衝動 1
「検査、昨日で終わったんじゃなかったんですか?」
僕は素朴な疑問を口にする。
血液と数本の髪の毛で解析は終わった、というようなことを昨日一ノ宮博士は言っていた。
「ああ、それ。嘘だよ。検査はもう必要ない」
「嘘?」
何でまた、そんな嘘を。
「一ノ宮博士」
天月が言った。
「彼にヴァリアント・システムを使用させる気なのですか?」
僕は天月が何故そんな事を言い出したのかわからなかった。
ヴァリアント・システムと言うのは、あのヒーローの姿へと変身するための腕輪をさしているんだと思う。
そして多分、一般人というのは僕だ。
「さすが、頭の回転が速い。まあ、昨日も言っていた事なんだがね」
一ノ宮博士は不快そうだ。天月に言われた事が、そこまで彼の気分を害したんだろうか。
「君の身体はもう限界だろう。隠してもわかる。その身体は確実に人ではなくなっている。因子が君という情報を書き換えている。後任が必要なんじゃないのか?君がヴァリアント・システムを使用できなくなってからでは、遅いんだよ」
「ですが、彼を巻き込むわけにはいきません。彼まで人でなくなってしまう」
「ならばどうすればいい。ヴァリアント・システムを使用できるかどうかは先天的に決まっている。一種の才能だ。不完全な適正者でさえ、発見できる確立は低い。だが、彼の適正は完璧だ。彼にヴァリアント・システムを使ってもらう以外、他にどんな選択肢があるというんだ?」
「だからと言って、彼が因子に侵食されるのを私は容認できません」
限界、後任、才能、因子、侵食。
何を言っているのだろう。僕にはわからなかった。
二人は僕の知らないことを知っていて、僕の知らないそれで、僕の何かを決めようとしている。
彼らの言う事が理解できるようになれば、僕も仲間に入れるのだろうか。
一ノ宮博士にメールで呼び出されて、僕は内心、喜んでいた。天月が居たからあまり表情には出さないようにしたけど、嬉しかった。
天月は僕をあまり変異種と関わらせたくないみたいだ。
きっと天月は、僕が危険な目に合わないように、気を使ってくれている。
特に親しくも無い僕を心配してくれている。
でも僕はこの真実をもっと知りたい。もっと関わりたい。僕の知らなかった非日常を体験したくてたまらない。
天月には本当に悪いと思う。
けれど、僕は憧れていたんだ。ずっと、ヒーローに。そんなものは存在しないと諦めて、それでも諦めきれなくて、中途半端な思いをずっと抱いていた。
けど、ヒーローはいた。正義の味方は存在した。僕の目の前に確かにそれはいたんだ。
だから、と僕は思う。
僕はその力になりたい。何でもいいから協力したい。
それが結果として迷惑にしかならなかったとしても、僕はこの状況を手放したくなかった。
「あの」
そう、それが例えどんなことでも。
僕はその力になれるのなら、どんな事だってやってみせる。
「僕、やります」
二人が何のことを言っているのか、正直僕にはわかっていない。
けれどなんとなく、僕に何かをさせたいのだという事はわかる。
それをすれば、きっと僕はこの状況をもっと知ることができる。
根拠も無いのに確信があった。
「待って、久坂君」
「よじ、じゃあ決まりだ」
二人がそう言った直後、一ノ宮博士の携帯電話が鳴った。
「失礼」
携帯電話を胸ポケットから取り出し、一ノ宮博士はそれを開いた。
たどたどしい指使いで携帯電話のボタンを操作する。
「何?」
メールの文面を読んでいる内に、一ノ宮博士の眉間にシワが寄る。
携帯で時間を確認し、さらに不快感を強めた。
「早過ぎる」
小さく呟いたその声は、十分すぎるほどに苛立ちが篭っていた。
一体何があったのだろうか。
一ノ宮博士は「まあいい」と吐き捨てると、白衣から注射器を取り出し、それを天月に投げた。
注射器の中には黒い液体が入っていた。天月はそれを受け取る。その動作に違和感は無かった。それがなんなのか、天月にはわかっているのだろう。
「変異種が出た。今すぐに君達を転送する」
君たち、ということは、僕もなのだろう。
天月は少し困ったように言葉を詰まらせたが、「了解」と言い、キャンピングカーの外へと出る。
「ああ、そうだ。君にはこれを渡しておこう」
天月の後を追って外へと出ようとした僕に、一ノ宮博士が何かを渡してきた。
それは黒い色で重量感がある。
それは天月が、黒いヒーローが使った、あの拳銃と同じものだった。
「えっと、これは」
「護身用だよ。反動が通常の物よりかなり軽減されているから、君でも問題なく扱える」
僕はそれのグリップを握った。引き金に指を当ててみる。
初めて握った拳銃は全く現実味が無くて、まるで玩具のようだった。
「安全装置が付いたままだから、使う時は外すように」
一ノ宮博士はそう言って運転席の方へ、つまり黒いカーテンの向こう側へと姿を消した。
一人取り残された僕は外へと出る。
まだ空はオレンジと青の入り混じった空をしているというのに、川原は高級住宅街の陰に隠れていて、薄暗かった。
その薄暗い中、天月が先程受け取った注射器の針を自らの腕に刺していた。
ピストンを押し、黒い液体を体内に注入している。
「天月さん、それ、何なの?」
僕は気になって、つい聞いてしまった。
「私の身体を人に留めるための薬」
「え?」
身体を人に留めるための薬?
訳がわからなかった。天月は本当は人ではない、とでも言うつもりなのだろうか。
「ヴァリアント・システムを使用し続けると、その身体は少しずつ覚醒因子に侵食されていく。その症状を抑えるための、薬」
「覚醒因子?」
「『進化の系譜』を呼び覚ます因子の事」
「それって、変異種と同じものを持っているって事?」
「ヴァリアント・システムで影響を受けるのは、この腕輪に内蔵されているエニティレイターの因子だけだから、一概にそうだとは言えないけれど」
つまり、天月の身体はエニティレイターのそれと混ざりかけている、ということなのか。
あの黒い液体は、その症状を緩和させる為の薬、ということなのか。
「一ノ宮博士はあなたをエニティレイターにするつもりよ」
その言葉に僕の鼓動は少し強くなった。
エニティレイターとは、あの黒い装甲をしたヒーローの事だ。
僕をそれにする?どうしてだ。
「けれど、私はそんな事はさせたくない。私は貴方には貴方のままでいてもらいたい」
天月は僕をじっと見つめ、淡々とそれを伝えてくる。
「だから、貴方は闘わないで。こんな、間違った正義なんて選ばないで」
「間違った正義?」
僕らの身体は白い光に包まれて、それがどういう意味なのか、聞くことはできなかった。