9. 成長する3人
「後ろだあああああああああああああ!」
野口の叫び声が倉庫内に響き渡る。振り返った伊藤と広瀬の目に映ったのは、口からよだれを垂らし、棍棒を振りかざした数体のゴブリンだった。ちょうど死角から現れたそれらは、既に二人に飛びかかる寸前だった。
「うわっ!」
広瀬は地面に転がり、荷物の山の下から這い出ようとする。しかし体重が乗った荷物は簡単には動かず、広瀬の体は半分埋もれたままだった。ゴブリンの一体が広瀬に襲いかかる。伊藤も状況を理解し、さっき手にしたばかりの棍棒を握り締めたが、間に合わない——そう思った瞬間だった。
「くそっ、来るなぁあああ!」
広瀬の叫び声と共に、彼の手のひらから炎の球体が飛び出した。オレンジ色の火球がゴブリンの顔面に直撃する。
「グギャアアァッ!!」
ゴブリンは悲鳴を上げ、顔を覆って後ずさる。皮膚が焦げる臭いが周囲に広がった。
「なっ、何だよ今の……!」
野口の目は信じられない光景を目の当たりにして見開かれていた。広瀬の手から火が出た。それも炎の玉が——まるでゲームの魔法のように。
「やっぱり……きた! スキルだ!」
広瀬は自分の手のひらを見つめ、狂喜した声を上げた。その顔には恐怖の代わりに、高揚感が滲んでいた。
一方の伊藤も、さっきとは明らかに違う動きで棍棒を振るっていた。通常の高校生には不可能な速さと精度で、二体目のゴブリンの頭部に棍棒を叩きつける。
「うおおおおおおおおお!死ねッ!」
棍棒が空気を切る音が鋭く響き、ゴブリンの頭蓋骨が砕ける音がした。生暖かい血が伊藤の顔に飛び散るが、彼は一切ひるまない。逆にその手応えに更なる興奮を覚えたように、次のゴブリンへと向かっていく。
「いけっ、伊藤!」
広瀬もなんとか荷物の下から体を引き抜くと、伊藤の隣に並んだ。二人はまるで息の合ったコンビネーションで、次々とゴブリンを倒していく。広瀬の火球が相手の動きを止め、伊藤の棍棒が致命打を与える。
野口はただ呆然と、その光景を見ていた。彼の目の前で、いつもゲームの話ばかりしていた二人が、まるで本物の戦士と魔法使いのように戦っている。それは確かに現実だった。血の臭い、悲鳴、炎の熱さ——すべてが生々しい。
最後の一体を伊藤が叩き伏せると、辺りには沈黙が戻った。二人の呼吸が荒く、汗と血で濡れた顔が興奮に赤く染まっていた。
「見たか!見たか野口!俺、魔法使えたぞ!」
広瀬が両手を広げ、歓喜の声を上げる。彼の目は輝いていた。
「ぼ、僕も……僕もだ!や、やっぱり、ぼ、ぼ、僕は魔法剣士だったんだ!」
伊藤も血に染まった棍棒を振り回しながら、普段は決して見せない高揚感を表現していた。二人は少年のように喜び、互いの肩を叩き合う。
「お、おい……何が起きたんだよ……」
震える声で野口が質問した。彼は未だに立ち上がれないでいた。恐怖と混乱で足の力が抜けていたからだ。
「スキルだよ!頭の中に言葉が浮かんだんだ!」
広瀬は興奮しながら、自分の手のひらを見つめた。
「なんか《火魔法》と《魔力操作》って言葉が頭に浮かんで...それを使おうと思ったら、本当に出来たんだ!」
「ぼ、ぼくも同じ!《身体強化》と《剣術》ってう、浮かんで、なんか、か、体が軽くなった!」
二人は自分の体を確かめるように腕を動かしたり、跳ねたりしていた。
「お前らマジで何言ってんだよ……」
野口は混乱していた。しかし確かに目の前で起きた現象は、科学では説明できない何かだ。魔法とスキル……そんな非現実的な言葉が、今や最も現実を説明する言葉になっていた。
「どうやって……そんなの手に入れたんだよ」
野口の問いに、二人は互いに顔を見合わせた。
「なんか……モンスターを倒した時に、頭の中に文字が浮かんだんだよな」
「そう、ぼ、僕も…」
「最初は気のせいかと思ったけど……なんか体が熱くなって、体の感覚が変わったんだ。もっと力が湧いてくるっていうか」
「それで、頭に浮かんだスキルを使おうって考えたら……なんとなくできた」
二人の説明は支離滅裂だったが、野口は理解できた。
この世界は、まるでゲームのようなシステムで動いているようだ。モンスターを倒せば何かの力を得て、スキルを習得する——そんな異世界転生モノの小説やゲームのようなルールが、現実に適用されている。
