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神様だ! 神力ゼロですが  作者: 狛猫
第1章「ひのひの村」
9/10

#01-09「友達として接して欲しいな」

翌日。


病室の窓から差し込む昼が、白いシーツの上を静かに照らしていた。機械の音だけが一定の間隔で鳴り、点滴の雫も規則正しく落ちていく。


その中で、少女は祖父の手をそっと包み込むように握っていた。


「おじいちゃん……お願い、頑張って……」


昨夜から、何度も何度も繰り返してきた言葉だった。


けれど返事はない。胸が上下しているのを見て、まだここにいるのだと確かめるしかない。握っている手は冷たくないのに、どこか遠かった。すぐそばにあるはずなのに、どうしても届かない場所へ行ってしまいそうな、そんな不安だけが胸の奥に澱のように溜まっていた。


そのとき、病室の扉が控えめに叩かれた。


とん、とん。


「はい、どうぞ」


返事をすると、引き戸ががらがらと開く。


立っていたのは、見覚えのない男だった。


祖父より上にも下にも見える、不思議な顔立ちだった。背は高く、落ち着いた立ち姿をしている。ただ立っているだけなのに、病室の中で妙に存在感があった。


「にょろにょろ神社の宮司の部屋はここで良いのか?」

「そうですが、祖父のお知り合いの方ですか?」


男は少し言いよどむように頭を掻いた。


「あ〜、何というか……神社の方から来た」


その曖昧な言い方に、少女は一瞬だけ眉を寄せた。けれど次の瞬間、脳裏にひとりの姿が浮かぶ。


「……もしかして、神様のお知り合いの方ですか?」

「なんだ、あいつを知っているのか」


その返しだけで十分だった。


「はい」

「じゃぁ話は早い。うご山神社の主神だ」

「うご山……?」


うご山神社の名は少女でも知っている。この辺りでは一番大きく、位も高い神社だ。その主神が、どうしてこんな病室へ来るのか。話が大きすぎて、すぐには頭が追いつかない。


戸惑う少女をよそに、主神は遠慮なく病室の中へ入ってきた。


「ちょっと入らせてもらうぞ」

「あ、あの……」


止める暇もない。病病室の中へその人が入った途端、空気が少し張ったように感じた。


主神はベッドの上の宮司を見下ろし、小さく息をつく。


「なるほどな」


それから少女のほうへ顔を向けた。


「さてと、娘よ。少し下がっていてくれ」

「?」

「これから、このじいさんを助ける」

「えっ!?」


少女の思考が、一瞬止まる。

だが主神はもう説明を終えた顔で、宮司の枕元へ歩み寄っていた。


「では、いくぞ」


その指先から、やわらかな光が滲んだ。


ぽわっ、ぽわっ、と淡い光が掌のまわりに灯る。まぶしいわけではない。けれど病室の白い明かりとは明らかに違う、どこか温度を持った光だった。


「久しぶりだから腕が鈍っていないと良いが」


軽く言ったわりに、その目は真剣だった。


光は静かに揺れながら、宮司の身体へ吸い込まれていく。小さな灯がいくつも重なり、白い病室を淡く照らした。機械の音は変わらない。点滴の雫も同じように落ち続けている。それでも、さっきまでとは何かが違うように思えた。


