①失意の婚約破棄
「フィーリア。実はランディスとお前の縁談の話だが……。その……やはり彼は我が侯爵家を継いでもらう器ではなかった。婚約は白紙に戻すことにした。すまぬな」
ルノー・ド・ペリゴール侯爵の長女であるフィーリアは、父の執務室に呼び出されて突然告げられた。
「な、なぜですか、お父様! そんな……嫌です……」
フィーリアは青ざめた。
そんなの納得できない。だってランディスは……。
ランディスは、いつだってフィーリアが一番好きだと言ってくれていた。
フィーリアの真っ直ぐで重たい黒髪と、生真面目で隙のない渋緑の瞳が可愛いと褒めてくれた。
不正を見抜く洞察力も、騎士と対等に戦えるほどの剣さばきも、さすがは司令官の娘だと、女にしておくのはもったいないと褒めたたえてくれていた。
世界で唯一、フィーリアが一番だと言ってくれる人だったのに。
「待って下さい、お父様! ランディス様に力不足のことがあれば、私がお支え致します! 家のことも領地のことも、騎士団の仕事だって、馬の世話だって、力仕事だって、泥掃除だって、なんだって私が代わりにします! だからどうか……」
正直、草食系のランディスよりも体力があるのでは……とフィーリアは常々思っていた。
できる方が補えばいいだけの話だ。
問題ない。
「いや、フィーリア。さすがに女のお前に騎士団の仕事をさせる訳にはいかぬ。それに侯爵が泥掃除をすることはない。そういうことではないのだよ」
父は困ったように目を伏せた。
「ではどういうことでございますか?」
父であるペリゴール侯爵は地方の小貴族から身を起こし、騎士団長となって大活躍して認められ、侯爵の爵位を授けられるほどの人物だった。
今は王様の側近として仕えながら、騎士団の総司令官を兼務している。
騎士達の目標であり、憧れの存在でもある。
人格も素晴らしく、騎士団の面々にも慕われていた。
そんな父の血を、容姿ともに色濃く引いていると言われているのがフィーリアなのだ。
男児に恵まれなかった父は、騎士団の団員をことのほか可愛がり、手厚く世話している。
ペリゴール家の女性が週に一度、王都在中の騎士団に差し入れをするのも、そんな父の厚意の一つだった。
父はこの騎士団の中から婿養子を迎え入れ、侯爵家を継がせたいと思っていた。
騎士団に入るのは、大抵が家督を継げない貴族の次男以下だったり、立身出世を目指す腕に自信のある平民だったりする。
継ぐべき爵位を持たない騎士団の男達にとっても、願ってもない縁談話のはずだ。
だが残念ながら、数多の騎士達の中でフィーリアと結婚したいと言ってくれたのは、ランディスただ一人だった。
それには悲しい訳があった。
「まさか……ランディス様は……」
フィーリアは、はっと気づいたように呟いた。
それに答えるように、突然執務室の扉がばんっと開かれる。
「すまないっ! フィーリア! どうか許してくれ‼」
「ランディス様……」
茶色の長髪に、女性受けする甘い顔立ちのランディスが部屋に飛び込んできた。
フィーリアにはもったいない美男子だと……好きと言ってくれたことを心から感謝していたのに。
「これ以上、自分の気持ちを偽ることができなくなったんだ! すまない、許してくれ」
「自分の気持ち?」
思わず聞き返してしまったが、答えは分かっていた。
「ルシアを……。ルシアを愛してしまったんだ。いや、本当は最初から僕はルシアのことが好きだったんだ。そのことに気付いてしまった……。すまない」
ああ、また……。
とフィーリアは心の中で思った。
こういう場面はもう何度経験したことだろうか。
いや、正式に婚約破棄という形で面と向かって言われたのは初めてだが、片思いのままこうやって振られる経験は数えきれないほどしているフィーリアだった。