11 幕間(前)
11
――まずは一時の短い休息を。
知られざる物語の断片とその後に繋がる幕間をここに――
● ● ●
――ほんの少しだけ、時間を遡る。
「よっこらしょ」と年寄りっぽい掛け声とともに、悠は手近にあった瓦礫に腰を下ろすと、見た目幼女の魔法使いが腰に手を当てて眼前に立った。
こうして直接に面と向かうのは、随分と久しぶりの相手だ。
「やれやれ、しばらく帰ってこないから何処で何をしているかと思えば、相変わらず面倒に首を突っ込んでいるようだな、君は」
懲りない男だね、とラスクは頭痛を堪えるような仕種をする。あるいは本当に頭痛がしているのかも知れないが。
久しぶりに逢う相手の苦言に軽く耳を痛めながら、
「いや、今回は自発的ではなくて、かなり不本意な形でぶち込まれたんだが……。
そーゆールーちゃんこそ、こんなところで何やってんのさ?」
本来ならば、『こっち側』にいるはずのない相手に理由を尋ねた。
「その言葉はそっくりそのまま君に送り返そう。君こそこんなところで何をしている?」
質問に質問を返されたが、そこら辺を言及したところで時間の無駄にしかならない。
悠は肩を竦めて、素直に答える。
「二転三転どころか、話を進める度に意図せぬ方向へとコロコロ転がり続けやがる面倒な仕事の一環だよ。そっちは?」
旧知の間柄らしい砕けた調子での会話に世羅が視線を向けてきたが、わざわざ割り込む気にはならなかったようで、戒に労いの言葉をかけたのを確認する。
意識がこちらから逸れた瞬間を逃さずに、『これから先の会話は向こうには聞こえないように細工をよろしくね♪』とラスクへと目配せをする。
こと魔術関係に関しては『単純バカ』だの『一芸バカ』だの『破壊バカ』だのバカバカ言われている身に偽りなく、その手の小細工の心得が今はまだ完全皆無なのだ。
――というか、どいつもこいつもバカ呼ばわりしたいだけなのでは………なんてどうでもいいような疑問が浮かんだが、そのまま胸中に沈めていく。
誰に聞いたとしても、答えなんて決まりきっている。
「ふむ」
とある『呪い』で本来の姿を封印されている魔法使いは、その意味を正しく受け取り首肯してくれた。パチンと指を鳴らす。
どんな魔法を使ったのかはさておき、これでこちらの会話はお互いにしか届かない。
単純に声を小さくするだけではやや不安だ。
聞こえるはずのない距離でも声を拾われる可能性はある。
特に、世羅に関しては信用の有無とは無関係に、必要以上に警戒するぐらいでちょうどいいと判断せざるを得ない。
ラスクとの会話は、まだ彼らには関わりのない物語の断片となる。
それをさっきのように『アレ』経由で拾われるのは、あまりよろしくない。
この場での戦闘で拾われたのもやり過ぎに近いレベルなのに、ましてや『こっち側』の情報が今の段階で流れ込んだりすると、彼女自身が歪んでしまいかねない。
今の『此処』の特性は、上手く使えれば便利だが、同時に情け容赦ないところもある。
こちら側である程度の選別を行う必要がある。
さておき。
悠は視線でラスクに先の問いの答えを促す。
ラスクは大仰な仕種で肩を竦めてから、
「とある伝手でね。お招きに預かった次第だ」
「誰にだよ?」
余計な真似をしやがって――という内心が、微妙に眉間に皺を生じさせる。
ラスクのような猫被りを、こんなクソ厄介な状況を内包した『遊戯』に放り込んだからには、現状に対する確信犯的な思惑があるのに疑問を挟む余地はない。
あの『魔女』も一枚噛んでいるというのに、これ以上ややこしくするなというのが悠の本音だった。
自らの日頃の行いを棚に上げて。
「君もよく知っている人物だが、微妙に君から剣呑な気配が滲み出ているから名は伏せさせてもらおう」
「いや、教えてくれ」
頼み込む悠への、ラスクの返答は唇の端を歪めた薄い笑みだった。
それは答えるつもりがないという意思表示であり、事実として続いたラスクの言葉は話題をまるっと変えていた。
「しかし、この空間が『特異点』と化していたのには驚かされたよ。どうやら運命の歯車が再び廻り始めたようだ。この『夜』の戯れを境に、何かが変わっていくのだろうね。それは、もしかすると今の世界が変わるほどの大きな流れとなるのかも知れないと思うと、些か不謹慎ながらも楽しみだと思ってしまうよ」
