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14 獣との対峙(前)

 14






 ――あぁ、五月蝿い。



 ● ● ●



 そして――

 地に降り立った戒は、巨漢の男と対峙した。


 改めて目の当たりにした男の身長は、軽く二メートルを超えている。巨漢というよりも、巨人と評した方が相応しそうな威容である。逞しく鍛え上げられた筋骨隆々ともいうべき体格の持ち主だ。その筋肉が締まっているからこそ、細身の長身のように錯覚しそうにもなるが、その手足はその気になれば人間の体をたやすく引き裂く凶器と変化するだろう。


 三十路近くのいかにも男臭いその顔に浮かぶ表情は獰猛な笑みであり、左眼の上に走る三本爪の傷跡が凶悪さを上積みしている。

 端的に言って、獣のような男だった。


(………強い、な)


 それは厄介や面倒と同じ意味を持つ感想でもある。


 戦場での邂逅は、戦闘への開幕ベルに等しい。

 そこに余計な不純物が混ざる余地など存在しないのが、本来の形だろう。


 だが、そうしたセオリーを崩す輩が、今回の『遊戯』にはとかく多いらしい。眼前の男もそうした側のようで、喉の奥で嗤う。


「どいつが来るかと思えば、問答無用で蹴りをくれた奴か。一言ぐらいは最後まで言わせてもらいたかったんだがね。おかげでせっかくの登場場面(シーン)が台無しだ」


 男は何かを確かめるように目を細めた。


「悪くない。久しぶりに一目でそそられる奴に会えた。名前を教えてくれないか? なあ、いいだろう。覚えてやる価値がある程度には愉しめそうだ」


「………………」


 斉藤悠(あのバカ)とは別の意味で、鬱陶しい類の人種のようだった。

 相手の要請に対しては、完全な無視を決め込む。


 それを察したのだろう。男は「仕方がねぇな」とボヤいてから、


「それじゃあ、さっさと始めるとするか」


 その簡潔さは好ましくはあるが、その内容には不満がある。わざわざこの手の輩と好んで戦うような趣味はないのだが、現状で放置をするには危険度が高い。

 選択肢は戦闘の一択しかないが、この場で即座に始めるには問題がある。


「その前に――」


 こうした無駄を口にするのは好まないのだが仕方がない。

 意図的に誘導できるような余裕があるとは思えない。


「あん?」


「少し場所を移させてもらうぞ。下らない戦闘を目の当たりにさせたくない奴がいる」


「あん? 守りてぇ奴でもいんのかよ?」


 男が怪訝な顔になる。


「ああ」


「おいおい。バトルロワイヤル形式の生き残り遊戯(サバイバルゲーム)じゃねぇのか?」


「意に沿わぬ形で参加している奴が大半だ」


「………………。くくっ……はっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 男はわずかに目を丸くし、爆笑した。


「面白いことを言う奴だ。戦場でそんな戯言を聞く奴がいるとでも?」


「お前は聞くだろう」


 確信を宿した断言を返す。


「何故?」


 面白がるように問いを返されたので、答えてやる。


「俺には理解が及ばないが、戦うのが好きなのだろう? 下らない足枷のある相手を中途半端に叩き潰して満足が出来るとは思えない。ヤるなら全力で――だろ?」


 わざわざ事前に挨拶を寄越してくるような奴だ。


 正々堂々とまではいくまいが、己の興を削ぐような真似はすまい。戦いにおいて己に集中しない相手を好むとは思えないし、自ら折れることでその要因を取り除けるならば、あっさりと乗ってくるはずだ。

 その推測は的を外すことなく。


「正解だ。いいだろ」


 愉快そうに鼻を鳴らして、男はあっさりと背中を向けて歩き出す。

 無防備なまでに無造作だが、しかし隙は微塵も生じていない。


 これから殺し合う相手と足並み揃えて歩く――そんな奇矯な状況を不自然と感じながら、その巨漢の背中を眺めやる。巨人と評したくなる体躯でありながら、一切の足音が発生していない。野生の獣のような歩法である。


