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10 決着と決意

  10






 ――あんたは、幸せにならないと赦さない。



 ● ● ●



 莫大な魔力の奔流が悠を中心に渦を巻くのを、世羅は感じた。


 実際には存在しない圧力が、物理的に在るかのように全身を叩いていく。


 悠の足元には、彼の魔力が形を成した紋様――『魔法陣』が刻まれている。


 それは斉藤悠という魔術師が世界に刻んだ反逆の証明。


 強い光で下から悠を照らし上げている陣の輝きは、これから放たれる『一発の魔弾』に含まれる魔力量の多さを物語っている。


「………凄まじいわね」


 思わず身構えながら、心からの称賛を口にする。


「さっきまでのが児戯と思えるほどの魔力流ね。アレが放たれたら、文字通りの意味でこの辺の地形が変わるんじゃない?」


 ただでさえボロボロにされたまま放置されている区画(エリア)であり、彼らが戦っている所に至っては戦場跡地のようにクレーターがあったりもするのだが、それを踏まえてもアレの撃ち方次第では、この一帯が軽く平らになる。


「ほぅ。二発目の切り札をこの場で切るか。

 なかなか面白い選択だが、そこまでする必要があるのかは疑問だ」


 言葉通りに面白がっている風情のラスクだが、こと勝敗に関しては悠の勝ちを微塵も疑っていないように見える。


 確かに、アレが直撃をすれば、並の人間など跡形も残らず消し飛ぶだろう。


 あくまでも、並の人間であるならば。


 だが、戒は並の人間ではなく、その装備もまた生半可ではない。


「あの魔弾で『闇の衣』の防御は突破できるの? 聞いた限りではほとんど完全無欠っぽかったんだけど?」


 効果範囲は半径二メートルとやや狭いが、その範疇に入った害意ある攻撃を自動で消去する能力を持つ魔宝具――『闇の衣』。


 生物の消去には、術者の意志が必要なのだとしても、利便性は高い。


 術者の防衛に関しては、ほとんど穴が無いと言っても過言ではないだろう。


 もっとも質問しておきながらなんだが、あれだけの質量を有する魔弾を、戒の術者としての力量で消去できるかどうかは疑問ではあったが。


 質と量の問題。


 およそ魔術というものを理解していない風の戒では、『闇の衣』を十全に使いこなしているとは言い難い。


 魔術師としての力量(・・・・・・・・・)という意味では、悠の足元にも及ばないだろう。


 それらを踏まえた上で、世羅には結論が出せなかった。


 いや、もう少し単純にすれば、戒の負けるところを想像したくはなかった。


「とても単純な手段があるのだがそれは別として、君のような魔術師がアレと対峙した場合に行うべき手段を回答しよう」


「?」


 世羅は妙な言い回しに首を傾げるも、ラスクは気にせずに続ける。


「要は、消滅する前に当てればいい。君はその目で見ているはずだよ。放たれた魔弾がゆっくりと減衰し、消失していくその過程を。いかに『闇の衣』とて、全てを無条件かつ瞬時に(・・・)消し去れるわけではない。要するに質と速さの問題だ。つまるところ『闇の衣』の処理能力を上回る質で、術者の認識を超える速度の魔術を撃ち込めばいい。普通の銃弾など些細な金属の塊なので無意味に飲まれるだけだが、それが魔力で編まれた術であるならばその問題もクリアできる。魔力とは術者の意志によって生成される『世界を歪める力』だ。ならば、より強い意志で編まれた『魔力』の生む『理』こそが、この世界を一時的にしろ従える」


「簡単そうに言ってるけど、それが難しいから問題なんでしょ?」


 少なくても世羅の持ち得る攻撃手段では、敢えなく『闇』に飲まれるだけだ。


 もっと言ってしまえば、戒の素の身体能力だけでも多分アウトである。


「普通ならね。だが、今の悠ならば可能だ」


「特殊な弾丸でも使ってるの?」


「いや、あの弾丸には今の制限された状態では出せない魔力量が込められているというだけに過ぎない。私が言っているのは、彼が剣を抜いたから(・・・・・・・・・)という意味だ」


