13 彼の理由(前)
13
――お前たちには借りがある。
● ● ●
悠に案内されたのは、廃墟マンションの一棟。
時間短縮のためにマンションの壁面を駆け上がることになり――身体強化をすればそんなに難しくはない――世羅を背負ってたどり着いたその屋上で。
「先…輩……?」
聞き覚えのある声を聞き、その姿を視界に納めて、戒は暗澹たる気分を存分に味わった。
この期に及んで、悠が嘘を吐く理由などないとは判断していた。
だが、我ながら甘えた話ではあるが、それでもその現実を実際に目の当たりにしたくはなかったようだ。
白石和也。天宮壱世。
あの学園におけるクラスメートであると同時に、白い髪のお嬢様ほどではないにしても、それなりの頻度で戒に話しかけてくる物好きな二人。
たとえ――
どのような形であったとしても、こんな下らない『遊戯』に関わるべきでも、関わらせるべきでもない陽だまりの世界に生きるべき住人だ。
「あらら。これはまた、なんて言ったらいいのかしら……」
戒の背中から降りながら、世羅も困ったように呟いていた。
それはこっちが聞きたいことだ――と、胸中で呟きながら、戒は片手で顔を覆う。
「どうして、先輩がここに……?」
大いに動揺した様子で、和也が口を開く。
互いの立ち位置に大きな隔たりはあるが、それでも学園で共有している時間は同じだ。
こんな殺伐さとは無縁――とは言い切れない部分も無いではないが――の空間に、当たり前のような顔でいる知人と遭遇すれば、そんな反応になるのが自然だろう。
「………。」
そんな彼の背中にかばわれる形でこちらを見ている壱世も、同様の疑問を視線で訴えかけてきていた。
「どぉすんの? なんか、がっつり巻き込まれてるみたいだけど……」
「知るか」
小声で問いかけてくる世羅に、ほとんど唇を動かさずに戒は吐き捨てる。
正直なところ、関わりたくないというのが紛れもない本音だった。
戒にとって、この二人は『物好き』に過ぎない。
ただ他の連中よりもほんの微塵だけ距離が近いだけで、それもあくまで学園に限定したものに過ぎない。
戒から話しかけるつもりはないし、他の諸々を含めても積極的に関わるつもりもない。むしろ遠ざけたいとすら思っている。
だが、そんなこちらの思惑を無視して、踏み込んでくる。
ほんの数分程度の会話を求めて、遠慮がちにではあるが近寄ってくる。
ただ――それだけの関係だ。
それだけの関係を維持しなくてはいけない。
血塗れた人間の傍らにいれば、それは自ずから『闇』に近づくことに他ならない。
鮮血い色など似合わない。暗闇にいるべきではない。
幸せになるべき人間が、自分のせいで『闇』に浸されかねない可能性など、受け入れられるはずも無い。
「何故、お前たちが此処にいる?」
奥歯をギリッと噛んだ戒の口から、必要以上に押し殺された声が出ていた。
聞く側にとってはかなり殺気立って聞こえたかもしれないし、やや冷静さを欠いた対応だというのも自覚していた。
つまり、それでも抑えられないほどに戒も動揺しているのだ。
「戒。こっち側過ぎるわよ。少し落ち着いて」
「………ああ」
肩を軽く小突きながらの世羅の言葉で、ようやく少し余計な力が抜けた。
「えぇ~っと、それで、彼があの入学式の翌日に伝説になっちゃてる『宣言』をやらかした『ミスター・ハーレム君』だっけ?」
前に出た世羅が、和也を指差しながら聞いてくる。
物怖じをしない遠慮のなさが世羅らしいが、どちらかというと状況を踏まえての空気の弛緩を目的とした振りなのだろう。
この環境で緩みすぎるのも問題だが、常に張り詰めた状態で緊張を維持させられるのも大きな疲労を招く。
それが陽だまりの住人であるのならば、主に精神面が深刻な被害を受けるだろう。物怖じをしない気遣いで、その軽減を目論んでいるのならば、気が利いている。
