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神様だ! 神力ゼロですが  作者: 狛猫
第1章「ひのひの村」
6/10

#01-06「お見舞いのメロン、自分で食べるんですか?」

電車は規則正しい揺れを繰り返しながら、冬の深い谷間を抜けていった。


レールを刻む音だけが、がたんごとん、と単調に車内へ響いている。日曜日の昼前だからか、始発駅だからか、それとも元々利用者が少ない路線なのか――車内に他の乗客の姿はなかった。窓の外を流れていく景色ものんびりしたもので、低い家並みの向こうに、冬らしく乾いた空が広がっている。


そんな静けさの中で、ひとつだけ妙に規則正しい動きがあった。


「……すぅ……すぅ……」


神様の頭が、前へ落ちては戻り、また落ちては戻る。

かっくん、かっくんと、いかにも気持ちよさそうに舟を漕いでいた。


その様子を横目で見た少女は、思わず小さく苦笑する。


「なんか、神様って全然神って感じしませんね」

「お恥ずかしい限りです」


返ってきたのがあまりに即答だったので、少女はまた少しだけ笑う。


「でも、本物なんですよね?」

「神力がゼロで姿も見えてますけど、間違いなく神籍を持った神宮の神ですね」


言い方は淡々としている。けれど、その中に冗談めいたところはまったくなかった。


「なんだか不思議」


ぽつりと漏れたその言葉は、窓の外へ向けた独り言みたいでもあった。


目の前にいるのは、清楚なワンピースを着て、口を半開きにしながら眠りかけている女の子でしかない。けれど、その正体は神だという。しかも、一番社位が高いとされる神宮かみのみやの神だ。人の物差しだけで測ってはいけないのだろうが、それでも少女には、神という存在がずいぶん身近なものに感じられた。


「私もそう思います」

「神使さんもそう思ってるんですか?」


思わず少女が目を丸くする。神様の使いである神使の口から出るには、あまりに率直な言葉だった。


神使は少しだけ頭を掻いた。


「私は神宮に三年前に赴任したのですが……初めて神様にお目にかかったときは、さすがに驚きました」

「驚いたって?」

「巫女の格好でお守りを売っていたんです。しかも他の巫女さんに混ざって」


少女は一瞬、その光景を想像してしまった。神様が授与所で参拝客を相手に、巫女たちの輪に混ざってお守りを差し出している姿。しかも下手をしたら値引き交渉までしていそうで、危うく吹き出しそうになる。


「ふふっ。 他の神は、そういったことはしないんですか?」

「そうですね。特に神宮の神は、神の中でも特別ですから」


神使の声音が、少しだけ真面目さを増した。


「普通に会話をすること自体が、あり得ないくらいです」

「へー……」


少女は改めて、眠そうに首を揺らしている神様を見た。


「そんなすごい神とはとても思えないですね」

「……ええ」


否定しないあたりが、余計におかしい。


そのときだった。


「……ん~……」


こてっ、と神様の頭が横へ傾ぐ。

そのまま少女の肩へ、重みが預けられた。


「あっ」


ほんの小さく声が漏れる。

向かいにいた神使は、すぐさま身を乗り出した。


「神様? 少女さんに寄りかかっちゃダメですよ?」


肩を軽く揺すると、神様は、んぁっ、と間の抜けた声を漏らしながら目を開けた。


「……あー、ごめん」


まだ半分夢の中にいるような、ぼんやりした声だった。


少女は首を横に振る。


「気にしないで」


神様は焦点の合いきらない目で周囲を見回し、それから眠たげなまぶたをこすった。


「ん〜……あとどのくらい?」

「次の駅かな」


少女が答える。

神様は小さく頷いてから、大きく息を吸い込んだ。


「そう。ふあぁぁ~~……」


遠慮のかけらもない大あくびが、静かな車内を少しだけ揺らす。


「神様? 人前でそんな大あくびなんて、はしたないですよ?」

「いちいちうるさいなぁ」


眠気の抜けきらない顔のまま口を尖らせると、神様は助けを求めるように少女のほうを見た。神使に咎められたときだけ都合よく味方を探すあたり、実に神様らしい。


「少女ちゃんも何か言ってやって」


不意に話を振られた少女は、ほんの少しだけ考えるように目を伏せた。けれど迷ったのは一瞬だった。


「私も神使さんと同じ意見かな」


その言葉が落ちた途端、神様はぴたりと動きを止めた。


まるで当然こちら側につくものと思っていた相手から、ためらいなく塩を投げつけられたような顔。眠たげにゆるんでいた目がみるみる見開かれ、口までわずかに開いていく。そのあまりに率直な驚き方が、かえって子供じみていて可笑しかった。