「剣を、抜いた……?」


「詳しく説明する時間がないので端的に述べるが、要は軽く本気になったのさ」


「………………は? え? どういうこと?」


 互いの認識に大きな隔たりを感じ、やや間の抜けた声で問いかける。


 それにラスクは笑みを浮かべて、立てた人差し指を左右に振った。


「今の悠は行使可能な力を意図的に制限している状態だ。単純な計算になるが、総魔力の三割程度しか使えない(・・・・)。使わないように拘束を施している。理由までは解らないが、物好きな彼のことだ。深刻な事情があるか、どうでもいいような下らない理由のどちらかだろう。

 ――まあ、彼が全力を出せば、この程度の戦場(くうかん)など即座に崩壊してしまうので、どちらにせよある程度の制限は必要なのだがね」


 特殊な弾丸を使っているからあの魔力量なのではなく――あの魔力量が悠の普通に近いものなのだ、とラスクは語った。


 その事実に、世羅は決して軽くはない眩暈を覚える。


 まだ半信半疑だけど、彼は本当に『魔法使い』なのかも知れない、と。


「………で、今はその全力を出そうとしているってわけ?」


「あくまでも軽く程度だがね。心配しなくても、仮に彼が消滅して魔弾の余波がこちらにきたとしても、君の身の安全は私が保証しよう」


「それ以前に別の事を保証して欲しいんだけど………」


 さらりと消滅とか言わないで欲しいと思う世羅だった。


 それだけの威力を内包しているのは、確かな事実だが。


「そちらに関しては、世の中に蔓延した弱肉強食の法則に乗っ取るべきだと思うがね。この『茶番』であってもなお実力が足りずに死ぬような『演者』ならば、そのまま死なせてやるのがせめてもの慈悲とも言えよう。この先の物語で生き残れないばかりか、生きたままグロテスクな末路を迎える可能性も少なからず存在するのだからね」


「………………。」


「――とはいえ、私個人の意見としては、彼が容易く消し飛ぶとも思えないがね」


「思わせ振りな発言を繰り返して、人をアタフタさせるのは面白い?」


「君が言うほどアタフタしているようには見えないが、その質問には肯定しか返せるものがないな」


「素敵な性格ね」


「お褒めに預かり光栄だよ。個人的な意見を言わせてもらうならば、自分を棚上げしていないか顧みてから発言した方がよさそうに思わないでもないが」


「放っておいて……」


 悪びれないラスクの態度にため息を漏らしながら、世羅は目を凝らしながら対峙する二人をじっと見つめる。


 決壊の瞬間を待ち望むように張り詰めた空気の中で、ゆっくりと時間が動き出す。


「行くぜ?」


 弾丸を装填した悠が銃口を向ける。


「来い」


 真っ向から迎え撃つように戒が剣を構える。


 そして、わずかな間を挟み――


「抜剣―――――『魔弾の射手(ガンナーズ・ヘヴン)』っ!」


 彼の世界を暗示する『()』が紡がれ、常識を超越した領域の『魔法(キセキ)』が顕れる。



 ● ● ●



 結論から語ると、それはほんの十秒程度の攻防だった。


 前置きだったわけではなかろうが、それまでの戦闘に比べると非常にあっさりと始まり、一瞬で終わった。


 けれど、その『十秒間』の密度は濃く、この戦いの裏で垣間見た一つの『過去(むかしばなし)』は、世羅のその後に関わる一つの決意を抱かせた。



 ● ● ●



 放たれた魔弾は、一発の銃弾。


 その程度の大きさに凝縮された莫大な――という表現では到底追いつかない――異常なレベルにまで濃縮された魔力の塊。


 それは刹那で戒へと飛翔した。


 効果圏内侵入と同時に自動で反応する『闇』はあっさりと突破され、その内側への侵入を許した。消失の効果は継続し、魔弾を削ってはいるのだろうが、その質量があまりにも膨大に過ぎるので消滅するよりも速く戒を貫くだろう。


 ――だが。


「――っ」


 声はなく、鋭く吐かれた息。


 魔弾を迎え撃つ闇を固めた剣の一閃が、銃弾の先端を捉えていた。


 文字通りの意味での迎撃を成功させたのは、戒の技量か、それとも悠の意図か。


 魔弾と剣が鬩ぎ合う。


 千切れた光と闇が飛び散り、耳障りな不協和音が響く。


「………………」


 魔弾と闇。


 魔法と闇の衣。


 片や撃ち抜く弾丸。


 片や消し去る(ヤミ)