「いやいやいやいやっ」
世羅の思惑に付き合うべく口を開こうとしたのだが、それよりも先に和也が慌てた風に反論を挟んでいた。
「違うよ。それは室井くんだ。彼の二つ名だ。僕の名前は白石和也で、相思相愛の天宮壱世という名前の最古の幼なじみがいるだけの一般人だよ」
「か、かかか和くんっ!?」
あまりに堂々とした物言いに、傍らの壱世が顔を真っ赤にしている。
「………。」
和也はこの手のからかいを照れもせずに真面目に返す奴だった。
それを面白くないなどと評する奴もいたが、戒としては好感を抱くに足る要素である。
「また堂々と惚気たわね」
世羅もまた、率直に好感を抱いたように口元を緩める。
「別に自分の素直な気持ちを隠す必要はないし、なんだか早くも公認の仲として幅広く認知されてるみたいだからね」
「クラスでの通り名は、新婚バカップルだ」
「「ちゃんと名前で呼んでっ」」
二人で声の揃った抗議に、世羅が楽しそうに笑う。
「あらま。息ぴったりね」
「ああ。故に、だ」
「雪菜以外はあんまり興味がなかったからよく見てなかったんだけど、改めて考えるとあんたのクラスってかなり個性的なのが揃ってるわね?」
肩越しに振り返る世羅。
その個性的な面々に己もまた含まれているような気がしたが、抗議は通らないだろう。
付け加えるなら、あんな戒の目線からしてもふざけた連中を意識せずにいられる世羅の豪胆さに、仄かな呆れを抱いた。
「内側から見てもなかなかの人外魔境だが、こいつらはマトモな部類だ。いっしょくたにしてやるな。まあ、周りにいる非常に個性的な連中を手懐けているところから、非凡な特性を有した人物だという推測も成り立つが、あくまでも内面の話だ。物理的な意味においては凡人の域を出る奴らじゃない」
十二企業の一角の秘蔵っ子――天才。善良。魔女。オタク。最近は『外』にチンピラも加わったらしい。
両親に関してもそれなりに曰く付きで、周囲の混沌さ加減は『ミスター・ハーレム』・『隠れ御曹司』などの二つ名で知られている『室井八雲』に近しい。
「手懐けるって、友だちに使う表現としては相応しくないよね? あんまり嫌な言い方はしないで欲しいなぁ……」
「あぁ、それもそうだな」
和也から極めて真っ当な抗議を受けたので、戒は素直に反省する。
反発などする気も起こらない物言いは、戒を対等と見なした上でのものだ。
こんな異常な状況に置かれておきながら、学園の教室のように戒を受け入れている度量は敬意を抱くに値する。
自分が攻撃される可能性を完璧に排除している様子なのは、戒という人間を和也なりに理解した結果なのだろう。
その観察眼に間違いはないからこそ、込み上げてくるのは苦笑にも似たものだ。
戒の表情が動くことは無かったが、和也の変わらなさにわずかなりとも安心を覚えていた。
「悪かった。許せ」
「許すよ」
「ああ。」
「ふ~ん」
なんとも名状しがたい目で戒を見る世羅。
驚いているようにも、面白がっているようにも見える。
「なんだ?」
「別に。少し安心したわ」
にやっと口元を緩めながら、見守るような優しさを宿した眼差しを細める世羅。
「?」
その理由がわからないので疑問が渦を巻く。微妙に気にはなるのだが、わざわざ追求する必要があるとは思えなかったので戒は沈黙を保つ。
「あんたは気にしないでいいわよ」
世羅も己の胸中に留めおくつもりのようだった。
「てか、どうして桜堂さんまでもがここに? しかも、なんで先輩と一緒なのかな?」
「もしかして、なかよし?」
首を傾げながらの和也の問いに、同じように首を傾げながら壱世が追随する。
「――に、なれたらいいとは思ってるけどね。友達的な意味で」
世羅は肩をすくめて、戒に意味深な流し目を向けてくる。