「よし、これで大丈夫だろう」


あまりにもあっさりした言い方だった。

まるで、ほんの少し乱れていたものを整えただけだ、とでも言うみたいに。


それだけ言うと、主神はもう用は済んだと言わんばかりに背を向けた。


「じゃぁワシは帰る」

「え? あ、あの!」


慌てて呼び止めると、主神は出口のところで振り返った。


「なんだ?」

「一体何を……?」


問いかける声は、自分でも分かるほど頼りなかった。


「その者の生命力を高めただけだ。時期に目覚めるだろう」

「えっ?」


たった今この目で見たはずなのに、現実としてうまく飲み込めない。

けれど嘘ではなかった。あの光も、空気の変化も、何より主神の揺るがない口調が、それを否定させてくれない。


主神はふっと鼻を鳴らした。


「腐れ縁のバカ神から頼まれたのでな」


少女の目がさらに大きくなる。


「それって、神様のことですか?」

「昨日の朝、ワシの所に来てな。お前のじいさんを助けろと」

「神様が!?」


思わず漏れた声は、自分でも驚くほど大きかった。


頭に浮かぶのは、あの神様の顔。ふてぶてしい態度。口の悪さ。だらしないジャージ姿。神様なのに神様らしくない、あの少女が――自分の知らないところで、こんなことをしていた。