 二つの『力』はここに拮抗した。


 常識を超えた超常の『力』の激突が世界を震わせ、不協和音を奏でる。




 ――その刻、何かが繋がった。




 その感覚をどのように表現すべきかは正確なところは定かではないが、世羅は直感的に『繋がる』と判断した。


 世界が広がる。無限に拡がっていく――


「……痛っ」


 何故か目が――『右眼』が少し痛んだ。


 けれど、それは些細なもので、目の前の光景の前では無視してしまえる程度だ。


 何よりもそれどころじゃない『情報』が、どこかで渦巻いている。


 視点がどこか客観的だ。いくつもの事象を同時に観測しているかのようで、逆に自分という存在があやふやになっているような気さえする。


「………ぁ、ぅっ」


 見つめている二人の戦いは、一瞬の空白の間に結末を紡ぎ始めていた。

突き進む魔弾。


 削る魔剣。


 揺れる天秤は、一方へと傾いていく。


 魔弾の勢いは一向に衰えず、『闇の衣』の処理能力を上回り、突き進み続ける。


「――ぐっ」


 靴底がわずかに地面を滑り、戒は苦悶を漏らす。


「やっぱり、ここで終わりにしといた方がいいのかね」


 落胆――ではなく、どこか安堵するような呟きを悠は漏らしていた。


「今の先輩じゃ、あの男(・・・)には絶対に届かない。盲目のまま突き進んでも、彼の待つ舞台に辿り着けはするだろう。だが、結末は返り討ちか、時間切れの二択しか存在しない」


 当の本人でさえ意識しているかどうかも疑わしい声なき声で。


「なら、ここで終わりにした方が、誰も彼もがずっと楽になれる………なれるんだよ」


 それを世羅は聞いていた。


 ベツノナニカヲトオシテ。


「………安堵?」


 抱いた疑問。


 悠が安堵する理由がわからない。


 この場での戒の敗北――退場が『よかった』と判断しているかのような理由。


 敵と見なしているかどうかも怪しい相手の『死』を喜んで受け入れるようなタイプには見えない。


 仮に敵であったとしても戦場で会わなければ、平気で肩を組んで一献酌み交わしながら馬鹿騒ぎに興じそうな印象が悠にはある。


「安心してくれ。可能な限りの尻拭いはしてやるよ。それに『此処』で死んだら、先輩を縛る『呪い』も少しはマシになる。〝次〟こそは今までほど悲惨じゃないように、俺が『脚本(シナリオ)』に手を加えておくからさ……」


 眼差しは見送る者のそれ。


 言葉は真摯な響きで紡がれている。


「それにいい加減、アイツ(・・・)()り合うのも飽きただろ?」


 悪意の混じる余地はなく、むしろ善意の行いであるかのように、悠はすっと左腕を動かし、指を鳴らす前動作を取る。


 鳴らせば、その瞬間に魔弾は内包する全魔力を開放する。


 それは『闇の衣』の効果圏内でありながらも消去の間に合わぬ爆発と化し、戒の生命の灯火をあっけなく吹き消す。


 仮に生き永らえても深刻な致命傷を刻む。


 既に戒は詰んでいて、指先一つでこの戦闘は終わる。


 なのに、まるで時間が止まってしまったかのように、悠はそこから指を弾くための力を加えられずにいた。


 ギリッと奥歯を噛む音さえ聞こえてきそうな躊躇が、悠の胸中には渦巻いている。


「………だが、抗う意志はあるのだと先輩は行動で示した」


 痛ましげに。


 悼むように。


「なら、まだ俺が決めてもいい段階じゃないよな」


 独白のような悠の呟きは、いっそ心の声とも言うべきもの。


 そんなものが世羅に聞こえている理由など、この場所が『アレ』と化しているのだとしたら些細なものでしかない。


 不思議とさえ思う必要が無い。


 それがどれだけ極小であったとしても可能性があるのならば、手繰り寄せればいいだけなのだから。


 そして、可能性とは、想像した時点で生まれるものなのだ。


 故に――



『生きている。生かされている。だから、生き続けなければならない。

 ――いつか世界(だれか)に殺されるその日まで』



 今の戒を縛り付ける呪いのような『生き方』が、流れ込んで、伝わってきたのも、彼を知りたいと願っていたのだから自明(とうぜん)だ。


「なによ、ソレ」


 半ば絶句に近い心境の中で、そんな無意味な言葉が零れ落ちる。


「あんたはそんな理由で、生きてるっていうの?