「――なあ、もう一回聞くが、お前の名はなんだ?」


 無言の時間は長くは続かず、男によって破られる。


「答える必要があるか?」


「そっちの提案に付き合ってやったんだ。それぐらいは義理で返せよ。別に減るもんじゃねぇだろ?」


 確かに、借りといえば借りとなる。

 ……敵対者にまで適応するつもりのない理屈だが、確かに減るものではないし、返しておけば後腐れがないのも事実なので名乗ることにした。


「………。篠宮戒だ」


「ミリオン」


 別に知る必要は感じていなかったが、向こうも名乗る。


「本名は知らん。いろんな奴に好き勝手呼ばれたきたわけだが、最近はそんな感じだな。ちゃん付けで呼ぶ奴もいるが、それは勘弁しろよ」


「………頼まれても呼ぶ気はない」


「それもそうか。そんな風に呼ぶのも『あいつ』だけだしなぁ……」


 やや背中を丸くしながらの呟きには、親愛の情が感じられた。

 およそ不似合いな感じなのだが、声の調子も愛娘を自慢する親馬鹿のようだった。


「…………」


 男――ミリオンが戦闘狂であるのは間違いなさそうなのだが、どうにもこの『遊戯』のようなアンダーグラウンドに堕ちてくる者たちとは毛色が異なる印象が強い。


 不自然な場違い感があるのだ。

 ニュアンスとしては、桜堂世羅に近い。


 本来ならば関わりのない奴が紛れ込んでいる――そんな気がする。

 そんなことを考えていると軽い頭痛がした。無視しても問題のない程度ではあったが。


「……お前は、何を目的に『遊戯(ゲーム)』に参加している?」


 さして追求する必要性は感じないのだが、相手に変な気まぐれが働かないとも限らないので少しでも移動の時間を長引かせるために問いかけた。


「捜し者がいてな。この『遊戯』にはそいつに連なる奴が関わってるって話なんで、まずはそいつを見つけてから手掛かりを手繰り寄せる」


 頭の後ろで手を組んだミリオンが言う。


「――つもりなんだが、事前情報が無くてな。顔も名前も知らねぇ。そいつに逢えるのは決まっているらしいが、それがどのタイミングかも知らねぇ。

 念のために聞いとくが、『アーネスト=ホーエンハイム』なる名に覚えはあるか?」


「知らん」


「だよなぁ」


 落胆した風でもなく呟くミリオン。


「てぇわけで、現状は単純に暇潰しだな。職業病みたいな感じでな、こうした殺伐とした環境下で体の鈍りを取り除きたくなる時期が今でもたまにあるんだわ。やっぱ、生死の狭間を行き来する戦闘ってのは麻薬的な快楽を与えてくれる。

 アレだな。煙草みたいなもんだ。殺伐としてるのはご愛嬌ってな」


「理解には及ばない感性だな」


 わかりやすく、この男らしいと思える動機ではあったが。


「これまで生きてきた環境が、互いに異なってるんだから仕方がねぇだろ? 世界観が違う(・・・・・・)って奴だ」


「………………」


「俺はこれまでの人生の大半を『戦争』を中心に生きてきた。敵も味方だった奴も殺してきた。他人を殺して生き残ってきた。俺が生きているという現実が、多くの人間の人生を狂わせて戦いに駆り立てた。そうした諸々を含めてなお、俺は未だに生きている。頭のどこかが壊れちまっててもなんも不思議じゃねぇだろ?」


 戦闘と殺人がイコールであり、それが呼吸をするのと同じ感覚で同居している。そんなネジの外れた狂人の類は、数多限りなく目の当たりにしてきた。故に珍しいものではない。所詮は心の在り方が外れているだけで、思い切りのよすぎるだけの常人でしかない。