「なんで神様がそんなことを……」


半ば独り言のような問いに、主神は少しだけ目を細めた。


「神に願い事をしておいて、変なヤツじゃな」


その言い方は乱暴なのに、不思議と棘がなかった。


少女は唇を噛む。


「でも、私……神様に酷いことを」


昨日、自分がぶつけた言葉が、そのまま胸の奥から蘇る。お守りを叩きつけた音まで、はっきり思い出せた。あのときの神様は、何も言い返さなかった。


「飯でも作ってご馳走してやれ。あいつは大抵それで何とかなる」


少女は思わず目を瞬かせる。


その、いかにも神様が喜びそうな答えを聞き、泣きたいのか笑いたいのか、自分でも分からなくなった。

言葉の代わりに、胸の奥が熱くなる。


「それと、そのじいさんの目が覚めたら、うご山神社の宮司として迎えたいと伝えておいてくれ」

「?」


話が急に飛んで、少女はきょとんとする。


「じいさんの命を助ける。じいさんの再就職先を斡旋する。そう約束した」

「そんなことまで……」


声がほとんど息になる。

自分で気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。


「あのバカの前でそんな暗い顔を見せるなよ? あいつはそういうのが一番苦手だ」


少女ははっと顔を上げた。


そして、ゆっくりと、こくりと頷く。


主神は少しだけ視線を逸らし、頭を掻いた。


「だから、あいつの前では明るく笑っていてやってくれ……って何言ってんだワシは」


その不器用さが、かえって本音に見えた。

少女の目に、また熱いものが込み上げる。

けれど今度は、悲しみだけではなかった。


「じゃぁな。あいつとの縁は絶対に切るなよ」


少女は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」

「だから礼はあのバカに言え」


そう言って、主神はほんの少しだけ口元を緩めた。


「じゃぁ……そうだな、また会おう」


がらがらと引き戸が開き、その姿は廊下へ消えていった。


扉が閉まったあともしばらく、少女はその場を動けなかった。


病室の白い静けさは変わらない。機械の音も、点滴の雫も、ついさっきまでと同じはずだった。それなのに、ほんの少し前までとはまるで違う世界みたいだった。


視線を落とせば、祖父は変わらず眠っている。

けれど、さっきまで感じていたどうしようもない遠さが、ほんの少しだけ薄れていた。


少女は祖父の手をそっと握り直す。

そして、小さく笑った。


あの神様に、何と言えばいいのかはまだ分からない。

けれど、今すぐ会いに行くべき相手がいることだけは、もう迷いようもなかった。



昼を少し過ぎたころ、にょろにょろ神社跡の駐車場には、相変わらずどうにも締まらない空気が漂っていた。


白線の引かれた広い地面の隅に、ブルーシートを広げて作った仮の根城がぽつんとある。神域というにはあまりに味気なく、どちらかといえば間に合わせの避難所に近い。


その真ん中で、いつも通り神様の不満だけがよく響く。


「お前さぁ〜、コンニャク以外の物を買ってこいよ!」


文句とほぼ同時に、隣にいた神使の脚へ神罰が飛ぶ。


「痛っ」


脛を押さえながらも、神使の顔にはもう慣れきった諦めしか浮かばない。


「付近にコンニャク屋さんしかお店がないんですから我慢して下さい」

「だからって三食こんにゃくはないだろ!」

「文句があるなら、神様の分も私が食べますが」


身も蓋もない返答だった。

神様はぐぬぬと唸るものの、現実が変わるわけでもない。そんな、どうしようもなく生活臭い押し問答の最中だった。


「神様!」


不意に飛び込んできた声に、二人そろって動きを止める。


振り向いた先に立っていたのは、少女だった。


「少女さん?」

「ん? 少女ちゃん? って!」


神使が目を丸くし、神様も反射的に顔を上げる。


病院へ向かったときとは、少し違う顔をしていた。

泣きはらした痕はまだかすかに残っている。けれど昨日のような、張りつめた痛々しさはもうなかった。代わりに、ここまで来て、きちんと何かを伝えようと決めてきた人の顔をしている。