 なんなのよ、それは……っ」


 それはいけない。とてもいけないことだ。


 とても、とても腹が立つ。


 だって、それじゃあ、あまりに救いが無い。


 忘却の先にある陥穽に蝕まれて、どうして生きようとしたのか、血に塗れることさえも厭わなかった本当の理由を見失ったまま、今はただ死に場所探しのように戦い続けているあんたの生き方が、世羅には言葉にならないぐらい許せない。


 涙さえ零れ落ちそうなぐらい悔しくなる。


 時間の流れが捻れた『今』の世羅だからこそわかる。


 そのまま終わってしまえば、彼だけではなく、彼を想う人たちまでもが報われない。


 あぁ、確かに悠の言うとおり。


 これならまだ、自暴自棄に大暴れしていてくれた方がよっぽど救いがある。


 反省するまでぶん殴って、無理矢理に矯正させてやればいいのだから。


 今の彼は生きる屍とあまり変わらない。


 立ってはいるけれど、その足は進むべき方向を見失っている。


 心が汚泥に蝕まれている。


「………あたしは、許さないわよ」


 戒は戒なりに他者に理解されずとも、精一杯生きようとしただけなのに。


 きっと彼の決断は間違ってはいなかったのに、結果的に過ってしまうなんて、そんな結末は認めない。


 彼にだけは、そんな諦観(あきらめ)を許してはいけない。


 絶対に(・・・)矯正してやる(・・・・・・)


 それは一つの決意。


 すぐに忘れ去るのだとしても、その心に生まれたからには在り続ける(おも)い。


 ぎゅっと拳を握り締める。


「このまま終わるなんて、絶対に赦さない。

 だから――だから、がんばりなさい、戒!」


 この強い想いが届くように、戒の背中を睨みつけるように見る。


 そんな世羅の呟きが聞こえたのかも知れない。


「試験は課した。なら、少なくともその結果まで見届けるのが筋なのかね、やっぱさ」


 悠の視線が、確かにこちらに向けられた。


 その眼差しに宿る光は、敬意と申し訳なさを同居させた不思議な色をしている。


 謝意を告げるようにかすかに頭を下げてから、悠は視線を戻す。


「………先輩も、■を見捨てる気は無いし、■■の記憶もいつかは奪り還すために差し出したんだろ?」


 言葉に雑音(ノイズ)が混じる。


 それはまだ世羅がどんな形であれ知ってはいけない情報であるが故に。


 けれど、少しはわかる。


 様々な『モノ』を削り落としてしまった中で、どうしても捨てるわけにはいかなかった理由がある。


 その大切さを育んだ『思い出(イミ)』を忘れても、大事な■■なのだと知っている。


 そして――


 本当に大切だったからこそ、捨てると決めた想いもあったのだ。


 戒には届いていないその理由(おもい)が紡がれた瞬間――


 戒の中で何かが嵌った。


 音を立てて。接続される。


 それまで繋がっていなかったもの。


 あるいは繋ぎ方を忘れていた何か。



 ――足りなかったモノはなんだ?



 問うべきはその一点のみ。


 彼は何もわかっていない。わかるはずがない。


 削り落として、捨て去って、もう『無』くしてしまったモノなのだから。


 これはただの偶然の一致。


 たまたまこの日この時(・・・・・・・・・・)この瞬間にこの(・・・・・・・)場所(・・)()、そこに一足飛びで『躯』が至ったというだけに過ぎない。


 己の心から消え去ったナニカを、それでもその心を宿した『(カラダ)』は忘れていなかったというただそれだけの話。


 だから、現時点における戒には決して理解できない。


 理解はできなくても、結果は厳然たるモノとして具現する。


「………っ――ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 戒を吼えさせたのは、心か、体か、どちらなのだろうか。