 だが、この男はその『深度』が明らかに違う。


 狂気がより先鋭化され、純化している。

 そして、その狂気を文字通りの意味で飼い慣らしている。


「開き直りではなさそうだな」


「俺にとって戦いってのは、生きるために必要なものなんだよ」


 真ん中から崩れ落ちた歩道橋を抜ける。

 そろそろ斉藤悠(あのバカ)と一戦交えた辺りだった。これだけの距離を稼げば、ちょっとやそっと暴れたところで問題は生じない。


 ミリオンが足を止め、ゆっくりと振り返る。

 一致した思惑が、開戦の火蓋となる。

 だが――


「無意味な無駄は避けたい。一応の確認だが、他所に行く気はないか?」


 こうした提案は、個人的には珍しい類だ。


「それは無理な相談だな。お前は面白そうだ。暇潰しには最適な感じにな」


「鬱陶しい奴だな」


「他人からすれば難儀な性分なのだと自覚はしているが、こればっかりはなぁ」


 苦笑を浮かべながら肩を上下させる。


「だから、よ」


 ミリオンは犬歯を剥き出しにさせて苦笑を、獰猛な肉食獣の笑みへと変える。文字通り獣の爪のように指先をわずかに曲げて、舌なめずりをしながら言う。


「そろそろ始めようや。

 ――『遊戯(ゲーム)』の名に相応しい命懸けで戯れる遊びを、な」


 弛緩していた空気が、ミリオンの戦意に呼応するように凍えるように冷却されていく。


 ミリオンは戦いに愉悦を求めていながら、それに対する心構えは呆れるほどに真摯だ。


 馬鹿げた理屈ではあるが、この男にとって、生は死と隣り合わせであり、死があるからこそ輝けるものだと認識している。


 故に、互いの生死を懸けた戦いを――ある種の神聖な儀式とみなしている。


「………面倒な奴だな」


 この『遊戯』の中で何度も呟いたセリフを再び繰り返した。

 そして、静かに告げる。


「わかった」


 その応えに、ミリオンは地を蹴った。


「さあ――っ! 愉しませて貰うぜぇっ!」


 嬉々としたと表現しても差し支えのない弾みを帯びた歓声が耳に届くのとほぼ同時に、急速に接近する巨人の影。その右手の鉤爪上に曲げられた指による一閃の――五本の軌跡が開戦の号砲を告げる。


「――っ」


 戒はそれを横に跳んで回避。

 身体強化は既に発動済み――纏った闇を翻しながら、一足飛びに十メートル近くを跳躍して回避をする。


 先刻まで戒が存在した空間を切り裂き、地面に叩きつけられたミリオンの一撃は、地面を砕き爆散させる。

 それが純粋な膂力で生み出された結果なのだから瞠目に値する。


 やはり、尋常ではない。

 この獣は単純な小細工抜きの身体能力だけで、既に身体強化をしている戒に迫っている。


 生じた粉塵を切り裂き、獣そのものの俊敏さでミリオンが再び襲い来る。


 その動きに合わせる形で、戒も一足飛びに駆けた。


 ミリオンの一撃を回避すると同時に、そのまま無理のない動きで横薙ぎの一閃を放つ。


「――おっとぉっ!」


 剣から伝わる手応えは硬いもの。


 鉄板に金属バットを当てたような感触だったが、それが男のかざした腕に剣が当たった結果だった。


 この剣は『闇の衣』の一部を固めて形にしたものであり、斬ろうと思えば普通の人間など大した手応えもなく両断できるだけの切れ味を有しているのだが、この男には素手で容易に受けられていた。


