絶叫
なんで、内藤君が。
内藤君の身体は右肩から先が切断され、足からは血を流していた。
どうして、こんな。
本当はわかっていた。
けど、わかりたくなかった。そんな事、信じたくなかった。
内藤君が変異種?
そんなこと、あるわけないじゃないか。
ナイフが手から落ちる。内藤君を押さえつけている手から力が抜ける。
僕と内藤君は昼を一緒に食べたんだ。そこには遠藤もいた。下らない話をして、学食で昼休を過ごして、その後サッカーをするとかしないとか、そんな話をしていたんだ。
いや、それよりもまず、内藤君が僕の目の前にいる時に、一ノ宮博士からメールが来たんだ。「変異種が出た」という一文を僕が目にしたとき、内藤君は目の前にいたんだ。それは、内藤君は変異種じゃないってことなんじゃないか?
少年は地面を這って僕から遠ざかろうとしていた。
信じたくなかった。あり得ないと思った。でも、その少年は間違いなく内藤君だった。
細い身体。幼さを残している姿。僕の知っている内藤君だった。
制服を着ていて、白いワイシャツに血が染みている。よく見ると茶色のシミがあった。昼に食べていた、醤油ラーメンのスープだ。
片腕と無事な片方の足で、なんとかアスファルトの地面を這っている。しかし、血がひたすら流れ出ていた。背中にもいくつもの傷跡がある。さっき、僕が何発も弾丸を撃ち込んだからだ。
嘘だ。
僕は声を出す事ができない。思考するのが精一杯だった。
どうして内藤君なんだ。あの子は僕らの同好会に入ってくれて、楽しそうな顔を見せてくれた。僕らと一緒にいたはずなんだ。遠藤となぜか仲良くなっていて、僕も仲良くなって、最初は僕らに怯えていたけど、そんなこともなくなっていたのに。いい子だったんだ。変異種なんて、関係ない子のはずだったのに。
「久坂君、どうしたんだ?はやく、変異種を殲滅するんだ」
当たり前のように一ノ宮博士は僕を促す。いや、一ノ宮博士にとっては当たり前のことなんだ。
でも、僕にはできない。
殲滅するって言う事はつまり、僕が、内藤君を――
殲滅と言えば、違う意味に聞こえてしまう。当然の事に聞こえてしまう。何も間違っていない、正しい事のように聞こえてしまう。それだけで自分を肯定するには十分なほどに。
でも違う。違うんだ。殲滅と言い換えているだけで、僕がやろうとしてたことは、一ノ宮博士が言っていることは――「殺す」って事なんだ。
できるわけが無い。
僕の身体は震えていた。恐怖じゃない。怯えているわけじゃない。ただ、震えていた。
ヒーローだとか正義だとか、そんな考えは頭の中から消し飛んでいた。あんなにも僕を高揚させていた言葉は、この状況になんら意味を持たなかった。
目の前で起こっていることをわかりたくなかった。目を逸らしたかった。けれど、僕の視線は内藤君に吸い込まれてしまう。
「はっ……くっ……」
苦痛の声を上げながら、内藤君は僕から逃げる。片腕で地面を這って、生き延びようと僕から遠ざかる。
僕は動けない。動く事ができない。
どうしたらいいかわからなかった。どうしようもなかった。
僕の身体は小刻みに震えていた。何に震えているのか、僕にはわからない。意思とは関係のない何かが僕の身体を震えさせといた。
「嫌だ、死にたくない……」
今にも消え入りそうな声が聞こえてくる。
「死にたくないよ、先輩……」
震えがさらに強くなった。
内藤君の傷は修復が始まっていた。肉が傷を高速で被い、出血を止ようとしている。
弾丸を打ち込まれた場所も、腕を切断されたところも、少しずつ再生している。
生きようとしているんだ。人間の身体でも、変異種の本能が内藤君を生かそうとしている。
僕がこのまま何もしなければ、内藤君は生き残る事ができるんじゃないか?