 闇を固めた剣の硬度が増す。


 押し切られそうになっていた魔弾の勢いに、拮抗する程まで持ち直し――


 そこから先は一方的に。


 効果圏内の空間が漆黒に染まる。闇の密度が増す。


 目で視えるほどに具現化した闇が、ゆっくりと魔弾を包み込んでいく。


 闇に捕らわれた魔弾は、その場に繋ぎ止められ、ゆっくりと咀嚼されるように削られていく。


 そのままいけば、勝敗の天秤は戒に傾いただろう。


 だが――


 真っ先に限界を迎えたのは、戒の握った闇の剣だった。


 強化の負荷と魔弾を受け止め続ける負荷――二つの大き過ぎる負荷が剣を構成している『力』そのものを破裂させてしまっていた。


 硝子が割れるように剣が無造作に砕け散る。


 魔弾を止めていた最大の抑止力が消失したことで、魔弾の侵攻が再開される。それは一秒未満の刹那で戒を貫き、未だに残った魔力を爆裂させることで彼を無慈悲なまでに跡形もなく消し飛ばすであろう。


「――――――っ!?」


 その一秒未満の刹那で世羅に出来たのは、無意味に彼の名を叫ぶべく口をわずかに動かしただけであったが――


 戒は驚くべきことに手元に残った柄を――形を保てずに崩れかけていた『闇』を手に纏わせ凝らせて、魔弾を受け止めていた。



「在る前の――」



 一髪千鈞のタイミングを間違えれば、その瞬間に未だ健在の魔弾に手が――そして、自身が跡形も無く消し飛ばされていたであろう暴挙を成功させた戒は、そのまま漆黒に染まった右手で魔弾を握り締めていた。


 総てを漆黒に塗り潰す『闇』を圧しのけるべく圧倒的な光が溢れ、さらに闇がその光を包み込むという壮絶な鬩ぎ合いが戒の掌の内側で繰り返される。


 漏れ零れた余波が鋭い刃となって戒の全身を切り刻んで血飛沫を舞わすが、戒は意に介さずにさらなる『力』を右手に注ぎ込む。



「――『(ヤミ)』へと還れ」



 それが最後の一押しとなったのか。


 拳の隙間からわずかに漏れ出でていた光が、儚く溶けるように闇に飲まれて消えた。


「――――――――――――ぁ………………っ」


 戒は、魔法の域に達したと称される魔弾を消滅させた。


 自分の目で見ておきながらなかなか現実を信じられなかったが、戒が全身を傷つけながらも五体満足で立っている姿に、そのままその場に膝を付いてしまいそうなぐらいの安堵を覚えていた。



 派手な地割れや自然災害級の大爆発も無かったが、途方も無い密度で凝縮された一発限りの交錯は、こうして静寂の訪れとともに幕を閉じた。



 ● ● ●



 仄かに残留した魔力が、大気を揺らす。


 なびく髪を押さえながら目を凝らす世羅の視線の先で、戒が片膝を落としていた。


「………く、はっ」


 魔法級の魔弾を飲み込んだ『闇』は、衣としての形を保てなくなったように崩れるように消えていく。


 アレだけの『有』を『無』に還すのはやはり容易ではなかったらしく、戒の吐く息も全力疾走後のように荒い。そうした疲労を簡単に表に出しそうにはないタイプなので、その消耗は相当に深刻なものなのだろう。


 遠目にも夥しい汗を全身に浮かせているのがわかる。


 いや、その汗も傷口から流れる血と混じり、中々に壮絶な有様になっている。


「お見事♪ 無事に課題をクリアしてくれて嬉しい限りだよ」


 そんな戒の元へと無造作に歩み寄る悠は、ヘラヘラした軽薄な笑顔でパチパチパチ……と拍手をしている。


 その手にあの拳銃はもう握られていない。


 これ以上の戦闘継続に意味はなく、彼はもう終わりだと判断しているようだった。


「――そうか。抗うのが君の選択で(・・・・・・・・・)抗わせるのが(・・・・・・)君の役目なのか(・・・・・・・)


