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3節


「ほんとバっカじゃないの!」室内に響き渡るアオイの声。

「そうだ。タクマは馬鹿だ」冷ややかに罵るリンネ。

 三日前。四階建ての特別病棟の屋上から転落した俺は、地上で待機していた警備隊が用意していたマットの上に落下した。予想した通りマットは固かった。落ちたのが仮に俺ではなく、リハビリ中の彼女だったなら、とあまり想像したくない程の固さだった。かといって命に別状はない。ただ一つの問題点は、空中で無理な姿勢を取ったあまり、用意したマットに僅かながら、左足だけ漏れてしまった事。これが宜しくなかった。

 結果は左大腿骨折に打ち身数カ所の全治一ヶ月。

 骨折は足を地面に打ちつけたわけではなく、奇跡的にも単純骨折。仮に打ちつけていたとしたら最低ラインで粉砕の複雑骨折だったそうだ。打ち身は間違いなくマットによるもので、骨折と合わせても、怪我自体は大したことない。まさに日頃の善行の賜物かもしれない。

 しかし蛮行とも取れる当日の行動が原因か、医師からはうんざりする程の嫌みを言われ、病室に戻れば、滞在長期化に伴う嫌みをアオイからさんざん聞かされ、アオイ達がいなくなったと思ったら、シュミット女史やリーゼにも嫌みを聞かされる始末。ここ三日間、小言を言われない日は一日足りとてない。正直、絶望に自殺を図りたくなるのはこっちの方である。

「面目ない」

 今日も今日で見舞いに来たアオイに、三日前の話しを蒸し返される。今回に関しては、珍しくリンネも大変ご立腹だった。声を荒げるほどではないのだが、彼女も意外とネチネチと突いてくる。

 病室は大部屋から個室に移った。待遇が良くなったという事ではなく、単純に大部屋より個室の方が監視が簡単だからだ。病院関係者からは、何をするか分からない要注意人物と認定されてしまったようだ。

 部屋のドアがノックされる。

「どうぞ」ドアに向かい返事をする。

「どうですか、個室に移られてからの、お身体の具合は?」

 担当のアイヒマン医師が穏やかな面持ちで入ってきた。屋上で見掛けた時よりも表情が緩やかなので、もしかしたらこちらの表情が彼の素顔なのかもしれない。彼の後ろには、資料を持って控えたリーゼロッテがアイヒマンに見えないよう、俺に向けて小さく手を振っている。

「怪我と小言がなければ、ずって住んでいたい気分ですね。食事も美味いし、至れり尽くせりだ」

「ハッハッハ、そうでしょう。その言葉、妻に伝えておきましょう」

「妻?」

「アイヒマン先生の奥さんって、この病院の調理師なのよ」リーゼが耳打ちをする。「しかも十歳年下」

「ところで、今日は何のご用事でしょう。アイヒマン先生?」

「そんなに邪険にしないで下さい。今日はあなたに面会希望の方がいらっしゃるのですよ」そう言ってアイヒマン医師は後ろを振り返る。「どうぞ。入ってきて下さい」

 開けたままとなっていたドアの向こうから、二人の女性が入ってくる。見覚えのある黒髪の女性と、小柄ながらも貫禄ある女性。シュミット女史に支えられるようにして、俯きながら入室した女性は、三日前に騒動を起こしたエリカ バイだった。

「彼女については説明しなくても分かりますね。今日は彼女が、貴方と話しがしたいという事で、リハビリの一環としていらして頂きました。ただ、念の為という事もありますので、私達も同席させて頂きます。その辺はご容赦を」

「まあ、事情はわかりました。それで、話しというのは?」

 話しを促し、それとなくエリカに視線を送る。彼女は俯いたままだ。シュミット女史が耳元で何かを囁いて、彼女の背中を軽く叩くと、おずおずと彼女は口を開いた。

「あ……あの、こんにちは……エリカ バイ……です」

 何度も言葉につまりながら、今にも消え入りそうな声で話す彼女は、三日前とはまるで別人だ。あまりの雰囲気の違いに面を喰らってしまったが、この前が異常事態なだけで、今こうやって目の前で話しをしている彼女が、恐らくは普段の姿なのだろう。誰だって、緊急時には印象が変わる。

「あ、あの……この前は、すみませんでした。私の所為で、怪我をさせてしまったみたいで……」

「そんなの別に気にしなくても良いですよ。これはこの人が勝手に怪我しただけですから」横にいたアオイが、ギブスの巻かれた足を叩く。痛くはないが、いい気はしない。

「彼女の言う通り、本当に気にしなくても大丈夫です。それより、貴女の方こそ怪我はありませんでしたか?」

 アオイの横やりは放っておいて、相手の緊張を解す為にも、努めて紳士的に話し掛けてみる。

「擦り傷が少し……あ! で、でも気にしないで下さい! 痛くもないし、全然!」慌てて否定する。

「タクマの所為だ。彼女の事を乱暴に放り投げたからな」とリンネ。自分でも同感だと思っていたので、返す言葉もない。

「まあでも、大した事がなくて良かった。取り敢えずもうあんな事はしない方が良いですよ」

「はい……あの時は私、どうにかしてたんです……」

 全くだと思う。

「三日前のあの時、私は本当に死のうと思っていたのか、実は自分でもよく分からないんです……。ただ、お医者さまの隙をついて、屋上まで走り抜けた時は、本当に嬉しかった……。おかしな話しですよね? 多分、あの時の私にとって、計画通りに死ぬことが生き甲斐だったんです」

