敵 1
自転車を漕ぐ。力がろくに入らない。けど、それでも自転車を漕ぐ。
――天月がさらわれた?変異種に?しかも、殺されているかもしれない?
ないはずの力を振り絞る。川原へと一直線に向かう。
頭はふらついていた。視界も若干霞んでいる。生ぬるい風が僕の顔に当たる。それすらも辛い。
僕は何も食べず、父さんに何も言わず、家を出てきた。だあから、三日間、まともに何も食べていないことになる。体調が最悪なのはそのせいだ。こんな僕が、一ノ宮博士の所に行ったとして、何かをできるとは思えない。
それでもペダルを踏む。
息が切れる。心臓は限界を訴えている。血液が酸素を全身に供給する為に動き回る。それが辛い。まるで、身体の内側から殴られているかのよう。
学校を通り過ぎ、喫茶店やファミレスを通り越し、高級住宅街を抜ける。川原まで、もうすぐだ。
「久坂君!」
僕は呼び止められた。その声の主は、一ノ宮博士だ。
ブレーキをかけ、自転車を停止させる。今にも倒れそうになる身体に鞭打って、なんとか自転車から降りた。
街頭の下に、一ノ宮博士はいた。僕のほうへ走ってくる。無造作な髪も、髭も、白衣も、四日前から何も変わってはいない。
「天月は生きてるんですか?」
息を切らしながら、何とか僕は言葉をひねり出す。どうしても聞きたかった。確かめたかった。果たして、天月は生きているのか?
「詳しい事は僕の車の中で説明する。歩けるかい?相当、顔色悪いけど」
「……大丈夫ですよ」
本当は大丈夫じゃなかったけれど、それ以外に言葉が見つからなかった。
頭がふらつく。このまま倒れてしまいたかった。それでも何とか歩き、僕と一ノ宮博士は川原にたどり着く。
一ノ宮博士は川原の坂を先に下っていった。僕も自転車を止め、その後に続く。坂道を下っていく。
途中、脚を踏み外した。バランスを崩してしまう。態勢を立て直そうとしたが、できなかった。身体を自由に動かせなかった。僕はそのまま、坂を転げ落ちる。
僕はソファーの上で寝ていた。視界に映る光景に見覚えがあった。ここは、あのキャンピングカーの中だ。
「起きたかい?」
だるい身体をなんとか起した僕に、一ノ宮博士がコップを差し出した。それを受け取り、礼を言う。
「まさか、坂で転んで気絶するとは思わなかったよ。君、寝てないのかい?」
僕は気絶していたのか。
記憶が途中で途切れていて、確信がもてない。ただ、僕の身体にはいくつかすりむいた跡があった。服には泥が付いている。
「それ、飲むといいよ。僕の特製栄養ドリンクだから」
言われるがままに、僕はそれに口をつけた。
不味い。
それしか感じなかった。かと言って、そのせいでを吐き気を催すとか、吹き出してしまうとか、そんなことはなかった。
喉を久しぶりにまともな物が通った感覚があった。水ばかりだった僕の身体に、その不味いながらも栄養を含んだそれが染み込んで行く。
「ありがとうございます」
僕は二度目の礼を言った。少し、身体がまともになった気がした。
「そうか。ならよかった。それじゃあ、本題に入ろうか」
一ノ宮博士はノートパソコンを机の上に置く。画面には地図が表示されていた。
何処かで見た事があるような地図だった。そうだ、アレににている。エニティレイターとなった僕の頭の中に送り込まれてきた、あの時の地図に。
ただ、僕の頭の中にあった地図とは違い、赤い点ではなく、代わりに緑色の点があった。
「これが、天月のいる場所。正確には、ヴァリアント・システムの所在地だ。これは三時間前から全く動いていない。僕に連絡もせず、天月一人でこの場所にとどまり続けている、とは考えられない」
いや、ちょっと待て。ヴァリアント・システムのある場所が天月のいる場所ってことは。
「天月が、ヴァリアント・システムを持ってるってことですか?」
「当然だろう?君が天月にヴァリアント・システムを渡していたんじゃないか。だから今、エニティレイターは彼女だ」
そうか、と僕は当たり前のことに気が付く。
四日前、内藤君が死んだあの時、僕はもう、エニティレイターにはなれないと思った。闘えないと思った。天月もそう言っていたし、僕は自分のしでかした事で頭がいっぱいで、それでもとにかく、ヴァリアント・システムを手放したかった。
何も考えていなかった。僕が闘わないってことは、天月が闘うってことなんだ。覚醒因子が暴走してしまうほどの身体を抱えて、それでも天月は闘うだろう。これまでそうしてきたんだろうから。
僕が闘わないってことは、そういうことでもあるんだ。
「数分ほどだったが、このヴァリアント・システムの反応とほぼ同じ座標に変異種の反応があった。天月はその変異種に捕獲、または殺害された可能性が高い。だが、恐らく生きているはずだ。ヴァリアント・システムは体温を感じ取っている。パスワードを入力するか、こちらから遠隔操作をしない限りはあの腕輪は取り外す事はできないし、装着する事もできないから、変異種の体温を感じ取っているという可能性は低い」
「天月は、生きてるんですね?」
「多分ね。確証はないけれど」
僕はほっと、胸を撫で下ろす。
よかった。天月は死んでない。生きてるんだ。
「だが、安心できる状態ではない。変異種の目的がわからない以上、彼女をこのままにしておくわけにもいかない……そこで、君に頼みがある」