相変わらず、饒舌なヒトだ。
思い付いた端から口にするタイプであるのに加え、いろいろと種類を問わない知識も豊富なので、解説や説明などの分野では頼りになるのだけど、とにかく話し始めると長いのがちょっとした欠点だと悠は思っている。
あと、機密レベルの高い情報を独り言する悪癖も、お願いだからやめて欲しい。
正直な話、今はまだあまり余計なことを吹き込まれたくないので、戒や世羅には接触されたくないのだが、彼女の存在をどちらも疑問視していなかった点から踏まえるに、手遅れっぽいと投げやりにため息を吐かざるを得ない。
「俺からしてみると面倒な話でしかないんだが……」
「どうせ遅いか早いかの違いでしかないだろう?」
「準備時間が足りてないって言ってるのさ」
「準備万端に整えても不測の事態が常に発生するのが、君という人間の特性だろう? だからこそ、アドリブに滅法強いとも言えるのだが」
「今の俺を取り巻く状況が俺のせいみたく言うの、やめてくんない。地味に凹むから」
「どうせ君は三歩も歩けば忘れるだろう。馬鹿だからな」
「失礼なっ!?」
「それに、彼を相手に嬉々として暴れていたような気もするがね。アレはこちらの視点からすると大した意味のない馬鹿な振る舞いでしかなかったが?」
「多少のストレス発散が含まれていたのは否定できないが、アレはアレでそれなりの意図があってのことだよ」
悠は内心で、この『遊戯』の中だけで判断するならな――と呟いていたが、それを表に出さずに微妙な言い回しで煙に巻く。
「そこのところについて詳しく。君には彼とケンカをする予定が逢ったのかい?」
「とある都合で断れない奴に、先輩の面倒を頼まれてるんだよ。ちょうどその機会に恵まれたなら、さっさと済ませておくのが無難だろ?」
やっぱり素直に煙に巻かれてはくれないかと諦観混じりのため息を吐きながら、悠は今後に支障が生じない程度の情報を開示する。
「成程。事情までは読み取れないが、君は相変わらず寄り道要素を織り交ぜるのが好きなようだね」
顎に手を添えて考えるような素振りを見せながら、ラスクはニヤリと嘲るような笑みを浮かべる。
「別に好き好んで寄り道してるつもりはないんだがねぇ……」
性悪な悪魔に仕組まれた『脚本』をわずかでも狂わせるならば、誰かの介入の余地が生じるような『遊び』を行間に作っておく必要があるだけだ。
有効活用できるかどうかはさておき、無駄のない『物語』は、無駄がないからこそ結末まで一直線になるものなのだから。
「とりあえず、こっちの出した課題はクリアしてくれたんだ。今後もなるようになるだろ」
「何気に投げやりな物言いだね?」
「彼の――いや、彼らの物語には助演男優程度にしか関われないんだ。俺の干渉値も限られているから、あんまり『余計なお世話』まではしたくない」
根本的に彼らとは相性が悪いという側面もあるが、そこまでは言う必要がない。
「干渉値の大盤振る舞いをしていたような気がするが」
「何事も最初が肝心だからな」
「君の場合、最初の浪費が最後に苦労を招いているような気もするがね。プライベートも含めての話だが」
「………………うん。まあ、確かに、それはよくあるな」
余所見をしながら言う悠。
「それはさておき、何故か先輩に同行していた桜堂世羅嬢が、今後はその役割を引き受けてくれるみたいだ。どうも『特異点』のもたらす影響で理由を拾い上げたみたいだし、あとは彼女に任せようと思ってる。なかなか面倒見もよさそうだしな」
口にしたことで思い出したのだが、戒と世羅の関係もよくわからない部類に含まれる。
どういう経緯で邂逅し、行動を共にするようになったのか、とても興味があるのだが問い質すタイミングを逸しているのが現状だ。きっぱりと自業自得だが、焦る必要もないので機会を待つのが最善だろう。
他に気になる点は、世羅が誰の差し金で『此処』に放り込まれたのかだが、それに関してはきっちりと調べておく必要がある。
いくつかの心当たりはあるのだが、仮に『あの野郎』だとしたら、どんな思惑なのかを問い質さなければならない。
事と次第によっては戦争になる。
全力ではしゃいでやらなければならないだろう。
