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ダンジョン生存競争  作者: りど
1章 倉庫編
5/9

5. 寒さ

 ドンッ。


 扉が揺れるたびに、皆がじりじりと後退した。佐々木は真っ青な顔に涙を溜め、震える手で必死に床を掴みながら助けを求めていたが、誰一人として彼女に駆け寄る者はいなかった。


『グルルルゥ……』


 唸り声が扉のすぐ外から響く。鋭く、重く、低い。それはまさに獣の呼吸音。ドンッと扉が軋むたび、冷蔵エリアの空気はさらに冷え込み、全員の心を氷のように凍てつかせた。


 佐々木の視線は助けを求め、美雲の目とぶつかる。しかし、美雲は体を震わせたまま動けなかった。唇は真っ青で、肩は小刻みに震え、助けたくても恐怖で体が硬直していた。バケモノが立てる音、周囲の誰もが必死で抑える呼吸音、それらすべてが美雲の耳には異常に大きく響いていた。


 ——怖い。怖い。怖い。動けない。


 誰一人声を出さず、動かず、ただ時が過ぎるのを待った。


 


 どれだけの時間が経ったのか分からない。だが、ようやく唸り声が止み、扉も静まり返った。


 最初に動いたのは五十嵐だった。音を立てぬよう、ゆっくりと歩み寄り、扉に耳を当てる。息を殺して聞き入る彼の表情が緩むと、そっと皆にジェスチャーで「いない」と伝えた。


「……っはぁ……」

「も、もう大丈夫……?」


 誰かが呟いた瞬間、皆の体から一斉に力が抜けた。その場にへたり込み、頭を抱えて嗚咽する者、涙を堪えて目を伏せる者。美雲もがくりと座り込み、胸に手を当てて荒く呼吸を整えた。


 ——よかった……生きてる……。


 安堵と共にまた涙が浮かび上がる。美雲は嗚咽を噛み殺し、静かに涙を拭った。その視線の先で、佐々木がじっと美雲を睨んでいた。助けを求めたのに動かなかった彼女に対する、冷たい視線だった。


 


 五十嵐がそっと佐々木に手を差し出す。「大丈夫?」と優しく声をかけられた佐々木は、潤んだ瞳で頷いた。


 「うん……ありがとう……五十嵐さん……」


 その時、小さなうめき声が響いた。


 「……ぅ……」


 二人の目が自然と倒れた田中に向く。五十嵐は急いで脈を、佐々木は呼吸を確認した。


「見て……呼吸してる!」

「ほんとに? よかった……!」


 安堵の声がこだまする。殺されてはいなかった。その事実に、罪悪感に怯えていた人々の表情が少しだけ和らいだ。


 


 だが、次の問題がすぐに襲いかかった。


 冷蔵エリアは、気温が5度に保たれている。興奮と恐怖で忘れていたが、落ち着いた今、その寒さが骨の芯まで染み込んでくる。


「……さむっ……」

「このままじゃ風邪どころじゃ済まないよ……」

「防寒具はどこだよ!」


 高橋が畠山に詰め寄るように問いかける。畠山は重苦しい表情で答えた。


 「……外だよ。扉の外、入ってすぐの棚にある」


 凍りついたような沈黙が流れた。


「……ないの? 中には……」

「冷蔵庫の中に防寒具置いてどうすんだよ……冷え切るだけだろ」


 佐藤の問いを、畠山が静かに返した。誰も反論できなかった。


 


 美雲は冷えきった体を小さく丸め、震えていた。ガリガリに痩せた体は寒さに極端に弱く、手足の感覚も徐々に失われていく。


 ——さむい……こわい……死んじゃうかも……


 震えながらも、美雲は倒れている田中の傍に身を寄せた。誰も近づかない彼の体から少しでも温もりをもらおうと、震える体を寄せて座り込む。ハンカチを取り出し、田中の額の血をそっと拭った。


 ——助けなきゃいけない。けど、私じゃ無理……


 自分の無力さに押し潰されそうになりながら、それでも田中の命の火を絶やしたくなかった。


 



 時間だけが過ぎていく。寒さは確実に皆を蝕み、震えは止まらなかった。奥本はバイトの伊藤の防寒具を無理やり奪って羽織り、他の誰よりも早く暖をとっていた。


 美雲の意識は、次第に朦朧としていく。震えすぎて呼吸すら苦しくなり、ぼんやりと視界が霞んでいく。


 その時だった。


 『氷結耐性 Lv.1』

 『恐怖耐性 Lv.1』


 ——頭の中に文字が浮かんだ気がした。


 寒さと恐怖で狂ったのかと一瞬思った。けれど、不思議なことに、さっきまでの震えが少しだけ楽になっている。


 ——あれ……? 気のせい……? 少し、楽かも……


寒さに慣れたわけでもない。明らかに体が違う。鼓動は一定で、視界もはっきりしてきた。

田中の脈も確認しながら、美雲はうっすらと微笑んだ。


 ——なんでだろう……でも、なんか、大丈夫な気がする……


 


少しずつ思い出す。バケモノに襲われたあの時も、何かが頭に浮かんだような気がする。


 ——私、あのときも……なにかが……


だが、思い出すのが怖い。


あの恐怖を思い出すには、まだ心が弱すぎる。

けれど、美雲はわかっていた。


——思い出さなきゃいけない。きっと、あれは生きるための力なんだ。


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