「俺も……俺にもできるのか?」
野口の声にはか細い希望が混じっていた。このまま普通の人間のまま、この地獄で生き残れるとは思えなかった。せめて彼らのように力を得られれば……。
「モンスターを殺せば手に入るんじゃないか?」
広瀬の言葉に、伊藤も頷いた。
「た、たしかに…。ぼ、僕も、も、モンスターを倒したから、スキル使えるように、なったかも…」
その夢のような言葉に野口は興奮した。自分もモンスターを殺せば力が手に入るかもしれない。でも、殺すのは難易度が高い。野口1人でモンスターを倒せるとは思えなかった。
「でも、俺1人で殺さないよ!」
伊藤と広瀬は顔を見合わせて仕方ないな、と笑った。
「俺たちがパワーレベリングしてやるよ!」
「ぼ、僕も、手伝う!」
野口にはとても心強い提案だった。安全にスキルを手に入れるチャンスだ。3人は同じ境遇に追い詰められ強い絆が生まれていた。
「よし、あそこにゴブリンがまだいるぞ。弱らせてやるから、最後のトドメを野口が刺すんだ」
広瀬の指さす先には、棚の荷物や死体を物色しているゴブリンが1匹いた。おそらく襲ってきたゴブリンの仲間だ。、
「いきなり!?」
野口は尻込みした。しかし広瀬は彼の肩を強く掴んだ。
「大丈夫だって。俺たちがいるから」
初めて見る広瀬の頼もしさに、野口は弱々しく頷いた。
作戦は単純だった。広瀬と伊藤がゴブリンを追い詰め、弱らせる。そして最後の一撃を野口が与える。
二人はさっそく動き出した。
「おーい、こっちだぞ、クソ野郎!」
広瀬の挑発に、ゴブリンは怒りの声を上げて飛び出してきた。伊藤が素早い動きで背後を取り、ゴブリンの脚を払う。転倒したゴブリンの上に、広瀬の小さな火球が降り注ぐ。
「グギャアッ!」
ゴブリンは痛みに悶え、立ち上がることもできないほど弱っていた。
「今だ、野口!」
広瀬の声に、野口は震える手で床に落ちていた棍棒を拾い上げた。ゆっくりと近づき、目を閉じたまま振り下ろす——。
「ぐぎゃっ……」
鈍い音と共に、ゴブリンは動かなくなった。
「やった!」
広瀬が拳を突き上げる。伊藤も満足そうに頷いている。
その瞬間、野口の頭の中に何かが浮かび上がった。
《危険感知》《回避》
「うわっ!」
野口は驚いて尻もちをついた。頭の中に確かに言葉が浮かび、体が熱くなる感覚があった。なぜか直感的に、自分がより敏感になり、身体能力が高まったことを感じた。
「浮かんだ!俺の頭にも何か浮かんだぞ!」
野口は興奮して叫んだ。彼にもついにスキルが宿ったのだ。
「何が浮かんだ?どんなスキル?」
広瀬と伊藤が好奇心いっぱいに尋ねる。
「《危険感知》と《回避強化》だって!」
「おお!危険を察知できる感じ?」
「それめっちゃ便利じゃん!」
3人はハイタッチを交わし、まるで戦友のように笑い合った。
この極限状況の中で、彼らはゲームでしか体験したことのない冒険を、現実として生きていた。恐怖は確かにある。しかし今、それを上回る高揚感が彼らを包んでいた。
「そういえば、ゲームだとモンスターからアイテムドロップするよな」
広瀬が言い、3人は顔を見合わせた。
「探してみるか」
野口も興味を示し、三人はゴブリンの死体を調べ始めた。最初は躊躇いがあったが、すぐに慣れた手つきでゴブリンの体や所持品を漁っていく。
「うわっ、臭い……」
野口は鼻をつまみながらも、ゴブリンの腰布を調べた。
「何かあった!瓶がある!」
広瀬が小さな濁ったガラスの小瓶を見つける。中には赤い液体が入っていた。
「ポーションじゃないか?RPGだとこういうの回復薬だよな」
「棍棒も良い武器になりそうだ」
伊藤は使い勝手の良さそうな棍棒を選び出し、持ち替えた。
「腰布は……要らないよな」
野口は汚れた布を元に戻した。
収穫を確認すると、三人の顔には満足感が広がった。恐ろしいモンスターが、今や彼らにとっては経験値とアイテムの供給源になっていた。それはまさに、ゲームの世界の論理だった。
「よし、もっと狩りに行こうぜ!」