「待て。妙に馴れ馴れしいが、お前らは面識があるのか?」
この状況下で、自然に話し始めた三人に戒は疑問を投げかける。
「こうして話すのは初めてよ」
肩を上下させながら、世羅が言う。
「直接的な知り合いってわけじゃないけれど、柊さんによく会いに来てるから顔と名前は一致してるんだ」
「それにわりと有名人だよ、桜堂さんは」
「知らなかった? これでも、あたしはそこそこ有名なのよ。あんたらのクラスのせいで影が薄くはなってるけどね」
ドヤ顔で胸を張る世羅――を無視しながら、戒はため息を吐く。
「……そういえば、お前も有名だったな。
だが、ほぼ初対面に近いのに随分と親しげに会話が出来るものだな」
「いちいちまだるっこしい回り道してるほど余裕のある状況じゃないでしょーが」
「お前はそういうタイプだったな」
世羅の堂々とした物言いに、納得と諦観の中間にある微妙な心境でボヤく戒。
「先輩と一緒にいる人を疑っても仕方がないよ」
「うん。先輩が一緒にいることを許してる人なら、大丈夫だって思えるし……」
和也と壱世もだが、前提条件がそもそも破綻している。
判断基準に戒を用いてどうするというのだ――と思うのだが、この二人はそうした疑問を全く感じていないらしい。
「……判断基準はあたし個人じゃないのね」
やや不満そうに唇を尖らせる世羅だったが、空気を読んでいるのか二人に聞こえない程度の声量に抑えていた。
「そこまで無条件に俺を信用するのは、どうかと思うがな」
「自分の目を信じられなくなったら、それこそ問題だよ。それに……先輩に僕らを害する気があるなら、そもそも今の状況が成立してないよね」
和也の唇を緩めながらの言葉に反論の余地はなく、戒は苛立たしげな舌打ちを漏らすしかなかった。
遠回しに自分が善人だと言われているかのようで、なんとも言えない気分が戒の胸中に生じていた。
「ふふっ♪」
苦虫を噛み潰したような戒の顔に含みのある笑みを浮かべながら、世羅は和也たちに身体ごと向き直る。
「――さて、と。脱線した話を戻すけど、彼と一緒なのはただの物凄まじい確率で生じた奇跡的な偶然の結果よ。ここにいる理由は、ちょっと一風変わった形ではあるけれども、あなたたちと同じ……だと思うわ」
「そう…なんですか」
「そーなのよ。全く遺憾な話だけどね」
「なんだか、わたしたちとは違って、その……落ち着いてますね?」
「あんたたちもかなり落ち着いてる方だと思うけど、まぁそうね。それなりに耐性があるのよ。家庭の事情とかでね」
眉を下げている壱世に苦笑を見せながら、世羅は手で長い髪を後ろへと流す。
「家庭の……事情ですか?」
「実はね。あたしは『魔術師』なのよ♪」
世羅はえらく軽い調子で、爆弾発言的な内容を口にしていた。
「ぶぴょるっ!」
悠が妙な奇声を発して、吹き出していた。
「おい。」
基本的に、易々と他言していい話ではないように言っていた気がするのだが。
どういうつもりなのかと視線で世羅に問いかけると、悪戯っぽいウインクが返ってきた。
「そう……なんですか?」
目を丸くした壱世は、あまり笑えない冗談を聞いたように曖昧な表情になる。
「………………。」
和也はどうとでも受け取れる平坦な表情で沈黙をしている。
一般人の反応としては、理想的とすら言える表情だった。
「そぉーなのよん♪ それについては詳しく話せないけれど、そういった背景のなさそうなあんたたちが、どうしてこんな『遊戯』に巻き込まれたのかは興味があるわね」
「それ、は――」
わずかな躊躇いを含みながら和也が口を開こうとしたのを、世羅は押し留めるように手をかざすことで止めた。
「………ぁ、っと」
「まあまあ。そんなに急がなくていいのよ。いつまでも、このまま立ち話ってのもなんだか疲れるしね」
にこっと場違いなぐらいの笑みを浮かべながら、世羅は人差し指を立てる。