僕は希望を無理矢理見いだすように、思考する。
このまま、何もせず終わってしまえば、そして仮想空間を解除されてしまえばいいんだ。
一ノ宮博士だって、ずっと仮想空間を維持させるなんてできないはずだ。それだけ電力を喰うんだから、なるべく無駄に仮想空間を維持するのは避けたいことのはずだ。
僕が闘わなければ、仮想空間を維持することに意味はなくなる。
そうだ。僕が何もしなければいいんだ。そうすれば内藤君は生き残って――
僕の背後から、乾いた音が聞こえた。
銃声だった。
直後、内藤君の頭の一部が弾けた。血と共に、肉片が空中に飛び散る。それ以外のものも。
内藤君は一瞬、たった一言だけ、「あ」と声を上げた。そして、頭から大量の血が噴出す。
飛び散ったそれらは道路に撒き散らされた。
肉と骨。そして目玉と髪の毛。
頭の一部を失いつつも、数秒間、内藤君は動いていた。生き延びようとしていた。
しかし程なく力を失う。身体は動きを止め、地面にすべてを委ねた。身体の再生もとまり、血を垂れ流すだけだった。
内藤君が、死んだ。
僕は背後を振り向く。
そこには、銃を握っている天月がいた。
天月が撃ったんだ。
そして内藤君は頭部に弾丸を受け、死んだ。
それが目の前で起こったことだった。
「どうして!」
僕は天月に詰め寄る。
身体が勝手に動いていた。考える前に言葉が出ていた。
「どうして内藤君を!」
僕は天月の肩を揺さぶった。
天月は悲しい眼差しで僕を見つめている。とても深く暗い、憂いを込めて。
「内藤君は死にたくないって言ってたんだ!死ぬのが嫌だったんだ!生きたかったんだ!それなのに、どうして君は!」
止まらない。言葉があふれでる。
「なんで撃ったんだ!内藤君は普通の中学生だったじゃないか!僕らと同じ人間だったじゃないか!どうして、君は、君は!」
答えなんて、聞かなくてもわかっていた。
変異種は殲滅しなければならない。
天月はこれまでそういう世界で生きていていたんだ。これまでそうして生きてきたんだ。だから、今回もそうした。それだけのこと。
そして、内藤君を撃ったのは僕の代わりにやったことなんだ。
僕が内藤君を殺せないから、代わりに天月がやった。やらなければならなかったから。
ああ、わかってるさ。天月は僕の代わりにやったんだって。僕が内藤君を殺さなくてもいいようにしてくれんだって。
でも、言葉は溢れてしまう。
「内藤君は一緒に笑ってくれて、喜んでくれて、楽しんでくれて!」
僕は膝を地面についた。
「内藤君は、僕らの後輩で、仲間で、友達だったのに……」
涙はでなかった。僕がエニティレイターだから。代わりに震えていた。ずっと、ずっと。
「これが、変異種と闘うということ」
天月の言葉が聞こえてくる。
「変異種は人間なの。偶然に、覚醒因子が目覚めてしまっただけの、私達と同じ人間。けれど、時が経つにつれて思考が本能に支配されていくから、いつ暴れてしまうかわからないから、私達は変異種を殺している」
そうだ。僕もそうしようとした。迷わず、大義を掲げて、そうしようとしたんだ。
それが正義だと言って、それがヒーローのすべきことだと思い込んで。
「私達は人殺しよ。どんな理由をつけても、それは覆らない。危険だからと、なんの罪もない、偶然にそうなってしまっただけの人間を殺している」
人殺し。
ひとごろし。
ヒトゴロシ。
頭の中で言葉が響く。何度も何度も響いている。
現実味のわかない言葉。なのに、重く、重く、僕にのし掛かってくる。
「貴方の正義は幼い。だからこそ、純粋で真っ直ぐで歪みのない正義でいれる」
天月は言葉を続ける。こうなってしまったことを、後悔するように。
「貴方はエニティレイターになるべきではなかった」
僕はそれを、ただ黙って聞いている。
僕の足元に、血が流れてきていた。誰の血かは、考えなくてもわかる。
それは少し、温かみを帯びていた。それは、ほんの少し前まで内藤君が生きていたから。
「あ、ああ……」
涙は出ない。エニティレイターは泣けないから。
悲しみと苦しみが津波のように押し寄せてくる。
一気に僕の心を埋め尽くす。それ以外の感情を消し去っていく。
「ああああああああああああああああ!!!」
僕は叫んだ。
感情を押さえられなかった。
押さえられるわけがなかった。
僕の絶叫は、静かな世界に響いていく。
内藤君は死んだ。
死んだんだ。
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
僕はただ叫んだ。
そうすることしか、できなかった。