久坂英志 1
私立秋川高校は進学校だ。
共学で下には中学校もあり、ある程度の成績さえとっていれば、エスカレーター式に上がれる付属の大学もある。
ただ、大学の偏差値は高いわけではないので、普通の生徒は高校を卒業したら他の大学へと行く事が多い。
運動部はだいたい、中の下から下の中ほどの強さ。生徒の殆どが大学受験を視野に入れているため、あまり熱心に部活に取り組んでいるわけではない。極稀にベスト16だとかベスト8のいわゆる強豪ランクまで行く事があるらしいが、僕が付属の中学に入学してからは一度も無かった。
そのほか部活、つまり文化部や同好会などはそれ以上に力が入れられていなくて、実際に活動しているのか、怪しい部も多い。それは申請さえすればどんな部活や同好会でも認められてしまうせいもあるのだが、部員が廃部ギリギリの部や同好会というのも珍しくは無かった。
ただ、毎年のように部や同好会が量産されているせいで、4月から5月にかけての新入部員獲得が後を耐えない。
挙句の果てには、それから身を守るために、昨年「帰宅同好会」なるものが設立されたくらいだ。活動内容は単純明快。「よりよく帰宅を実行する」というというもので、何もやりたくない、と言う生徒は皆、「帰宅同好会」へと入っていった。
そのせいで、部員数がギリギリの部や同好会は殆どが廃部に追い込まれようとしていた。
そして、僕達の同好会も。
「じゃあ、そういうことだから」
そう言って、田上君は軽く礼をした。
「そういうことだからって」
僕は唖然としていた。僕の手には、たった今田上君から渡された、退部届がある。僕はビックリして立ち上がった。
僕の隣には遠藤が椅子に座っている。背の部分を前にして、その上に両腕を乗っけている。
目の前には田上君。部室に来たかと思ったら、突然僕に退部届けなんてのを渡してきた。
プレハブ四階建ての部室の窓からは、中庭が見えていた。ここは最上階、つまり四階だから見晴らしもいい。中学生がドッジボールをして遊んでいる。そういえば僕も小さい頃、よくやった。大して強くは無かったけど、避けるのは自信があった。グランドではサッカー部が活動している。ゲーム形式の練習をしていた。その周り、つまりトラックでは陸上部が走っている。長距離のタイム測定をしているようで、記録の紙とストップウォッチを持った部員が、励ましの声を走っている生徒に送っていた。
いや、そんなことはどうでもよくて。
「なんで、急にまた」
何か喋らなきゃ、と思って口を開いた。今、田上君がこの部室を出て行ってしまったら、もう二度とここには戻ってきてくれないだろう。そんな気がした。
「この同好会、周りから変な目で見られるだろう?俺達、もう高校生なんだぜ」
田上君は、少し申し訳なさそうに言った。
気さくで、優しい、いい人だ。そんな田上君が退部したいと言い出すなんて、僕は夢にも思わなかった。
「さすがに恥ずかしいよ。『ヒーロー同好会』なんて」
今度も申し訳なさそうに、けれどはっきりと田上君は言った。
ヒーロー同好会。
それは僕が一人で中学の時に立ち上げた同好会だ。とにかく僕は小さい頃からヒーローが好きで、中学生になったら同好会を作ろうと決めていた。そこに同じ小学校だった遠藤、あと同じクラスの数人で、同好会を結成した。皆が退部していって、結局、中学の終わりは、僕と遠藤だけが残った。同好会がなくなりそうになり、田上君に形だけ、入ってもらっていたのだ。同好会は三人以上いないと活動が認められないから。
「まあ、確かに恥ずかしいよな。高校生にまでなってヒーローってよ」
遠藤が口を開いた。こいつには危機感は全く無い。
「結局、英志が好きでやってるようなもんだしな。田上がそう思うのもわからなくは無い。お前は幽霊同好会員なわけだし」
「遠藤、余計なこと言わないでよ」
「なにいってんだよ。田上もそう考えてるぜ」
「そんなこと」
田上君の表情は、まさにその通り、と書いてあった。
「最初の頃は別にいいかなって思ってたけど、あんなことを言われるようになってから、段々嫌になってきて」
「言われるようになったって、何を?」
「『ヒーロー同好会』の人ってさ。特に、高校から入学してきた奴から。恥ずかしいんだよ。別にヒーロー物の番組とかが嫌いってわけじゃないんだよ。ただ、知らない奴にまでそう言われるのが嫌なんだ。なんか俺も向こうに話し掛け辛いし」
つまり、ヒーロー同好会の肩書きが受け入れられなくなった、ということみたいだ。
「でもさ、ほら、人の噂も八十五日って言うし」
「英志、間違ってるぞ」
そんな指摘をする暇があったら、どうにかして田上君を引きとめようとして欲しい。
「大体よ、同好会に入るか入らないかなんて個人の自由だぜ?しかも俺たちはお願いしてる立場なんだから、文句言えないだろ」
そうは言ったって、田上君がいなくなったら同好会が無くなってしまう。
僕は何か良い言葉はないかと思考を巡らせるが、ロクな考えが浮かばない。
「大丈夫だよ。きっと、面白がって言ってるだけだからすぐ飽きるって」
なんとかひねり出した言葉は、あまりにも説得力に欠けていた。
「飽きるとか飽きないとか、そういうのを待っているのも嫌なんだ」
田上君は心底嫌そうな顔で否定した。
無意味かもしれない事でもいいから何かを言わないと、田上君はすぐにでも部室を出て行きそうだ。
「そういう人って切り無いじゃん。きっと止めても言ってくるって。だからさ、ここは負けないで」
自分で言ってて、説得できるわけがないと思った。
田上君は本当に嫌そうな顔をしているのだ。気さくでいい人の、田上君が。
「負けるとか負けないとかじゃないんだ。とにかく、そういう事だから」
田上君は僕の言葉を無理矢理切って、部室から出て行った。
残されたのは、僕と遠藤。
ドッジボールは丁度決着がついたようだ。サッカー部はもう別の練習メニューを行っていて、トラックではまだ測定が行われていた。