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神様だ! 神力ゼロですが  作者: 狛猫
第2章「おきつねこんこん教」
11/12

#02-01「神様……あなたって人は……」

電車の扉が、気の抜けた音を立てて開いた。


ぷしゅう、という空気の抜ける音とともに、冷えた山の空気が流れ込んでくる。夕方が近いせいか、肌に触れる風は思った以上にひんやりしていて、車内のぬるい暖かさに慣れた身にはやけに刺さった。


「神様、ホームに段差がありますから、気をつけて降りてください」


先に降りた神使が振り返り、いつもの落ち着いた声で言う。


「…………」


返事はない。

ただ、言われた通りに小さな足取りで、とてとてとホームへ降り立つ。

神使は軽く伸びをしながら、山に囲まれた無人駅を見回した。


「いやあ、疲れましたね」

「おい、腐れ神使」

「はい?」


にこやかに振り向いた先で、神様はじとりとした目を神使へ向けていた。


「なんだよここ」

「しかしか高原駅です」

「駅名を聞いたんじゃねぇよ」


即座に返ってきた怒気に、神使は「ああ、そちらですか」とでも言いたげに周囲へ視線を巡らせた。


駅舎は物置のように小さく、ホームも短い。見渡す限り、あるのは木、木、木。遠くまで重なる山の稜線と、夕暮れに沈みかけた薄い空だけだった。人の気配はない。売店もなければ、駅前らしいものすらない。


「いやあ……想像以上にすごいですね」

「木しかねぇじゃん! 人いねぇじゃん! 秘境じゃん!」


神様の叫びが、誰もいない駅にむなしく響く。

それでも神使は、どこか感心したように笑っていた。


「この景色、ひのひの村なんか比べものになりませんね」

「んがー! なにこれ! 嫌がらせなの!? ねぇ、悪質ないじめ!?」


両手を振り回して抗議する姿は騒がしいのに、受け止める相手が一人しかいないせいで、悲しいほどに盛り上がらない。

神使はそんな小さな上司をさらりと無視し、手荷物を持ち直した。


「さて、暗くなる前に行きますよ」

「マジかよ〜……勘弁してくれよ〜……」


すでに半分泣き言になっている声を背中で聞き流しながら、神使は駅の外へ向かう。神様も渋々その後に続いた。



駅を出てしばらく歩くと、道はますます細くなった。


舗装はされているものの、左右を挟むように木立が迫り、民家らしい明かりはひとつも見えない。人が住んでいる気配どころか、生活そのものがどこか遠くへ置いていかれたような道だった。


神様はぶつぶつ文句をこぼしながらも、なんとか歩き続けている。


「なあ、もうだいぶ歩いたけど、民家ゼロなんだけどさぁ」

「そうですね」

「そうですね、じゃなくてさ〜。こんな所で何すんだよ」


前を歩いていた神使が足を止め、空を見上げた。木々の隙間から覗く空は、すでに色を失いかけている。


「暗くなってきましたし、懐中電灯をつけますか」


ぽち、と小さな音がして白い光が足元を照らした。

闇が濃くなりかけた山道に、その人工的な光だけが妙に浮いて見える。


「うわ〜、気味悪いな」


神様が肩をすくめた、その直後だった。


「あっ、お社が見えましたよ」


光の先、木々の間に黒い影が浮かぶ。


近づくにつれ、それが神社だと分かった。いや、正確には――かつて神社だったもの、と言った方がいいのかもしれない。


鳥居は傾き、柱は黒ずみ、屋根は半ば崩れ落ちている。草は好き勝手に伸び放題で、参道らしき場所もほとんど呑み込まれていた。


廃神社。


そう呼んで差し支えのない状態だった。

目の前まで来たところで、二人はそろって言葉を失う。


「…………」「…………」


沈黙を破ったのは、神様のひきつった声だった。


「神使君、帰らない? これ絶対ヤバいって」

「さすがにちょっと引きますね。とりあえず中に入ってみましょう」

「嘘だろ……」


神使が手をかけると、社の戸はぎい、と耳障りな音を立てて開いた。

その瞬間、神様はぴたりと足を止める。


「あっ、無理無理。 床ねーじゃん」


懐中電灯の光に照らされた内部は、想像以上にひどかった。板は抜け落ち、床はところどころ崩れ、足を踏み入れたらそのまま下へ落ちそうなありさまだ。荒れ果てた空間には埃と湿気の匂いがこもり、長い年月放置されてきたことをありありと物語っている。