神使は目元だけでわずかに笑い、少女も思わず口元を押さえる。


そうしているうちに電車は速度を落とし、ほどなく三人を降車駅へと運び入れた。



駅から少し歩いた先に、その病院はあった。


白く大きな建物が冬の光を受けて、やけに無機質に見える。

人の出入りも多く、救急車の待機スペースや駐車場まで含めれば、この辺りでは頭ひとつ抜けて規模が大きいことがひと目で分かった。


「でかい病院だなぁ」

「ここら辺では一番大きい病院だと思う」


神様がきょろきょろと辺りを見回す。白衣はくい姿の医師や看護師、面会に来たらしい家族連れが出入りしている。


「あっ、看護師さんだ。ナース服かわゆい」

「神様? あんまり恥ずかしいことはしないで下さいね」

「わかってるよ。なんだよその言い方」


不満そうに言い返しながらも、視線はまだ看護師のほうに向いたままだ。神使は深々とため息をつく。


自動ドアの前まで来たところで、ふと思い出したように神使が言った。


「そこの売店で、お見舞いの果物でも買っていきましょう」

「あっ、気になさらないで下さい」

「いえ、そういうわけには」


もっともな返答が続くかと思いきや、その横から神様が売店を覗き込みながら口を挟んだ。


「私はあの大きい網々のメロンが良い」

「神様が食べるものじゃないんですけど……」


売店の果物売り場には、たしかに立派なメロンがいくつも並んでいた。病院の売店らしく値段もなかなかのもので、いかにも“お見舞い用”という顔をしている。


「でもあれ、絶対美味しいって。あれ食べたい」

「目的が違います」


少女はそんな二人のやり取りを見ながら、小さく苦笑した。


ここへ来るまで頭の中にあったのは、祖父の病室へ向かうことばかりだった。どんな顔で会えばいいのか、今日はちゃんと話せるのか、祖父はどんなふうに横たわっているのか。考えても仕方のないことばかりが、ずっと胸の奥を占めていた。だからこそ、場違いなくらいいつも通りの調子で騒ぐ神様と、それを律儀に止める神使のやり取りが、かえって呼吸をしやすくしてくれるのも事実だった。


けれど、入口の前まで来ると、やはり胸の奥は少しずつ重くなってくる。


病室の扉を開けるまで分からない不安というのは、形のないまま人の内側をじわじわ圧迫してくる。気づけば少女は、コートの裾を無意識に握りしめていた。


その手元に目を留めたのか、神使の声が少しだけやわらぐ。


「……少女さん」

「え?」

「無理はなさらないでくださいね」


その言葉に、少女は少しだけ目を瞬かせた。


「……うん」


返事は小さかったが、それでも確かに頷く。


神様もそこでようやく売店から視線を戻した。少女の顔を見て、いつものように軽口を差し込むでもなく、ほんの一拍だけ黙る。


「んじゃ行くか」


短い一言だった。


けれど、そのぶっきらぼうな言葉の中に、ふざけた響きはなかった。余計なことは言わないなりの気遣いなのだと分かる程度には、少女ももうこの二人に慣れ始めている。


もう一度、小さく頷いてから、三人はそろってうめうめ病院の自動ドアをくぐった。


背中にはまだ外の冷たい空気が残っている。受付の案内板、すれ違う看護師、遠くから聞こえるカートの音。病院特有の、整いすぎた清潔さの中へ入った瞬間、今日ここへ来た目的があらためてはっきりと輪郭を持つ。



病室の前で、少女が足を止めた。


白い扉の横には病室番号の小さなプレートが掛かっている。廊下はしんと静かで、遠くから点滴の台を押す車輪の音がかすかに聞こえてくるだけだった。ここまで来るあいだ平然としているように見えた少女も、さすがに少しだけ呼吸を整えるように肩を上下させた。


「この部屋です」


そう言って振り返った目に、わずかな緊張が浮かんでいた。


神様は扉の前で一度立ち止まり、いつもの軽さを少しだけ抑えた声で言う。


「あ〜、念のため私達が神と神使って言うことは秘密にしておこう」

「そうですね」


神使もすぐに頷いた。


少女は小さく「わかりました」と返し、病室の引き戸へ手をかける。開いた先にあったのは、冬の日差しが差し込む明るい病室だった。白いシーツに包まれたベッドの上で、老人がゆっくり顔を向ける。年齢を感じさせる痩せ方はしていたが、目そのものはまだしっかりしていた。


