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神様だ! 神力ゼロですが  作者: 狛猫
第1章「ひのひの村」
10/10

#01-10【END】「来月まで給料なしです」

夜も更け、家の中はすっかり静まり返っていた。


廊下には薄い闇が落ち、障子の向こうから滲む月明かりだけが、床板をぼんやり白く照らしている。そんな静けさの中で、ひそひそどころか妙に必死な声だけが小さく響いていた。


「だからお願いだって! 良いじゃんよ、その位さぁ〜」


居間へ向かう途中だった神使が、ふと足を止める。


(ん? 神様? こんな遅くに携帯で誰と……)


怪しまれないよう、そろりと気配を殺して廊下の角から覗く。案の定、神様は柱の陰へ半分隠れるようにしてガラケーを耳へ当てていた。声量を落としているつもりなのだろうが、必死さのあまり、だいぶ漏れている。


「いや、一人くらい入れてあげてよ。すごく優秀な子だってば〜」

「頼むって。お前が神勅! とか言えば良いだけなんだから」

「なんでも言うこと聞くからさぁ〜」

「本当? いや〜ありがとう!」

「うん、じゃぁよろしくね。バイビー」


通話が切れる。


神様はしばらくその場で固まり、それから、ふぅぅぅ……と大きく息を吐いた。闇の中でも分かるくらい肩の力が抜けている。よほど緊張していたらしい。


その背中を見ながら、神使はひとり、そっと笑った。


「…………」


声には出さない。ただ、口元だけが静かに緩む。


ああ、この神様は本当に、最後までこういうやり方なのだなと、呆れ半分、感心半分で思った。


翌日の昼、少女の家にはまた昨日までと似た、けれど少し違う穏やかな空気が戻っていた。


居間にはお茶の湯気が立ち、こたつの上には片付けきらない小物がいくつか残っている。明日には発つ。そう思うだけで、家の中の見え方まで少し変わるのが不思議だった。


その空気の中で、神様がやけに歯切れの悪い声を出した。


「あの~、少女ちゃん?」


少女が顔を上げる。


「なに?」

「やっぱり神主になる気は揺るがない?」


その問いには、軽い調子に見せかけた確認の色があった。


少女は迷わず頷く。


「うん。今年はもう間に合わないけど、来年専門の学校に行こうかと思ってる」


その答えを聞くなり、神様はどこか落ち着かない仕草で鼻を掻いた。


「その~……なんか私の知ってる神社が神主候補を募集しているようで……いく?」

「えっ!?」


少女の目が大きく見開かれる。


神様は慌てて言葉を足した。


「少し遠いし、ここを離れないといけなくなるだろうから、無理にとは言わなけどさ」


横で聞いていた神使が、いかにも何か分かっている顔で口を挟む。


「へぇ~、珍しいですね。どこの神社なんですか?」


神様は数秒だけ黙ったあと、観念したみたいに答えた。


「……神宮」


その一言で、今度は少女の方が息を呑む。


「神宮って、もしかして……」


神使が淡々と補足した。


「神社の頂点です。普通じゃ入れませんよ?」


神様は視線を逸らす。


「たまたま候補生の枠が空いていたみたいで……ちょうど相談を受けて……」

「へぇ~、そうなんですか。そんな採用枠初めて聞きました」


神使の笑顔は穏やかだったが、声の奥には完全に分かっていて泳がせている響きがあった。

神様のこめかみがぴくりと動く。


「お前さぁ、なんか言いたいことあるの?」

「いいえ、特にありません」


にこっ、と綺麗に微笑まれてしまう。


「…………」


神様の顔に、分かりやすくいらっとした色が浮かぶ。

そのやり取りをよそに、少女はまだ困ったように揺れていた。


「ありがとう……でも私ばっかり神様にこんなにもたくさんお願いを叶えてもらって、悪い気が……」


そう言って差し出したのは、以前渡された家賃の封筒だった。


「これはお返しします」


こたつの上へそっと差し出された封筒を、神様はすぐには取らなかった。

神使がそれを見て言う。


「これは家賃としてお支払いしたお金ですか?」

「はい。これは全てお返しします」

「気になさらないで下さい。一度お渡しした物ですし」

「でも」


言いかけた少女の言葉を、今度は神様が遮った。


「おじいさんが退院したら旅行にでも連れて行ってあげれば?」


少女が顔を上げる。


「…………」

「残りは入院費にでもまわせば良いし」

「でも……」


まだ躊躇うその声に、神様は少しだけ意地悪そうに目を細めた。


「気にしないで。それとも神が渡した物をいらないと言って返すつもり?」

「うっ!」

「神職を目指す者が神の心遣いを潰しちゃうの~」


にやっと笑う。


完全に逃げ道を塞ぎにかかっている言い方だった。


少女は言い返せず、ただ封筒を見下ろす。


神様は少しだけ声音をやわらげた。


「神宮へ行くんでしょ? 色々お金もかかるし、私からの餞別と思って」

「ありがとう」


その声は、さっきまでよりずっと素直だった。


横から神使がぼそりと挟む。


「神様? それ全額私の給料ですけどね……」


神様は聞こえなかったふりをした。



やがて日が傾き、別れの時間が来る。


夕方の空は薄い橙に染まり、家のまわりの山影がゆっくり濃くなっていく。玄関先には荷物をまとめた神様と神使の姿があった。来たときと同じはずなのに、今は妙に荷物が軽く見える。


