三人の娘
明治30年4月11日。
ゆきの最初の出産は安産でした。
母親の死を経てからの出産で、精神面を夫・宗次郎は心配していました。
生まれてきた子は、前世での私の祖母です。
祖母の名前は はつゑ 。
誰が名付けたのか私は知りません。
この世界では、誰が名付けるのか?
夫・宗次郎は舅が名付けるものと思っていました。
舅は「宗次郎さんに考えて貰ったらええのやして。」と言ったのです。
宗次郎は恐縮して「お義父さん、ほんにええのでございますかのし。」と何度も聞きました。
舅は、その都度に「この子のお父さんは、宗次郎さんやして。」と答えました。
考えた末に付けられた名前は「はつゑ」でした。
「初めての子やして…な…。
【はつ】を入れたんや。
どないや……ゆき。」
「ええ名を付けて頂かして。
おおきに。
ほんに、ええ名をお父さんに付けて貰えて……。
幸せな子でございますよし。」
そう抱いている我が子を二人で見つめると、自ずと二人とも微笑みがこぼれたのです。
それでも、ほんの少し変えたい思いが強かった私は夫に頼んだのです。
「旦那さん
女でも漢字を使うのは……
どないでございますかのし。」
「漢字か……
ええなぁ。
………ほなら……初枝……は、どないや?」
「初めての初。
浅井三姉妹の二女の初と同じ漢字でございますよし。
ええ名でございますのし。」
祖母の前世の名前は、はつゑ。
この世界の祖母の名前は、初枝。
少し変えることで祖母の人生を変えられるようになったのではないかと思ったのです。
生まれてきた子が女の子だったので周囲は残念がりました。
陰で酷い言葉を言う者もいました。
「男が多く生まれてる家から来た婿さんやのに……な……。
女やして…。」
落胆からの酷い言葉の後に誰かが言う言葉もありました。
「けんど……次は男に決まったある。」
「そんな…決まってない!」と私は思いましたが、何も言えませんでした。
ただ、夫・宗次郎の心に深い傷を残したくはありませんでした。
どんな言葉を掛ければ良いのか全く分かりませんでした。
そんな日を過ごしている時に、宗次郎にとって舅である父親が言いました。
「宗次郎さん、『すまんことでございます』は………
言わんでもええのや………。
もう7代も男に恵まれてない家やして………。
女でも成人してくれたら
それだけで、ええのや。
………儂は、ゆき一人。
儂と同じやったら…ええ。」
舅の言葉がどれほど宗次郎の心を癒したか……。
それでも……私は私の言葉で、私の態度で宗次郎の心をほんの少しでも楽に出来れば……と考えていました。
宗次郎は明治の男性なのに、イクメンでした。
初枝が泣けば抱き上げてあやしたり、オムツを替えたりしたのです。
そんな宗次郎を見た周囲の人たちは「あんなことなさっての……女のすることやのに…の…。」と陰口を言ったのです。
私は申し訳なく……
「旦那さん、私がしますよって
どうぞゆっくりなさって頂かして……。」
「ゆきこそ、身体が弱いんやからの……
無理したら良ない。
儂が初枝を見てる間、横になったらええ。」
「旦那さん……
甘えてばかりで申し訳ありませんよし。」
「何を言うのや。夫婦やないか。
けんど……儂は乳をあげられへんのや。」
「まぁ………旦那さん……。」
初枝に授乳できないことを嘆く宗次郎が私には可愛らしく思えました。
初枝を産んだ後、2年後に次女を………。
その3年後に三女を私は産みました。
⦅あぁ………おばあちゃんと同じやわ。
三姉妹。⦆
次女も三女も名付けたのは夫・宗次郎でした。
次女の名前は、文乃。
文月に産まれたからです。
三女の名前は、睦美。
睦月に産まれたからです。
宗次郎の娘への愛情は深く……
【子煩悩】なのです。
それは早く別れるからではないかと私は思ってしまいました。
そして、別れは………
夫・宗次郎よりも父親との別れが先にやって来ました。
三女を産んで間もなく、ゆきをこよなく愛した父親が息を引き取りました。
「三人も孫娘を産んでくれて
ほんに嬉しい…
……あっちで待ってくれてるみたいやな。」
そんなことを言っては婿に
「お願いでございますよし。
どうか、そんな寂しいこと
言わんといて頂かして。
お願いでございますのし。
きっと、良なりますよし。」
そう励まされて、娘と娘婿に看病されて、婿養子の務めを果たされなかったとの想いを呟いた後、急変して逝ってしまったのです。