 そういうと彼女は自嘲気味に微笑む。その微笑みからは混沌と渦を巻いた感情が垣間見える。この様子を見たら、彼女が完全に復調したわけではない事くらい想像に容易い。同席することにしたアイヒマン医師の判断は正しい。

「だけど、屋上から外へ出たまでは良かったのですが、周りを囲うフェンスが、私が考えていたより高くて、ようやく越えたと思ったら、今度は人が集まってきて、そしたら……」

「怖くなった」

「はい……。そうしたらもう、わけが分からなくなって、頭の中はグチャグチャ、自分で何をいっているのかも分かっていませんでした。あとは、あなたもご存じの通りです……」

「そうですか。それなら今はもう?」

「自分ではよく分かりません……。でも、失礼な話しですけど、あなたが落ちたのを見たら、何だか急に落ち着いてしまいまして……。もちろんそれだけではないのですが……」

「はあ、そりゃどうも」

「良かったじゃない。これで少しは落ちた甲斐が出たわね」アオイが含み笑いをしながら言う。

「落ちた甲斐なんていう言葉の意味は分からないけどね」

「無駄に落ちたわけではないという意味だ」とリンネ。

「親切な説明をありがとう」

「それでその……、まずはお礼とお詫びを、と思いまして……。その、ありがとうございました!」エリカ バイは勢いよく深々と頭を下げる。

「そんな、頭を上げて下さい。お礼を言われるような事は何もしてませんよ。もちろんお詫びなんてのも必要ありません。実際に落ちた俺だから言える事ですが、仮にあの時貴女が落ちていたとしても、死ぬような事はなかったでしょうし、さっき言っていたように、俺が勝手にやって勝手に怪我をしただけですから」

 これについては半分嘘だ。あのマットの固さから想像すれば、角度によっては危なかったかもしれない。とはいえ、それも今となっては想像するしかない。

 尚も申し訳なさそうにしている彼女に、気にしないようにと笑いかけると、彼女は震える手で一枚の茶封筒を俺の前に差し出した。

「これは?」

「父が私宛に残しておいてくれた手紙です。目覚めた時に読めるようにと、病院に預けられていたんです。コールドスリープから覚醒して、各種検査が終わった時に先生から貰ったんですけど、その時私、まともな精神状態じゃなくて……」

「私も当時の彼女に渡すかどうか迷ったのだが、ご家族からの数少ない直接的なメッセージでね、逆に精神状態が安定するのではと、渡してみたのだが、その直後にちょっとした騒動があってね」

 アイヒマン医師が補足する。彼の言う、ちょっとした騒動とは、覚醒一週間で起こった自殺未遂の事だろう。覚醒してから半ば夢見心地だったものが、見知った家族からの手紙によって、急激に現実へと引き戻された。その時感じた彼女の孤独と絶望は、彼女自身しか理解する事は出来ない。人の感情など、本来他人が代弁出来るものではないのだ。

「読んでみて下さい……」

「俺がですか? そんな大切な手紙なのに?」

「ぜひ、貴方に読んでもらいたいんです……」

 彼女の意思に応えるように無言で頷くと、陶器のように白い手から茶封筒を受け取る。中には手紙が五通。とても聡明そうな文字で、父から娘へ、百二十年越しの言葉が、丁寧に綴られていた。

 彼女は、エリカ バイは生まれつき、心臓の疾患を抱えていた。それが二十歳の誕生日に悪化。手術が必要な状態にあったが、手術自体の成功確率は数パーセント、仮に手術が成功しても、当時の医療では完治は不可能で、長くても二三年、三十歳まで生きる事は到底不可能、二十五歳でも難しい状態だったのだという。愛娘の齢二十にしての死刑宣告。両親はさぞいたたまれなかった事だろう。

 娘の未来を案じた両親は、当時企業の研究員だった父親のコネクションを利用して、この病院の前施設だった研究所に話しを持って行った。

 当時でもコールドスリープ技術は確立していたが、まだまだ一般人が手を出すには高額の医療処置の上、長期処置には不安の残る状態だった。ところが、ここにあったユズリハ製薬という企業の研究所では既に長期運用を可能としており、しかも治験という名目ならば、費用は一切掛からないという。彼女の父親はそこに活路を見出そうとした。

 結果、エリカ バイは治験の名目は本人に伏せたまま、あくまで治療の為と入院先を移転。移転先の研究所でコールドスリープ処置が施される事となった。また、心臓の疾患は完全覚醒一年前、つまりは昨年のうちに施術され、今は健康体であるという事も、事情を知っているアイヒマン医師の補足により分かった。

 手紙の四枚目まで読み進んだ所で、一旦手紙の内容は途切れてしまった。文章的にも、いかにもそこで終わっているような風だ。しかし手元の手紙は五枚。もう一枚はなんだろう?