「さてと、神様。忘れ物はないですか?」


神使が最終確認をすると、神様はぴしっと片手を上げた。


「ない!」


その返事だけは無駄に自信満々だった。

神使は少女の方へ向き直り、きちんと頭を下げる。


「では、少女さん。お世話になりました」


少女は二人を見つめたまま、少しだけ不安そうに笑う。


「また会えるかな」


その問いに、神様は間髪入れず答えた。


「約束する。絶対に会える」


妙な確信に満ちた言い方だった。


少女の口元がやわらぐ。


「うん、楽しみにしてる」


そこで、神様がふと思い出したように懐を探った。


「そうだ少女ちゃん、これ」


すっと差し出されたものを見て、少女が息を呑む。


「あっ、神宮で買った私のお守り……に、似てる?」


神様は少しだけ視線を逸らした。


「私が作ったヤツだから御利益ないんだけど」

「これ、神様が作ったやつ?」

「まあ……こんな物しか私は作れないし」


あっさり言ってのけたが、その奥にわずかな気恥ずかしさが混じっているのは分かった。

少女はそのお守りを両手で包むように持つ。


「ありがと……神様から神宮で授与してもらったお守り、すごい御利益あったよ。今度は一生大切にする」

「いや、そこまでする必要は無いけど」


横から神使がすかさず口を挟む。


「神様の神階が上がったら作り直してあげて下さい」

「うっせーよ、犬ころ」


神罰が飛ぶ。


「痛っ」


そのやり取りを見て、少女がふっと笑った。


「ふふっ」


自然にこぼれたその笑顔を、神様は少しだけ眩しそうに見た。


「じゃぁ、暇なときラインちょうだいね~」

「分かった」


「では少女さん、お元気で」

「ばいば~い」


神使と神様の声が続く。

少女は玄関先に立ったまま、二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた。



電車へ乗り込むと、車内には夕方独特の気だるい静けさが流れていた。


窓の外では、見慣れた山々が少しずつ遠ざかっていく。

しばらく黙って景色を見ていた神使が、不意に口を開いた。


「少女さん、良い子でしたね」

「あれ? もしかして、ほの字?」

「からかわないで下さい」


神使は即座に返したが、その顔には少しだけ苦笑が滲んでいた。


「でも、良い神職になれそうですね」


神様は窓の外へ視線を戻したまま、ぽつりと呟く。


「あぁ、きっと……良い神になるな」

「何か言いました?」

「いいや」


神様は首を振る。


「まぁ、順番的にはお前が先だな」

「順番? 何のですか?」

「なんでもないよ~」

「?」


神使が首を傾げる。

そのとき、思い出したように鞄の中を探り始めた。


「そうだ、神様機構から神法違反の懲罰書が届いてますよ?」

「…………。はい?」


神様の動きが止まる。

神使は紙を開いて淡々と読み上げた。


「当面、全国の神職不在神社の管理を命ずる、だそうです」

「えっ?」


神様の顔が固まる。


「それと人事院からも届いています」

「は?」

「半年間、給料30%カットを命ずる、だそうです」


神様は数秒遅れて叫んだ。


「30%オフって何だよ! 手取りいくらになるんだよ!」

「6万切るでしょうね」

「無理! っていうか何でバレてんの?」


神使は肩をすくめる。


「さぁ?」


神様がじっと睨む。


