欠落と憎悪 4
家に帰ると、鍵が開いていた。父さんはもう帰ってきているみたいだ。
玄関で靴を脱ぐ。廊下を進み、リビングのドアを開ける。
父さんがいた。ソファーに座って、僕に背を向けている。
「おかえり。英志」
振り向いた父さんの顔は、とても悲しそうだった。
父さんは全部、知ってたんだ。
僕はそう、直感する。父さんは全部知っていたから、だから多分、僕が始めて仮想空間に飛ばされたあの日、「すまない」と言ってきたんだ。
「僕の宿命って、何?僕の存在意義って、何?進化の力って、何?」
知りたい。知りたくてしょうがない。
「全部、教えてよ」
僕は父さんに訊く。父さんはわかるはずだ。全てを知っているから。
例えそれを訊いた結果があの男の思い通りとなろうとも、僕は知らなければならない。そんな、核心に近いものがあった。
「……わかった」
父さんは本当に辛そうに、頷いた。
「お前は、試験管の中で産まれたんだ」
静かに、けれどしっかりと父さんは口を開く。まるで、自分自身に言い聞かせるように。
――試験管の中、ね。
つまり、僕は何かの目的で作り出されたってことだ。それの目的が僕の存在意義。あの男は、そう言いたかったんだろう。
なんだろう。変な気分だ。結構な衝撃的な事のはずなのに、僕の心は特に何も感じていない。
「変異種の中でも特別な、特異種の遺伝子を元に創られた存在。それがお前だ。政府が、俺達が、対変異種の決戦用兵器として生み出したのが、お前だ。相手が並みの変異種ならば造作も無く、相手が特異種ならば互角以上に闘う為に」
「特異種って、何?」
「特異種と言うのは、全ての『進化の系譜』を自由に引き出す事のできる変異種のことだ。同時にいくつもの『進化の系譜』を覚醒させ、その身体を無限に変異させる事ができる。三十年ほど前に捕獲した特異種の研究データと遺伝子を元に、お前が産まれた。他にも百体の実験体を生み出したが、結局は特異種の因子に適合できず、死んでいった」
父さんは淡々と語る。僕は事実だけを受け止める。
それだけで十分だと思った。
「お前がエニティレイターの適正があったのは、特異種の因子を引き継いでいるからだ。通常の人間には無い、特別な因子を持っているからだ」
ああ、だから一ノ宮博士は僕をエニティレイターにさせようとしていたのか。
「だったら、どうして僕は研究施設みたいなところにいないの?」
「俺が、お前を連れて政府の施設を脱走したからだ」
「脱走?」
「お前が産み出されて一年後、事故が起こった。仮想空間の起動テストで、俺は大切な人と親友を失った」
父さんは言葉を続ける。
「五次元的に限りなく隣接した場所に、仮想空間を作り出す。それは、一歩間違えば俺たちの暮らしているこの空間に、さらに別の空間を上書きする事になる。その結果、次元に歪が生じ、空間はかき消される。そこにあるものは全て消失する。仮想空間が本物の空間となってしまう。親友は俺を庇って死に、そしてあの人は身体の半分以上を失った。その人が死ぬ間際に、俺は言われたんだ。『誰も悲しまない世界を掴んでくれ』と。だから俺は、お前を連れて、施設を脱走した。あの場所では掴めないと思った。自分の探究心と身勝手な正義感で何百、何千の命を犠牲にしてもなんとも思っていなかった自分を変えなければ、そんなものは掴めないと思った」
過去に、父さんが何をしていたか。話を聞かなくても、大体見当は付いた。僕が試験管ベイビーならば、僕以外の死んだと言う九十九人だってそうだろう。そして、それ以上の『実験体』がいるはずだ。
「次元の狭間で、あの人は、可能性の世界を見たんだそうだ。誰も悲しまない世界を。だから、いつか、掴んでくれと、あの人は言ったんだ……」
「だから僕を連れて逃げ出した」
「そうだ。おこがましい事は理解している。許されない罪を背負っている事はわかっている。だが、あの人は俺に気づかせてくれたんだ。命の価値など全く考えず、わずかなデータの為に大量の命を奪うことが、間違っているという事を。親友が俺を庇ってくれたんだ。その命を投げ出して。それを知って、間違ったまま生きることが、俺にはできなかったんだ」