 悠は満足そうに微笑んでから、ある意味において共犯者(・・・)となってしまった世羅へと目配せを送ってきた。


 これからよろしくね――という意図の込められてそうな感じで、唇の端を吊り上げている。


 その笑みは、悠が滅多に見せない類のものだ。


 気に入った者へ向けるものであり、同時に対等と認めた『友人』候補への挨拶。


「うへぇ……」


 背中を這い上がる悪寒とともに付き合いが長くなりそうな嫌な予感を抱き、世羅は思わずといった風に妙な声を上げていた。


「さて、君もそろそろ戻った方がいい。

 あまり『此処』に馴染み過ぎると後が大変になる」


 パチンと悠が指を鳴らす。


「――え?」


 その音に、世羅は夢から醒めたような気がした。


 いや、一部始終は確かに見届けている。一時でさえも気を逸らしてなどいないし、ましてや眠ってなどいたはずもない。


 なのに、何かがすっぽりと抜け落ちたような感覚がある。


 寝起き直後に、淡雪のように忘れる夢の記憶のように。


 パチクリといった風情で瞬きを繰り返していると――


 ザッと誰かの地を蹴る音が耳に届いた。


「え?」


 はっとした世羅が視線を向けると、戒がその手に再び闇を固めた剣を握り、悠に斬りかかろうとしていた。


 だが、その動きは明らかに先刻よりも、数段劣っていた。


「おぉっと……っ」


 慌てる様子もなく、後ろに跳躍した悠は余裕で距離を取っている。


「先輩はまだやる気なのかよ」


「終わりなどと、誰が言ったっ」


 荒い息の合間に言う戒は、足を縺れさせかけながらも剣を振りかぶる。


「………やれやれ。仕方がないなぁ」


 再び銃を握った手を掲げる悠。


「とことんまでやろうって事だよな、それは」


 引き金を引いた刹那、虚空で数多の魔弾が輝きを発する。


 あれだけの出力をしておきながら、まるで消耗も見せずに虚空に展開した魔弾の数は軽く百を数えられる。


 それらが雨の如く降り注げば、今の闇を纏えぬほどに消耗した戒では防ぎきれない。


「なら、少しだけ寝てるといい。けっこ~疲れたろ?」


 悠の手が振り下ろされる直前。


「やめ――」


 世羅は思わず静止をしようと届かない手を伸ばし、間に合わない声を上げていた。


 そんなものでは状況を止められるはずもなく、成す術もなく降り注ぐ魔弾の雨を世羅は見届けるしかなかった。


 だが――


 魔弾が降り注ぐことはなかった。



「それぐらいにしておきたまえ」



「―――――っ」


 いつの間にか戒の正面に立っていたラスクは、伸ばした指で彼を押し留めるようにしており、逆の手は虚空へと向けられていた。


 たったそれだけの動作。


 何をしたのかまでは理解に至らないそれだけで、戒の動きを封じ、虚空に浮かんでいた魔弾の全てを根こそぎ消失させていた。


 世羅よりも速くに、明白な行動を起こしたラスクの落ち着いた声が、今度こそこの戦いの終幕を告げていた。


「………………あれ?」


 世羅が間の抜けた声を上げたのは、何かのついでのようにラスクの転移としか言いようのない移動に巻き込まれて、戒の足元に無造作に座り込んでいる自分に気づいたからだ。


「これ以上の戦いは無意味だ。この場は退いてくれないか?」


「………わかった」


 毒気を抜かれた――というよりは、我に返ったというのが正しいだろう――戒はため息のような吐息を漏らしてから一歩分を退いた。


 その手に握られた剣も形を崩して、虚空に溶けていく。


「邪魔をしないで欲しかったなぁ」


 対照的に不満顔をしている悠は、抗議の声を上げていた。


 他の者たちが気づいているかどうかは定かではないが、それがただのポーズに過ぎないのは世羅の目からすれば明白だった。


「彼は君の出した課題をクリアした。それを君が認めたからには、この場の勝者がどちらであるかなどは論ずるまでもない。

 それに、君も十分に楽しんだだろう? そろそろ話を進める頃合だ」


 恐らくはラスクも気づいているのだろう。


 戒には見えないように背中を向けているラスクは冷静な言葉を投げ返しながらも、その表情を裏切るように悪戯っぽく笑っている。


「はいはい。わかったわかったわぁかりましたよ、ルーちゃん」


 お気に入りの玩具を取り上げられた子供そのものといった態度の悠。


 実にわざとらしかった。


「その呼び名を認めた覚えはないが」


