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5節


「本当に彼女に言わなくて良かったの?」

 二人が完全に見えなくなり、街中の公道を抜け、エリカの街から出ようとゲートに差し掛かった時に、助手席で風に当たっていたアオイが、頬杖をついて前を向いたまま不意に質問をしてきた。なんとなく、その質問は予想出来た。

「いいんだ。彼女があの街に留まるなら、遅かれ早かれ知るんじゃないかな。それに、きっと彼女は何となくだけど気付いてる」

「ええっ?」驚きの声をあげて顔をこちらに向けるアオイ。「幾らなんでもそれは無いでしょ。確かに、調べるのはそんなに難しくはなかったけどさ」

「なんの話しをしているのだ? さっき言っていた調べ物とは、エリカに関する事なのか?」後部座席から身を乗り出すようにしてリンネ。

「そうだ。俺達が今まで居た街を作ったのは、エリカのお父さん、っていう話しさ」

 動機はなんて事はない。俺達の新しい友人であるエリカと、街名としてのエリカの綴りが全く同じだった事が発端だった。それに、彼女の経緯。

 治験という名目ではあるが、いわばただの試験体に対して、なぜ研究所は百年以上経った後の心臓の治療まで請け負ったのだろう。普通に考えたら、サービス過剰である。決定的だったのは、彼女の言。彼女には、娘の目覚めた後に生活が困らないよう、両親がいくらかの金銭を残していてくれていたという。金銭的問題で娘を試験体として提供したというのに、それは妙な話である。確かに治験として提供したのだから掛かるはずの費用が浮いて、その分と、残った財産を提供したというのなら理解も出来るのだが、それはあくまで短い期間のコールドスリープに限っての話で、百年越えの場合は資産価値や紙幣の価値というものは大きく変動してしまうだろう。そうなってくると、現在でも有効な財産を残しているというのは明らかに不自然だ。

 もしやと思い、暇を持て余してたアオイに実地調査を頼んでおいた。これが見事に予想的中。この街に残されている資料、それも街の創設当初の関係者の中に、その名前はあった。

 ジュウゾウ バイ。エリカの街の創設委員会、それも重役クラスの欄に名前が記されていたという。エリカの『バイ』というファミリィネームはとても珍しい。ここまで重なれば、他人という事はないだろう。

「記録によると、エリカのお父さんらしき人は、あの街の開発プロジェクトの発案者らしいわね」アオイは自分の携帯端末を取りだして読み上げる。「もともとあそこには小さな集落があって、そこに企業の研究所があったの。で、丁度位置的に東西交易の中継点になるからということで、ワイズ インダストリアルを筆頭に幾つかの企業が資金を持ち寄ってあの街を作ったみたい」

「これは確認出来る事ではないから想像の域を出ないが」運転席の窓を僅かに開けて、緑の香る風を入れる。「恐らくエリカの父親は、彼女が眠りについてから、何らかの理由で財を成した。そして、娘の為にあの街を造る計画を発案した。資金援助も相当したんじゃないかな」

「でしょうね。でなきゃ、天下のワイズ インダストリアルが噛んでいるのに、街の名前に自分の娘の名前なんか付けられないわよ」

「それなら、どうしてその事をエリカに教えてあげないんだ? それが確かなら、エリカにとって喜ばしい接点ではないか」と疑問に富んだリンネ。

「そうだな。まあ、あの街を離れるって言っていたら、伝えたかもしれないけど……、いや、それにしても、か」

「なぜだ? それはエリカの父さまの話だろ?」

「笑顔だよ」

「笑顔?」

 見送りの時に彼女が見せた笑顔からは、孤独や寂しさといったものが、微塵も見て取れなかった。流れる景色の中で揺るぎなく広がる空の様に、実に爽やかに曇り一つ無く、迷い無く夢に向かっていく。あの時見た彼女はそんな笑顔だった。

 夢。

 そう、夢だ。彼女は今まで過去ばかり見ていた。それはうしろを向く行為に他ならない。立ち止まっていると言っても良い。しかし彼女は夢を選んだ。後ろではなく、また蹲って見つめる足下でもなく、未来を見据えた。

 夢とは未来だ。未来は、前を見なければ掴む事は出来ないのだ。

 彼女はもう前を向いて歩き出そうとしている。そんな彼女の決意にも似た気持ちに掛ける言葉など、幾らも無い。

 それにもう、彼女はあの手紙から十分過ぎるほどに両親からの愛情を受け取り、また彼女も、その想いに応えようとしている。ならば、それで良いではないか。わざわざ、俺達なんかがとやかく言う必要は何処にもない。

「なるほど。どおりでこの前急にアオイが資料館へ行こうなどと言っていたわけだな」

「そういうこと。そういうリンネだって資料館の端末で調べ物してたじゃない。何かお目当てでもあったの?」

「あの病院が過去に研究していたという事について、ちょっとな……」

 運転席と助手席の間に挟まるようにしていたリンネは、そう言うと興味を無くしたように後部座席へ戻った。ルームミラー越しに表情を伺うと、いつものように涼しい顔をして窓から景色を眺めているが、何処か寂しげな雰囲気を感じ取ることが出来た。

 リンネはあの小さな身体からは想像も出来ない程の多くの思いを秘めている。家のこと、自身の出自のこと、そして、未来への不安。明るく振る舞うようになった今でこそ、時折その碧い瞳は月のような静けさを湛える。

