夫婦《めおと》
ゆきの夫は本当に優しい男性です。
私の祖母が「お父さんはホンマに優しい人やったんや。そやのに、母親は『あんな優しいだけの人。男らしない! 男やったら殴ったり蹴ったりするもんやして…。それが出来る男が男らしい男やして。』とか言うて…。 あんなに優しいお父さん…。」と言っていたのです。
何度も言っていたのです。
ゆき は一人の跡継ぎ娘だったからか……。
両親の溺愛を受けて育ち、叩かれたことも大きな声で叱られたこともなかったようでした。
それが私から見て【間違った男性観】を持ってしまったのではないかと思っていました。
両親の溺愛については、思っていた通りだったと感じています。
それでも、その愛情を両親の愛情を感じられずに育った私には羨ましく、そして、ゆきに変わって生きている今を嬉しくも思うのでした。
ゆきの夫・宗次郎は声を荒げることもなく、ましてや手を上げることなど全くありません。
ゆきの両親、ゆきだけではなく、村の人にも、使用人にも優しく伝えるのです。
病床に伏していた時の姑を背に負って庭の縁台に座らせてくれるなど…
何気ない言動に優しさを感じていたのは私だけではありませんでした。
両親も山や田畑を管理する能力が優れていて優しい物言いの婿・宗次郎を好ましく思っていました。
「良い」と思ったことでも、必ず舅を立てて「どうでございましょうかのし。」と伺いを立てるのです。
全て婿に任せようと決めていた父親は、立ててくれる婿を「ほんに良かったのう。宗次郎さんに来てもろうて!」と私に何度も言いました。
妊娠が分かると病床に伏している母親は「ほんに良うございました……。」と涙を袖で拭い、そんな母親に宗次郎は「お義母さん、ゆきも儂も子どもを授かるのは初めてでございますよって、お義母さんに助けていただきたいと思うてるんでございますよし。」と少しはにかんで言いました。
妊娠したゆきを宗次郎は「気ぃつけて…な…」と足元をに気をつけるように言い、必ず手を繋いだのです。
初めて手を差し出された時、私は『この時代の男性がこんなことするやなんて!』と驚きました。
優しい夫を私は好ましく思うけれども、本物の ゆき は「優しいだけの頼りない男」と思っていたのです。
そういえば………
結婚当初は自分のことを【僕】と言っていた宗次郎が、いつの間にか【儂】と言うようになっていました。
まるで舅を真似るかのように………。
母親が亡くなったのは祝言を上げてから半年が過ぎた頃でした。
優しくお歯黒を塗ってくれた母親だった。
明治3年に「刀を持つこと」「ちょんまげを結うこと」が政府によって禁止され、「お歯黒」も同様でした。
「お歯黒」については農村部では、まだこの頃塗っていたのです。
「お歯黒」を塗ってくれたことが一番最後で一番の思い出になったのです。