天月葵 1
翌日。
ぼんやりとした頭を抱え、起きた。
昨日、体験した事が気になって、あまりじっくり眠れなかったのだ。
階段を下りてリビングへ行くと、若干酒臭かった。僕が布団に入った、父さんは一人で酒を飲んでいたようだ。
台所にはビールの空き缶がいくつもあった。父さんが酒を飲む事はあまりない。やっぱり、仕事がつらいのだろう。
父さんは七時くらいに家を出る。今は七時十五分だ。僕はいつも八時過ぎぐらいに出ている。家と学校が近いからだ。
僕は朝食のパンをトースターで焼き、それにバターを縫って食べた。
リビングに置いてあった父さんの作ってくれた弁当をかばんに詰め、身支度をする。
テレビでは、どこかの田舎で集団失踪事件があったと告げていた。物騒な世の中だ。昨日見たような怪人がいなくたって、十分に。
時計を見ると七時四十五分。
いつもよりも早い時間だったが、僕は家を出た。
住宅街の入り組んだ道を抜けて、大通りに出る。その途中で遠藤と会った。会った、というよりは遠藤が追いかけてきた、というのが正しいかもしれない。
「よう、英志。今日は早いな」
若干息を切らせながら、遠藤は喋る。
「今日、俺たちのクラスに転校生が来るんだぜ。知ってたか?」
「転校生?」
「そう。転校生。どんなヤツかな。可愛い女子だったらいいな」
にやにやした顔をしている。頭の中では何を考えているのだろう。
「あのさ、ウチの学校は転校生の受け入れってやってないんじゃないの?」
僕達の通っている秋川高校は進学校で、外部からの編入は行っていないはずだ。
「それに、今は五月だよ? こんな時期に転校っておかしいでしょ」
「そこは家庭の事情ってやつじゃねぇの。物凄く頭のいいヤツだったら、ウチの学校みたいなとこでも特例で編入させる事があるかもしれない」
「そうかなぁ」
何でこいつは学校にも着いていないのにこんなことを知っているのだろう。
僕は交友関係が広いわけじゃないが、極端に少ないわけでもない。
遠藤は「転校生がやってくる」なんて情報を手に入れたら、即座に周囲にばら撒くヤツだ。それなのに、僕は今、この瞬間まで転校生がくる、という事を耳にした事が無かった。という事は、昨日、僕が遠藤の家から帰ってから手に入れた情報なのだろう。
それが遠藤の妄想じゃなければ。
「お前、俺を信じろって。俺は嘘をつかない男だぜ。神に誓ったっていい」
「さらに信じられなくなった。転校生の情報って、誰から聞いたのさ」
「情報源か。教えてほしいか?」
「少し気になる」
僕の言葉に対して、遠藤はしっかりとタメを作って言った。
「それは、秘密だ。言ったら殺されちゃうからな」
ちょっと殴りたくなってしまった。
横断歩道を渡ると、僕達の通う学校が見えてきた。
僕の家から徒歩にして十五分。多少入り組んだ道を抜け大通りを突き進めばつく。間には横断歩道が一つあるだけ。
物凄く近い。
校門をくぐると、右手にグラウンドが見える。その周囲には400メートルトラックがある。その向こう側にはプレハブ四階建ての部室棟。校門からの道を真っ直ぐ進んだ先には、校舎。左手には校舎と繋がった建物がある。それの一階は体育館で、二回は食堂。三階はプールと言う、微妙な構造になっている。十年前に改装工事をしたらしく、比較的校舎は新しい。グラウンドは人工芝だ。結構値の張る材質のようで、かなり状態がいい。週に一度、手入れも行っているらしい。
校門から下駄箱までの道の間には、僕達以外にも何人かの生徒がいた。中にはカップルもいる。グラウンドではサッカー部と野球部が朝連をしていた。
「まあ、情報源はともかく、こいつはチャンスだぜ」
「チャンス? 何の?」
「馬鹿だなぁ。ヒーロー同好会だよ。あと一人分埋めなかったら、俺たちの同好会はなくなっちゃうんだぜ。忘れてたわけじゃないだろ?」
「あっ」
正直忘れていた。
昨日は怪物に殺されそうになったりヒーローに会ったり、遠藤から借りた映画を見たりと、別の事が忙しくて、記憶から押し出されてしまっていた。
遠藤は呆れたようにため息をつく。
「俺がこんなにも協力的な姿勢を示しているのに、久坂君はどうでもいいと思ってたんですか。ああ、ショックだ。とてもショックだ。英志がそんなやつだったなんて思いもしなかった」
「悪かったよ。昨日は別の事で頭がいっぱいで」
「赤い豚とヒーロー様の事で頭がいっぱいだったのか? ふざけんな、現実を見ろよ。俺はお前をそんな弱い男に育てた覚えは無いぜ」
「遠藤に育てられた覚えは無いよ」
「まあな。俺も育てた覚えはねぇ」
「自己完結はやめろよ」
「ともかくだ。転校生が男にしろ女にしろ、俺たちの同好会の悪評はまだ耳に入っていないはずだ。他のゴミ虫どもが集る前に、俺たちが奪ってしまえばいいんだよ。同好会は三人になって、お前は幸せだ。いいことしかない」
「そんなに上手くいくとは思えないけど」
世の中、そんなには甘くない。思い通りに物事が運ぶなんて事はまず無い。なのに、遠藤は自信に満ち溢れた顔でこう言った。
「俺に任せろ。なんとかする」
正直、あまりいい予感がしなかった。