「お〜、少女ちゃんか」


かすれた声が返ってきた瞬間、少女の表情がほんの少しやわらいだ。


「うん。体の具合はどう?」

「天気が良い分いくらかマシだな」


そこまで言ってから、老人――宮司の視線が少女の後ろに立つ二人へ移る。


「ん? そちらの方は?」


ひと足先に前へ出た神様が、さらりと答えた。


「神社の方から来ました」

「なんですか、その胡散臭い言い方は……」


横から即座に小声が飛ぶ。

宮司は一瞬だけ黙った。どう受け取ればいいのか測りかねたらしい。神使はすぐに頭を下げ直す。


「すいません。神宮かみのみやから使いで参りました」

「神宮? これはわざわざ」


宮司が身を起こそうとする。だが、神使は慌てて手を出した。


「あっ、そのままで」

「いやいや、そういうわけにも……」


とはいえ無理をする体ではないことは、本人もよく分かっているのだろう。少しだけ身体を起こしかけたところで、結局は枕に背を預け直した。


そのまま宮司の目が神様のほうへ移り、その目が細められる。


「そちらの可愛らしいお嬢ちゃんも神宮の方ですか?」

「可愛いだなんて、照れちゃう」


くねくねと身体を揺らす神様の横で、神使の口元がぴくりと引きつった。


「え〜と……内宮うちのみやで奉職している巫女です」


一瞬の迷いの末、そう答える。

だが、宮司のほうはどこか懐かしむような笑みを浮かべたまま、神様の顔を見ていた。


「この度は大変でしたね」


改めて神使がそう言うと、宮司はゆっくり息を吐き、少しだけ目を伏せた。


「大切な(やしろ)を申し訳ない」

「社のことなど気にする必要は無い。神宮の方でなんとかする」


神様がそう言い切ったあとで、横から神使の声が飛ぶ。


「そんな上から目線なしゃべり方したらバレちゃうじゃないですか」


神様が「うっ」と小さく詰まる。

その空気を見て、少女が立ち上がった。


「この果物、お二人からもらったんで台所で切ってくるね」

「あぁ。すまないね」


宮司が穏やかに返す。


少女は軽く頷き、果物の入った袋を持って病室を出ていった。引き戸がまた静かに閉まる。

扉の閉まる音のあと、病室の中には短い沈黙が残った。


その静けさを破ったのは、宮司のほうだった。


「お嬢さんの方は、もしかして神宮の神様ですかな?」

「あっ、バレた?」


あまりにもあっさり認めたので、神使は思わず額に手を当てた。


「やはりそうですか。 50年ほど前、神宮で5年間奉職していましたので」

「そうなんですか!?」


今度は神使のほうが驚く番だった。

宮司はゆっくり頷く。


「私は事務(かた)でしたが、何度か神々様のお姿をお見かけすることはありました」

「もしかして、私の事を知ってたりする?」


身を乗り出すように問う神様へ、宮司は少し懐かしむように目を細めた。


「詳しくまでは。ただ、何度かご挨拶はさせていただきました」


五十年前。

それは神使が神宮へ配属されるより、ずっと前の話だった。


神様が神宮に長く籍を置いていることは聞いていた。だが、昔の神様がどんな存在だったのか、神使は何も知らない。本人の口から語られたこともなければ、周囲から聞かされたこともない。だからこそ、いま目の前にいるこの神様の姿こそが、神使にとっての“神様”そのものだった。


「神様って、そんなに前から巫女のバイトしてたんですか?」


ごく自然な疑問のつもりだった。


だが、その一言に、宮司ははっきりと驚いた顔を見せた。


「巫女!? とんでもない。神様は大変御立派な神でしたよ?」

「え?」


神使は完全に固まった。

どこをどうすれば、この神様が“大変ご立派な神”になるのか。三年間そばで見てきた神様像と、いま聞かされた言葉がどうしても結びつかない。寝起きは弱い、口は悪い、すぐ蹴る、そのうえ巫女に混ざってお守りまで売る。神使の中で積み上がった神様像は、あまりにも俗っぽく、地に足がつきすぎていた。


