初陣 4
「逃げたな」
どこからか聞こえてくる声は、一ノ宮博士のものだ。
変異種が逃げた。それはつまり、僕達は生き残った、と言う事だ。
あまり実感がわかなかった。
けど、脱力した身体とやかましい心臓が今起こり、起こった事を告げていた。
僕は立ち上がり、走った。天月が倒れていた場所へと向かう。
本当に、天月を守れたのだろうか。
僕はそんな不安に刈られていた。
もしかしたら、変異種は天月を狙いに行ったのかもしれない。あの逃亡はカモフラージュだったら。そして、天月が襲われていたら。
敵は狼の変異種だけじゃなく、兎の奴もいた。もしかしたら、僕は体よく誘い込まれただけなのかもしれない。
もしそうだったら。僕の考えなしの行動のせいで、天月が死んでいたら。
そう思うと、走らずにはいられなかった。
路地を曲がった。
天月の倒れていた場所は大体わかる。昔、何度か通った事のあった場所だ。
もう一つさきの路地を左に行けば、そこにたどり着く。
「正直、最適化の済んでいないヴァリアント・システムでここまでやってくれるとは思わなかったよ」
声は聞こえていた。何を言っているかもわかっている。
けど、僕はそれに答える余裕は無かった。
本当に天月を守れたのか、一刻も早くこの目で確かめたかった。
「君には才能がある。ヴァリアント・システムを扱う才能が」
僕は走る。無事でいてくれ、と願いながら。あの路地を曲がれば、天月が見えるはずだ。
「変異種を倒す事はできなかったが、犠牲者も出さなかった。上出来すぎる」
路地を曲がったそこに、天月はいた。
顔を辛苦に歪めていたが、確かにそこにいた。
「久坂……君?」
エニティレイターとなった僕を見た天月は、悲しそうな声で呟いた。
その声の意味する事は大体わかる。天月は僕を巻き込みたくなかったんだ。
僕を巻き込まないために、一ノ宮博士に反論して、自分の体調を偽って闘っていたんだ。
でも僕はそれを無下にして自分から危険な状況に飛び込んだ。自分で選んでしまった。
天月からすればそれは理解できないことだと思う。
憧れを現実に感じたいからなんて、僕から見たって馬鹿馬鹿しい。
天月の元へと駆け寄る。
痛みも緊張も一切を忘れていた。ただひとつの思いが僕を支配していた。
僕は天月を抱き抱える。
そうしたかった。そこに天月がいるんだと言う、実感がほしかった。
「久坂君?」
僕の行動に驚く天月を無視して、身体を抱きしめた。
そして心の奥底からわき出る、一つの感情を口にする。
「君を守れて、本当によかった――」
僕は守れたんだ。
それだけで十分だった。
変異種に対する怖さも恐れも何もかも、この思いの前ではどうだってよかった。
死にそうな思いをしたことだって、この事実の前ではどうだってよかった。
天月が生きていてくれているという、その事実さえあれば他に何も要らないじゃないか。
天月の体温を感じる。生きているんだと実感する。守れたんだと実感する。
それだけで、僕には十分だった。
「久坂君、君さえよければ僕らの力になってほしい。君のその才能で、人類を救う英雄になってほしい」
人を救う、ヒーロー。
それは僕がなりたかったものだ。
でも今は、僕は天月を守れたという、実感だけあればよかった。
今、わかった。言葉ではなく、気持ちで理解した。
誰かを守りたいから、何かを守りたいから、だからヒーローは闘うんだ。
その手に感じる天月を、僕はさらに抱きしめた。
ああ、君を守れて、本当によかった。
こうして、僕の初陣は幕を閉じた。