「ふむ。ところで君に『先輩の面倒』とやらを頼んだ相手は誰なのかな?」
「今はまだ誰かに話せるような段階じゃないよ。わざわざ濁してるんだから、それぐらいは察してくれ」
――というよりも、首を突っ込んでくるなというのが悠の本音だったりする。
「それは失礼をした」
そうした拒絶感が言葉にも滲んでいたのか、ラスクは軽く肩を上下させた。
「やれやれ。互いに言動に縛りがある状態だと話が弾まないね」
「話を弾ませている場合でもないだろーよ」
「ふふ。確かにね。――では、そろそろ本題に戻るとしようか。
君はこの『遊戯』の『脚本』を修正するために、ここにいると考えていいのかね?」
スゥッと目を細めたラスクの問いに、悠も軽薄な笑顔の奥に潜ませた鋭い視線をわずかに覗かせる。
互いの狭間にある空間が、悲鳴を上げるように軋む。
「買い被り発言をどーも。そうだったら少しは胸も晴れるけどね」
わずかに顔を顰めながら、悠は片手をパタパタと左右に振る。
「正直に打ち明けると、この『遊戯』には強引に放り込まれたってのが正確だよ。放り込まれてからだよ、此処が『特異点』化してるのに気づいたのはな。だから、下準備の類はさっぱりだ。依頼人のくれた『脚本』頼りのアドリブ公演さ」
「つまり、この『遊戯』に君は関わらないつもりだったのか?」
「そぉだよ。最初からそうだっただろ?」
「……確かにそうだが、『特異点』化したからこその思惑で、君は動いていると思っていたのでね」
「さっきも言ったように、コレは俺としても不測の事態だよ。この段階で『特異点』が現出する予定がなかったのは、そっちも承知の上だろう?」
だからこそ、『あの二人』もややこしいことになる。
歪まないはずの『脚本』が、脚本通りに進むせいで歪みを帯びるというおかしな展開になりつつあるのは頭痛の種でしかない。
そこに何らかの手段で早急に手を加えなくてはいけないのだが、現状での手持ちの『札』で打開するのは不可能であり、限りなく手詰まりに近い。
「………それだけでも鬱陶しい状況だってのに、そもそもの『脚本』もとっくに歪んでいるというか、俺の事前工作で狂っているからな」
「何をした?」
「それに答える前に質問だが、ラスクはこの『遊戯』の『脚本』が本来はどのように記されていたのかを知ってるんだよな?」
「ああ。敵さんの思い描く予定と結果は根本的にズレがある。要するに的外れの『茶番』に過ぎないのだろう」
「オーケーだ。俺が事前工作で行ったのは、本来の『主演』を外すことだ」
「ほう」
面白そうに目を細め、口笛を吹くラスク。
「依頼人の協力で、それ自体には成功したんだが、成功してしまったせいで話がややこしくなっちまったんだよ」
「つまり?」
「外れた『主演』の代わりに向こうが抜擢した人物が、こっちの想定を超えていた」
「ほほう。何者かね?」
「………凡人だよ。何に秀でているわけでもなく当たり前のように今を生きている………俺のような人間には眩しすぎる二人だよ。こんな殺伐とした世界に関わる余地がなく、また関わらせるべきでもない愛すべき友人だよ」
「君にそこまで言わせるとは、実に興味深いね」
「あまり積極的に関わろうとしないでくれよ。文字通りの意味で棲んでる世界が違うんだ」
「君がそれを言うのかね?」
「俺だから言うんだよ」
関わるべきではないモノに関わってしまい、その結果として〝踏み外してしまった〟からこそ、万感の想いを込めて言葉を紡ぐ。
後悔はしていないが、それでも失ったものはある。
――あるのだ。
「ふむ。言い得て妙だな」
「さておき、あいつらが巻き込まれたことが発覚したのが『遊戯』開始寸前で、『遊戯』に関わらせずに奪還するのは物理的な意味でも不可能だった。だから、俺はあいつらを生き延びさせるために、この『遊戯』に参戦せざるを得なくなったんだよ」
「それはそれは」
「おまけにあいつらの立ち位置が、『本筋』の『脚本』から外れてるんだよ」
「それは矛盾していないか? 彼らは『主演』の空席に座ったんじゃないのか?」
「そうじゃないからややこしいだよ。敵さんは『主演』が降板したことで生じた空席に座らせただけなんだ。だから、歪みを帯びた物語は修正されずにそのまま進行していく」
「なかなかに出鱈目な話だな」