その顔を見た途端、神様が一瞬だけ固まる。

と思った次の瞬間には、妙に慌てたように立ち上がっていた。


「あっ、ごめん! すぐこの町から出て行くから」


少女が口を開く前に、神様はさらにあたふたと続ける。


「分かった! 今すぐ片付ける! ほらクソ犬! ブルーシートどかせよ!!」


ついでのように神罰まで飛ぶ。


「痛っ」


脛を押さえる神使をよそに、少女は慌てて首を振った。


「違う!!」


その一声には、さっきまでのしどろもどろが嘘みたいな勢いがあった。


ぴたり、と空気が止まる。


「?」


神様がきょとんとする。


勢いよく否定したところまではよかったものの、その先の言葉はすぐには出てこないらしい。少女は胸の前で指をぎゅっと組み、視線を少し泳がせた。


「違うの……その……」


うまく言えない。

何から言えばいいのか、自分でも分からない。そんなためらいが、そのまま口元に出ていた。


目の前で首を傾げる神様の顔を見て、ようやく腹を括ったのだろう。小さく息を吸い込んでから、少女は勢いよく頭を下げた。


「……あ、ありがとうございます! それとごめんなさい!」


あまりに真っ直ぐで、逃げ場のない謝罪だった。


受け止める側の神様は、すっかり置いていかれた顔になる。


「え? なに? どしたの?」


間の抜けた返しだったが、少女のほうはもう目を逸らさなかった。


「さっき、うご山神社の主神さまに会って……」

「うごうご? アイツに会ったの?」


神様の声が素で裏返る。

その反応が少し意外だったのか、少女は一瞬だけ瞬きをした。それでも頷いて話を続ける。


「今日の朝に病室へ来て……」


そこまで聞いたところで、神様は露骨に顔をしかめた。


「あいつが人前に現れるなんて珍しいな。どうせ私の悪口でもほざいてたんでしょ」


少女はすぐに首を振る。


「そんなことない」


迷いのない否定だった。

その否定の強さだけで、軽い話ではなかったと分かる。


少女は言葉を探すように続けた。


「私……神様に失礼なことを言って……どうしよう……」


昨日、自分がぶつけた言葉を思い返しているのだろう。後悔がそのまま滲んだ声だった。


神様は一瞬だけ視線を逸らし、それからわざと軽く言う。


「本当のことだし、気にしなくても大丈夫よん」


いつものように、深刻さを茶化して薄める言い方だった。

それでも少女は、もうその言葉に流されなかった。


「おじいちゃん、容体が安定して来週には退院できるって」


その報告を聞いた瞬間、神様の顔からふっと力が抜けた。


「そう。よかった」


短い返事だった。

けれど、その一言にはごまかしがなかった。ただ本当に安心したのだと分かる声音だった。


少女はその顔を見つめたまま、さらに続ける。


「おじいちゃんの再就職先も、神様が斡旋してくれたって」


神様は鼻の頭を掻く。


「あ〜、うご山神社は神主不在で派遣の巫女しかいなかったからね」


あくまで、ついでみたいな口ぶりだった。

けれど、そうやって何でもないことみたいに言うから、かえって不器用さばかりが目立つ。


「ありがとうございます、神様」


まっすぐそう言われると、今度は神様のほうが少し困った顔になる。


「いや、私は何もしてないんだけど……」


そう言いながらも、胸を張るにはほど遠い。


少女はそこでいったん言葉を失った。

けれど、ここで黙ってしまうために来たわけではない。そう決めてここまで来たのだ。短い沈黙のあと、ようやくその続きを口にした。


「その……料理作ったんだけど、食べに来て……もらえないでしょうか」


最後の方は少し尻すぼみになった。

それでも、その誘いがどういう意味を持っているのかは十分すぎるほど伝わる。


神様の顔が、一気に明るくなる。


「うそ! いいの?」

「はい、ぜひ来て下さい」

「行く行く!」


返事が早い。というより、ほとんど食い気味だった。


「コンニャク飽きちゃってさ〜」


横から神使が間髪入れずに差し込む。


「ダメですよ神様、そんな失礼なことを言っちゃ」

「うるさいよ腐れ犬ころ」


言い返しながらも、神様の機嫌はもう完全に上向いていた。神罰を飛ばしそうな顔をしているくせに、足元だけはうれしさを隠しきれず、ぴょこぴょこと落ち着きなく弾んでいる。


少女はそんな神様を見て、それから改めて深く頭を下げた。


「本当に……ありがとうございます」


そのお礼に、神様は少しだけ目を細めた。

それから、なんでもないことみたいに言う。


「ねぇ、敬語はやめて?」


少女が顔を上げる。


「友達として接して欲しいな」


その一言は、さっきまでの賑やかな調子とは少し違っていた。照れ隠しは混じっているのに、言っていることだけは妙に真っ直ぐだった。


少女の目が揺れる。


「……うん。ありがとう」


ぐす、と小さく鼻を鳴らしながらも、今度はちゃんと笑って返した。


その笑顔を見た神様が、ふっと息を吐く。


「泣くより笑っていた方が良いと思うよ?」


少しだけ間を置いて、続ける。


「私はそっちの方が嬉しい」


その言葉に、少女はもう一度頷いた。


「そうだね」


今度の笑顔は、さっきより少し自然だった。


空気が少しやわらいだところで、神様が思い出したように懐を探る。


「はい」


すっと差し出されたものに、少女がきょとんとする。


「?」

「携帯。ラインやってる? ふるふるしよ?」


少女は一瞬だけ黙った。

それから、おかしそうに口元を押さえる。


「うん」


答えが返るや否や、神様は満面の笑みになる。


「やった! 二人目だ!」


勢いよく携帯を振る。

ふるふる、ふるふる、と本気で振っている。


少女はついに吹き出した。


「神様? ガラケーじゃ、ふるふる出来ないと思う。 というか、その機能もうない」

「…………」


神様の手が止まる。

だが、そこで諦めきれないのが神様だった。もう一度だけ、小さく試すように振る。


ふる。


何も起きない。


風だけが、何食わぬ顔で駐車場を吹き抜けていった。


横で見ていた神使は、そっと目を逸らした。笑ってはいけない。だが、口元がもうほとんど駄目だった。


神様は無言でガラケーを見つめ、それから、ものすごく気まずそうに顔を上げる。


「……じゃあ、番号教えて」


その敗北感に満ちた言い直しがあまりにも神様らしくて、少女はとうとう声を立てて笑った。

その笑い声が、昨日までひどく寒々しかった駐車場へ、やわらかく響いた。



食事を終えたあとの居間には、満腹のぬくもりがまだゆるく漂っていた。


こたつの上には空になった皿や茶碗が並び、さっきまで立ちのぼっていた湯気も今は薄い。窓の外はもう夕暮れを過ぎ、障子越しの光もすっかり消えていた。そんな中で、いちばん満足そうなのは言うまでもなく神様だった。