「とりあえず、いろんな情報の共有をするための話し合いをするのは必須事項なんだけど、円滑に事を進めるために、落ち着いて話せるようにするのが最善だと思うのよ」
「そうだなぁ……」
思案するように顎に手を添えた悠が、のんびりと口を開いたタイミングで――
「あっ」と、声を上げたのは壱世。
くるきゅ~という不可思議な音色を奏でた腹部に手を添え、真っ赤な顔で俯く。
「可愛い音色ね。そうね。まずは腹ごしらえでもしながら自己紹介でもしましょうか? 人数は倍に増えたわけだし、知らない人もいるみたいだしね」
立てた指を意味なく振りながらの世羅の提案に、異論を挟む者はいなかった。
「そーだそーだ。そういえば、先輩がちょうどいいの持ってんじゃん。みんなでメシにしようぜ。なー? 軽い運動で俺も腹が減ってるしな」
「……わかった」
無意味な小躍りをしながら世羅の提案に乗る悠の物言いにため息を吐きながら、戒は肩に下げていたリュックを下ろした。
中に詰め込まれた食料――缶詰などが音を鳴らした。
● ● ●
――五分後。
「それでは、僭越ながら私めが乾杯の音頭を取らせていただきます。殺伐としたこの『遊戯』をみんなが生き残れること祈って――乾杯っ! いただきま~す♪」
悠が飲み物の注がれた紙コップを軽く掲げて言うのを、戒は苦々しく思う。
微妙な不思議を伴う心境なのだが、悠のペースで物事を進められると無駄に苛つくのだ。
「「「いただきます」」」
悠に続いて唱和した声は六つ。
「………いただきます」
それに一歩遅れる形で、ため息混じりに戒も続けた。
心中は『毒を喰らわば皿まで』に近い。
戒が用意した二人で消費する予定だった二日分とやや余分の適当な食料の数々に、八人がそれぞれ思い思いに手を伸ばす。
今現在の状況としては、場所は屋上のまま石畳の上に車座で座り込み、簡単な食事をしながら和也の話を聞いている段階だ。
彼がこの『遊戯場』で目を覚まし、壱世を見つけ、悠と遭遇するまでの過程を。
行動を共にしていた悠たちもその辺の話は、まだ聞いていなかったらしい。
時折、悠や世羅が詳細を求めるために口を挟んでいたりするのに耳を傾けながら、戒はそれとなくこの場にいる者たちを一瞥する。
元は一人だったのが、世羅が強引に加わったことで二人になり、呼んでもないのにやって来た悠とラスクを足して四人になり、この屋上に辿り着けば八人に増えた。
大規模な『遊戯』とはいえ、戒にとっては経験のない――敵ではない者とともにいるという意味で――大所帯である。
それがこんな風に和気藹々と食事をしている光景は、些か奇異に映るものだった。
先客の四人。
同じ学園の制服を着た和也と壱世。
白石和也。
普通――という言葉で、端的に表現してしまいたい奴だが、悪い意味を含まない要素でどこか目を離せない部分がある。容姿的には特に目立った点はなく、良くも悪くも一般的な造形だろう。
強いて言うなら、纏っている空気が違う。何が違うのかを言葉で表現できないが、敢えて貧相な語彙でいうならば、澄んでいる。
他からは感じられない純粋さがある。
戒が抱いているのは、そんな印象だ。
こちら側とは明らかに異なる、心の強さが和也にはあるのだろう。この致命に届くほどの逆境に在りながら、目に見えるほどには〝揺れて〟いないのがそれを証明している。
ゆえに――白石和也は強い男だ。
この世界において、戒よりも遥かに強いのだと素直に認められる。
天宮壱世。
飛び抜けた印象はないが、よくよく見るとそれなり以上の顔立ちをしている。
磨けば光る――そんな逸材にも見える。背中まで伸びた黒い髪。背は平均よりも高いようで、白石と並んで立っているとほとんど差がない。
頼りない線の細い体つきは、女という異性を再認識させる――などと誰かが評していたのを覚えているが、戒の意見ではない。