ラスクがため息混じりに言う。
降板した『主演』の空席に別の配役を割り当てたところで、同じ『脚本』で物語が進むわけではない。
物語に求められた役割そのものが補填されるわけではないのだから当然の話だ。
ならば、その失われた『役割』がどうなるかというと、今回の場合では『空白』になったままなのだ。
本筋の『脚本』に虫食いのような空白が生じれば、当然のように物語は歪みを帯びて進行してしまう。
その結果として綴られるのは、予測不能の混沌でしかない。
「さらに、依頼人が半ば強引に俺を放り込んだおかげで、俺自身もまた『本筋』の『脚本』に纏わる出来事には関われないって制約を科せられた」
「制約、ねぇ……」
含みのある呟きを漏らすラスク。
「あぁ、制約だ」
あくまでも制約でしかないので、その気になれば関われないこともないのだが、物語上に存在しない役者が引っ掻き回せば、ただでさえ歪んでしまっている『脚本』がどうなるかは考えるまでもない。
特に、悠のような存在は、他に比べても影響力が大きい。
「なかなかにややこしくなってきたが、要するに君が今回の『遊戯』で依頼人とやらから受けている依頼は――」
「この物語に『役割』を持たない『異端者』を、あんまり『脚本』に影響を与えない形で救出することだ」
面倒だよね~、とおどけるように肩を竦める悠。
「そこそこは納得した。覗き見た本来の『脚本』と展開が大きく異なっているのが気にかかっていたが、君が外から首を突っ込んでいたせいというわけか」
些細な疑問に解を得たという風にうなずくラスク。
「俺だけのせいじゃないけどな」
憮然とした面持ちで元凶扱いするなと主張するが、当然のように無視された。
「では、この空間一帯に張り巡らされた『蠱毒』の術式も、そうした影響の賜物と考えてもいいのかな? これもまた『脚本』には存在していなかった一要素のはずだが……」
「俺たちが例の事前工作以降は手を出さないのを見越した上で仕掛けたあの成り損ないの一手だと思うが、どうせタチの悪いことでも考えてんだろうよ」
ある人物の悪意に満ちた形相を思い返しながら、内心で舌を出す悠。
――とはいえ、向こうにとっても、今回の『遊戯』に悠が参戦したのは計算外のはずだろうし、なによりも此処が『特異点』化したのも、さらに輪をかけた計算外だろう。
狂った『脚本』の修正に気を取られていれば、認識しているかどうかも疑わしい。
お互いにとって不測の事態のまま進行していく今宵の物語。
この予測不能になった状況をどう転がすかで、この『夜』を越えた先に始まるであろう『物語』に大きな変化が生じる。
残念ながら、悠はあまり手を出せない立ち位置なので、この物語の登場人物として招かれた者たちに頼ったアドリブ任せになるのだが、任せるには顔触れに些か以上の問題があるのが玉に瑕だ。
主に悪い意味で。
悠にだけは言われたくはないかもしれないが。
「……ふむ。確かに、こんな悪質な術式を善意で仕掛けるわけもないが、件の『悪魔』の成り損ないの所業については、君に責任がないわけでもないだろう?」
「俺は無関係だっての」
心外過ぎる糾弾に憮然となる。
悠は五年前の『大きな流れ(デキゴト)』には関わっていない。
関わるつもりはあったのだが、別件で何処とも知れぬ場所へとトバされて、それどころではなくなってしまったのだ。
還ってくるのに少なくても年単位の時間がかかったのが敗因だが、その間に生じた〝世界の変化〟に責任を負わされる筋合いはないはずだ。
「だからこそ、責任を負うべきではないのかな?」
「………ぐっ」
反論に困るぐらいには痛いところを突かれたが、現状においてはどうしようもないのが結論であり、それを変えるつもりもない。
無意識に力の入った肩を緩く上下させてから、悠はへらりと笑った。
「――まあ、なにはともあれ、久しぶりに逢えてうれしいよ」
「なんだね。その取って付けたような今さらの挨拶は?」
急激な話題転換に、ラスクが胡散臭いものを見るような目になる。
「早速で申し訳ないんだけど、頼みごとを引き受けてくれないかな? 『あっち』の面倒に干渉してくれるととてもありがたい。ルーちゃんなら、丸く治めるのも夢じゃないよね?」
必殺・他力本願! 素敵な言葉だよね?
