衝動 4
そいつは銀色の毛で全身を覆われていた。その眼光はまさに獲物を狙う獣だ。
顔は犬と似ていて、しかしそれよりも鋭い。
不意に現れたそれは、狼のようだった。銀色の毛並みをした、狼の変異種。
この変異種は兎の変異種の仲間なのだろう。あのタイミングで天月を襲ったのは、きっと兎の変異種を助けるためだ。
二対一となってしまった。
天月がどれくらい強いのかというのは、まだ僕にはイマイチわからない。もしかしたら、変異種が一体増えたところでそんなことは全く関係ないくらい、強いかもしれない。
けど、天月は不調だ。
さっきの動きは凄かった。でも、その前に天月が的はずれな場所へと銃を撃っていた事を僕は知っている。
避けられたからではなく、照準からすでにおかしかった。ブロック塀に隠れながら見ていたから、僕の気のせいという可能性がない訳じゃないけど。
狼の変異種が兎の変異種へと視線を向けた。何かを喋っているわけではない。だが、何かを伝えようとしている。
天月が立ち上がる。そして、自分を蹴り飛ばした相手に視線を送る。その手に握られているナイフは振動を続けていた。
天月はこの状況をどう感じているのだろう。
大した事はないと思っているのだろうか。それとも、内心焦っているのだろうか。
でも、天月はそのどちらでもない気がする。
いつもどおり、平静で闘う。
多分、それができるから、さっきみたいな動きが可能なんだ。
狼の変異種が動いた。それと同時に、兎の変異種もアスファルトの地面を蹴る。
天月は超振動ナイフをその手に掴み前に出る。狼の変異種と天月の距離は瞬く間に縮んでいく。
そして、兎の変異種はと言うと、逃げ出していた。
高く高く跳んだそいつは、民家の屋根へと着地し、遠くへと跳んでいった。
二体一だったというのに、その優位性を自ら放棄した。
天月に勝てないと思って逃げたのか?
いや、でも、折角助けに来た仲間を置いて逃げるなんて、変だし。
天月がナイフを振るった。
変異種はナイフを紙一重でかわす。
そして天月の手首を掴み、握りつぶそうとする。
天月から微かに苦痛の声が漏れた。本当に微かだったが、何故かハッキリと聞こえてくる。
変異種が天月を振り上げ、そして地面へ振り下ろす。その動きは速い。
天月は空中でバーニアを吹かして体勢を整え、地面へ着地した。その足には恐らく、人間ならば骨折するほどの衝撃が加えられているだろう。だが、天月に痛みを感じている様子は無い。
エニティレイターの身体だから耐えられるのか、それとも天月だから耐えられるのか。
天月の腕から何かが飛び出した。それは凄まじい速さで変異種の手首に突き刺さる。
そのままの勢いでそれは変異種の手首を切断した。
絶叫が薄暗い街に響く。
天月を掴む手は力を無くし、落ちた。変異種の手首からは赤い血が吹き出している。
変異種も赤い血をしているんだ。
僕はそんな事を思っていた。
考えれば当たり前の事だ。ヒトも狼も、血は赤いんだから、その混合みたいな変異種の血は赤くなくちゃおかしい。
天月は苦しんでいる変異種に蹴りを叩き込んだ。
変異主の身体は先程の天月のように、吹き飛ばされる。
天月は追撃をかけようと、地面を蹴り、背中と足の裏の推進剤を燃焼させる。
すさまじい速度で変異種との間を詰めいてく。
その時、変異種が身体を回転させた。宙に浮く足で、丁度間合いに入ってきた天月に踵落しを喰らわせる。
天月は反応できず、地面に叩きつけられた。反動で少し、地面から浮く。変異種は天月を浮かすように上へと蹴り、隙だらけの腹を殴った。
天月が再び吹き飛ばされる。
変異種はすぐに天月に攻撃を仕掛けると言う事はしなかった。
自らの身体を見て、修復状況を確認している。
切断された右手首から先は、ての甲あたりまで再生していた。
傷口には、ミミズのような肉が這い、折り重なって新たな肉となっている。
その間に天月が起き上がった。少し、ふらついている。それほどまでのダメージだったのだろうか。
銃を構える手は震えていた。苦しみながら、それでも力を振り絞って構えている。
そう見えた。
「ようやく効いてきたか」
とても小さい、呟きと言う事すら躊躇われるような声が聞こえてくる。
それは僕に話しかけている訳じゃない。
誰にも聞かせるつもりのない独り言が偶然僕に聞こえてた。そんな感じだ。
ようやく効いてきた。
それは一体どういう意味なんだろうか。
天月の調子が悪いのは僕の気のせいなんかじゃなくて、しかも一ノ宮博士はそれの原因について何かを知っている。そういうことなのか。
だったらそれは何なんだ?
銃声が鳴る。だが、それは変異種へと命中することなく、ブロック塀へと直撃する。
変異種が避けたからではない。照準が合っていなかったからだ。
原因に何か心当たりがあるとすれば、天月が仮想空間に転送される前に射っていた注射くらいだ。
でも、あれは因子の侵食を抑えるためのもの、と言っていた。
詳しいことはわからない。だが、因子の侵食と言うのが避けねばならない事ならば、それを抑える薬で天月が不調になると言う事が有り得るのか?
仮にそれが副作用の産物だったとしても。
一ノ宮博士博士の言い方はまるでそうなるのを待ち望んでいるようだった。
もしかしたら、一ノ宮博士は天月がああなってしまう事を望んで、あの薬を――。
そんな事があるわけない、と僕は自分の考えを打ち消した。
もしそうだったとして、一ノ宮博士にどんなメリットがあると言うんだ。
ただ困るだけじゃないか。僕の聞き間違いだ。きっと。
何かが崩れる音が聞こえた。
そこに目をやると、エニティレイター、つまり天月が倒れていた。その周囲にはいくつものブロック塀が欠片となって飛び散っている。
「どうやら因子の侵食が限界に達しているようだ」
「侵食が、限界?」
「変異種とエニティレイターの原理は一緒なんだ。人工的に創られた『進化の系譜』を、言わば起動装置で呼び覚ます事で、エニティレイターとなることができる。その起動装置を覚醒因子と言うんだが、これがまた面倒な代物なんだ。何度も起動を繰り返す事で、その人物の身体と『進化の系譜』に刻まれている生物の境界線をなくしていく」
「それって」
「彼女の身体は今、人でなくなろうとしている。これまでは何も無い素振りをしていたが、本当は覚醒因子の侵食に苦しんでいたはずだ。その影響が、もう抑えきれないほどになっている」
狼の変異種が天月の首を掴んだ。
天月はそれに対し、ナイフで抵抗しようとするが、それは敵わない。
ナイフを握る手が緩み、ナイフは地面へと転がった。
覚醒因子の影響。ひたすら闘い続けてきたその代償。
天月は僕たちの為に闘ってくれているんだ。
僕らが変異種という、危険な存在を知らなくても言いように闘ってくれているんだ。
それなのに、どうして天月がそんな目に会わなくちゃならない?
天月が吊り上げられた。
首を締めながら、変異種は天月をブロック塀へと叩きつける。
「仕方が無い。政府に連絡して、軍隊を派遣してもらう。軍隊の準備が整うまで仮想空間は維持しておくから、君はあいつに見つからないように逃げるんだ」