「お前、まさかチクったんじゃないだろうな?」

「私は何もしてませんってば」

「なんだよー! なんでだよ! 完璧な作戦だったのに~!」


頭を抱えて嘆く神様へ、神使はまだ追い打ちをやめない。


「あとですね」

「なんだよぉ~……まだあるのかよぉ~」

「クレジットカードの明細に身に覚えのない項目があるんです」


その一言で、神様の顔から表情が消えた。


「…………」


「身に覚えありますか? 神様」

「…………」

「最近何か買われましたか? 例えばコンサートチケットとか」


神様はついに視線を逸らした。


「…………」


それが答えだった。

神使は深く頷く。


「これは神様の給料から天引きしておきますね」

「えっ?」

「来月まで給料なしです」


神様の顔が、見る見るうちに崩れていく。


「狛犬さま~……堪忍じでぐだざい……」

「あきらめて下さい」


神使の声は容赦がなかった。


「うぅ……」


しょんぼりと縮こまる神様を横目に、神使は窓の外へ視線をやる。


「と言う訳で、次の勤務先に行きましょう」


神様はびくっと顔を上げた。


「吉祥寺です?」

「まさか」


「下北沢です?」

「そんな訳ありません」


希望を順番に潰され、神様の口元がひくひくする。


「どこです?」


神使はそこで少しだけ楽しそうに微笑んだ。


「着いてからのお楽しみです」


その言葉を聞いた瞬間、神様の悲鳴が車内いっぱいに響いた。


「いやだー! おしゃれな街に行きたいよーーーーー!」


周囲の乗客の視線が一斉に二人へ注がれる。


神使は静かに目を閉じた。


神様の勤務先はまた変わる。次もきっと、面倒で、理不尽で、ろくでもないことばかりなのだろう。

それでも、少女はもう泣いていない。にょろにょろ神社にも先ができた。

そう思えば、今度の異動も少しはましに思えた。


たった一人の願いを叶えるだけでも、こんなに大変なのだと神使は知った。

この神様は神力がない。だから奇跡の代わりに足を使い、頭を下げ、ときには卑怯なくらい俗っぽいやり方まで使って、それでも誰かの願いへ手を伸ばそうとする。


ひどく効率が悪い。神でなくても出来ることばかりかもしれない。

けれど、だからこそ――と神使は思う。


自分にも、きっと隣で出来ることがある。

ふと視線を戻すと、神様はまだ「吉祥寺……下北沢……」と未練がましく呟いていた。さっきまでの少し真面目な余韻など、一瞬で吹き飛ばしてしまうような情けない顔である。


それを見て、神使は小さく笑った。


「次も頑張りましょう。私もお手伝いしますので」

「じゃあ……次の勤務先は新宿で……」


涙目のまま顔を上げる神様へ、神使は肩をすくめる。


「無理です。でも、きっと神様を必要としている方達と会えますよ」


そう返すと、神様は不満そうに口を尖らせた。だが、その顔にはほんの少しだけ期待した色も混じっていた。


電車は夕暮れの中を走り続ける。

窓の外で、沈みかけた光がゆっくり流れていった。


次に待っているのが、どんな厄介ごとかはまだ分からない。

分からないけれど、たぶんまた、この神様は騒がしく首を突っ込み、神使はその後ろをため息まじりについていくのだろう。


それでいい、と神使は思った。



第1章「ひのひの村」終わり―――

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