神使は慎重に中を覗き込み、周囲を確かめた。


「ご神体も見当たらないですね」

「よし! 神体がないなら帰ろう!」


即断だった。

だが、神使はポケットからスマートフォンを取り出す。


「念のため、神宮に問い合わせてみます」

「も〜、はやくしてちょ」


神様が露骨に嫌そうな顔で急かす。しかし画面を見た神使は、すぐに眉を寄せた。


「……圏外ですね。 神様の神力で神宮に問い合わせできませんか?」

「神力ゼロの私に喧嘩売ってるのか?」


間髪入れずに返ってきた声に、神使は特に動じた様子もない。


「駅まで戻るのも何ですし、ここに泊まります?」

「はははっ、お前埋めるぞ?」


ぎろり、と睨みつけるが、神使は軽く肩をすくめるだけだった。


「……今日は戻って、別の場所で宿に泊まりましょう」

「よっしゃ。ひとつ前の駅、しおしお温泉だったよな」

「では、そちらへ行きますか」


来た道を戻り始めた頃には、辺りはすっかり夜の色に沈みつつあった。懐中電灯の光だけが、山道に細い筋を引いている。


しばらく無言で歩いたあと、神使がぽつりと口を開く。


「今から行って泊まれますかね。もう十九時を回っていますし」

「…………」


返事がない。

不思議に思って振り返ると、神様は歩きながら、チラチラと後ろへ目を向けていた。


「神様? どうしました?」

「つけられてる」


低い声だった。

表情も厳しく、さっきまでのだらけた調子は一切ない。


「後ろ……ですか?」

「ああ」

「気づきませんでした。申し訳ありません」


謝罪の声にも緊張が混じる。


「取りあえず駅まで向か――!? 神使! 伏せろ!!」

「えっ?」


鋭い声と同時に、神使はとっさに身を沈めた。

その瞬間だった。

ひゅん、と何かが空気を切る音がする。


「犬ころ! 大丈夫か!?」

「はい、間一髪です。助かりました」


地面に落ちたものを拾い上げ、神使は目を細めた。


「これは……小石?」

「誰だ! 姿を見せろ!!」


神様が振り返る。

すると、闇の向こうで複数の足音がばたばたと遠ざかっていった。


「逃がしません!」

「待て! 深追いするな」


神使が追おうとするのを、鋭い声が止める。


「しかし……」

「暗すぎる。危険だ」


ぴしゃりと言い切られ、神使は悔しそうに唇を引き結んだ。


「……分かりました」

「もう一本、懐中電灯を」

「はい、どうぞ」


受け取った懐中電灯を握りしめ、神様は素早く指示を飛ばす。


「お前は前を照らせ。私は後ろを見る。駅まで全速力で走るぞ」

「分かりました」


「ダーシュッ!」


体育会系の部活のようなかけ声とともに、二人は一斉に駆け出した。

暗い山道に、足音と荒い息だけが響く。


「神様! 駅です!」

「よっしゃー!」


駅へ転がり込むようにたどり着いた頃には、さすがに二人とも息を切らしていた。


「次の電車は」

「三十分後です」

「長ぇよ……!」


神様は顔をしかめたものの、すぐに表情を引き締めた。


「電車が来るまで後ろを見張ってくれ。私は前を見る」

「はい」

「懐中電灯を灯台みたいに振って、周囲を照らし続けろ」


夜の無人駅に、懐中電灯の光が大きく揺れる。白い光がホームの端から端まで流れ、そのたびに木々の影が不気味に伸び縮みした。


「誰か隠れてるみたいだな」

「ええ。二人ほど確認できます」


懐中電灯の明かりが、ごそごと動く葉の影を捉える。


「一体何なんだ?」

「襲ってくる気配はなさそうですね」

「大人しく立ち去れってことか……」


神様の呟きが、夜気の中へ溶けていく。


やがて遠くから、列車の接近を告げる音が聞こえてきた。

ふぁーん、と長く鳴る警笛に、神様の顔が明るくなる。


「電車来た! 早く〜! もっと早く〜!」


子供のように急かす声の直後、列車がゆっくりとホームへ滑り込んできた。扉が開くと同時に、神使がいつもの調子で声をかける。


「神様、足元気をつけて乗ってください」

「はぁ〜……助かった〜……」


半ばへたり込みそうな勢いで車内へ乗り込み、ようやく神様は大きく息を吐いた。


人の少ない列車が、がたん、がたんと規則的に揺れながら駅を離れていく。窓の外には闇に沈んだ山の輪郭がぼんやり流れていき、車内アナウンスだけが機械的に響いた。


『次は、しおしお温泉口です』


先ほどまで全力疾走していたとは思えないほど穏やかな声で、神使が向かいに座る主へ問いかけた。


「一体、何者なんですかね?」

「こっちが聞きたいわ」


神様は座席にもたれ、ぐったりしたまま答える。さっき駅へ逃げ込んだときの張り詰めた空気はもう薄れていたが、さすがに完全に気は抜けていない。足をぶらつかせながらも、視線だけは窓の外へ向けていた。


「どうしましょう。神宮に報告しますか?」

「うーん……宿に着いてから考えよう」

「分かりました」


そう返しつつ、神使は少しだけ探るように神様を見る。


「それより、神様。ずいぶん慣れていましたね」

「あ?」


雑に返ってくる声に、けれど神使は気にした様子もない。


「何というか……いつものだらしない神様とは別人のような対応でしたので」

「全然褒めてないよね? っていうかかなりナメた発言だよね?」

「そう言うつもりではないんですが……」


本当に悪意はないらしい顔でそう言うものだから、かえって腹が立つ。

神様はむすっと頬を膨らませたあと、窓に映る自分の顔を眺めるようにして、小さく鼻を鳴らした。


「昔は多かったんだよ、こういうの」

「昔?」

「こういうのが当たり前な時代もあったんだよ」


それ以上は語るつもりがないのか、神様は話を切るように外へ視線を戻した。

神使も追及はしなかったが、その横顔をしばらく見つめていた。


普段はだらしなくて、口も悪くて、神らしさなど欠片もない。けれど、さっきの山道では間違いなく違った。気配に気づき、危険を見抜き、暗闇の中で追わせず撤退を選んだ判断も早かった。


あれが本来の姿なのか、それとも昔を引きずった名残なのか。まだ分からないことばかりだった。



しおしお温泉口で降りてからバスに乗り、さらに少し歩いた先に、その旅館はあった。


派手さはないが、年季の入った木造建築で、玄関先の灯りが夜の冷気の中にやわらかく滲んでいる。無事に泊まれる場所へたどり着いたことに、神使は内心でかなり安堵していた。