 剣を受けた部分が淡い燐光を纏っているので、単純な肉体強度で受けたわけではなく、何らかのトリックがあるのだろうが、それがどんな種類のものかまではわからない。


「なかなか、だな」


「………………」


 初撃の結果は、挨拶代わり程度の成果しかなかったが、この結果は予測の内なので落胆はない。むしろ、この程度で終わるような展開であったなら、逆に驚いていただろう。


 こいつは『本物』だと――初見の段階で理解している。


 お互いに静止したのは一瞬。

 即座にそれぞれ真逆の方向へと跳躍し、次の一歩で剣と拳を叩きつける交錯へと至る。


 ――そう。挨拶はこれで終わり。獣を相手取った戦闘がこれより始まる。




 そして――




 数多の死者の嘆きが眠る廃墟を、獣の影が縦横無尽に交差する。

 通り過ぎた後に、その移動の痕跡が破壊となって刻まれる。


 もしも、この場に常人の第三者がいれば、廃墟が勝手に自壊しているかのように見えたかもしれない。荒れ狂う瓦礫の乱舞は、災害のような嵐の到来に等しい。


 肉を撃つ音がする。鋼を斬り裂く音がする。血飛沫が舞う。

 地を滑り、壁を蹴り、獣の影が緋色の闇に染まった虚空を舞い踊る。


 理性という檻から解き放たれた獣が、その本能のままにこの夜を駆けている。


 それに比べれば、走る人の身の動きのなんと緩慢なことか。常人からは外れていようとも、所詮は人の領域に過ぎないならば、魔性に生きる獣の背を見るのみなのは道理だろう。


「おらぁぁぁぁっ!」


 緋色の光を纏った拳が、戒の剣と打ち合う。

 鉄塊に等しいその一撃は、バカげた話だが剣の一閃と拮抗している――どころか、下手をすれば砕かれかねない。


 その一方で、夜を引き裂く爪による斬撃もまた厄介なものだった。


 ある種の衝撃波を飛ばしているのか、それとも何らかの手段で射程を延ばしているのか、回避をしたその延長線上にある建物や道路に爪痕が刻まれている。戒の考えではおそらく後者であるのだが、これが生物による直接攻撃に含まれているのか、闇の衣の自動消去が適用されていないのが厄介だった。


 回避をするには大きな動きが必要となるのに、その大きな動きをすれば、速度で遥かに勝る獣に捕らわれる。地に足が着くよりも早く、腕を、足を、胴体を打ちのめす打撃が嵐となって襲いかかる。


 現時点で直撃と呼べるものはないが、掠める程度ならば既に十を数えている。


 付け加えて――


「おおおおおぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 すれ違いざまに、獣の咆哮が鼓膜を震わせる。


 意図したものではないのだろうが、こちらの聴覚を潰している。


 戒の眼でも追いきれない領域へと加速し続けている暴力の嵐の中で、さらに五感の一つを奪われては、相手の動きを予測する手段をも奪われるに等しい。交錯の数は二十を超え、およそ百の攻撃を受けていながら、既にその三割を『勘』に頼って回避しているという事実が、実力差を浮き彫りにしている。


 一度回避が出来たのなら、何度でも回避が出来る――そんな理屈を口にする奴もいたが、それは実力が拮抗していればこその話だ。


 現にミリオンの速度は、音速にすら迫りつつある。移動するというただそれだけの行動で周辺に被害を与えていながら、さらに加速を続けているような相手の攻撃をいつまでも避けられるはずがない。


「――っ!」


 半壊した軽自動車を蹴り飛ばす。


 迫り来るミリオンへの直撃コースを辿ったが、腕の一振りであっさりと弾き飛ばされ――その直後に爆発する。おそらくは『遊戯(ゲーム)』の(トラツプ)の類だろうが、奴はまるで意に介した様子もなく、爆炎を突き破ってくる。


 生半可では、時間稼ぎにすらならない。


「がぁうっ!」


 どころか、前後から両腕を裂かれ、左右から足を打たれ、止めとばかりに正面から首に食いつかれそうになるのを回避する――この間わずか一秒にも満たない。


 暴嵐(ぼうらん)に絡め取られた木っ端の如く、微塵になるまで絶え間なく削られていく末路を容易に連想させられる。


「――ぐぁっ!」


 すれ違いざまに放った一撃に手ごたえはなく、逆に高速の蹴りが戒を弾き飛ばした。認識外の速度に達した勢いで吹き飛んだ身体は、半壊した建物を貫通した上で路上を数十メートルも転がり滑る。