弱々しいという印象はない。むしろ、この状況にあっても平素に近い精神状態を保っていることから、芯の強さを伺わせた。怯えや恐怖がないわけではなさそうだが、それに耐えられる――耐えているのは、それだけでも貴重な強さだ。
そんな二人だが、戒を見る目に多少の疑問は宿っていても、それだけだ。
学園の教室にいる時とそう変わらない。
こんな殺伐とした場で邂逅した上に、明らかに常軌を逸した面を目の当たりにし、この場の空気にどうしようもなく馴染んでいる戒を見てもなお、いつもと変わらずに受け入れようとしているのは、一体どういう心境の成せる業なのか。
信用――信頼を宿した眼差しの意味が、戒にはまるで理解が出来ない。
いや、理解を放棄した。
深く考えてしまうと、何かを間違えてしまいそうな予感がしたから。
だから、汚れの目立つ制服姿の二人に、あとで代えの服を渡してやろう――と、よそ事に思考を逸らした。
「………………。」
続いて――
戒からしても『違和感』の強い二人組に横目を向ける。
眼帯をしているノアールと名乗った青年。
黒髪。黒目。外見上の見た目で言えば、そう大きな年齢差はなさそうだが、それでも二十歳は過ぎているらしい。
戒とは別の意味で、外見と年齢が不一致している印象を与えている。
左目を覆う眼帯を、ある程度隠せるように伸ばした風な左の前髪。そうした点を除けば、さして目立つ要因のない顔立ちだ。
腰に下げた――座っている今は脇に置いているが――時代がかった長剣が微かな違和感だが、そんな程度のものは『遊戯』においては珍しくない。
何処にでもいそうな、けれど、何処にもいない――そんな矛盾した雰囲気の男だった。
戒にとって、ノアールは気になる存在だった。
妙な既知感をその顔を見た瞬間に得た。
この邂逅が初めてのはずなのに、不思議とそんな気がしない。
それは戒の一方通行な感覚ではないらしく、向こうもこちらに悪意や敵意の混じらない、言葉で説明しづらい不可解な視線を向けていた。
極めて自然に挨拶を交わす間柄だが、実は相手の名前を知らない――例えるならば、ノアールに感じる違和感はそんなものだ。
会話を交わせばいくらか解消されそうな気がしないでもないが、そこで違和感を追求せずに放置してしまえるのが戒だった。
気にはなるが、わざわざ関わってまで知りたいと思うほどではない。
そのまま視線を、ノアールの横へと移動させる。
洒落た感じの服を着たクワトロと名乗る青年。
黒髪。黒目。洒落た服を着たモデル体型の青年。こちらは自己申告どおりに二十歳過ぎらしい風貌をしている。
他の誰よりもマトモに見えるが、ある意味においては他の誰よりも外れている。そんな異質な気配を持つ男だ。
それ以上に、この人間に見えるイキモノを表現できる言葉が、戒の語彙の中にはない。
こいつが『敵』として在らない事実が不思議でならない。
こうして輪になって、食事をともにしている理由がわからない。
まるでこの『遊戯場』の縮小版のような呪いに蝕まれておきながら、その内外に悪意が一欠片も渦巻いていないのが本当に不自然で、不均衡だった。
「………………。」
この男は他の誰よりも、驚きとともに世羅に注目していた。
それはノアールも同じではあったが、深さが違う。
二人の驚きは、あくまでも戒がそのように感じたに過ぎないが、世羅に『別の誰か』の面影を見ていたような気がする。
そんな視線に対して、世羅もらしくない明らかな嫌悪を宿した視線を返していた。
クワトロだけに。
そんな三人を興味深そうに見ていたラスク。
どうにも、この場にいる人間の関係性には、一筋縄ではいかない『何か』が含まれているようだった。