興奮のあまり、広瀬はそう提案した。伊藤も目を輝かせて頷く。野口は少し躊躇ったが、新しく得たスキルへの好奇心が勝った。
「そもそも、俺たちどこに向かってたんだっけ?」
野口が質問すると、一瞬三人は顔を見合わせた。
「あ、クリーニングルームだ。奥本の防寒具を……」
伊藤が思い出したように言ったが、すぐに表情を曇らせた。
「あんな奴の為に命懸けるなんてバカらしいよな」
「確かに。今の俺たちなら、あいつらに従う必要なんてないんじゃないか?」
広瀬の言葉に、三人は意味ありげな視線を交わした。力を得た彼らは、もはや奥本たちに恐怖する必要がなかった。むしろ今では、彼らの方が力を持っている。
「まあ、とりあえずもっと探索しようぜ。クリーニングルームの方向で良いだろ」
広瀬の提案に二人は頷き、より深い倉庫の内部へと進んでいった。
彼らは自分たちの殻を破り、新たな力を得た喜びに浸っていた。恐怖の中で芽生えた力は、彼らに自信をもたらした。
しかし、その自信が過信へと変わるのに、時間はかからなかった。
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「ぼ、僕、先にいく!」
伊藤は自信満々に廊下を駆け抜けていく。新たな力を得て、彼の動きは俊敏になっていた。広瀬も負けじと後に続く。野口は彼らより慎重に、周囲を警戒しながら進んだ。
「《危険感知》が何も反応しないな。このあたりは安全かも」
新しく得たスキルで野口は周囲を警戒しながら進む。倉庫の奥へと進むにつれ、照明は暗くなり、空気はより冷たく、重くなっていった。
「なあ、俺ら強くなったよな?スキルあればモンスターなんて怖くないぜ」
手に火を浮かべながら口にした軽口に、2人は笑顔で頷いた。いつもは余裕がなくて小物感が滲み出ていた広瀬に自信に満ちている。スキルの効果は、単なる力以上のものを彼らに与えたようだった。
彼らが大きな倉庫スペースに入ると、突然、野口の体が強張った。
「待て!何か、危険を感じる!」
その言葉が出た瞬間、暗がりから巨大な影が飛び出してきた。
「うわっ!」
咄嗟に身を低くする。
彼らの頭上を、成人男性ほどの大きさの狼のような生き物が飛び越えていった。それは狼というには大きすぎ、筋肉質の体に鋭い牙と爪を持っていた。
「なっ、何だあれ!ゴブリンとは全然違う!」
広瀬の声が震えていた。さっきまでの自信は何処へやら、純粋な恐怖が彼を支配していた。
「ワーウルフ……きっとそう、ゲームにいたやつだ」
伊藤も青ざめた顔で呟いた。
狼型モンスターはゆっくりと彼らに向き直り、唸り声を上げた。その目は知性を感じさせる鋭さで、彼らを捕食者として見据えていた。
「逃げるか……?」
誰かの弱気な提案に、広瀬は一度は頷きかけたが、何かを思い出したように首を振った。
「いや、俺たちにはスキルがある。さっきのゴブリンも倒せたんだ。これも……」
広瀬は手を前に突き出し、《ファイアボール》を放った。炎の球体がワーウルフに向かって飛んでいく。しかし、モンスターは軽々とそれを避け、更に距離を詰めてきた。
「うわっ、速い!」
伊藤も棍棒を構えるが、ワーウルフの動きは彼の反応速度を上回っていた。
「っぅぐわぁあああ!」
分厚い腹部にワーウルフの前脚が直撃し、伊藤は数メートル吹き飛ばされ、壁に激突した。
「伊藤!」
野口が叫ぶも、ワーウルフは既に広瀬に襲いかかっていた。広瀬は必死で次の魔法を放とうとするが、間に合わず、腕に深い引っ掻き傷を負った。
「うあああっ!」
広瀬の悲鳴が倉庫内に響く。ワーウルフの爪は、防寒具すら簡単に引き裂いていた。
野口は絶望的な状況に立ち尽くしていた。この相手は、彼らの力では太刀打ちできない。ゴブリン相手に勝利し、調子に乗っていた彼らは、より強大な敵の前では無力だった。
「逃げるしかない!」
野口は近くの死体を利用することを思いついた。彼らが先ほど見た惨状、あの腹を裂かれた管理部のリーダーの遺体が、まだそこにあったはずだ。
「広瀬!あれを投げろ!」
野口の指示に、広瀬は何とか理解し、近くにあった内臓の一部を手に取り、ワーウルフに向かって投げつけた。血と肉の臭いに、ワーウルフは一瞬動きを止める。