「すみません。予約なしで突然来てしまいまして」


帳場で頭を下げると、仲居はにこやかに手を振った。


「気にしないでくださいな。シーズンオフですし」

「ありがとうございます。本当に助かりました」


横では神様が、周囲をきょろきょろ見回している。畳の匂いと暖房のぬくもりに包まれただけで、目に見えて機嫌が良くなっていた。


「時間も遅いですし、先にお食事の支度しちゃいますね」

「お願いします」


部屋へ通されると、神使が荷物を下ろすより早く、神様はのそのそと上着に手をかけた。


「じゃあその間に――」


ぬぎぬぎ、と遠慮なく服を脱ぎ始める。


「ちょっと神様、仲居さんがいるのに下着姿にならないでください」

「あら、可愛らしい下着ですね」


神使の制止より先に、仲居のほうが感想を述べた。


「照れるじゃないか〜」


くねくねしながら妙に嬉しそうにする神様を前に、神使は無言になるしかない。

この神様は、神の威厳というものをどこへ置いてきたのだろう。


「お前も浴衣に着替えたら?」

「後ほど……」


疲れた声で返すと、神様はすでに浴衣を広げていた。


「やっぱ和服の方が落ち着くな〜」


するすると手際よく身につけていく仕草は、下着姿でくねっていた人物と同一とは思えないほど慣れている。帯を結ぶ手つきにも無駄がない。

それを見て、仲居が感心したように目を細めた。


「お若いのに珍しいですね。帯の結びもとても綺麗に」

「いや〜ん、褒められた? これからは和服美人の神ちゃんで売り出そうかな」


うひゃひゃ、と軽い笑い声を上げる。

神使は再び黙った。


和服が似合うのは事実だ。悔しいが、そこは認めざるを得ない。だが、それを本人に伝えたところで調子に乗るだけなので、黙っておくのが最善だった。


ひとしきり浮かれたあと、神使は仲居へ向き直る。


「あの、ちょっとお伺いしてもよろしいですか?」

「なんでしょう?」

「先ほど、“しかしか高原”に行ってきたのですが、あの辺りには住んでいる方とかいるんでしょうか」


その瞬間、仲居の表情がわずかに変わった。


「誰かにお会いになりましたか?」

「変な集団に追いかけられた」


神様が浴衣の襟元を整えながら、あっさりと言う。

仲居は「ああ、やっぱり」とでも言いたげにため息をついた。


「近づかない方が良いですよ。宗教団体があるんです」

「宗教団体?」

「えぇ。詳しくは知らないんですが、他人を近づけたがらないんです」

「気持ちわる!」


神様の即答に、仲居も苦笑いで頷いた。


宗教団体、という単語が出たことで、さっきの不気味さに別種の輪郭がつく。幽霊だの妖怪だのよりは現実的だが、だからこそ余計にややこしい。


「宗教団体ってのが胡散臭さ倍増だな。な!」


妙に得意げに同意を求められて、神使は思わずぼそりと零した。


「……自分だってそうじゃないですか」


幸い、神様の耳には届かなかったらしい。

仲居は首を傾げながら呟く。


「一体、何がしたいんだか」


たしかに、その通りだった。山奥の廃れた神社に人を寄せつけない集団。しかも石を投げて追い返すだけで、積極的に襲ってくるわけではない。何を守り、何を隠しているのかがまるで見えない。