 憮然とした口調のラスクの表情は、その容姿に違わず子供っぽかった。


 意外な反応であり、当人はかなり本気で嫌がっているようだったので、機会があればどさくさに紛れて呼んでみようと思ったりした。


「気にしない気にしない」


「やれやれ。しばらく帰ってこないから何処で何をしているかと思えば、相変わらず面倒に首を突っ込んでいるようだな、君は」


 ………懲りない男だね、とラスクは頭痛を堪えるような仕種をする。あるいは本当に頭痛がしているのかも知れないが。


「いや、今回は自発的ではなくて、かなり不本意な形でぶち込まれたんだが………」


 久しぶりに逢う相手の苦言に、悠はヘラリと緩んだ笑みを向けている。


「そーゆールーちゃんこそ、こんなところ(・・・・・・)で何やってんのさ?」


「その言葉はそっくりそのまま君に送り返そう。君こそこんなところ(・・・・・・)で何をしている?」


「二転三転どころか、話を進める度に意図せぬ方向へとコロコロ転がり続けやがる面倒な仕事の一環だよ。そっちは?」


 旧知の間柄らしい砕けた調子で話し始めた二人の会話に興味がないでもなかったが、それよりもいつもの無表情に戻った戒が何処へともなく歩き出していたのが気になった世羅は、その背中を追いかけていく。


「お疲れ様ね」


「………全くだ。終われば、結局は下らない茶番だった」


 適当な瓦礫に腰を落として、うんざりしたように――疲労を表に出しながら――声を出す戒。


 そんな姿が、今まで見た中でも〝人間らしさ〟を醸し出していた。


「念のために言っておくけれど、あんたが自発的に首を突っ込んだんだからね」


 肩に提げたバッグの中からタオルを何枚か取り出して、戒に渡す。


「………………。」


 不機嫌そうな唸りが返ってくるが、戒は素直にタオルを受け取り、血を拭っていく。


 反論がないということは、戒も薄々ぐらいには悠の不自然さに気づいてはいたのだろう。


 それでも戦いを続けたのは子供のような意地なのか、それとも何らかの必然性を感じていたのか。


 世羅としては前者であった方が微笑ましいと思わないでもなかった。


「それでなんか得るものはあった?」


「どうだかな」


 世羅の言葉に軽く目を閉じた戒は、どちらとも取れるような呟きを漏らした。


「あたしはそれなりに得るものがあったような気がするんだけど、なんか忘れちゃった」


「なんだそれは」


 意味もなさそうな感じに虚空を仰いでいた戒が、呆れたような半眼を向けてくる。


「さぁね」


 世羅は無造作に肩を上下させる。


 不得要領な感覚を言葉で説明できるとは思えない。


「ねぇ。ところで質問なんだけど」


「それなりに疲れているんだが」


 目を合わそうともせずに、明白な拒絶を滲ませた言葉が矢のように返される。


 だが、その程度で怯むようなら、そもそも戒に関わろうなどと思わない。


「お互いに一言ですむわよ」


「――言え」


 一拍の間を置き、面倒そうに促してくる。


「斉藤悠は馬鹿なの?」


 自分でもどうかとは思う質問だったが、戒の意見が気になるのだから仕方がない。


「ああ」


 迷いの無い即答だった。


「そう。あたしはよくわからないけど、どういう意味で『馬鹿』なのかな? 戒の意見がとっても聞きたいな♪」


「一言ですむんじゃなかったのか?」


「最初の質問はね。次の質問がそうだと言った覚えはないわね」


 素知らぬ顔で視線を逸らす。口笛のおまけ付きで。


「それは屁理屈だ」


「それでも理屈よ」


 自信満々に言ってやると、戒は嫌そうに舌打ちをした。


 会話を打ち切りたいオーラが放散されているが完璧な無視を遂行。


 じぃぃぃぃ~っと見つめる。


「………………。面倒な奴だな。最初に抱いた印象の覆らない悪い例だ。改善を要求する」


「いいからいいから」


「他人の言葉に耳を傾けろ――というのも追加する」


「気にしない気にしない」


 戒のようなタイプは押せ押せで攻めればいいと理解している。根負けするから。


 その持論は違わずに、戒はため息を吐いた。


「あいつは意図的に物事を面倒な方向に誘導する悪癖がある。結局は丸く治めるために奔走するくせに、そこに『自分が面白い』と思える展開を盛り込む――俺が奴を馬鹿だと判断しているのはその点だ。他の奴に聞けば、他の回答が返ってくるだろうがな」