「今だ!伊藤を助けるぞ!」
2人は負傷した伊藤の元へ急ぎ、彼を担ぎ上げた。ワーウルフが再び襲いかかってくる前に、彼らは急いで倉庫から逃げ出した。
「こっちだ!」
野口の《危険感知》が、比較的安全な方向を指し示す。必死で走り、いくつかの部屋を通り抜け、ようやく安全そうな小部屋に逃げ込んだ。
「ハァ……ハァ……」
3人は床に倒れ込み、荒い息をついた。伊藤は意識があるものの、腹部を押さえて苦しそうだった。広瀬の腕からは血が滴り続けている。
「くそっ……なにあれ……強すぎる……」
広瀬が悔しそうに呟いた。彼の顔は青ざめ、先ほどまでの高揚感は消え失せていた。
なんとかしないと不味い状況だ。危機感が募って焦るが、ふとある事を思い出した。
「ポーションがあるじゃん」
野口は先ほど見つけた赤い液体の入った瓶を取り出した。
「これが本当に回復薬かは分からないけど……」
もはや選択肢はない。野口はまず伊藤に瓶を渡した。
「飲んでみろ」
伊藤は躊躇いなく液体を飲み込んだ。しばらくすると、顔色が良くなり、苦しそうな表情が和らいでいく。
「き、効いてる……?痛みが、ひ、引いてきた…かも」
伊藤の言葉に、野口と広瀬は安堵の息をついた。これで少なくとも一命は取り留められそうだ。
広瀬は残った液体を自分の腕の傷口に塗りつけた。傷が塞がる様子は無かったが、出血が止まったようだった。
「やっぱりゲームみたいだな……」
広瀬は弱々しく笑った。
「モンスターは危ないな……」
野口の言葉に、二人は黙って頷いた。彼らはゴブリン相手に勝利し、自信を持った。しかし、この倉庫には更に強力な敵がいることを、身をもって思い知らされた。
「あいつ、俺たちとは比べ物にならないくらい強かった」
ゲームのような力が現実に存在する世界。しかし、それを測る具体的な数値はなく、ただ体感と直感だけが彼らの指針だった。
それでも3人は強くなった実感があった。
「でも、強くなったよな?」
広瀬が二人に尋ねる。
「うん、さっきより体が軽い気がする...」
「ぼ、僕も、ち、ち、力がUPしたかも…」
3人は顔を見合わせた。何か成長した感覚はあるものの、それを正確に測る術はない。ただ一つ確かなのは、力不足であることだ、
「そういえば、防寒具……どうするよ」
ようやく野口が、彼らの本来の目的を思い出させた。
「ああ……そうだったな」
3人は冷蔵エリアに残ってきた人々のことを思い出す。その中には、彼らを簡単に外に追い出した奥本もいれば、反対しなかった社員たち。
「いい加減疲れたよ…」
広瀬は腕の傷を見つめながら溜息をついた。ポーションで応急処置はできたものの、傷の痛みはまだ残っていた。
「ぼ、僕も、もう無理…」
伊藤も腹部を押さえながら弱々しく呟いた。ワーウルフの一撃は想像以上に強く、肋骨にヒビが入っているのではないかと思えるほどの痛みがあった。
「このまま冷蔵エリアに戻るか?」
野口の提案に、最初は2人とも首を横に振りかけた。奥本たちへの怒りと不信感は消えていなかった。彼らを危険な目に遭わせておきながら、何の責任も取らない連中の顔を見たくない気持ちがあった。
「戻るしかないか、…怪我な手当しないと」
広瀬は現実的に考え始めた。新たな力を得たとはいえ、人間だ。疲労と痛みには勝てない。
「とりあえず体を休めよう。防寒具は…見つからなかったってことにして、一旦戻ろう」
野口の提案に、2人は同意した。今最も必要なのは、安全な場所で体力を回復することだった。奥本への対応は、体を休めてから考えればいい。
「そのほうがいいな。冷蔵エリアの連中がどうなろうと知ったことじゃないけど、俺たちが倒れたら元も子もない」
広瀬の言葉に頷いた。彼らは苦々しい表情を浮かべながらも、来た道を引き返すことに決めた。
野口の《危険感知》を頼りに、彼らは慎重に移動する。伊藤と広瀬は傷のため、通常より動きが鈍かった。
それでも三人で協力しながら、何とか冷蔵エリアの前までたどり着いた。
広瀬が扉を見つめる。その目には苛立ちと疲労が混じっていた。3人は互いに顔を見合わせ、深く息を吸ってから、ドアを叩いた。
「おーい、開けてくれ」