考えるのが面倒なので、あまり難しいことにはなって欲しくない――という本音を胸中で呟きながら、戒はブラックの缶コーヒーを口に運ぶ。
妙な拾うのに事務と息を会が漏らしたタイミングで――
「――というのが、斉藤くんが現れるまでの顛末だよ」
唐突に告ぐ唐突な展開の締めとして、唐突に悠が現れた場面までを語り終える和也。
「ビームか」
とりあえず、戒は言った。
聞き流しながらも、聞き捨てならなかった最も印象深い部分を。
「ビームなのね」
世羅も言った。微妙な表情で。
「うん。ビームだった」
和也もうなずく。
「………ビーム?」
その時はまだ眠っていた壱世は上手くイメージできないのか、首を傾げている。
ビームビームとみなで連呼してから、悠に視線が集中する。
「おうともさ。俺はビームも撃てるんだぜ。凄かろ?」
悠は堂々と胸を張りながら、誇らしげに言った。意味が不明だった。
みながみな、頭を左右に振ってから視線を外していく。
「――こほん。ここから先は俺が話そう」
マトモに相手をする気分にはならなかったのが一目瞭然なのだが、悠は口を閉じない。
「その辺は大雑把にしか聞いてなかったから口を挟みようもなかったが、それ以外に関してはそれなりに把握しているからな」
何事もなかったかのように話の軌道修正を図るあたり、図太い奴だった。
しばらく黙り込みでもするなら、まだ可愛げが………生じたりするはずもないが。
「あぁ~、うん。よろしく頼むよ。僕としても、斉藤くんには聞きたいことが山積みだしね」
基本的に説明のために口を動かし続けていた和也が、ようやくといった風に肩の力を抜いて、壱世が彼のためにキープしていた食べ物へと手を伸ばす。
「慌ただしかったから話す機会がなかっただけで、黙秘をする意図はなかったよ。まあ、それでも話せる内容と話せない内容はあるわけだが、その辺りは勘弁してくれ」
「善処はするつもろだよ。それじゃあ、最初の疑問なんだけど、どうして君が助けに来てくれたのかな?」
仮に救援が現れるとしても、その候補者の中に『斉藤悠』の名前が含まれていないか、かなり低い確率であると判断している風の和也の疑問だった。
もっとも、それを踏まえた上で、それでも救援に現れたことを大して意外と感じていない様子なのは、悠の特性(?)と言うべきか。
悠は破天荒な真似をするわりに、その結果に『意外性』を生じさせないところがある。
ある種の予定調和に落ち着く――というよりも、自身が関わることで厄介事を規定範囲に調整しているかのように。
些か買い被りが過ぎる思考だと一笑に付したいところだが、先に一戦を交えた戒としては、悠がかなり『深いところ』にいるのだと認めざるを得ない。
そんな奴が伊達や酔狂で、あのクラスの一員であるはずがない
思惑はまるで読めないが、まるで無意味な行動をしているわけではないだろう。
………多分に〝遊び〟の要素を織り交ぜながら、ではあるが。
「そうだな。確かにそれが第一の疑問だ。
お前はこの一件にどういう形で絡んでいる?」
戒に関わってきたのは『ついで』に過ぎない。
和也と壱世の救援が『本命』なのだと、悠は最初から明言している。
「そもそもあんたは何者なのよ?」
相も変わらぬ好奇心を前面に押し出した問いを投げたのは、言うまでもなく世羅だ。
「何者って言われてもね。俺は俺だよ。斉藤悠。君たちと同じ学園に通う由緒正しい一生徒であり、ちょっと世界の裏側で『世直し系』のアルバイトをしている何処にでもいる系の軽薄少年だよ」
わざわざ立ち上がり、妙なポーズを取りながらの悠の発言だった。
「「「ダウト!」」」
語尾は異なるも、みなの意思は完璧に統一されていた。
それはノアールやクワトロ、ラスクでさえも同様で、やはり日頃の行いは大事なのだと思わせられる一幕だった。
ちなみに、戒は口を動かしていない。
ふざけるなと思っただけだ。