「君の頼みなら聞くのも吝かではないのだがね」
ラスクはその容姿とは相反する理知的な瞳を半目に近づけて、やれやれとでも言いたげに口を開く。
「そもそも君と同様に私も『あちら側』の物語からは外れている身だ。無理に干渉するだけの値も残されていない。残念ながら、ここでの私の役割は『傍観者』でしかない」
ある程度は予想の内だったが、はっきりと告げられると落胆が胸中に生まれる――いや、正確にはある種の諦観だろうか。
――あぁ、やっぱりそうなるのか、と。
「そりゃ残念。やっぱり後手に回るのが俺の宿命なのかね」
「立場的に、君たちは『敗者』という型に嵌っているのが実情だ。再起の形が整うまでは、勝者側の編んだ『世界』には容易に逆らえないものだよ」
「世知辛いねぇ。利害はそんなに違ってなかったんだけどね」
わざとらしくお手上げのポーズをする悠。
厳密に言えば、悠は『敗者』の型に嵌ってはいないのだが、協力者としての立ち位置から連鎖反応的にそっちの方面に天秤が微妙に傾いているのだ。
要するに、極端ではない程度に運が悪い。
狙い通りに事を運ぶのが容易ではなく、何らかの形で邪魔が入りやすい。
今まさに陥っている現状がそれを証明している。
「まったく、俺に楽をさせてくれない世界だよ」
神様に嫌われていたんだから仕方がないといえば、仕方がないわけなのだが。
「私には、君が進んで苦労をしたがっているようにも見えるがね。たまにはお姫様に膝枕でも頼んで惰眠でも貪ってみたらどうかね?」
「魅力的な提案だ。事が一段落したら検討させてもらうよ」
色褪せぬ笑顔を思い浮かべて、悠はいつものヘラついた軽薄笑顔ではない微笑を零す。
「では、そろそろ君の抱え込んでいる事情を詳しく聞かせてもらおうか?」
「何故かな? そーゆー話の流れではなかったはずだが?」
有耶無耶になるように話の方向性を調整していたのだが、素直に誤魔化されてくれないラスクにあっさりと軌道修正されてしまった。
「今回の『遊戯』に関する事情はいくらか明かされはしたが………」
ラスクは人差し指をぴっと立て、悠を指し示す。
「そもそも現在進行形で行方不明扱いの君が何をしているかは、比較的多くの者が関心を抱いている懸案だ。遭遇した以上は聞き出して、『上』に報告する義理がある」
「俺のことはひとまず置いておいてくれ。もう少し時間はかかりそうだけど、遠からず『夜の国』には帰る予定だ」
嘘ではないし、彼女に逢いたい気持ちは日増しに募っている。
ただ単純に目先に積み上げられた『仕事』の山が一向に減らないだけなのだ。
「その手の好奇心は、桜堂世羅嬢でも相手にして発散してくれるとありがたい」
矛先逸らしのための話題転換に過ぎないが、全く見当外れでもないはずだ。
魔法使いを超越した『魔術師』の娘。
それだけではなく、彼女自身もまた『夜の国』側の素質を十分に備えている。
ラスクならば、誰に言われずとも接触を望むだけの逸材だ。
「君がはしゃいでいる時に少し話をさせてもらったよ。期待に違わぬ逸材だが、『此処』ではあまり深く接触するべきではなかろう。妙な悪影響を与えてしまっては、『彼』に合わせる顔がなくなってしまう」
「さよか」
こんな時に限って物分りがよくなりやがってと歯軋りをしたくなる。
「だったら、こっちに首突っ込んでないで、他所に行けばいいんじゃないか?