一方で、神様のほうは目に見えて顔色を変えていた。


「うわー! 昔の話はダメ! 絶対!」


次の瞬間、神罰が飛ぶ。


「痛っ!」


蹴られたのはなぜか神使だった。


「え? なんで私蹴られたんですか??」

「流れで!」

「理不尽すぎません!?」


そのやり取りが、張りつめかけていた病室の空気をほんの少しだけゆるめる。


宮司はそんな二人を見ながら、笑っていいものか迷うような顔をしてから、やがて穏やかに口を開いた。


「こんな老いぼれのためにわざわざ……お忙しいのに申し訳ございません」

「そんな! お気になさらず」


神使がすぐに返す。礼儀だけでなく、相手に気を遣わせたくないという気持ちも混じっている。


その横で、神様もひらひらと手を振った。


「そうそう、全然忙しくないし。あっ、こいつは犬ころ神使。一応紹介しておくわ」

「申し遅れました」


一つ咳払いをしてから、神使はあらためて姿勢を正す。


「私、神様の使いで狛犬の神使と申します」

「おや、神宮付きの神使さんまで来て頂けるなんて。ありがとうございます」


また頭を下げかけた宮司を、神使が慌てて制した。


「どうかそのままで」


礼を言う側と止める側、そのやり取りが続くあいだも、神様だけはじっと宮司の顔を見ていた。ふだんの軽さを少し引っ込めて、何かを測るような目だった。


「あまり体調がすぐれないようだな」

「正直……入院前はピンピンしていたのですが。やはり年ですので、一度体を壊すと……」

「そんなことおっしゃらずに」


神使の気遣いに、宮司はどこか吹っ切れたような顔で首を横に振る。


「神様と神使様に会えたんですから、いつお迎えが来ても思い残すことありません」


軽く流せる種類の言葉ではない。白いシーツも、窓から差し込む冬の光も、その言葉だけを病室の中に置き去りにしたように見えた。


「私たちなんかに会っても冥土の土産にもならないぞ?」


ぶっきらぼうな言い方だった。けれど、軽口にしては声が硬い。


すぐ横から神使も続ける。


「そうですよ。少女さんだってまだ若いんですから」


宮司はゆっくりと目を閉じ、それからまた開いた。


「そうですなぁ……」


しばらく誰も続けなかった。答えの代わりに、言葉の重さだけが白い病室の空気の中へ静かに広がっていく。


その沈黙を破るように、神様がぽつりと口を開いた。


「すまないな〜。にょろにょろ神社は百年以上神の立ち寄りがなかったそうだな」

「私たちは、神宮からの達しで立ち寄りを行うために来たのですが……」


神使も言葉を継ぐ。


宮司は少し驚いたように眉を上げた。


「そうだったのですか」

「もう少し早く来ていればなぁ」


神様の声は小さかった。いつもの調子を無理に残してはいるものの、その奥にある悔いまでは隠しきれていない。


「いいえ。跡取りもいませんし……きっとこうなる定めだったのでしょう」

「少女さんはお継ぎにならないのですか?」


そう問われると、宮司の視線はふと窓のほうへ流れた。昼の光が、病室の床ではなく廊下の白さばかりを際立たせている。


「あの子には、こんな田舎で一生を終えて欲しくは無いと思っています」


少女のいない場所で語られたその願いは、本人の将来を勝手に決めるような強さではなく、祖父としての祈りに近かった。だからこそ重かった。


ちょうどそのとき、引き戸がまた開く。


「おじいちゃん、果物切ってきた」


戻ってきた少女の手には、皿にきれいに盛られた果物があった。白い病室の中で、その色だけが少し鮮やかに見える。


神様の目が即座にそこへ吸い寄せられる。


「うまそ〜! メロン一切れもらって良い?」

「どうぞ、どうぞ」

「神様、流石にそれはどうなんですか?」


呆れ半分で神使が言う。だが、当の本人は少しもひるまない。


「だから遠慮して一切れって言ったじゃん」


その理屈はまるで遠慮になっていなかったが、宮司はむしろ楽しそうだった。


「神宮の神さまと一緒に食べるだなんて、なんだか不思議ですな」


その言葉に、少女がはっとしたように顔を上げる。


「あれ? もしかしてバレてる?」

「はい、バレた原因は神様です」


神使が即答するころには、神様はすでにメロンを一切れつまんでいた。


「肝心な部分を端折って話すなよ」


そう言って、あむっと一口かじる。

果肉の甘い匂いが、消毒液の匂いに混ざってふわりと広がった。


重たい話も、気まずい沈黙も、それだけで全部が消えるわけではない。けれど、深刻さばかりで塗りつぶされない余白が、この場にはちゃんと残っている。見舞いというのは、たぶんそういうものなのだろうと少女は思った。