「ダウトじゃないっつーの」
気の利いた冗談を流されたかのように不貞腐れた顔をする悠だが、すぐに続ける。いつものような悪ふざけに時間を費やすつもりはないようだった。
「………ったく。どうして俺が助けに来たかっていうと頼まれたからさ。もっとも、俺が頼まれなくても君たちなら、必ず誰かが助けに来ただろうけどね」
「相変わらず、妙な言い回しね」
片目を閉じた世羅が開いている瞳に鋭いものを混ぜながら言うが、悠はどこ吹く風といった風に肩を上下させるだけだった。
「……誰が、斉藤くんにそれを頼んでくれたのかな?」
和也も似たような疑問を抱いたのか、わずかに眉を動かす。
だが、続いた質問は、それを追求するものではなかった。
「君らの友人の一人であるところの『天才』――滝沢正人だよ」
ひらりと手を振りながら、腰を下ろした悠は当然のように言う。
「やっぱりね。相変わらず心配性だなぁ」
申し訳なさそうな顔でありながらも、うれしそうな声で和也は納得を口にする。
「正確には君の友人たちだけどね。今回に関しては彼が主導で動いている。音信不通による君たちの行方不明が確定したのが、昨日の午後八時前後だ。それから迅速に動き始めたのが彼で、打てる手の中にあった『札』の一枚が俺だったのさ」
「………うん? あれ? ちょっと待った。うっかり普通に流しちゃったけれど、斉藤くんは正人と知り合いだったのかい? いや、よくよく考えると初対面という感じじゃなかったけど、そんなに親しい風でもなかったよね」
和也の言葉に、戒は眉をひそめる。
彼自身が深く関わろうとしていないせいもあるが、意外な人間関係が明かされたような気がしないでもない。
裏社会に身を置いている悠と世界に名立たる大企業の御曹司では、そう易々と接点が生じないはずだ――とは言い切れないのが世界の世知辛さではあるが、少なくても滝沢絡みであるならば、悠のようなものが接点を持つ機会は生じないと言い切ってもいい。
敵対関係であるならその限りではないが、悠の口にした内容からするとそういうわけでもないらしい。
「前に彼の留学先で少しね」
サンドイッチを口に運びながら、隠すでもなく悠は明かした。
「今と少しばかり似ているトラブルに一緒に挑んだのさ。仲良くではなかったし、後味の悪い物別れに終わったわけだが、さりとて現在進行形で険悪になっているというわけでもない。つまりは利用価値のある知人という関係がしっくりとくる間柄さ」
その思わせ振りなサイドストーリーも微妙に気にはなったが――悠が関わっている時点でまず普通ではないだろう――追求していられるような場面でもないので、戒は至極あっさりと忘れることにした。
「………ふぅん」
軽く両目を閉じた和也も好奇心を刺激されていたようだが、再び目を開いた時にはその好奇心を完全に抑え込んでいた。
戒のように興味を放棄したわけではなさそうだったが、そこに時間を割くのは別の機会でいいと割り切った風だった。
「斉藤くんと正人の相性は、そんなに悪くないと思うけどね。でも、正人はある一定の境界を越えない限りは心を開かないところがあるからねぇ」
「あ~、まさにそんな感じだったなぁ~。この学園で再会して、君らと接しているあいつを見た時は、もしや双子の別人かと疑ったぐらいだ」
へらりと愉快そうに含み笑う悠。
「……確かに、二人の現状の関係は友だち未満の知人と評するのが妥当みたいだね。だけど、君に『頼る』という選択肢が正人にあるのなら、その関係は遠からず良好になるかもね」
悠は「それはどうも」と曖昧な答えを返してから、逸れた話を戻す。
「それはそれとして、彼の依頼で俺も動き出したわけだが、当然のように暗中摸索で手の打ちようがないまま無駄に時間が過ぎてたんだ」
お手上げというように両手を上向け、悠は嘆かわしげに頭を振る。