神使は、浴衣姿で座布団に転がっている神様を見た。


「神様、どう思います?」

「うわっ、これウマそうじゃん」

「…………」


返ってきたのは、思考ではなく食欲だった。

ちょうどそのタイミングで仲居が運んできた夕食の膳が、部屋の空気を一気に変える。蓋を開けた鍋からは湯気が立ちのぼり、甘辛い香りがふわりと広がった。


「しおしお牛のすき焼きです。食べ終わりましたら、廊下にでも出しておいてください」

「ありがとうございます」

「では、ごゆっくり」


仲居が出ていくのを待つまでもなく、神様の目はすでに鍋へ釘付けになっていた。


「食べよう!」

「そうですね」


二人で手を合わせる。


「いただきます」


次の瞬間には、神様はもう肉を口へ運んでいた。


「うんま! うんまっ!」


ぱくぱくと勢いよく頬張る様子は、さっきまで山道で命の危険を感じていた人間とは思えない。いや、神なのだが。


神使は苦笑しつつ、自分も箸を取った。


「それで、どうされますか?」

「どうって?」


もぐもぐと口を動かしたまま返ってくる。


「あの神社ですよ」

「あー……」


肉を飲み込んでから、神様はようやく少しだけ考える顔になった。


「ちょっと、あの社のこと調べてくれる?」

「分かりました」


神使が頷く横で、神様はしいたけを箸でつつきながら首を傾げる。


「なーんか、嫌な感じするな〜」

「嫌な感じ?」

「うーん……なんか、あの神社、昔に一度来た記憶はあるんだけどな〜」


その言葉に、神使の手が止まった。


「本当ですか?」

「よく覚えてない」


あまりにも軽い口調だったが、聞き流せる内容ではない。


「どのくらい前なんです?」

「さーなー。百年? 五百年? いや、もっと前だったかな」

「はい!?」


思わず素の声が出た。


「だから、よく覚えてない」


神様は悪びれもなく肉を頬張る。

神使はしばし言葉を失ったあと、慎重に問いを選び直した。


「ちょっと待ってください。神様って、お生まれはいつなんですか?」

「あれ? 聞いてない?」

「はい。神様に関する情報は詳しく教えてもらえなかったんです」

「ふーん」


他人事のような返事だった。


「教えていただけますか?」

「めんどい。そのうち教えてあげる」

「はあ……」


あっさり流され、神使は肩を落とす。

この神に対して真面目に情報開示を求めること自体が、そもそも間違っているのかもしれない。そう思い始めた頃には、神様はもう別の問題へ意識を移していた。


「それより、お前の肉と私のしいたけ交換しないか?」

「申し訳ございませんが、それはできません」


即答だった。



翌朝。


障子越しのやわらかな光が部屋に差し込み、旅館らしい静かな朝の空気が満ちていた。

そんな穏やかな朝とは対照的に、布団の上では一柱の神が完全にだらけきっていた。


「神様? 朝ですよ」


神使が布団の端にしゃがみこみ、遠慮がちに肩を揺する。


「あと六時間……」


眠気に潰された声が、布団の中からもごもごと返ってきた。


「何言ってるんですか。起きてくださいっ」

「も~……なんだよ……まだ昼前じゃん……」


ようやくのそのそと顔を上げたものの、髪はぼさぼさ、目元は半開きで、どう見ても神聖さとは程遠い。朝に弱い子供そのものだった。


神使は小さくため息をつきかけて、ふと違和感に気づく。


「あの……神様?」

「んぁ?」

「浴衣はどうされたんですか?」

「浴衣?」


寝ぼけたまま首を傾げる。


