一ノ宮博士 3
「一ノ宮博士、それは」
天月葵が口を開いた。強い口調だった。怒っているようにも聞こえた。
「適正が高いとしても、彼は一般人です。ヴァリアント・システムを使用させるのは正しい判断とは思えません」
天月君は一ノ宮博士を睨み付けている。僕はそれを見て、驚いた。朝のホームルームから今までで、こんな感情的な天月葵を見るのはじめてだった。
感情が欠落しているんじゃないかという程に、表情が変わらない。遠藤曰く、「クールで手厳しい」。そんな彼女が人を睨むなんて、思わなかった。
「僕に命令する気かい?この僕に、部下の君が。所詮、ヴァリアント・システムを使えるだけという君が、現場指揮を任されている僕に、命令するのかい?」
「命令ではありません。あくまで私個人の意見です」
二人の間に険悪なムードが流れる。
「遠回しに強制しようとしているだろう?君の言葉で僕の決定を変更させようとしているんだから。ならそれは命令しているのと同じだ。正直、気に入らないな」
「適正が高いというだけでヴァリアント・システムを使用させるのは、軽率過ぎるのではないでしょうか」
「軽率? 僕が? 何も知らないただのガキがよく言う。僕が君に指図される筋合いはない」
ちょうど一ノ宮博士そう言い終えた時、携帯電話の着信音が聞こえてきた。
曲は初期設定のままなのだろう、ベル着信音だった。一般的に、「着信音1」という名前で登録されているやつだ。
一ノ宮博士は白衣の胸ポケットから携帯電話を取り出した。携帯電話を開き、ボタンを操作する。
あまり使わないのだろうか。携帯電話を操作する指が遅い。
それから少しして、一ノ宮博士が口を開いた。
「変異種の所在が特定できた。今すぐ仮想空間に転送する」
一ノ宮博士は手に持っていた携帯電話をソファーに投げ捨てると、ノートパソコンを自分へと向けた。そして、先程の携帯電話の操作とは比べ物にならないほどの早さでタイピングを行う。
「……了解」
一ノ宮博士の言葉を聞いた天月は、感情を圧し殺すような口調だった。壁にあったレバーを下げた。僕の背後のドアが開いていく。
僕は何が起ころうとしているのかまるでわからず、ただ呆然と二人を見ているだけだった。さっきの会話だって半分も耳に入っていない。
僕はあり得ない非日常を受け入れようとするのが精一杯だった。
赤い豚、ヒーロー、同じようで違う別のどこか。
仮想空間、変異種、ヴァリアント・システム。
頭の中が整理できなくて、ぐちゃぐちゃになる。
「変異種が見つかったんだ今から天月君が殲滅に向かうんだよ」
一ノ宮博士が言った。
「そうだな、君も着いていくといい」
「着いていく?」
「そう。百聞は一見にしかず、と言うだろう。実際に仮想空間に行って、変異種をその目で見て、天月君の闘う姿を見れば、僕の言ったことが理解できるようになる」
「それは危険です。もし変異種に襲われでもしたら」
天月葵が反論した。それに対して舌打ちが返される。
――なんか、この人、変だよな。大人らしくないって言うか。
一ノ宮博士は四十代に達しているような外見をしている。寝不足で出来たであろう隈のせいでそう見えるのかもしれない。それでも、少なくとも三十代にはなっているだろう。
三十代と言うことはもう十分に社会人だ。その社会人が、女子高生に反論されただけでここまで怒るのものだろうか。怒ったとしても、ここまで不快だと言う事を表に出すものだろうか。
「現場指揮官は僕だ。何をどうするかは僕が決める」
「でもそれは」
「久坂君はどうしたいんだい?」
天月葵の言葉を遮るように一ノ宮博士が言った。
「え、僕、ですか?」
まさか話題を振られるとは思っていなかった。思考が一瞬止まる。
「ヴァリアント・システムと変異種、そして仮想空間。もう一度その目で見てみたくはないかい? 本物の正義のヒーローと悪の怪人。その闘いを見たくはないかい?」