「………っ」


 流血が目に流れ込み、視界が赤く染まるが、それを意識するまでの間にも執拗な追撃が迫り来る。さらに加速した状態で上空から落下した巨人の肉体は、爆撃にも等しい。


 陥没した地面はそのままクレーターと化し、地面に突き刺さるような落下の衝撃は周囲に等しくバラ撒かれる。


 直撃は回避しながらもその衝撃波に飛ばされる。


 なんとか足から着地すれば、向き直った獣が粉塵を切り裂いて襲いかかる。

 息つく暇すら与えられない。


「………っ」


 虚実を織り交ぜた狡猾な攻撃の数々で、微々たる消耗を刻み続けることで消耗させ、隙が生じれば致命の一撃で引き裂く。


 正しく、獣の『狩り』のような戦い方だった。


 獣。獣。獣。幾度となく連想してきた表現だが、この男は獣じみている。


 それは戦い方にも現れており、ある種のセオリーを完全に無視している。肉食獣が二足歩行で襲い掛かってきているかのようだ。


 殴る。蹴る。引き裂く。場合によっては噛み付きさえも辞さない。全力の突撃でも受けようものなら潰されかねない。


「……くそっ」


 不覚にも声に出して毒づいてしまう。


「どうしたどうした。こんな程度じゃ、期待外れだぜっ」


 爪による五条の斬撃を剣で弾く。


「俺はそんなに強くはない。勝手に期待したお前が悪い」


 間髪入れずに爪先が鳩尾に放たれたが、相手側に踏み込むことで軌道から身体を外して、そのまま脇から抜ける。駆け抜けざまに背中を斬りつけるが、浅い――大した効果を得られた手ごたえではなかった。


 血の飛沫を虚空に滴らせながら、ゆっくりと振り返るミリオンは痛みを感じぬかのように、あるいはその痛みをも愉しみの一環としているかのように、ただ笑みを深めている。


お前は(・・・)そうだろうな」


 納得を宿した声を置き去りに、ミリオンが再び加速する。


「だが、テメェは(・・・・)そうじゃねぇだろっ!」


 謎かけのようなその言葉を無視して、横薙ぎの一閃を放つが、残像を両断しただけで空を切る。ほぼ同時に、頭部が破裂したかのような衝撃を味わった。拳か蹴りかそれとも膝なのか肘なのかもしかして頭突きなのか、判別の出来なかった攻撃に足が地を離れ――鳩尾に衝撃を受けるとともに身体が浮遊した感覚に包まれた。


「――――ごはっ!」


 舞い上がる。舞い上がる。一気に数十メートルの虚空へと蹴り上げられていた。


 体勢は完全に崩されている。視界も明滅している。意識が暗転しそうになるが、直後に眼前が何かに覆われた。それがミリオンの手で顔を掴まれたのだと認識する暇も与えられずに、緩慢な浮遊は魔高速の落下へと変じた。


 顔面を鷲掴みにされて、ブン投げられたのだと理解できたかどうか。


 己の身体が斜めに傾いた廃ビルを一気に五階層を抜いて底に叩きつけられる。元から崩壊しかけていたのか、それともその衝撃が止めとなったのか。


 戒を飲み込んだ廃ビルは、そのまま轟音とともに沈んだ。



 ● ● ●



 一方、その頃の世羅は――


「あら? あらあら? 壱世ちゃん、意外に着痩せするタイプ? もしかして、あたしよりおっぱいおっきくない?」


「お、桜堂さん、や、やめてぇぇぇ~」


 本人は綺麗に失念しているのだが、適当に選んだ部屋のバスルームでシャワーを浴びながら「やぁのやぁの」と抵抗する壱世を弄んでのサービスシーンの提供に余念がなかった。


「あの……」


 しばらくぐったりしていた壱世が上目遣いで見てきた。


「桜堂さんは――」


「世羅でいいわよ」


 ウインク一つ。

 壱世はやや抵抗がありそうな感じでモゴモゴしていたが、観念したようにうなずいてから口を開いた。


「世羅さんは、先輩や斉藤くんと『同じ』なんですか?」


 こちらに踏み込む質問に、「ん~」と考えるような間を挟む。


 それに答える前に、失念したまま有耶無耶になっていた疑問を解消しておきたかった。また忘れてしまいそうなので。


「その質問に答える前に確認したいんだけど、戒……先輩さんとやらとは親しいの? 一緒に行動してるあたしが言うのも何だけど、かなり問題ある奴よね?」


「………そうですか?」


 そもそもの認識に齟齬がありそうな感じで首を傾げる壱世。


「わたしは先輩が悪い人だとは思いませんし、和くんも最初から凄く………滅多にないぐらい積極的に先輩に話しかけてましたよ。和くんはアレで意外に人を選んでるところがあるんですけど、もう一目惚れみたいな勢いでしたね」