「下着姿ですよ?」

「ん?」


自分の格好を見下ろし、神様は数秒だけ固まった。


「……本当だ」


そして何事か大事件でも起きたように、きょろきょろと部屋を見回す。


「あれ? どこいったんだ?」

「私に聞かれても困るのですが……」


神使は額に手を当てた。昨夜は確かに自分で浴衣を着ていたはずなのに、なぜ一晩で脱ぎ捨てたのか。本人が分かっていない以上、もう追及しても無駄だろう。


それより、と神使は気持ちを切り替える。


「昨日の神社の件ですが、神宮のデータベースで調べてみました」

「あ〜、しかしか神社?」


神様はまだ半分眠そうな顔のまま、布団の上で胡坐をかいた。


「はい。二百年ほど前から、宮司と主神の連絡が途絶えているようですね」

「神も連絡取れないの?」

「はい」


少しだけ間を置いてから、神使は続ける。


「ただ、しかしか神社の主神様から、神籍抹消依頼が出ているようです」

「神籍抹消?」

「はい。その後、連絡書類が滞っているようで」

「それ以降は分からないと?」

「そのようですね」


神様はぼりぼりと頭をかきながら、いかにも嫌そうな顔をした。


「神宮も結構雑な仕事してんのな」

「なので、神社自体は廃社にはなっていないようです」

「……なるほどねぇ」


神様は少しだけ考えるように天井を見たあと、やがて面倒くさそうに結論を出す。


「どうすっかな~。明るいうちに、もう一回だけ行ってみるか」

「それが良いと思います」


話がまとまったところで、神様の視線がふと別のものに引っかかった。

部屋の隅、座卓の上に置かれた薄型のノートパソコンである。


「それよりさぁ、神使君。それ何?」


神使は一瞬だけきょとんとしてから、すぐに視線を落とした。


「ノートパソコンのことですか?」

「なんで持ってんの?」

「神様も神宮から支給されてませんか?」


その返答に、神様はむしろ心底不思議そうな顔をした。


「私ワープロだよ? オアシス。十キロもあるやつ」

「物持ちが良いですね……」

「いや、そういう問題じゃないでしょ」


即座に返されて、神使は少しだけ言葉に詰まる。


「三年ごとに更新されてると思うんですが……」

「初耳。私の三十年くらい経ってるけど?」

「……」


一瞬、部屋の空気が止まった。


神使は静かに視線を逸らす。これ以上深く聞くと、神宮のずさんさがまた別方向に露呈しそうな気がした。

代わりに、やや気まずそうな調子で提案する。


「……私が前に使っていたものでよければ、差し上げますが」

「その最新型のをくれ」


間髪入れずに返ってきた。


「これは……ちょっと……」

「いいじゃんよ~。私もちっちゃいパソコン欲しい~」


布団の上でじたばたしながら、神様が手を伸ばしてくる。神使は反射的にノートパソコンを抱えて距離を取った。


「次のボーナスで個人用のものを買えば良いじゃないですか」

「ボーナス?」


神使の口が止まった。


「まさか神様……」

「…………」


言葉の代わりに、神様は気まずそうに視線を逸らす。

それだけで十分だった。

神使はしばらく黙ったあと、そっと目を伏せる。


「……すみません」


謝るしかなかった。



二人はあらためてしかしか神社へ戻ってきていた。


夜のあいだに不気味さが増したわけではない。けれど、朝の光の下で見る本殿は、昨日よりむしろひどく見えた。暗闇がごまかしてくれていた分、崩れかけた柱も、剥がれた板も、傾いた屋根も、昼間にはっきりと露わになっている。


