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愛猫

作者: 樫尾 千円

五時に起きて、自分と同居人の弁当を詰めながら、先週末に火葬を終えて墓で眠っている猫のことを思いました。

弁当の中身は、卵焼きと焼鮭。あとは冷凍のブロッコリーです。

少し早く起きてしまったせいで余白が生まれ、それを使って書きました。

朝の時間は、動きを止めてしまった瞬間に時間が何倍もの速さで過ぎていきます。

早起きしても遅刻してしまう方は、のんびりする時間を無くしてみましょう。

そこで生まれた時間は、来るべきときまで貯めておきましょう。

アドバイスをしている私は、出勤時間ギリギリまでこんなことをしていますが。

 男は昨日、仕事が終わった後で家まで車を走らせていたところ、山際に伸びる国道に差し掛かったあたりで狸を轢き殺してしまった。

 確かに狸だった。まるまると太った大きな狸。体躯から察するにオスであろう。子を身籠ったメスかもしれない。もし、そうであったのなら男のなかに生まれたひやりとした罪悪感が更におおきくなってしまう。そうならぬうちに眠ってしまおう。そう考え、油に塗れた作業着を脱ぎ捨て、明かりも付けずに乱れた寝床に潜り込んだ。紺色の毛足の長い毛布は、労働の疲れと共に眠りを招く。


 何か酷い夢を見ていたのだろうと思うが、その夢は不快感だけを置いてすっと何処かに去ってしまった。喉にべったりと張り付いた感覚があり、唾液を飲み込むのすら億劫になる。指先はかじかむほどに冷えていたが、背中や額には、結露のように滲んだ汗が滴った。

部屋の空気から朝方であろうことは察することができた。腰をいたわりながらゆっくりと起き上がった。ベッドに置かれたマットレスには、灰色のシーツがかけられ寝汗で出来た大陸のようなシミが浮かび上がっていた。

 年齢を重ねる度に、朝まで眠っていることが困難になる。どれだけ遅く眠りにつこうが関係がない。腕時計に目をやると時刻は午前三時を回ったところで出勤時刻を考えると、あと四時間は眠ることができる。が、それも男が若ければということになる。

 再び眠りにつくことを諦め、スリッパに足を入れた。曲がった腰をリズミカルに数回鳴らし、踏み外さぬように一段ずつ階段を下りた。

 キッチンを覗き込むと、サキエがマグカップを両手で抱えながら木製の椅子に座り、窓の外を眺めていた。サキエの老いた小さい手ではさほど大きくないマグカップすらも膝にかかったブランケットが心配になる。

 「随分早いのね。」サキエは、コーヒーを慎重に啜った。「あなたもどう?」

 「俺はいいよ。コーヒーを飲むとどうも調子が狂う。」

 男の返答にサキエが興味を示す素振りはなく、ただ窓の外を眺め続けていた。

 「そんな暗がりを熱心に見続けても何もありゃしないだろう。」

 サキエは、再びコーヒーを口に含み、時間をかけて飲み込んだ。マグカップが空になると流しで直ぐに洗った。使い込まれた麻のエプロンで手を拭くと男の方に振り返った。

 「一時間前くらいからね、狸が二匹、車の周りを熱心に嗅ぎまわっていたの。大きさからして、お母さんと子供ね。あんまり可愛らしかったんで、あなたにも見て欲しいなと思っていたら偶然起きていらしたの。」サキエの顔には濁りのない幸福が宿っていた。まるで、自分が幸福であると信じているようだ。

 昨晩の出来事を、サキエに話すべきかどうか暫く考えた。狸を轢き殺すくらいよくあることで、全く気に病むことはないと言ってくれるだろうか。それとも、怒りをぶつけてくるのだろうか。サキエに限ってそんなことにはなり得ないとわかっていた。きっと、言葉では私を慰めてくれるが酷く悲しませてしまうだろう。

 「狸は、嫌いだったかしら?」サキエはいつの間にか、二杯目のコーヒーを作り、また椅子に座っていた。

 「狸は、臭くて構わん。猫や犬は愛でられて奴らが嫌悪されるのは、奴らが獣だからだ。動物と獣の間には大きな差があるんだ。」

 サキエは、頷きながら男の話を聞いていた。優しく閉じられた瞼には深く皺が刻まれている。

 「俺の車にクソでもされた日には、怒りでおかしくなって山中の狸を殺してしまうことになる。そんなことに残された僅かな体力を使いたくないんだ。近所には悪いが今のうちに始末してくる。まだ、車の辺りにいるのか?」男は壁に掛けられ猟銃を担ぎ、弾を数発ポケットに押し込んだ。

 「あなた、申し訳ないんだけど狸たちはついさっきどこかにいってしまったわ。」

 男は、諦めて猟銃を肩からおろし、足元に置かれた銀の皿を拾い上げた。シンクに皿を乱暴においたせいで、大きな音が鳴る。紙パックのなかに僅かに残ったミルクを注ぎ入れ、再び元の場所に皿を戻した。その動作からは、苛立ちが伺えた。ガタン。

 「少し早いが、猫には朝も夜もないだろう。」

 「そうね。好きな時に起きて飲むと思うから。」

 この時、時刻は七時になろうとしていた。各々が身支度を済ませて、男たちは働きに出た。

 


最後まで読んで頂きありがとうございます。

時間を無駄にしたと思われていないことを切に願います。


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