「いや~、ご馳走様!」


腹の底からそう言って、こたつへだらりともたれかかる。食べた、満たされた、もう動きたくない――その全部が顔に出ていた。


向かいに座る少女の頬が、その様子につられるように少しだけゆるむ。


「お粗末様でした」

「やはり温かいご飯は美味しいですね」


しみじみとした神使の声に、少女は急須を手に立ち上がる。湯呑みへ静かにお茶を注ぐ音まで、どこか落ち着いていた。


「お茶です」

「ありがとうございます」

「神様はコーラで良い?」


少女がそう尋ねると、神様の顔がぱっと明るくなった。


「分かってるね~」

「はい」


キンキンに冷えた缶を受け取るなり、嬉々としてプルタブを開け、そのまま喉を鳴らして半分近くまで一気に飲み干す。


「あ~、美味しい~」


満足げに息をついた拍子に、小さくげふっとやる。


途端に刺さるような視線が飛んできた。


「神様?」


その声音だけで、何を言いたいのかは十分伝わる。神様は面倒くさそうに片眉を上げた。


「分かってるよ、下品なんだろ」

「それもそうなのですが……」


神使はそこで言葉を切った。


いつもの流れなら、そのまま小言が続くはずの間だった。だが次に落ちてきたのは、まるで別の種類の話だった。


「明日、ここを離れることになりました」

「え?」「え?」


少女と神様の声が、ほとんど同時に重なる。


さっきまでこたつの上をゆるく流れていた空気が、その一言でぴたりと止まった。


少しだけ居住まいを正しながら、神使は続ける。


「先ほど神宮から連絡がありまして」

「ずいぶんと急だな」


神様が、まず不満そうに眉を寄せる。

そう言ってから、今度は別方向へ不満を向けた。


「っていうか、私にはそういう連絡って来ないの?」


返事はなかった。


その沈黙だけで、もう十分だったらしい。じとっとした視線を向けられても、あえて湯呑みに口をつけるふりをする。少女はそんな二人を見比べながら、戸惑いを隠しきれない顔で口を開いた。


「まだこっちに来てそんなに経っていないですよね?」

「ええ」


静かに頷いたあと、神使はほんの少しだけ声をやわらげた。


「今後のこともありますし、おじいさまが退院するまでは残りたかったんですけどね」


事務的な報告の形をしていても、本音は隠しきれない。神使自身も、こんなふうにあっさり区切られるつもりではなかったのだろう。


その横で、神様はコーラの缶を指先でくるくる回していた。さっきまであれほど上機嫌だったのに、今はその手つきだけが妙に落ち着かない。


「後は神宮の方で何とかすんでしょ。私達よりは役に立つはずだし」


投げやりなようでいて、その一言にはわずかな棘が混じっていた。

自分たちがここで出来ることには限りがある。その現実を、神様自身がいちばんよく分かっているからこその言い方だった。


「神様……」


少女の声は小さい。

引き止めたい気持ちも、何か言いたいのにうまく言葉にならないもどかしさも、その短い呼びかけの中に混ざっていた。


けれど、それをまともに受け取るのは気恥ずかしかったのか、神様はわざとらしく胸を張る。


「少女よ、私との別れは辛いであろう……しかし私は少女の今後を影ながら―――」


最後まで言わせてもらえなかった。


「私、高校卒業したらおじいちゃんの後を継ぐ!」


勢いよく飛び出したその言葉に、今度は神様のほうが固まる。


「はい?」


間の抜けた声だった。


少女自身も、少し勢いに背中を押されたところはあったのかもしれない。だが、言ってしまったあとに揺れはなかった。むしろ、口にしたことでようやく自分の中でも形になったような強さが、その目の奥に宿っていた。


