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12.02.2024 一部加筆修正。
星が空に輝く頃、夜が闇を連れてくる。しんと静まり返った住宅街には中世ヨーロッパを思わせる煉瓦造りの家が等間隔に並んでいる。歩道には黒の街灯がオレンジ色の炎を揺らめかせ夜の街を輝かせていた。タイマーがセットされたこのガス灯は日が落ちれば自動的に点灯し朝になれば役目を終える。この辺りは富裕層向けの住宅地で外観は全て統一されまるで絵画を切り取ったように美しい風景が続く。
ここは「王都」と呼ばれる繁華街。国のシンボルである豪勢な城を軸に高級住宅街が円形上に広がっている。この住宅街を抜けると東西南北の主要位置に大きな広場が設けられ一般市民が暮らす住宅地が続く。一般住宅地の建物はデザインが統一されておらず煉瓦や屋根の色がバラバラで住人の好みによって家の外観は変わる。街灯も少なく夜道を歩くにはランタンが必要で、道は舗装されているが所々でこぼこで馬車が走れば上下に揺れる粗末な作りだ。
その簡素な住宅街の一件に小さな明かりがついていた。焦茶色の煉瓦で造られた外装に鮮やかなオレンジ色の屋根が目立っている。一見すると小さい部類に該当するその家は一人暮らしには充分な広さだろう。リビングとダイニングは一体型で部屋の中央には木製のテーブルと二人分の椅子が置かれている。食器棚には可愛らしいデザインの食器が並び狭い室内に無理矢理置かれた二人掛けのソファは真新しく傷一つない。
蝋燭の僅かな光が照らすリビングは薄暗く夜に相応しい静かな空間が広がっていた。その灯りを頼りに一人の青年がある書類を見つめている。深緑色の皮張りのソファに沈み込む青年は随分疲れた顔をしていた。襟足の長いオレンジブラウンの髪に紅色の瞳。細身のバランスの取れた体躯を持つ青年は白のワイシャツに黒のパンツ姿でガウン代わりに白衣を羽織っている。それは青年の立派な仕事着だった。
瞳を酷使しながら青年は熱心に書類を睨む。紙の上には人間には理解できない難解な数値や言語が並び何かの研究報告が綴られていた。細かな文字の羅列を目で追う青年は不機嫌そうだ。仕事中は一括りにしている髪が首元にちくちく刺さり集中力を途切れさせていく。その悩ましい表情さえ青年の整った顔立ちをより端正に彩っていた。
深い溜息をついて青年は瞳を閉じる。諦めたように資料を床に落とせば紙の擦れる音と共に床に落ちた書類は無造作に散らばった。お手上げだと笑う青年は大きく伸びをして開き直り天を仰ぐ。その戯けた仕草は顔に似合わず可愛らしかったが紅い瞳は現実逃避するようにどこか遠くを見ていた。天才と称され数々の輝かしい功績を残してきた青年にとってここまで悩まされる難題を突きつけられたのは初めてだ。だらりと四肢を投げ出した青年はソフアに沈み込む。その足元には小柄な少女が座っていた。少女は突然目の前に広がった紙に驚いている。それを無意識に拾おうとしたがソファに座る青年に遮られた。
「いいよ、そのままで。俺はもうそんな紙切れに興味ないから」
小さく白い手を柔らかく握り込んだ青年は腕に力を込め軽々と少女を膝の上に迎え入れる。その唐突な動きに驚いた少女は黒曜石の瞳を大きく見開きながら青年を見上げた。薄い桃色のワンピースが中途半端に乱れ少女のセミロングの黒髪が肩から流れ落ちる。その髪を一房手に取ると青年は少女の耳に髪をかけ直す。まるで恋人のように見つめ合った二人は互いに微笑んだ。
人間と食人種。捕食関係である歪な関係の中、二人はこの小さな家で共存していた。
青年の名はネクター。人を食べ、人を研究し、人類を滅ぼそうとしている化け物である。少女の名はミト。ただの非力な人間でありネクターの研究資源として生かされた実験動物だ。
二人の出会いは薄暗い地下牢から始まる。
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