「……へ、へぇ~」


 一般人がすんなり近寄れる雰囲気の持ち主ではないと思うのだが。

 個人的にも、統計的にも。


 ただ、よくよく考えてみると、世羅も最初の段階からあまり警戒をしていなかったような気がする。戒を危険人物だと認識してはいても、その危険を構成する要素が自分には向かないのだと無意識に感じ取っていたかのように。


 確かに、実際に接している内に、戒に危害を加えられる可能性は皆無に近しいと判断しているのだが、そうした言葉に出来ない『安心感』を和也や壱世も察しているのだろうか?


「………………」


 よくわからない。

 けど、戒に対して俄然、興味が湧いてきた。


「ちょっと嫉妬しちゃうぐらいでしたけど、わたしも少ししたら納得しました。あ、この人はわたしたちの好きなタイプの人だって。感覚的なものなので、理由的なものを言葉では説明できませんが」


「それで、親しいの?」


「なかなか、ツレない人です。根気が必要です。でも、最近は少しだけ話をしてくれるようになりました。ちなみに、今の目標は『昼食を一緒に!』です」


「そうなの。がんばってね」


 苦笑のようなものを浮かべて、応援の言葉を贈る。


「はい」


 嬉しそうにうなずく壱世。

 切りのいいところで話の方向性を修正する。


「――で、さっきの質問だけど。基準にもよるけど、多分そうだと思うわよ。向こうの方が遥かにディープみたいだけどね」


 あの二人を基準にすると、世羅は一般人と大して変わらない立ち位置だろう。


 精神的に状況を冷静に受け止められているというだけで、戦闘力という意味では大いに心許ないし、心構えという意味では『殺人行為』にも抵抗がある。


 それでも、和也や壱世の目から見ると『恐ろしい存在』には成り得る。

 この環境に適応しているように見えるという事実は、それだけで異常と判断されてもおかしくはない。


「そう……ですか」


「あたしが怖い?」


「少し。」


「正直ね」


 苦笑しながら、壱世の頭を撫でる。


「だから、知りたいです。世羅さんの……ううん……世羅のことを」


「強いわね」


 天宮壱世という少女を見誤っていたのを認めざるを得ない。


 白石和也の意外性に眩まされていたのかもしれないが、ただ護られるだけの少女ではなかったようだ。弱さを受け入れて、それを改善しようとする――言葉にすれば当たり前のようなことを、実際に実践できる者が果たしてどれだけいるだろうか。


 しかも、こんな異常な『遊戯(ゲーム)』の中で。

 他人を信じる――信じようとするその努力は、愚かしくも尊い。


 ……あぁ、思わず抱き締めたくなる。

 しかも、よくよく見れば、飾り気がないだけで、磨けば光りそうな顔立ちだ。


「ますます気に入ったわ。チューしてもいい?」


「ダメですっ」


 全力で逃げられた。

 ………逃げられると、追い詰めたくなるわよね?


「やっぱり、ファーストキスは白石くんとするの?」


 じりじりと迫りながら、相手を動揺させる意図の発言を繰り出す。


「………………」


 顔を真っ赤にして俯く壱世。

 ………可愛い。その気がなくても変な気分になりそう。


 でもこの反応は、ひょっとするともう済ませてるのかしらね?