「そもそも君たちがこんなことに巻き込まれるなんて想定外だったし、巻き込もうと思うような塵屑がいるなんて思わなかったからね」
そう口にした時の悠の口調は軽いものだったが、内心までもがそうだとは到底思えないものだった。
細められた目の奥にわずかに垣間見える双眸は、刃物じみた鋭さを帯びていた。
主犯が判明すれば、そいつはロクな目に遭わないだろうと確信させる不吉さを孕んでいる。
もっとも、それに関しては戒も全く同じ考えだったが。
「―――で、これは本格的にヤバそうだと、内心の焦りが最高潮に達した時に、もう一人の依頼人から連絡があったのさ」
「………それは、」
「誰、なの?」
和也と壱世の問いに、
「守秘義務があってね。ここはひとつノーコメントを認めてください。お願いします」
悠は申し訳なさそうに頭を下げる。
「君らに言ったら、ガチで消されるから絶対に言えない」
冗談のような発言だったが、その時の悠の表情は本気だった。
それが誰なのかはわからない。
だが、戒の知る限りでは、最も自由奔放に生きているように見える悠に、そんな強制力を働かせられる奴がいるのだろうかと疑問を抱く。
「お前を有無も言わせずに動かせるような『大物』が絡んでいるのか?」
「ああ。そうだよ。逆らうなんて選択肢は選べない相手だよ。いろんな意味でな」
最初から逆らうつもりもなかったけどね――と、微妙に青ざめた顔で付け足してから悠は、和也と壱世を親指で指し示した。
「この二人は、意外に『重要人物』なんだぜ」
「重要人物って、僕たちが?」
「その無垢な自覚のなさは美徳だけど、君らはあのクラスの連中の大部分に好感を抱かれてるのを自覚した方がいい」
「「………はあ」」
そんなことを言われてもというように、和也と壱世は気の抜けた吐息を漏らす。
その反応に苦笑しながら、悠は肩を揺らす。
「この鉄仮面じみた無表情がデフォルトの先輩でさえも、君たちが危機に陥ったならば問答無用の条件反射で手を差し伸べかねないぐらいなんだぜ」
「………多少大げさな表現ではあるが、知ってしまえば無視が出来ないのは確かだな。お前たちはこんな下らない雑事に関わるべきではないし、関わらせるつもりもない。お前たちは、お前たちの日常で生きていればいい」
中身を飲み干した缶を、文字通りの意味で握り潰してから続ける。
「俺の手が届く範囲なら、お前たちに降りかかる火の粉は払ってやる。
だから、お前たちは何もするな」
開いた手のひらから零れ、石畳の上に落ちた缶の成れの果てが、カンと音を立てる。
あまり戒の好みではないが、妙な気を起こさないように強めの釘を刺しておく。
「――だそうだよ。よかったね」
「どうして、先輩まで……僕たちを助けてくれるのかな?」
和也の問い。
壱世も意外そうな顔で見ている。ついでに世羅も問いかけるような視線で見ている。
むしろ、全員がこちらを見ていた。
当然の疑問だろう。
無償の善意とは縁が遠いタイプだと思われているのは自覚しているし、事実その通りだとも思っている。
関わる必要のない出来事に関わるような積極性など、戒は持ち合わせてはいない。
だが、そうした主義――と呼べるほどに大層なものではないが――を捨て置くだけの『理由』がないわけでもない。
「――お前たちには、借りがある。それだけだ」
「いや、それだけだって言われても、その、心当たりがないから困るんだけど……」
そうだろうな、と戒は内心で仄かに苦笑する。
「俺の勝手だ。気にするな」
「いや、でも……せめて、借りの内容ぐらいは………」
なおもなにやら言い募ろうとする和也だったが、戒がそれ以上を言葉にするつもりがないのを悟ったのだろう。
尻切れさせるように言葉を飲み込んで、困ったように緩いため息を吐いた。




