久坂英志 3
遠藤の家から八十歩くらい進むと自宅の前へと着いた。いつも思う事だが、遠藤と僕の家は恐ろしく近い。
「ただいま」
僕は鍵を上げ、家の中へと入った。
返事はない。父さんはまだ仕事のようだ。僕の家に母さんはいない。
母さんは僕が六歳の頃に交通事故に巻き込まれて死んだ、と父さんから聞いた。丁度その時、けれど僕にはその記憶がない。
たしか、幼稚園の頃は父さんが何処か色んな所に転勤を繰り返していたんだっけ。小さな頃、僕を育ててくれたのは、母さんだった。
母さんの事で覚えているのはいつもやさしかった事と、けれど怒ると物凄く怖かった事だ。怒った母さんは別の生き物みたいな印象だったのは覚えている。
葬式の事は一切覚えていない。もしかしたらやらなかったのではないかと疑うほどだ。
その後に引っ越してこの街にきた、というのは覚えている。幼稚園の仲が良かった友達と離れるとき、号泣したのはハッキリと思い出せた。
あの頃は性別での仲間意識は殆ど無くて、男の子でも女の子でも関係なく仲が良かった気がする。確か一番仲が良かったのは女の子だったはずだ。
もう、名前は忘れてしまったけれど、その子も特撮ヒーローが好きだった。
覚えているのはその位で、あとは殆ど記憶がない。小さい頃の記憶だから、そんなものなのかもしれない。
写真をたまに見ることがあるが、そこに写っている母さんとイメージの中の母さんは一致しない。
母さんが死んで、この街に引っ越して来てから、父さんは一人で僕を育ててくれた。
ドラマにあるような再婚の話は父さんから一度も聞いた事は無い。今でも父さんは母さんの事が好きなんだろう。
父さんは町の工場に勤めていて、確か今は現場監督を任されている、と聞いた。具体的な仕事の内容は聞いていない。どんな仕事でも、父さんが一人で働いて一人で僕を養ってくれてる事に変わりは無いから、興味は無かった。
僕は階段を上がって自分の部屋のドアを開ける。
自分のベットに倒れこむ。全身の力を抜いて、布団に身体を埋めた。
時計は四時三十分を示している。
時計から視線を外すと、フィギュアが目に入った。
それは僕が小さい頃にテレビでやっていたヒーローのフィギュアだった。昔、こっちに引っ越してきたばかりの時、まだ誰も友達らしい友達がいなかった頃、父さんに買ってもらったものだ。
――ヒーローなんてこの世にいない、か。
遠藤の言葉が頭の中で響いた。
わかってる。そんなことは。世の中の常識だ。鳥は飛ぶ、というのと同じくらい当たり前の事だ。
どんなに優しい人だって、いつでも弱い人のピンチに駆けつけられるかというと、そうでもない。というか、無理なんだ。
結局の所、良い人、悪い人なんていうのは人によって印象が違う。誰からも良い人だと思われてる人だって、正義の味方とは違う。犯罪者を防ぐ為に、何かをするわけでもない。そういうのは警察の仕事だからだ。
だから正義の味方も、きっと、いない。
けれど、だから、憧れる。
だからこそ、どこかに正義の味方がいると僕は信じている。
――ガキだよな……
自分でもわかっている。そんなことは。
だからいろんな人に蔑まれるんだろうし、それが耐えられなくて田上君は辞めたんだろう。
高校生に似つかわしくないのだ。こんな考えも、こんな憧れも。
わかっている。けれど、僕はどうしてもヒーローに憧れている。
正義を貫く生き方に、憧れてる。
僕自身が、そうでありたいから。