 それはそれとして、隅に追い詰めた壱世を軽く抱き締めてからシャワーの下まで戻す。


「さっきも言ったけど、あたしは『魔術師』なのよ」


 魔術と魔法の違いを事細かに説明する意義を見出せなかったので、わかりやすさを優先して簡潔に告げる。


「科学とは異なる手順で同じような効果を具現させる技術の総称が『魔術』ね。最終的に自分の『世界』を具現させるのが目標よ」


「……よくわかりませんけど、すごいんですね」


「そんなに凄くはないわよ。それなりに自意識過剰だった時期もあったけど、この人外魔境に放り込まれたたった一日程度でその自信も地に堕ちたわ」


 本音である。


 篠宮戒。岸本爽馬。斉藤悠。道化師。ラスク・フォン・ルーテシア。

 ノアールやクワトロもどこか一線を画す『何か』を感じる。


 この面子の誰と戦ったところで、純粋な戦闘行為においては一握りの勝機さえも見出せないという確信がある。今はまだ、だけど。


「世界の広さを実感しているわ。良くも悪くもね」


「そう……ですね」


 沈んだ声で、壱世が俯く。


「こんな……こんな恐ろしい世界が、日常の傍らに潜んでいて、そんなのに巻き込まれるだなんて夢にも思わなかったです」


「そうね。あたしも思わなかったわ」


 この話題を続けるのは精神衛生上よろしくなさそうなので、話題を変える。


「ところで、壱世にもすぐに使える魔術よりもワンランク上の魔法があるんだけど、知りたくない?」


「え?」


「教えてあげるわ」


「え? え?」


「笑って」


 言いながら、彼女の頬を両手で優しく挟む。


「え? え? え?」


「いいから」


「こ、こうです……か?」


 再度、促すと戸惑いを残しながらも、壱世はぎこちない微笑を浮かべた。


「もうちょっといい感じでお願い。そうね、白石くんを想う時の気持ちで」


「………えとえと、こ、こうですか?」


「その辺に躊躇はないのね」


 そして、壱世が浮かべた笑顔は。

 あぁ――と、吐息が漏れる。

 暖かなものが胸の内に灯るような、そんな笑顔だった。


「やっぱりね。その笑顔は人の心を癒すものよ。特に白石くんには効きそうな類のね。それも立派な魔法なのよ」


 自分の持たぬもの。


 あの人のために、終ぞ得られなかった『それ』を目の当たりにして、心の内側の弱い部分がちくりと痛んだが、それすらも優しく癒されてゆく。

 少しだけ、ほんの少しだけ泣きそうになったけど我慢した。


「………あのぉ、物凄くいいこと言ってるのはわかるんですけど。胸を揉みながら言われても説得力が。それと世羅の今の笑顔は、わたし的に危険を感じる種類のものに見えますよ」


「気のせいよ」


 偽りの笑顔を浮かべて、世羅は言う。

 壱世を抱き締めて、頬ずりしながら。

 そんな風に壱世を愛でながらも、同時に別のことにも思考を割いている。

 

 今頃はもう、あの時に感じた異様な『気配』の持ち主――尋常ならざる相手の襲撃を受けて、戦闘が行われているだろう。どのような展開になっているかまではわからないが、おそらくは戒が前面に出て、相手役を買って出ているはずだ。


 斉藤悠との戦闘で少なからず消耗しているにも関わらず、そんな事など意にも介さずに。

 それは彼の言葉通りに和也と壱世に借りを返すためでもあるのだろう。


 だが、世羅は自らを省みないその行動にこそ、彼の『本心』が秘められているのではないかと邪推してしまい、嫌な不安を覚えるのだ。


(………戒………)


 今は傍にいない戒のことを想う。

 ………彼が、心配だった。



 ● ● ●



 瓦礫の山へと変じた廃ビルの前へと降り立ち、ミリオンはゴキゴキと首を鳴らす。久しぶりに派手に身体を動かしたが、やはり戦闘には心踊るものがある。童心に返った心地ではしゃいで少しやりすぎてしまったが、まあいいだろう。


 あいつ(・・・)がこの程度で終わるはずがない。


「まだ息はあるな?」


 確認ではない。それは前提条件だ。

 その少年(ガキ)を見た瞬間に、あいつ(・・・)を連想した。


 外見に似た要素はなく、年齢はおろかその雰囲気もかなり異なるが、その内側にある『魂』を同一だと感じた。万を超える『(ソレ)』を咀嚼してきた身で、取り逃した獲物の気配を見逃すはずがない。


