お歯黒
妻になった ゆき。
私は少し体が動くようになってから祝言の日までに「この時代の家事」を覚えないと…と思ったのです。
⦅電気もガスもない…。
ご飯………どうやって炊くんやろ?!
竈?
火を起こすのは何で?
あぁ――― 分からへんやん。
誰かに教えて貰わなアカン。⦆
教えてもらいつつ祝言の日までに身体もしっかり動くようにしようと思ったが、この時代の家事労働は大変で…。
家事をするうちに身体もしっかり動くことが出来るようになったのです。
ゆきの母親は6人子どもを産んで成人できたのは、「ゆき」一人だったのです。
一番最後に産まれた娘だけが生き残ったので、ゆきの父親も母親も溺愛して育てたのです。
溺愛されていたゆきは、「我儘な娘」に成長していたのですが…
あの高熱からの生還の後のゆきは全くの別人のように「ありがとう」を言うことが出来、優しい笑顔を誰に対しても見せるようになったとの評判に変わっていました。
ゆきが変わったことで祝言の時も「美っつい花嫁御寮やして!」「ほんに 可愛らしことでございますのし。」と、その姿を見た人たちは口を揃えたのです。
きっと以前のままであれば違った言葉を陰で言われていたのであろうと言う人も居たのです。
祝言の後、私は初めてお歯黒を塗りました。
このころの日本の地方では、まだ江戸時代にしていたお歯黒を既婚女性はしていました。
東京や大阪、名古屋などではお歯黒は消えた文化だったのかもしれません。
鏡でお歯黒を付けた顔を見て、「御っさん になったんやなぁ………。」と思いながら、自分の顔を見ている私に母親は言いました。
「これで私が教えることは無うなった…なぁ…。」
「お母さん……
まだまだ、これからも教えていただかして!」
「教えること無うなったと思いますよし……。」
「いいえ、お母さん
まだまだ、ありますよし。」
「…ゆきは… ほんまに… 優しい子やして……。」
そう言って涙ぐんだ母親を見て、私は「ゆきさんは、うちと違うんやな… 両親に愛されてる。羨ましいな…。」と思ったのです。
祝言の後、ゆき の父親は宗次郎に家督を相続し隠居しました。
杉本本家の戸主に宗次郎がなりました。
そんな穏やかな日は母親が病床に伏すまで続きました。
ゆきの花嫁衣裳を見て安堵したのか………
床に臥す日が増えて、起き上がれなくなりました。
ゆきの妊娠を伝えた時、初めての孫の誕生を心待ちにして……
「ゆき……
お産の時は辛いけどの……
無事に生まれてきてくれたらな……
どんな痛かったか……忘れてしまうんやして……
それくらい、ゆきは可愛らし子……
……ゆき…ありがとう……」
「お母さん
そんなこと言わんといて頂かして。
生まれてきた子を抱いて頂かして……。」
「そうでございますのし。
お義母さんに、ゆきの傍に居て頂かんと
ゆきが困りますよし。」
「儂も困るからな……。」
そんな会話をした後の初夏の雨上がりの日でした。
母親は家族や一族郎党に看取られて静かにその生涯を閉じたのです。
子どもを何人も産んで…たった一人 ゆき だけしか成人できなかった母親。
母として辛い人生だったのではないかと見送りながら私は思ったのでした。