神様は鳥居の前で立ち止まり、本殿を見上げて顔をしかめた。


「昨日は暗くてよく分からなかったけど、結構やばいな。この本殿」

「よく崩れずに残ってますね」


神使も同じように見上げる。たしかに、いつ倒れてもおかしくなさそうな見た目なのに、どういうわけか辛うじて形を保っていた。


「手分けして、何か手がかりでも探してみるか」

「そうですね。私は裏手に回ってみます」


神使がすぐに頷く。


「んじゃ、私は本殿に入りますかねっと」


そう言って、神様はきしむ床板と不穏な柱の隙間を縫うようにして中へ足を踏み入れた。

戸に手をかけると、ぎぃ、と昨日と同じ耳障りな音が鳴る。


「いや~……やっぱキツいな、これ……」


中は外と同じ明るさだった。屋根や壁の隙間から光が煌々と差し込んでおり、荒れ果てた内部を際立たせている。床板は抜け、板材は朽ち、長く打ち捨てられた建物特有の湿った匂いが鼻についた。


それでも、神様は慎重に視線を巡らせる。

がさごそ、と足元の残骸を避けながら奥まで確かめてみるが、肝心のご神体らしきものは見当たらない。


「ん~……やっぱり神体ないなぁ~」


だが、そのまま何気なく床の一角へ目をやったところで、ふと眉が動いた。


「……でも、埃のない箇所もあるな」


この廃れ具合に反して、埃の薄い場所がある。完全に打ち捨てられているなら、もっと均一に荒れていていいはずだ。誰かが出入りした。そう考える方が自然だった。


そのときだった。


「神様!」


外から神使の声が飛ぶ。


「ん~? なにかあった?」


神様は気の抜けた返事をしながらも、足取りは意外と早く、本殿を後にした。

そして、本殿の裏へ回ると、神使が少し先で立ち止まっていた。その視線の先を追って、神様も足を止める。


「見てください。裏手に建物があります」


木立の向こう、神社の敷地に半ば寄り添うようにして、なかなかに大きい建物が建っていた。神社本体に比べてずっと新しい。手入れもされているらしく、外壁も比較的きれいだ。ここだけ妙に生活感がある。


「うわ~……仲居さんが言ってた宗教団体のやつじゃね?」


神使が入口の看板へ目を向ける。


「“おきつねこんこん教”って書いてありますね」

「なに!? おきつねこんこん教だと!?」


食いつき方がおかしかった。

神使が振り向くと、神様は妙に真顔になってその看板を見つめている。


「知っていらっしゃるのですか?」

「引きつけるネーミングだ……入信したいかも」


ごくり、と喉を鳴らす。


「…………」


神使は無言になった。


どうやら知っていたわけではなく、単に語感に惹かれただけらしい。真剣に聞いた自分が少し馬鹿らしくなる。


「それよりも、どうします?」


気を取り直して尋ねると、神様は建物をじっと見たまま、ぽんと神使の肩を叩いた。


「お前、ちょっと潜入してこい」

「……え?」


一瞬、本気で何を言われたのか分からなかった。


「バレるなよ? 慎重にな」


ぽんぽん、と励ますように肩を叩いてくる手つきだけは軽い。

神使はしばし黙り込んでから、ようやく低い声を絞り出した。


「すいません。何を言っておられるのですか?」

「どうも~、って行っても中に入れてもらえるわけないだろ?」

「そうでしょうね」

「そしたら潜入するしかないじゃん」


あまりにも当然のように言う。


「神様は?」

「私は神力がない。故に協力ができないのだ」


なぜか少し格好つけた顔で言い放つ。


神使は即座に切り返した。


「神力関係ないですよ? 私も神じゃないので神力ありませんし」

「他宗教である私が行くとか、喧嘩売りに行くようなもんだろ?」

「私も同じなのですが……」


むしろ立場としては付き従う自分のほうが余計に怪しい気すらする。だが神様は都合の悪い部分だけ聞こえない耳を持っている。


「いいから行けよ! 捕まったら助けるからさ」


その言葉に、神使は半眼になった。


「本当ですか?」

「私がお前を置いて逃げるようなヤツに見えるのかよ」


そこで、神様は珍しく冗談めいた調子を少しだけ引っ込める。


「これでも神だぞ?」


その一言だけは、不思議と軽く聞こえなかった。

神使はほんの少しだけ目を細め、それから小さく息をつく。


「……絶対助けてくださいよ?」


念押ししてから、建物のほうへ歩き出す。

その背中を見送りながら、神様は腕を組み、神妙そうな顔で頷いた。


「まかせろ」


言っている本人がいちばん信用ならないのが難点だった。


神使は建物の裏手へ回り込み、ぐるりと囲う塀を見上げた。

正面から入るわけにはいかない以上、どこか人目につきにくい場所から様子を見るしかない。そう判断したまではよかったのだが、実際に目の前にしてみると、塀は想像よりもずっと高かった。