枕元へ皿を置きながら、小さく息をつく。


今日ここへ来た意味は、もう十分にあった。

そう簡単に言い切れるものではなくても、少なくとも三人がこの病室にそろったことで、何かが少しだけ動き始めている――そんな感触が、確かにそこにはあった。



病院を出たあとの道は、来たときよりも少しだけ静かに感じられた。


面会を終えた人たちがそれぞれの思いを抱えて帰っていく。その流れの中に三人も混じっている。冬の空気は相変わらず冷たい。けれど病室の中のぬくもりや、宮司の穏やかな声がまだ耳の奥に残っていて、外の風までどこか遠く感じた。


しばらく誰も口を開かなかった。

先にその沈黙を破ったのは神使だった。


「宮司さん、お元気そうでよかったですね」


その言葉に、神様がちらりと横目を向ける。


「お前の目は節穴だな」

「どういう意味です?」


思わず歩調を緩めた神使へ、神様は前を向いたままぶっきらぼうに言った。


「あれ、かなり無理してたぞ」


言われてみれば、たしかにそうだったのかもしれない。笑っていたし、受け答えもしっかりしていた。けれどそれは、弱っていないという意味にはならない。むしろ、弱っているからこそ無理に平気な顔をしていたのだとしたら――そう考えた途端、さっき病室で交わした言葉の一つ一つが、少し違って見えてくる。


「すいません、気がつきませんでした」


素直にこぼれた謝罪の横で、少女は何も言わなかった。


ただ、コートの裾を握る指先に、わずかに力がこもる。病室の中では気丈にしていたぶん、今になって祖父の言葉や表情が胸の奥へ戻ってきたのだろう。あまり触れすぎれば壊れてしまいそうな沈黙だった。


そんな手元へ、ふと神使の視線が落ちる。


「あっ、少女さんが持っているのって神宮のお守りですね」

「え? あっ、はい」


自分でも気づかないうちに握っていたらしい。少女は少し驚いたように目を落とした。手の中に収まっていた小さな布袋が、体温でほんの少し温まっている。


そこへ神様が、すかさず指を差した。


「私が売ったやつ〜」

「神様が直々にお授けされたお守りですから、御利益満点ですね」


次の瞬間、神罰が飛んだ。


「痛っ」

「クソ犬が」


脛を押さえた神使を、神様はじとっと睨みつける。


「空気読めよ」


そこでようやく、自分の言葉が少しだけずれていたと気づいたらしい。神使は視線を逸らし、小さく肩をすくめた。


「すいません……」

「謝るくらいなら私と少女にステーキご馳走な」


あまりにも急な話の飛び方だった。


「どういう繋がりでそこにたどり着くんです?」

「私がステーキ食べたいの!」


胸を張って言い切る神様に、理屈も遠慮もあったものではない。だが、その強引さのおかげで、沈みかけていた空気が少しだけ別の方向へずれたのも確かだった。


少女は手の中のお守りを見下ろしたまま、ほんの少しだけ肩の力を抜く。


「はあ……少女さん、お昼はステーキでも良いですか?」


急に話を振られ、少女は少し戸惑った顔をする。


「私はなんでも……お二人に合わせます」

「よし決まり~」


神様の声だけが、やけに元気だった。


「犬ころの奢りだし、国産黒毛和牛のサーロイン四百グラムとか注文しよう」

「どんな胃袋してるんですか……」

「神なものでぇ~」


なぜか頬に両手を当てて、くねくねと身体を揺らす。


本気で引いた顔を向けた神使へ、間髪入れずに神罰が飛んだ。


「神罰」

「痛っ!」

「何で私は蹴られたです!?」

「ノリだよ!」


あまりにも理不尽で、あまりにもいつも通りで、少女の口元にほんの少しだけ笑みが戻る。


病院を出たばかりの頃より、足取りはたしかに軽くなっていた。

祖父の病室で交わした言葉が消えたわけではない。重さがなくなったわけでもない。けれど、それを抱えたままでも歩いていけるくらいには、三人のあいだに少しだけ呼吸の余白が戻っていた。


冬の空の下、その小さな笑い声だけが、ひどくやわらかく響いていた。


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