神主かんぬしさんってどうやったらなれるの?」

「…………」


いつもならすぐ何か返すはずなのに、珍しく言葉が出てこなかった。先に口を開いたのは神使だった。


「確か、専門の養成機関や大学などがあるようですが」

「え? そうなの?」


きょとんとしたのは、なぜか神様の方だった。


神使が怪訝そうに神様を見る。


「神様、知らないんですか?」

「だって神宮の玄さんなんか、草野球やっているときに宮司に誘われたって言ってたぞ?」

「それは……」


さすがにその例を一般論にはできないと分かっているのだろう。神使が言葉に詰まる。


そこへ、少女が本気で考え込んだ顔を向けた。


「野球できないとダメ?」


その問いに、神様は即座に首を振る。


「いや、二年前入ったB夫は神宮に来る前はハッカーしてたって言っていた」

「それ大丈夫なんですか……」


神使の声が本気で引いていた。


少女はますます真剣になる。


「神宮に入るには一芸がないとダメなの?」

「違います」


きっぱりと神使が否定する。


「神宮は由緒正しき場所です。寄せ集め集団ではありませんので」


それを聞いて、神様が肩をすくめた。


「まぁ少女ちゃんなら“なりたい!”って言えばなれるんじゃない?」


あまりにも雑な励ましだった。けれど少女は、その投げっぱなしの言葉すら真面目に受け止めたらしい。


「そうなの?」


そこで神使が現実的な補足を入れる。


「おじいさまが神職ですし、推薦状があれば養成所に入れると思います」


その返答に、少女の目が少しだけ明るくなる。


神使はさらに思い出したように続けた。


「そうだ、神様が推薦状を付けてあげれば今からでも間に合うんじゃないですか?」

「え~、私の推薦状なんか意味ないだろ」


露骨に顔をしかめる神様に、神使がなおも食い下がる。


「一応は神ですし……その位は……」

「いや、絶対無いと思う。逆効果になる可能性の方が高い」


そこまで断言されると、神使も頷くしかない。


「それもそうですね」

「そこは否定しろよ」

「痛っ」


神罰が飛ぶ。


脛を押さえる神使の横で、少女が少しだけ笑いそうになった。けれど、次の問いがその空気を少し落ち着かせる。


「少女さんは高校卒業されたら、本当はどうするつもりでいたのですか?」


質問の温度が少しだけ下がる。


少女の視線が、膝のあたりへ落ちた。


「おじいちゃんの神社のお手伝いをと思っていたんですけど……」

「あ~……でも、もう神社無いしね……」


最後まで言い切る前に、神様がぽつりと拾う。


「うん」


その短い返事には、もう涙こそ滲んでいないものの、喪失の重さはまだしっかり残っていた。


神使は慎重に続ける。


「でも神職になるだなんて、おじいさまがなんて言うか」

「それは関係ないんじゃない? 少女ちゃんの人生だし」


軽い調子に聞こえて、その実、言っていることは真っ直ぐだった。

神使も、それには素直に頷く。


「そうですね。 少女さんが神職になる頃には、“にょろにょろ神社”も復興されているはずですし」

「でも、復興には凄くお金がかかるみたいで」

「神宮が復興費用を出す」


さらっと言ったのは神様だった。


「再建までには何年かかかると思うけど」

「えっ?」


少女が息を呑む。


「話はついています。近いうちに神宮から復興に関する連絡があると思いますので」

「そんなことまで……」


驚きのあまり、声が少し掠れる。


神様は気にするなと言わんばかりに手をひらひらさせた。


「それが私達の仕事だから。気にする必要ナッシング!」


その言葉に、少女は唇を引き結ぶ。

嬉しいのか、申し訳ないのか、感謝しているのか、自分でも整理しきれない顔だった。


しばらくその顔を見てから、神様がふいに問いかける。


「でも、神主になるなんて……本気?」


少女は迷わなかった。


「うん。絶対揺るがない」


その返事だけは、今日いちばん力強かった。


神様は黙ってその顔を見つめ、それから視線を外し、ぶっきらぼうに言う。


「そう……まぁ、好きにしてちょ」


雑なようでいて、それが神様なりの認め方なのだと分かるくらいには、もう三人は互いの癖を知っていた。


そのあとに残った静けさは、重たい沈黙ではなかった。

何かがようやく決まったあとにだけ落ちてくる、少し落ち着いた静けさだった。

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