帰り道
「目が覚めた?」
気がつくと、僕はソファーの上で寝ていた。身体には毛布がかけられている。
すぐ近くには天月葵の顔があった。僕は驚いて飛び起きてしまう。
天月葵はそれを少し仰け反るようにして避ける。天月葵の長い髪が僕の頬に触れた。
「どうしたの」
感情の無い声が聞こえてくる。
僕は「何でもないよ」と答えた。が、内心ではかなり動揺していた。
今まであんまり女子とこんな近い距離になったことが無かったからわからなかったけど、僕は女子に対する免疫があまりないのかもしれない。
まあ、ただ単に、今日会ったばかりの男に対してなんの抵抗もなく顔を近づけてくる天月葵のせいなのかもしれないが。
「起きたのか」
黒いカーテンの向こうから一ノ宮博士がやってきた。
それをみて、ここはあのキャンピングカーの中なんだ、とわかった。
よく考えてみればあの車の中以外であるはずがない。けど、僕の頭の中はそういったことに対してあまり思考が働いていなかった。
天月葵の近すぎる距離のせいもある。けれど、一番の理由はやっぱりヒーローが本当に存在していた、というある種の感動だった。
しかも、その正体は僕のクラスにやってきた転校生で、僕の目の前にいる女の子だ。
「君は怪人とヒーローの闘いをその目で見てきたわけなんだが」
一ノ宮博士の手にはノートパソコンがあった。画面を見つめながら、僕に話しかけている。
「あれで大体わかっただろう。仮想空間、変異種、ヴァリアント・システム、そしてエニティレイターが何なのか」
「ええ、まあ」
確かに、ただ説明を聞くよりは分かりやすかった。
「ならいい。本当はまだ説明していないこともいくつかあるが、それはおいおい話すとしよう。今日の所はもう帰ってくれ」
なんというか、突き放すような言い方だった。
一ノ宮博士は、根も葉もない言い方をすれば不気味だ。無造作に伸ばされた紙と髭、痩せ細った体、大きな隈など、気味が悪い。
けれど、時折見せる不安定な感じを除けば、好意的な態度で僕に接してきていた。けど今は、もう用がないと言わんばかりに僕に帰れと言ってきている。
「久坂君を送ってやれ」
天月葵に命令じみた事を言いながらも、一ノ宮博士の視線は画面に固定されている。
天月葵はそれに対し、無表情で従う。彼女は無言でキャンピングカーのドアを開け、外に出ていった。僕もそれに続き、キャンピングカーの外へと出る。
「あの、今日はありがとうございました」
僕はキャンピングカーの中にいる一ノ宮博士に向かって御辞儀をした。
けれど、一ノ宮博士からは何の返事も無かった。
ただ聞こえていないだけなのか、聞こえていて無視しているのか、僕には判断できなかった。
あたりは薄暗くなり始めている。さっき時計を見たときは、六時半すぎだった。
僕らの他にはあまり人がいない。会社勤めのサラリーマンや、少し遅めの買い物を済ませた主婦がいるくらいだ。
生徒はというと、全くと言っていいほど見かけない。
僕達の学校は最終下校時刻が八時だ。
進学校にしてはなかなか遅くまで部活をやっていると思う。これも、校長の「部活くらいは自由に」という配慮だ。
そんな学校だから六時半という時刻は中途半端だった。部活をやってない生徒は六時までには殆ど下校するし、文化部の生徒は七時くらいまで学校にいる。運動部は八時ぎりぎりまで活動をしている。
秋川高校とはそんな学校だった。
だから、下校している生徒の姿は見えない。
僕としてはそっちの方が気が楽で、すこし安心していた。
天月葵と一緒に歩くと言うのは、なんというか、視線で疲れてしまう。
「あのさ、天月さん。いつぐらいから、闘ってたの?」
僕は家へと帰る道の途中で、彼女に尋ねた。
誰も僕達の話を盗み聞きするような人はいない。だから、尋ねた。
目の前にいるこの女の子は、僕が憧れてた、ヒーローそのものだった。
颯爽と現れ、僕を助けてくれた。
危険な怪物を倒し、人知れず世の中を守っている。
テレビに出てくるみたいなヒーローが、目絵の前にいる。
「訓練を始めたのは、七歳の頃から。実際に変異種と闘うようになったのは、十三歳の頃から。どうしてそんなことを聞くの?」
「なんでって、その……どうして正義の味方みたいな事をしてるのかなって」
言ってからもう少し違う言い方をすればよかったかな、と思った。
僕は別になんとも思わないが、「正義の味方」という言葉は普通の人には抵抗があるもの、と遠藤が前に言っていた事を思い出したからだ。
けれど、危険な敵を人知れず倒すというのは、まさに正義の味方だった。
僕の言葉を聞いた天月葵は、少し時間を置いて、口を開いた。
「正義の味方なんかじゃないわ」
その言葉には、悲しみの感情が篭っていた。
「変異種になったとしても、人は人よ。だから私は……人殺しだわ」
彼女は悲しい顔でそんな事を言う。
でも彼女は僕達のために闘ってくれているんだ。
そんな人が、どうして悲しまなきゃいけないんだろう。
「そんなこと、ないよ」
僕は気がつくとそう言っていた。
「天月さんのお陰で皆平和に暮らせてるんでしょ? 僕だって君に助けてもらったじゃないか。だったら、もしそうだとしても、絶対に間違った事じゃないよ」
もしも彼女が変異種という敵を倒さなかったら、僕は死んでいた。
もしも彼女が変異種という敵を倒さなかったら、僕達は普通に暮らせていなかったかもしれない。
彼女が闘ってくれたお陰で、僕達は普通に暮らせてる。
だから、それはきっと正しい事だ。
僕はそう思う。絶対に、そうだと思う。
「……ありがとう、久坂君」
そう言った彼女が見せてくれたのは、愁いを帯びた笑顔だった。
彼女が見せたそれは、とても可愛くて。
多分、僕の心臓が強く鼓動していたのは、女子に対する免疫が無いからとかじゃなかった。