 大小無数の違和は、単純に世界観が異なるが故だろう。


 だが、その本質的な部分はひどく似通っている。


 獣は臭いで、既にその獲物を理解している。

 彼が見出した、少年(ガキ)あいつ(・・・)の共通点とは、即ち――


「弱さという哀れを装えば、殺してもらえるとか思っちゃいないだろうな?」


 己の生に真摯でないという一点だ。

 生きるという意志が枯渇し、それが半ば惰性となっている。


「少しばかり毛色が違ってるみたいだが、『死にたがり』に優しくしてやる理由はねぇぞ」


 あいつ(・・・)は死に場所を探していた。


 それは最初に邂逅した時から、最後まで徹頭徹尾揺らぐことがなく、挙句の果てには勝ち逃げまでされる始末だ。


 何かとちょっかいをかけたのも、そうした心の在り様が気に入らなかったからなのだと、今ならわかる。


「………………」


 ほぼ同様に、この少年(ガキ)は何か致命的なものを欠落させているせいでかなり不安定だ。


 そうした症状から招かれる精神の脆さは、安寧と破滅の狭間で揺れる天秤の如く。


 その葛藤から逃避するために速やかなる死を欲している――それを自覚しているかどうかは怪しいが、そうした方向性に精神が傾いているのは間違いない。


 こうした死の充満する戦場に身を置いているのも、自分から死ぬこと(・・・・・・・・)は出来ないが(・・・・・・)自分を殺せる誰かに(・・・・・・・・・)なら殺されてもいい(・・・・・・・・・)――こうした思考の持ち主だからだろう。


 何か自他を含めた複雑な事情がありそうな風でもあるし、復讐を連想させる暗い激情も垣間見えてはいるが、下手な刺激をしなければ、この少年(ガキ)は泥のような諦観に沈んでゆっくりと静かに枯れ果てるだろう。


 根本的な意味では手を下す必要もない。

 だからこそ、ちょっかいをかけたくなる。


 お節介などでは断じてない。

 単に気に入らないから、邪魔をしてやろうという子供じみた反抗心のようなものだ。


 死力を尽くした戦いの果てに、結果として死ぬのは構わない。

 人知れず勝手に生命を絶つのも、見逃してやらなくもない。


 だが――

 戦場において、他人に自殺の手伝いをさせるような奴は心底気に食わない。


「自分で死ぬ気のねぇ意気地なしが、他人に甘えてんじゃねぇぞ。

 そんなに死にたければ(・・・・・・・・・・)生きればいい(・・・・・・)そうすれば(・・・・・)いつかは死ねる(・・・・・・・)んだからな(・・・・・)


 それはそれで極論だと相方には突っ込まれそうなミリオンの持論だった。


「――なぁ、おい」


 挑発的に呼びかける。


「このまま瓦礫を布団にお寝んねしたいってんなら、俺は別の相手を探しにいくぜ?」


 ゴバッ!!! と、生じた衝撃波が瓦礫の山を粉砕し、跡形も無く吹き飛ばす。


 剣の一閃を放ったままの体勢で、こちらを睨み据える少年(ガキ)


「………あぁ、五月蝿い」


 放たれる威圧感が、先ほどよりも増している。


「そうだよ」


 口が吊り上がり、獰猛と評される笑みが浮かぶ。


「そうこなくちゃ、面白くねぇんだよ」


 魂の共鳴が始まっている。

 そうした影響を与える人材が、こうして揃っているのだ。


 となれば、武威だけは加速度的に増していくだろう。

 当人の自覚の有無などはどうでもいい。


 それは幾多の偶然が重なった結果であり、この『特異空間』限りの残影に過ぎなくとも、かつて袖にされたあいつ(・・・)との再戦が叶うのならば――


 今、この時だけは、時計の針を少しだけ戻させてくれ。

 ミリオンではなく、■■■■■としてこの戦いをさせてくれ。


続きを(・・・)、始めるぞ」


 数少ない心残りを晴らさせて欲しい。

 あの少年(ガキ)には悪いが、ほんの少しばかりの夢を見させて欲しい。


 さあ、桁を一つ上げよう。

 遊戯(あそび)であるからこそ、我が『剣』を抜いてやろうではないか。


「――■■――」


 ――さあ、愉しませてくれよ。




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