を射た()であろう。


「それにしても………やっぱり『能力者』なのね」


 能力者。


 人間の姿をした人外魔境――とは言い過ぎになってしまうが、本来では人の身に宿らぬ『力』を宿す者。


 あるいは人がいずれは到達するであろう領域への先駆者。


 世羅にしても噂で耳にはしていても――それなり以上に情報を収集していても――実際に目にしたのは爽馬が初めてだった。………多分という注釈はついてしまうが。


 それだけ数が少なく、また同時に表舞台からは隠れている。


 違うということは、差別と区別を招く。同じ人間にすら適用される理屈が、明らかに異なる人間(・・・・・・・・・)に当て嵌まらないはずがない。


 その存在が囁かれ始めてからおよそ二十年以上――根も葉もない噂も含めれば、枚挙に暇がないほどに、そのような話(・・・・・・)は囁かれ続けてきた。


 だからこそ彼らは隠れ、同胞と協力者を束ねたある種の社会を創り上げて、人間社会の『表側』からは概ね姿を消している。だが、それは存在そのものが消えているわけではなく、裏社会においては公然と実在していることを意味する。


 異なるために共生・共存が叶わず、出逢えば互いの排除のために潰し合う――そんな歪な関係は未だに現在進行形だ。


 深く考えると気が滅入りそうな思考を打ち切る。


 ロクに接点を持たない世羅にとっては、現時点ではどうしようもない問題だ。


「その割には対等に渡り合ってたみたいだけど?」


 他所にいっていた思考を切り替えて、世羅は気になっていた部分を取り上げる。


 戒はあまりこの話題を継続したくないみたいに眉間に皺を寄せて、不本意そうに口を開く。


「闇に身を浸していると、嫌でも荒事には慣れていく。それにあいつの(・・・・・・・)攻撃はなんとなく(・・・・・・・・)読める(・・・)。言葉では説明できない感覚だがな」


 それは言葉通りの意味なのだろう。


 魔力で視力強化を施した世羅には、爽馬の『刃』は視えていた。


 しかし、戒には爽馬の『刃』は見えていなかった(・・・・・・・・)はずである。それをまるで見えているかのように回避し、受け流し、砕き散らし続けられたのは、真実その発生と軌道が読めていたからなのだろう。


 言葉にすると陳腐だが、それを理屈で説明するのは困難極まりない。


 投げやりに思われそうだが、そういうものなのだと思うのが適切のような気がする。


「まったく……」


 世羅は少し乱暴に髪を掻き回す。


 深く考えても答えが出そうにない疑問が山と積まれていく状況に苛立ちながらも、同時に少しでも面白く感じている自分がいるのを自覚する。どうにもこうにも、これまで生きてきた『世界』が加速度的に広がっている。


 支離滅裂に。故に荒唐無稽なまでに。


 それが良いことなのか、悪いことなのか――答えは出そうにないけれど。


 今宵この盤上遊戯(くだらないゲーム)に自分が配置されたことには、何らかの意味がある。それが誰かの目論見であったとしても、そんな下らない小細工を越えて桜堂世羅が必ず意味を見出してみせる。


 強く――とても強くそう思う。


 差しあたって、まずは――。


 傍らを歩く戒を横目で見やり、緩やかな歩みを止める。


「どうした?」


 やや先行した戒も立ち止まり、振り返る。

 その問いかけるような眼差しを見返して、世羅は口を開いた。


「ところでさ、あなたはこの『遊戯(ゲーム)』をどう思ってるの?」


「都合上、それなりの頻度で参加しておきながらなんだが、反吐が出るの一言に尽きる」


「そう。よかったわ」


 本当によかったとそう思う。


 未だにそう思えている戒の感性を、真実嬉しいと感じる。


 だから、躊躇わずに続きを口にできる。


「――あのね」


 あたしは何を言おうとしているのだろう?

 半ば自動的に口を動かしながら、ふと意識の片隅でそんな疑問を抱いた。


 目の前に立つ、黒衣の男――篠宮戒に自然と関わろうとしている心の動き。


 彼の心に踏み込もうとしているその理由。


 それは不確かな感覚でありながらも、これまでの短い邂逅の中でいつの間にか胸中に強く根付いていた。


 そうしなければならないという気持ち。


 この機を逃せば、きっと後悔に繋がるという確信。


 この不可思議な感覚を、あえて言葉で表現するならば。


 使命感、だろう。


 ――そう。なぜか、使命感のようなものが働いている。


 これは他ならぬ桜堂世羅の役目であり、あたしがしなければならないことなのだと心の何処かが強く訴えている。


 だから――


あたしの友達になって(・・・・・・・・・・)くれないかしら(・・・・・・・)?」


 篠宮戒にそう告げていた。







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