いくら『傍観者』でも、まったく何もすることがないわけでもないんだろ?」
「そんな邪魔者を追い払うように言われると意地でも居座り続けたくなるね」
「あんたはそーゆー人だったな」
「他人の言葉では容易に己を曲げないという意味では、我々は似た物同士だと言わせてもらおう。ともあれ、この『遊戯』を傍観する以外にしたい事と言えば、懐かしい旧知の者との再会ぐらいだよ」
「だったら、さっさと会いに行けばいいじゃないか」
ラスクの実力ならば、この閉鎖空間を把握するのは容易だろう。
「とっくに見つけてはいるのだが、向こうに逢ってくれるつもりがないようでね。困っているんだよ」
「無理に押しかければいいだけの話じゃないか」
「その言動だけで君の日頃の行いがロクでもないと思えてしまうのが不思議だが、ありがたい助言に対しては、それが出来れば苦労はしないと返しておこうか」
「………その旧知の者って誰なんだ?」
そこはかとなく嫌な予感が胸中で渦巻くのを自覚しながら、ラスクに問う。
「今は『鮮血の殺戮者』と呼ばれているみたいだね、彼は」
「うわ。最悪を通り越した。やっぱりいるんだな」
周囲を見渡して、ため息を吐く。
「そういう『脚本』なのだから当然だろう。大部分が歪んだとしても、変わらぬ流れというものは存在するものだ」
「そぉだけどよぉ……」
「しかし、おやおや、これはひょっとすると君の仕事の厄介度が増してしまったのかな?」
「他人事みたいにゆーなよ」
がっくりと肩を落としていると、世羅たちがこちらに歩いてくるのを視界の端に捉えた。
「………っと、そろそろ内緒話は終わりにする頃合だ」
「そのようだね」
含みを持たせた言葉でラスクに音声遮断の解除を申請する。
小さく首肯したラスクは、歩み寄ってくる二人からは死角になる位置でパチンと密やかに指を鳴らし、
「やあ。篠宮戒君。少し振りだね」
緩やかに視線を移動させてから、とても親しげに近くで足を止めた戒に声をかけていた。
「……ああ」
やはりこの二人も既に接触を終えているようだった。
悠としてはため息を吐きたくなるが、どうも戒も似たような心境であるらしい。そこはかとなく再会を望んではいなかったような空気を醸し出している。
無表情はいつも通りだが、いつもよりも眉間に皺を寄せている。
「まずは最優先事項として、私の一方的な約束を果たさせてもらおう。
……すまなかったね。あの時の非礼に関しては反省している。許して欲しい」
「――――――ああ。」
「なになに? どーゆーこと?」
「お前には関係ない」
物怖じせずに首を突っ込もうとした世羅は一蹴され、頬を膨らませていた。
そんなやり取りを横目に時間を確認してから、
「そろそろだな」
悠は意図的に思わせぶりな呟きを口にする。
「む。」
世羅は質問攻めにする気満々といった風情だったのだが、その機先を制する形だ。
別にある程度までなら彼女の好奇心に応えるのに否はないのだが、少しばかり後回しにしておく必要がある。
どうせ中断されるのなら、後回しにした方が無難なのである。
「何がだね?」
問いを発したのはラスク。
戒と世羅の視線も悠に向けられていた。
「それが面白いかどうかは個々人の価値観となるけど、それなりに見応えのある光景がもうすぐ………具体的には一分後ぐらいに見えるのさ」
「へぇ? いろいろと聞きたいことはあるけれど、先にそれを見させてもらおうかしらね。わざわざあなたがお勧めするからには、あたしの期待を上回るものが見られるんでしょうね?」
世羅が好奇心を刺激されたような顔で、こちらにプレッシャーを負わせるようなことを言ってくる。
やはり並の少女ではないと認識を新たにする。
これまでの人生で殺伐とした経験も積まずに、この状況にここまで適応していられるとは、ある種の才能があったとしても生半可ではない。
なによりもその『精神』の強さが素晴らしいと言わざるを得ない。
参ったなぁ。深入りさせたくなるじゃないか。
思わずといった風に悪企みをしてしまいそうになるが、今はまだと自制をする。
「…………。」
戒は無言で、あまり興味がなさそうな素振りである。
それ以前に先ほどまでの戦いが尾を引いているのか、どう考えても好意的ではなく、むしろ疎まれているのがありありと伝わってくる。
「さぁてねぇ。桜堂世羅嬢の価値観までは読み切れないから断言は控えさせてもらうけど、先輩には無視の出来ない類のものだとは思っているよ」
「なに?」
戒の怪訝な眼差しに、いつもの軽薄笑顔を返す。
「ちなみにあっちだよ」
手を伸ばして指差す。
地図的には、この区画から上に二つ移動した区画となる。
無意味に巨大な無人の病院が主要施設となる区画だ。廃墟マンション郡の側ではないので視界を遮られる心配もなく、距離的な不都合も存在しない。
文字通りの意味で、一目瞭然の光景となるのだから。
「あと五秒だ」
悠は指を一本一本曲げていく。
そして、全ての指が曲げられ、握り拳になった瞬間――
元からわけのわからん会話をしたいた悠とラスクですが、加筆修正版ではさらにわけのわからんことになってますね。この二人は同じ組織に属していながら、派閥が違うみたいな感じの関係性なので、腹に一物あるようなやり取りになるんです。
微妙に曲解を誘うような言い方をして牽制してたりもするので、余計にわけがわからん会話に拍車がかかっていくわけです。地味にヤバいことも言ってるし。
………………もーお前らは喋るな。頼むから。