 戸惑った感じの俺を察したのか、傍らで読むのを見守っていたエリカ バイが、補足をするように口を開く。

「その手紙、五枚あるのは分かっていたんですけど、初めて読んだ時、そこまでの内容で、パニックになってしまって……。恥ずかしいのですが、私も昨日初めて五枚目の手紙を読みまして……」そういってまた彼女は俯いた。

 少し合点がいった。これまでの内容は、彼女が混乱しないようにと配慮した説明と、父親からの娘への謝罪が込められていたが、彼女がパニックを起こしたのも仕方のない内容だった。

 表面上だけ読み取れば、彼女の両親は治療の為とはいえ、娘を研究所に試験体として差し出した形になる。それも百年を超える長期間のコールドスリープ。厄介払いと感じてもおかしくはない。両親のエゴと責められても、なんら文句は言えない状態だ。

 そこまで考えて、五枚目の手紙に手を進める。読み始めた瞬間、それまでの手紙内容とは全く違うことが分かる。何度も書き直したのであろう汚れ。端々の文字は、まるで水滴で濡らしたかのように滲んでいる。涙?

「これは……」

 そこには四枚目まで書き綴られていた説明や謝罪など、一切書かれてはいなかった。

 そこに書き綴られていたのは、ただひたすらに娘に問いかけ、励ますような文章。


『 身体の調子はどうですか? ちゃんと食事は取っていますか? 私達が側にいなくても大丈夫ですか? エリカは気の強い所があるから平気のような気もするけれど、それでも父さんは心配です。

 目が覚めて、何をしたらいいか分からないかもしれません。それは無理もない。治療の為とはいえ、未来の世界ですから、私達にも具体的な事を教えてあげる事が出来ません。でも、すぐにとは言わないけれど、まずは友達を作りなさい。友達は一生の宝物です。きっとお前と気が合う親友が見付かります。まずはそこから始めなさい。


 男性の前ではなるべくお淑やかにいる事が、成功の秘訣よ。でもエリカはちょっと内弁慶な所があるから、嫁の貰い手がいるかどうか、母さんは今から心配です。お前は一人っ子で大切に育ててきたけど、それでも寂しい思いをさせてしまったこともあったと思うの。だから、子供を生む時は、頑張って二人は産みなさい。家族が出来れば、それだけで人は頑張る事が出来るの。少なくとも、私はエリカを産んだ時に、この子の為なら自分の命だって惜しくはない、そういう風に感じたのよ。

 ……

 父さんも母さんも、エリカの事を愛しています。

 いつまでも。

 いつまでも。

 ……』


 手紙の中の筆跡は二つ。恐らく、両親がそれぞれの想いを綴ったのだ。

 手紙には両親の彼女への愛が溢れていた。最後に締めくくった一文を読み終え、手紙から視線を外し、傍らの彼女を見上げる。彼女は俯いたまま、その瞳からこぼれ落ちようとする涙を拭おうともしない。

「あなたの……あなたのいう通りだったんです……。私の両親は、私を愛していてくれた……だから、だから私は……ワタシは……」

 震える声がその先の言葉を告げる前に、彼女の心の防波堤は決壊した。押さえていたものが溢れだし、何度も身を震わせながら、嗚咽を漏らし、彼女は涙した。今まで死を望んでいた歪んだ感情を洗い流すように、静かに、純粋な感情が頬を伝っていた。

 部屋にいる誰もが、その様子を黙って見ていた。俺も、アオイも、リンネも、ただ黙した。シュミット女医は、泣き続ける彼女に寄り添い、背中を優しくさする。アイヒマン医師も黙してはいるが、その様子は涙を堪えているようにも見える。

 今の彼女に掛けるべきは、言葉ではないのだろう。他人の俺達がどんな言葉を掛けても、今の彼女には意味を成さない。

 これは彼女の心の整理なのだ。本人が自ら歪めて心に収めてしまった感情を、もう一度整え、改めて歩き出す為の通過儀礼。それは歪んだ感情を一度、全て眼前に拡げ放ち、始めから綺麗に収め直す行為。

 一つ一つ、丁寧に。

 彼女の両親が、彼女へ宛てた文節のように、一つ一つ、想いを込めて。

 そうして心にもう一度収めた時、ようやく彼女は歩き出すことが出来るのだ。

 五枚目の手紙の最後に書かれた、彼女の両親の願いへと。

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