「………………へぇ」


 ちょっと誰かを思い出しそうになったり、我が身を省みたくなるような内容だったために、少しばかり世羅の反応は遅れてしまった。


 別に反省をしたわけでは微塵もなく、アレと同類のように思われるのが果てしなく嫌だっただけだが。


「要するに、しなくていい余計な真似をしてるってこと?」


 もっとも口では物分りのよさそうなことを言いながらも、部分的に共感してしまうところがあったのは否めない。


「ああ。だから、あいつは馬鹿なんだ。余計なことをしなければ穏便に片付く展開もあっただろうに。この戦闘も何らかの意図はあったようだが、無意味な戦闘に踏み切るためのきっかけはどうせ俺と戦いたくなったからなんて下らない理由だと推察している」


「あ、それ大正解! お見事♪」


 外野から野次が飛んできた。


「………………乗った俺も十分にバカだとは思うがな。

 付け加えるなら、最初から奴は『護衛対象』とやらと俺たちを逢わせるつもりだったはずだ。その気が無いならば、そもそも接触してきたりはしない」


「まあ、それにはあたしも同感よ」


「またまた大正解♪ まあ、最低限の確認をしておきたかったのはホントだけどね☆」


 またまた外野から煽るような――というか確実に煽るための野次。


 戒は無表情のままだが、ところどころに怒りマークが浮かんでいる(よーな気がする)。


 今ちょっとした瓦礫を握らせると素の握力でバキョンと砕きそうな感じである。


「確かに、素敵なバカね」


 その最低限の確認のために、ただでさえ戦場跡地的だった周辺地形をさらにズタボロにされた眼前の惨状があるのだとしたら、それは確かに果てしない無駄だろう。無意味といってもいい。おまけに戒にとっては災難以外のなんでもない。


 けれど、悠に悪意がなかったのも事実だ。


 あまり度を越した迷惑を他人が被るのは考えものだが、だからといって他人に遠慮をして自分の意思を殺すのも考えものだ。


 そのバランスをある程度は見極めた上での行動なのだと判断できるぐらいには、斉藤悠という人間が見えている。


 故に、個人的な結論は――


「でも、嫌いじゃないかな」


「そんな感想を抱くなら、お前も同類で馬鹿だ。桜堂世羅」


 すっぱりと切れ味鋭く断定された。


「褒め言葉だと思っておくね。あと、フルネームで呼ぶな」


「そんな考えで関わるつもりなら後悔するぞ」


「多分ね。だって、お友達(・・・)になりたいとまでは思わないもん」


 もうこれ以上は喋らないという風に視線を逸らした戒に、自然を装いながら世羅は手を差し出す。


「とにかく、軽い休憩代わりの雑談はおしまい。

生き延びてくれて嬉しいわ。これからも(・・・・・)仲良くしましょうね(・・・・・・・・・)


 気分は何故か宣戦布告。


「その手はなんだ?」


「手を貸してあげるわよ」


 怪訝な顔の戒に、世羅はとびっきりの満開笑顔を贈った。


「あの二人のところに行きましょ。知らぬ存ぜぬで曖昧にするのは無理っぽいところに踏み込んじゃったでしょ? あんたがね(・・・・・)


「………………」


 不満そうだったが、戒は何も言わなかった。


 血で濡れたタオルを無造作に投げ捨て、差し伸べた手を取ろうとはせずに一人で立ち上がると歩き出す。


「………残念(ざ~んねん)。」


 グーパーグーパーしながら唇を尖らせる。


 少しだけ不謹慎な楽しみを得た。


 あの頑固者に、次はこの手を取らせてやろう――と。


 世羅はにんまりと笑いながら、戒の後を追った。







斉藤悠とのバトルがようやく終了。思ったよりも長くなってしまいました。話を効率よく回転させるための案内人として登場させたので、その役割どおりに、彼には次の話で少し舞台裏について語ってもらう予定です。

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