「この壁、結構高さありますね……」


小声でぼやきながら、手をかける。足をかけられそうな出っ張りを探し、んしょ、んしょ、と少しずつ身体を持ち上げていく。

その姿は、どう見ても不審者だった。


「おい、お前何やってんだ?」

「えっ!?」


真横から飛んできた声に、神使はびくりと肩を跳ねさせた。

いつの間に現れたのか、作業着のような服を着た男が、怪訝な顔で神使を見ている。

数秒、視線がぶつかる。

そして次の瞬間、男は肺いっぱいに息を吸い込んだ。


「侵入者だ! みんな捕まえろ!」


まずい、と思ったときにはもう遅かった。

ばたばたと足音が増え、建物のあちこちから人影が飛び出してくる。


「うわっ、放してください~!」


あっという間に腕を取られ、神使は珍しく本気でじたばたした。だが、こういう場面での抵抗に慣れていないせいか、暴れ方が妙に上品で、あまり役に立たない。


「こいつ、仲間がいるぞ!」

「あっちに連れの女もいるぞ!」


その声に、少し離れた木陰で様子を見ていた神様がぴたりと固まった。


「やべっ」


次の瞬間には、くるりと踵を返していた。

だだだっと土を蹴る音がして、一目散に走り出す。


「こらー! 逃げるなー!」

「私は関係ないです~!! その人知らないです~!!」


全力で最低だった。


「嘘つくなー! 待てー!」

「女が駅に向かって逃げたぞ!」


信者たちの怒号が山の空気を震わせる。


拘束されたまま、その一部始終を見送るしかなかった神使は、遠ざかっていく背中へ向けて、低く呟いた。


「神様……あなたって人は……」



駅へ続く山道を、神様は全力で駆けていた。


「ぎゃー! 助けて~!」


助けを求めているのが誰なのか、自分でもたぶん分かっていない。

背後からは複数の足音と怒鳴り声が迫ってくる。


「待てこらー!」

「仲間を置いて逃げるなー!」

「知らない人です~!!」


なおも言い張るが、説得力はまるでなかった。

木々の間を抜け、坂を下り、ようやく見えた線路とホームに、神様の目がぱっと輝く。


「駅だ!」


さらにその先、ちょうど停車中の車両を見つけた瞬間、声が一段高くなった。


「おっ、電車いるじゃんよ、ラッキ~!」


もはや神の威厳も何もない。ドアを閉めようとする車掌に向かって手をばたつかせながら、必死の形相でホームへ飛び込んでいく。


「電車待って~! 乗る! 乗るよ~!」


どたどたどた、と駆け込んだその背後で、扉が閉まりかける。

ぷしゅー、という音とともに、車体がゆっくり動き始めた。


「ふ~……助かった~……」


神様は扉のそばにへたり込みそうになりながら、額の汗をぬぐった。車内にいる乗客がぎょっとした顔でこちらを見ているが、もうそんなことを気にする余裕はない。


がたん、ごとん、と列車が動き出す。


『次は、たじたじ駅です』


機械的なアナウンスが頭上から流れた。

神様はようやく空いた席に腰を下ろし、深く深く息を吐く。


「あっぶね~……」


そこまで言ってから、ふと、隣の空席に目を向けた。


「神使君は……」


言葉が一瞬だけ止まる。


――置いてきた。


しかも、自分で「捕まったら助けるからさ」と言った直後に、である。


「……まぁ、うん」


視線をそらした。

今すぐ助けに戻る、という発想にはならなかった。ならなかったが、まったく何も感じていないわけでもない。その中途半端さが、かえって神様らしい。


しばらく窓の外を眺めていたものの、全力疾走した疲れと車内のぬくもりが一気に襲ってきた。瞼が重くなる。


「ちょっとだけ……寝るか……」


ちょっとだけ、のはずだった。


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