「なあ、タクマ」窓から景色を眺めていたリンネが声を掛ける。

「なんだ?」

「エリカが屋上で騒ぎを起こした時、説得に使った話は本当のことなのか?」

「ああ、あれね……」

「なになに? 何の話よ?」

 アオイが話に興味を持ったようで身を寄せる。考えてみれば、あの時アオイは一般病棟へ向かっていたのだから話は聞いていない。

 察したリンネが、アオイに俺がエリカにした話をそのまま告げる。病気でコールドスリープを余儀なくされた孫の為に、同じように眠りについた爺さんの話だ。

「良い話じゃない。それって前に言ってた飲み友達とかいうお爺さんのこと?」

「ああ。あの爺さんがモデルなのは間違いないな」

「やはりな」そう言って溜息を付くリンネ。

「モデル?」訝しむアオイ。「てことは……作り話って事?」

「そういうこと。あの話は俺がその場で考えた即興の創作。そもそも、モデルの爺さんは化石燃料が全盛期だった時代から眠っていたとか、大戦を小銃一丁で生き抜いたとか、実に清々しい話をしてくれる爺さんだからね。ネタには事欠かない。しかしよく気が付いたなリンネ?」

 ミラー越しに後部座席へ視線を向けると、タイミングよくリンネと目が合う。これといって表情の変化はない。

「別に確信があったわけではない。ただ、あの場に出てくる話としては都合が良すぎると感じただけだ。それに、タクマは作り話をする時は少しだけ口調が芝居掛かるからな」

「よくご存じで」

「呆れたぁ。あの状況下だったわけだから騙す騙さないをとやかく言うつもりはないけど、咄嗟によくそんな作り話が出来たものね」

 アオイは全身の力が抜けるかのような心底呆れた溜息を付くと、寄せていた身を勢いよく助手席へ落とし込んだ。その震動で走行中の車が僅かに揺れる。

「だてに世の中を渡り歩いてきたわけではないと言うことだな。二人とも、もっと俺を敬っても良いんだぞ?」

「ハイハイ、すごいすごい」やる気の最小値を体現したかのような手拍子をするアオイ。「銃は撃てないのに口先だけはホンット一流なんだから」

「まったくだ。初めて会った時はこんな男だとは思っていなかった」フッと小さく溜息を付くリンネ。

「二人とも、素敵な賛辞をありがとう」

 肩を竦め、精一杯の皮肉を込めて言い放っては見るものの、女性陣は何処吹く風である。一瞬タバコを吸いたくなったが、タバコは随分前にやめたので手元にはない。仕方がないので水の入ったボトルをカップホルダーから取りだし喉を潤わせる。別に喉が渇いていたわけではない。

「あ、そうそう。そういえば、もう一つタクマ君に質問があるのを思い出したんだけど、良いかな?」

「なんなりとどうぞ」ボトルをホルダーに戻して応える。

「タクマ君がエリカと話しをしてたとき、夢がどうとか言ってたじゃない? その時のエリカの反応がちょっと気になってね。タクマ君の口ぶりだと、何か知ってるんでしょ?」

「ああ、その事か」

 アオイが言っているのは、別れ際のエリカとの遣り取りだ。俺は彼女が病院で働くことを聞いて、彼女が今まで抱いていた迷いのようなものを吹っ切った感じがした。だからこそ彼女に尋ねてみたかった。彼女が、何を選択したのかを知りたかったのだ。それは好奇心でもあり、また、自分が選択してこなかったものに対する憧れに近い感情だったのかもしれない。

「あれは、両親からの手紙に書いてあった、最後の文節なんだ」

「あの封筒に入ってたヤツね。なんて書いてあったの? 内容は説明してもらってるけど、実際に読んだのって、本人以外だとタクマ君しかいないんだから」

「それは私も知りたいな」リンネが再三身を乗り出してくる。「あの時、エリカはタクマの言葉を聞いて何処か納得したような顔をしていた。その意味を私は知りたい」

「おいおい、他人のプライバシーに首を突っ込むのはあまり上品な行為とは言えないぞ?」笑いながら応える。

「それをタクマ君が言っても説得力が無いんだけど。ねえリンネ?」

「まったくだ」と、力強く頷くリンネ。

「仕方がないな」頭を軽く掻いた後に、開け放っていた運転席の窓を閉める。開けたままでは、どことなく言葉の持つ想いが風に乗って逃げてしまう気がしたからだ。「あの手紙には親から子への沢山の思いが詰められていた。そして、彼女の事を本当に愛していると伝えると、最後に一言だけ、何度も書き直した跡のある一文が書かれていたんだ」

「言葉?」

「百年後に素敵な夢を、その言葉で手紙は締めくくられていたよ。思いを伝えるというより、そうだな……託すといった感じが正しいかもしれない」

「そうか……」納得したリンネが、その小さな口の口角を上げる。

「素敵な言葉だろう? 俺が即興で作った長話より、ずっと良い」

 あの言葉はきっと願いだろう。親が子供に与えるものではなく、子供が自らの手で掴まなければいけないもの。そんな夢が、どうか見付けられますように、と。親が子供に願う、もう一つの幸せ。

 俺には両親の記憶が殆ど無い。母は生まれてまもなく病死。父も、俺が七歳の時にちょっとした事故で亡くしている。だからというわけではないが、エリカの両親の想いに触れたとき、何とも言い難い感覚を味わった。暖かいような、包み込むような、そんな草原の日差しのように穏やかな感覚。

 親の想い。

 子の想い。

 この車も、ある一人の少女の、母へ向けた想い、願いによって動いている。彼女の想いを届ける為に、西へ。

 ただひたすら西へ。


 Act.1 fin

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